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2話 婚約破棄された伯爵

「そう、アイザック。いまはニコライアン姓を名乗っているんだけどね。……おっと」


 みゃあ、と。

 突然鳴き声が聞こえてクロエは身構えた。素早く視線を周囲に走らせる。


 とすっと。

 軽い音をたててソファの背もたれという不安定な部分に猫が現れた。


「ああ、もちろん君も忘れているわけじゃないよ、シャリー」


 うなぁん、とミハエルに返事をしている。


(賢い……っ!)


 クロエは棒立ちになったまま猫を見つめた。

 これが果たして成猫なのかどうかわからない。ただ仔猫ではないとわかった。さすがに大きさはわかる。


 真っ白な猫だ。

 「シャリー」とミハエルが言っていたが、ミルクとかスノーホワイトと名付けたいぐらいの白さだ。いや、そう名付けるべきだ。


 目はむかって右が青。左が金色だ。いわゆるオッドアイというやつではなかろうか。


(尊い……っ!)


 くっとうめいていると、ミハエルが困ったように小首をかしげた。


「あれ、クロエ。猫嫌いだったっけ?」


 さようなことあるわけなかろうが、この腑抜け王太子め! とはさすがに言えなかった。


 というか怒鳴るのも忘れてクロエはシャリーを見つめ続けた。

 こんな間近で猫を見たのは初めてだ。


 猫が好き。

 いや、猫も好き。


 もともとクロエは人間以外の動物が好きだ。

 馬も好きだし、犬も好き。鷹も大好きだ。


 その三種族とは比較的仲良くやっていて、馬に乗りながら犬を走らせ、肩に鷹を乗せて狩りに行くことが趣味だ。


 いや、趣味だった、というべきか。


 愛犬も愛鷹も約1年前に他界し、愛馬は訓練以外ではあまり会えなくなってしまった。


 クロエはたくさんの愛を動物たちに注いできた。


 だが、猫。

 猫にだけはなぜか愛が届かない。


 令嬢の多くが猫を飼っているので、お茶会に招かれた折になんとかふれようと挑戦するのだが、なつかれたことがない。


 というよりクロエを見たらみな、逃げる。


 ねこじゃらしを手に、匍匐前進しながら近づくのだが、「シャア!」と威嚇されればいいほうで、ほとんどは逃げて以降、二度と姿を見せてくれることはない。


「嫌い……ではございません」


 答えながら、いまだ逃げるそぶりを見せないシャリーを見る。ごくりと生唾を飲み込んだ。


 手を伸ばせば……ワンチャン、いけるのでは? 触れるのでは?

 ってかこの猫、誰の猫? 王太子? それともアイザック卿か?


「よかった。アイザックと一緒にひきとってもらわないといけないからさ」


 言うなりミハエルは立ち上がり、シャリーを抱き上げた。


「はうあああああああああ!!!!!」

「ひぃぃぃ! え、なに⁉」


 思わず叫んでしまったクロエに、ミハエルはシャリーを抱いたまま数センチジャンプをした。


「ど、どどどどどうした⁉ やっぱりクロエ、猫きらいなの⁉」

「いえいえいえ! 失礼しました! つい正気を失うかと……!」


「正気を⁉ え、本当に無理しないで!」

「無理なんてしてませんから! 私のことなど放っておいてくださいませ! で⁉ そ、そそそそそそその猫とアイザック卿を私が預かる……」


 言いながら、クロエは血圧が上がって片膝を床につく。


「猫を……あずかる!!!!!!! できるかなあああああああああ!! えええええええええ⁉ 死ぬかも!」


 幸せすぎて!!!!!!


「ちょ、マジで大丈夫⁉ どうしよう、え⁉ 死ぬ⁉ クロエ、死ぬの⁉」


 声が近いとおもったらミハエルが膝をついて顔を覗き込んでいた。

 その両腕の中にいるシェリーと目が合う。


「なぉぅん?」

 小首をかしげて鳴かれた。


(なにこれ―――――――!)


 世の中にこんな顔の小さな生き物がいてもいいのだろうか!!!!

 顔、ちっさ! なに、鼻がちっさ! 犬や馬って鼻、なっが!

 あのマズルどうなってんの⁉ ふくふくっ、て! ふくふくってしてる!


「く……っ。あの、王太子……ちょっと離れていただいて……」


 思わず奪い取りたくなる可愛さにあがらえない。


「あ、そうだよね……。ごめんごめん。あの最悪、シャリーはかまわなくてもいいから」

「うなっ⁉」


「だってアイザックが元気になったらあいつに世話を頼めばいいだろう? とにかくいつまでもここにおいておくわけにはいかないんだからさあ」

「うなぉ……う」


 なんで王太子あのばかが猫とイチャつけて私はできんのだ!!!!!


 この世の理不尽を呪い、そして「そうかわざと王太子あのあほは私に猫とのイチャつきをみせつけようとしている。うん、殺そう」と結論付けたとき、ミハエルは床にシャリーをおろして、いまだ床に片膝つくクロエに視線を向けた。


「一か月前に、アイザックが婚約破棄をした件は聞いている?」

「あ……。噂程度には」


 ようやく我に返り、クロエは立ち上がる。


()()()()を……()()()んですよね?」


 宮廷や貴族たちのゴシップには疎いし興味もないクロエだが、「へえ」と珍しく思ったことを思い出す。


 彼は婚約破棄をした、のではなく。

 婚約破棄をされた、のだ。


 恋愛なら「別れ」もあるだろうが、婚約までしておいてそれを「破棄」にする。

 心変わりや不都合な事情の露呈によって「男性側が女性側に破棄を申し渡す」といいうことはごくまれだがある。


 だが、女性側から男性側に申し入れられたのは、クロエの知る限りアイザックぐらいではないだろうか。


「実は庶子だったとか……でしたか?」

「そんなことあるものか」


 即座にミハエルが否定した。


 そう。

 アイザックの婚約者であったルビー・オースティン伯爵令嬢は、『ハミルトン伯爵家の正統な後継者』との婚約を望んでいた。


 それなのにアイザックは庶子だったと言い出したのだ。


 アイザックの母は、弟であるサミュエルを生んだ後、産褥熱のために死亡している。もともと病弱な方だったらしい。


 ハミルトン伯爵はその後、男手ひとつで息子たちを育て上げる。

 その後、アイザックが18歳となり、大学に通いながら四神殿のひとつである金虎神殿の神官として奉仕したのを言祝いだのち、ながらく患っていた病のために亡くなる。


 そしてアイザックはハミルトン伯爵位を継ぎ、父が存命の折より打診があったオースティン伯爵と婚約を結ぶ。


 ただ、父の喪があけぬことと、神官として働いてはいるがまだ大学生の身でもあることから結婚は23歳になったとき、と取り決めを行っていた。


 日は移り、アイザックが23歳。ルビーが21歳になったとき。

 急にオースティン伯爵家が騒ぎ出したのだ。


 アイザックが庶子である疑義がでてきた、と。


 もちろんアイザックはもとより、アイザックの母方であるニコライアン伯爵の親族たちも強く抗議した。


『アイザックは正統なハミルトン伯爵の子である、と』


 だが、オースティン伯爵が『ハミルトン伯爵夫人と通じていた』という間男を連れて来たのだ。


 その男は夫人のかかりつけ医で、ロバート・ベーコンと名乗った。


 ハミルトン伯爵とは治療を通じて知り合い、その細君と深い仲になったと言いだしたのだからたまらない。しかも彼女からもらったという琥珀のネックレスを出して見せたのだ。


 結果的にハミルトン一族は恐慌状態になった。

 その琥珀のネックレスはハミルトン一族に伝わるもので、代々正妻が所有するものだったからだ。慌てて宝物庫を探したが、そのネックレスは紛失していた。


 ハミルトン伯爵もその妻もすでに他界している。

 真実を知る者はいない。


 結果的に、「疑わしいのであれば排除すべき」という考えのもと、アイザックは婚約破棄。伯爵位は返上させられ、弟のサミュエルが継ぐことになった。


 同時にルビーはサミュエルと婚約を結び、アイザックは一族から名前を除名され、ニコライアン姓を名乗ることになった。


 そして醜聞を疎んじた金虎神殿からは、湖水地方への異動を命じられたと聞く。


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