20話 アデル子爵令嬢の訪問
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三日後。
「…………婚約式、の案内ですか」
「うむ。来てくれ」
「婚約……本当だったんですね」
「本当もなにも……。半年後には結婚する」
副隊長は受け取った封筒を持ったまま、微動だにしない。
クロエは眉根を寄せて彼を見る。初対面からあまり表情の動かない男だと思っていたが、数年経ったいまでもその印象は変わらない。
「この封筒とカードは隊長が用意されたのでしょうか」
「いや、アイクだ。私はひたすらそのカードに定型文を書き、封筒に宛名を書いたにすぎない」
「どうりで」
「どういう意味だ」
「隊長なら味気ない真っ白なものをつかいそうなので」
「婚約や結婚なのだから白でも構わんだろうと思ったら、水色が縁起のいい色らしい」
「だと思います」
「そんなものか」
よくわからんが、アイザックに頼んでよかったということだろう。今日帰宅したら礼を言おう。
クロエはそんなことを考えながら執務机についた。
さて、最初の書類は……と「未決」の箱に手を伸ばした時、こほり、と副隊長が咳ばらいをした。
「なんだ」
「老婆心ながらよろしいでしょうか」
「うむ」
「社交界から流れてきた噂をうのみにするわけではございませんが、この婚姻は自由恋愛から始まったとか」
クロエは必死に記憶をたどった。
そういえば王太子ミハエルがそのように言っていたような気がする。
「そうだ」
クロエは重々しく頷いた。
「これで合点がいきました。このところの王太子からの急なお召し。それから押し付けるようにして決まった小間使い。あれがアイザック殿だったのですね?」
「そうだ。そうして私とアイクの間に愛が芽生えたのだ」
うむ、そういう設定だったはずだと深く頷く。
「自由恋愛を否定するわけではありませんが」
副隊長の前置きにクロエは目を瞬かせて顎を上げた。
副隊長の無表情がそこにある。
直立不動ではあるが、丁寧に婚約式の案内を持っている。その持ち方にクロエへの心遣いが感じられた。……のは、クロエと副隊長との関係性があってのことだ。他人が見れば、直立不動の無表情であることに変わりはない。
「しょせん、一時の心の動き、迷いにしかすぎません。やはり家同士がまずは話し合い、釣り合いのとれた相手と結婚をするのが一番安全かと」
「副隊長はたしか見合い結婚だったか」
「自分だけではありません。貴族であればだれでもそうでしょう」
「そうだな」
「その一時の感情の揺れで将来にかかわる大事なことを決めてよろしいのでしょうか。特にこたびのご婚約の相手は、アイザック・ハミルトン。いえ、いまはニコライアン殿でしたか」
ようやくクロエも彼が何を言いたいのか気づいた。
「……アイザック卿の母上の噂のことを言っておるのか?」
「廃嫡され、除名されたとのこと。これはゴシップと聞き流すことはできません。母親が不貞の末に彼を身ごもったのであれば、似たようなことを彼はする可能性が……」
「親と同じ行動を、必ず子がするとは限るまい。現に、私の母は剣も弓も握ったことはないし、私は母のように歌ったり踊ったりが苦手だ」
「ですが、不安要素は排除すべきではないでしょうか」
「アイザックの母君のことについては完全に捏造だ。核心部分については貴官といえど言うことはできぬが、私は確信を得ている」
きっぱりとクロエは副隊長に言い切った。
副隊長はしばらくクロエを見つめていたが、きっちりと腰を曲げた。
「出過ぎた真似でした」
「なんの。貴官の気遣い、いたみいる。……それでな?」
クロエはふと、彼なら協力してくれるのではないかと思った。
「なんでしょう」
「アイクの……アイザックと母上の名誉を回復しようと、王太子殿下と共に動いている」
「王太子殿下も……なにかつかんでおられるのですね」
「うむ」
「ではこのゴシップは完全にデマだと」
「わたしはそう確信している」
「わかりました。自分はなにをいたしましょう」
「アイクの母君と関係があったと公言している医師の素性を洗ってくれ。ロバート・ベーコンと言う。どこの大学を出て、専攻はなにで、どこの教授たちと親交があるのか。また、国外逃亡の動きがあれば、押さえてくれ」
「かしこまりました。早急に」
「いや、仕事の合間でかまわんが?」
「アイザック殿にはさっさと噂を払拭していただかなければなりません。そうでないとせっかくの門出にケチがつくというもの」
「……まあ、そうなのだが」
クロエは机に頬杖をつき、副隊長を見上げた。
「そうだ。以前も伝えたが、一度我が家に酒を呑みにこないか?」
「自分が、ですか」
「うむ。アイクの料理は別格だ。食べれば彼の性格がわかるというもの」
「料理を食べれば、かようなことがわかるものでしょうか」
「我々は、剣筋を見ればだいたいの性格がわかるだろう?」
「そうですね。手数の多さ、スタイル、好み……」
「アイクの場合は、それが料理だ」
「……なるほど」
「アイクに相談して、また誘う」
「承知しました。お待ちしております」
「うむ」
クロエは書類仕事をしようとしたのだが、「あと」とさらに声をかけられた。
「なんだ」
「歓楽街の夜間警備はまだ続けた方がよろしいのでしょうか」
「ああ、それな……」
クロエはため息をついた。
もうアイザックを隠しておく必要がなくなったので、彼がシャリーを連れて自由に結界強化にいそしむことができるのだが。
『治安にいいんだってさ。娼婦団体から要請が来ててさ、朱紅隊に警らを続けてほしいらしいよ』
昨日、のほほんとした顔でミハエルが言うから、殴りつけようとして侍従官にとめられたところだ。
「本来は王都警備隊と神殿騎士団の管轄であるのだが……。ほぼ放置状態だったらしい。それでうちがああやって出張ったところ、大変好評だったそうだ」
「娼婦にですか」
「男娼にも、だ」
「さようですか」
「組合を通して『引き続きどうぞ』という歎願が来たらしい。昨日、王太子殿下が言っていた」
「なら続行ですか」
「しばらくはな。だが、先も言ったようにこれは王都警備隊と神殿騎士の仕事だ。今度両団体の長と話し合いの場を持つ。そこで主張しようと思うが……。しばらくは皆に負担をかける」
「かしこまりました。では、その班編成と、先ほどの密命を行います」
「うむ」
副隊長が一礼して下がろうとした矢先、ノック音が室内に響いた。
「なんだ」
クロエが問うと、断りを入れて扉が開いた。警備兵が困惑した様子で顔をのぞかせる。
「ジェイド子爵のご令嬢であるアデル様が早急にお目通り願いたいと……」
「子爵令嬢が?」
クロエは眉根を寄せる。
王太子ミハエルが手を出して泣かせた娘だ。




