18話 王太子の秘策
(……なるほど、ハミルトン伯爵がいくら『王家のために神獣と会話できるものを神官として仕えさせます』といっても)
これはいくらでも悪用できるのだ。
『神獣がこういっています』『神獣の言葉はこうです』
そう言っても確認するすべはない。
誰も。
神獣と会話ができないのだから。
そしてこの事実は非常に危うい。
「ぼくが神殿から追放されるのは別に構わないのですが、シャリーが職務放棄をしているのが問題で。それもあって王太子に相談を」
「神獣が帰ってくれないんだよねぇ。アイザックになつきすぎちゃって……。でもいまは見回り強化してくれてるんだろ?」
「ええ、相変わらず神殿には戻りませんが。……まぁ、あの手この手をつかってなんとか警備だけはしてもらっています。さっきもぼくたちとは別ルートで幽騎士退治をしていたようで」
「あれ? そういえば、そのシャリーは?」
きょろきょろとミハエルが室内を見回す。
「派手に汚したので。川で洗ってこいと命じました」
「……神獣に対してそれはないんじゃない?」
「だってあの格好で戻ったら、クロエ様の家が汚れるじゃないですか!」
「なんかあれだよね。君といいクロエといい、優先順位がおかしなことになって……」
ミハエルは苦笑いした後、クロエを見た。
「ということでさ。なんとかアイザックを復帰させたいんだよ、神官として。そうじゃないと西区の幽騎士騒ぎは収まりそうにない」
「ぼくが復帰しなくても……。シャリーがわがまま言わずに神殿に戻ればいいんです」
アイザックが不満そうに腕を組む。
「クロエ様にかくまっていただいている間に、何度も説得したのですが、全くダメで」
「ならばやはり貴卿を神官として復帰させ、同時に名誉回復をせねばならんだろう」
きっぱりと言い放つクロエに、アイザックがさらになにか言おうとそぶりをみせたが、クロエは首を横に振った。
「貴卿だけの話ではない。これはご母堂の名誉にもかかわる話だ。万一、不貞の結果であるのなら……まあ、あれだが。どう考えてもこれは死者への冒涜だ。事実でないことで悪しざまに言われているのだからな。同じ女性として見過ごすわけにはいかん」
「そうなんだよね。だから『神獣が見えるからハミルトン伯爵の血を継いでいる』以外の、別の証拠が欲しいんだよ」
「そういう殿下はなにか案でも浮かんだのですか」
クロエの視線を受けて、ミハエルはにこりと笑った。
「秘密裏に産婆を探している」
「産婆?」
クロエとアイザックの声が重なる。
「そう。アイザックのお母さんって若いころからずっと病弱でさ。妊娠出産に耐えうるのかってことで、結婚と同時に産婆さんにずっと相談に乗ってもらっていたんだって」
「ああ……。そういえば、母との浮気を暴露した主治医だけではなく、定期的に産婆も……というか当時はぼくも幼くて産婆という意味がわからなかったのですが。……来て、ましたね」
「でしょ? その人がなにか知ってないかな、と思って。もうすぐ会える予定」
「それ、同席させてください」
アイザックが言うので、ミハエルはもちろんだとうなずいた。
「でね? それに合わせて、そろそろアイザックが無事ってのを公表しようと思うわけだよ」
「それは……」
どうなのだろうとアイザックの目が泳ぐ。クロエが目を細めて腕を組んだ。
「また命を狙われるのでは? というかもう、これ命を狙っているのは弟御で確定だな。弟御は知っておるのだろう? 貴卿に神獣が見えることを」
「いえ、弟はこのことを知りません」
「あ、長男だけに伝えられるのだったか。では、完全にお家乗っ取り系だな。貴卿が邪魔になったので廃嫡の上、殺害しようとしておるのだな」
「そんな身もふたもない言い方」
「いいのです、王太子。本当のことですから」
アイザックが苦笑いしている。
(……本当に人のよい男だ)
弟の身の振り方を決めてやり、生活費も与えてやったというのに。
それなのに。
当の弟は、嘘をでっちあげて兄を家から追い出し、婚約者まで奪った。
これではまるで飼い犬に手を噛まれるようなものだ。それなのにあきらめたように笑っている。
それはミハエルも気づいているのだろう。肩をすくめて話した。
「アイザックがハミルトン伯爵家の嫡男であることを立証してから、社交界や神殿に復帰させようとしたが……。なんか時間かかりそうなうえに、アイザックがいないと幽騎士の件もあってややこしいし。だいたい、シャリーが虎の姿でウロウロしているから、目撃証言もだいぶんあがってきてるんだよなぁ」
「でしょうねぇ」
「だろうな」
アイザックとクロエが同時にため息つく。
目立つ。あの金の虎は目立つ。
幽騎士を狩っているから問題ないようなものの、この現象をどうとらえるかでまた現王権の在り方を問われそうだ。
「もう隠すのはやめる」
「なんて投げやりな」
あきれるクロエをミハエルが指さした。
「クロエ、アイザックと結婚しろ」
「「………は?」」
ふたたびアイザックとクロエの声が重なる。
視線の先でにこにこ笑っているのはミハエルだ。
「クロエの父は、わたしの父の弟。クロエは立派な王家に連なる者だ。彼女と結婚する予定の者を堂々と殺すことはできまい。そんなのテロ行為だ。で、胸を張ってクロエと一緒に住めばいい。婚約者としてな。クロエは最強の護衛だ。アイザックの身はこれで安心。大手を振ってお前に危害を加えた犯人を捜せるし、身の潔白も証明できる」
嬉しそうに笑ったまま、ぱちりとミハエルは両手を合わせた。
「で、堂々と神殿に出仕すればシャリーも元通り。幽騎士騒動も落着だ」
「いやあの、ですが!」
アイザックが慌てる。
「クロエ様のご両親はどのようにお考えなのですか⁉ こんなに勝手に決めていいんですか⁉」
「父は二年前に死んで、母は修道院で尼僧になった。私がシェードウィン家当主だ」
「あ……、そう……なのですか」
「陛下にもこっそりご相談しているから、へーき、へーき」
「陛下はどのように⁉ いいのですか⁉」
アイザックの顔が蒼白だ。
クロエにはそんな彼が、意に沿わぬ婚約を迫られた伯爵令嬢のように見えた。
「あのクロエと結婚できる稀有な者がいるのならぜひそうするように、と」
「なんという言いぶりか、陛下!」
クロエは憤ったが、はて、と我に返った。
「なるほど、陛下のお言葉にも一理ある」
「なんか納得してる! クロエ様、目を覚まして!」
「わたしも王家の血を引く者。いずれは当主として次代の子をもうけねばならない。それなのに、この年になるまで見合いの話は皆無」
「……あ、そう……なんですか」
「うむ。しかも、こちらから申し込んでもなしのつぶて」
「な……る、ほど」
「貴卿さえよければこの話、ぜひ進めさせていただきたい」
「え⁉ は⁉ いやあの!」
「言ってはなんだが、貴卿とて婚約破棄された稀有な男ではないのか?」
「はぐ……っ」
「そのような傷モノ伯爵、このあと良い縁談に恵まれるとは思えぬが」
「……きずもの……」
「言っておくが、私は血だけはいい。父が王弟だったし、修道院ではっちゃけたミサライブを楽しんでいる母は、侯爵の娘。かような縁談はもはやないぞ?」
「そうそう。結婚しちゃいなよ!」
「王太子殿下は黙って! クロエ様はどうなのですか⁉ ぼくでいいんですか⁉」
「婿に来てくれるならかまわん。貴卿、料理もうまいしな」
クロエはにっこりと笑った。
こうして。
朱紅隊の隊長であり、シェードウィン家当主のクロエと、廃嫡された元ハミルトン伯爵家のアイザックは。
正式に婚約することになった。