23話 宅飲み
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7日後。
副隊長を連れてクロエは帰宅した。
「おかえりなさいませ」
「待っていたぞ、クロエ!」
出迎えたのがアイザックだけでなく、ミハエルもいてクロエは自宅だというのに、帰りたくなった。
「なぜ殿下がいるのですか」
「そんな凍てるような眼でみなくても」
ミハエルが陽気に笑う。ついで、クロエの隣で硬直している副隊長に声をかけた。
「邪魔してすまないね。アイザックから、副隊長がロバート・ベーコン医師の報告に来ると聞いてね? 情報共有をしておこうと思って」
「なぜそんな話をしたのだ!」
クロエがしかりつける。
アイザックはしょぼんと眉を下げて、彼女から外套と制帽を受け取った。
「婚約式の招待状を持参したんです。そのときにうっかり……」
「招待状を出した段階でうっかりだ! なぜこんなやつに!」
「クロエ様が出さないので、じゃあぼくから、と」
「私は熟考して殿下に出さなかったのだ!」
「ちょいちょいひどいよね、クロエってさ」
大笑いするミハエルを無視し、クロエは室内を見回した。
「シャリーは?」
最近はクロエが帰宅するとアイザックと共に出迎えてくれるのが慣習になっていた。
帰宅のひとつの楽しみだというのに、今日はその姿が見えない。
「まさか病気とか⁉」
「いえいえ。見知らぬ人が来たので、隠れているんです」
「お前、もう帰れよ!!!!!」
クロエはつい声を荒げるが、ミハエルは副隊長の肩をぽんぽん叩きながら、「まあ飲みながらゆっくり話そう」とか言って食堂のほうに向かった。まるで我が家のような態度も非常に腹が立つ。
「準備は大変だったか?」
壁掛けに外套と制帽をかけるアイザックにクロエは尋ねた。
『一度、副隊長を連れて来ようと思うのだが、どうだろう。手間だろうか。なんなら外の店でなにか一緒に食事をするのでもいいのだが』
7日前にそう相談すると、アイザックはあっさり了承してくれた。
『きっとクロエ様のことが心配なのでしょう。安心してもらえるよう頑張ります』
そう言って、候補日をいくつかあげてくれた。クロエはすぐにそれを副隊長に告げ、今日の訪問日が決まったのだ。
「先に飲んでいたのだ。さぁ、好きなところに座って」
ミハエルがどんっと椅子に座り、皆に命じる。
クロエは「やっぱりこいつ殺そうかな」と思ったが、それをいち早く察知したアイザックが椅子に座らせた。
「いま、オーブンの料理をご用意しますので。クロエ様はワインを……! あ、カナッペのおつまみがありますから! これを先に。副隊長も、どうぞこちらの席に!」
アイザックがクロエの隣に副隊長を案内させると、彼は持参していたワインを差し出してきた。
「本日はお招きありがとうございます。妻の実家がワインの醸造所をしておりまして。お口にあうかどうか」
「これはありがとうございます!」
アイザックは笑顔で受け取ると、ラベルを見てさらに笑みを深めた。
「なんと、モルガン醸造所ですか! ここのスパークリングワイン、さわやかでいいですよね」
「ご存じですか?」
「もちろんです! 今日の料理にあいそうです。奥様によろしくお伝えください」
「早速あけよう」
「クロエ様にお任せしても?」
「ああ」
アイザックはワイン瓶とソムリエナイフを手渡した。そのまま彼はキッチンに向かう。たぶん、料理の仕上げをするのだろう。
クロエは慣れた手つきで封を切り、コルク栓を抜く。ふわりと、もぎたてのまだ若い白ぶどうの香りが鼻先をかすめた。
「いいな、これ。奥方にも礼を伝えてくれ」
珍しく副隊長もかすかに笑みを浮かべてうなずいた。
「妻も喜ぶことでしょう」
クロエは非常に苦悩しながらも忍耐でミハエルが持つグラスにワインを注ぐ。
「おお、これは良いワインだ!」
「殿下でもお判りになりますか」
「しれっとまたわたしをバカにしたな?」
「副隊長も」
「これは痛み入ります」
無視してグラスを渡し、副隊長にも注ぐ。
アイザックはもうそろそろ戻るだろうかとキッチンに目を向けたら、大皿を持って現れた。
ミハエルだけでなく全員が「おお」と声を上げる。
鶏のオーブン焼きだ。
まるまる一羽使っているのも見ごたえがあるが、一緒にグリルされたジャガイモがほっくりしてうまそうだ。表面がじゅっと焦げたトマトもいい。ハーブが添えられているせいで、見た目ほど肉々しい匂いがしないのもクロエ的にはうれしい。
「この皮目がうまいんだよなあ!」
ミハエルなどもうよだれを垂らさんばかりだ。
「レモンも用意してますので」
クロエにアイザックは言い、また身をひるがえしてキッチンに戻る。たぶん、切り分けるナイフを取りに戻ったのだろう。
「隊長と一緒に住み始めてまだ数週間ですか?」
「アイクか? ああ。……いや、もう一月は経つかな」
副隊長にこたえると、彼は少し口端を下げた。
「隊長の好みをよく把握しているようで」
「胃袋をつかまれた」
「さようですか」
アイザックがナイフを持ってくると、ナイフを置かせてグラスを持たせる。
「とりあえず乾杯しよう」
「そうですね。えと……」
どこに座ろうかと目を泳がせたアイザックに、ミハエルは笑顔で自分の隣を指さした。
「……すまん、アイク」
「申し訳ありません、アイザック殿」
「いえ、いいんです、ええ」
クロエと副隊長が頭を下げる。アイザックは苦笑いでミハエルの隣に腰かける。その彼のグラスにワインを注いだのはミハエルだ。
「では、我がいとこと我が親友の未来に! 乾杯!」
勝手に乾杯の音頭を取ったミハエルをクロエはにらみつけたが、良識のある貴族たちであるアイザックと副隊長は「乾杯」とグラスを掲げた。
クロエは苦虫をかみつぶした顔のまま、無言でグラスを揺らす。
そしてテーブルの上を見た。
薄く切ったパンをカリカリに焼き、その上にスモークサーモンとクリームチーズをのせたカナッペ。クラッカーを使ったほうには、ゆでたまごとピーラーで薄くしたにんじんマリネが乗っている。いずれも一口サイズで、ワインに合いそうだ。
ソーセージとキャベツをボイルしたものや、みずみずしい果物も並んでいるが。
クロエの目はキッシュをとらえた。
「副隊長」
「はい」
「ぜひキッシュを食してみてくれ。アイクのキッシュは絶品なのだ」
立ち上がり、パレット型のケーキサーバーでキッシュをひときれ皿に乗せる。
ふわと軽く湯気が上がる。まだ焼きたてなのだろう。冷めたものもうまいが、クロエはこの焼きたてのタルト生地が大好きだ。ざくっとした歯ごたえ。そのあと卵と具材、生クリームとチーズの甘さがぶわっと入って来る。それがいい。
「まだ熱いかもしれませんよ」
アイザックが丸鶏をさばきながら言う。横からミハエルが「皮、皮!」とうるさい。
「この料理はすべてアイザック殿が?」
礼を言って受け取った副隊長が尋ねる。
「うむ。いつも用意してくれている」
「そのぶん、生活費全般はクロエ様に頼りきりです」
アイザックが笑いながらミハエルの皿に鶏をサーブする。
「アイクの料理はいい。嫌いなものが出て来たことがない」
「隊長、好き嫌いが多いですからね」
「そうなのか? いつもなんでも食べているイメージだ」
ミハエルがきょとんとして言うから、クロエは顔をしかめた。
「私の立場のようなものが『まずい』などというと処罰されるではないですか。殿下も同じでしょうに」
「わたしは好き嫌いないからな」
「さようで」
「クロエ様の好みはわかりやすいですよ。結構顔にでます」
「私がか?」
ええ、とアイザックが笑う。
副隊長はそんな彼を一瞥し、キッシュを口に運ぶ。
「うまいですね」
そして肩をすくめた。
「これは隊長を射止められるはずだ」
「ありがとうございます」




