11話 女性店員
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帰宅するまでの道すがら、ふとクロエが足を止めたのは一軒の菓子店だった。
(こんなところに店が……? ああ、今日は定時帰宅だから営業しているのか)
珍しく定時で業務が終了したので、まだ店が閉まっていなかったらしい。
甘い香りにひかれて足を止めた。
今日は身体というより、脳を使った。ミハエルからお願いされた歓楽街の見回りの件で、副隊長と話し合ったせいだ。
各班のローテーション組みと、各班長とのブリーフィング。その日程と文書作成。
そんなことで一日が終わってしまい、疲労困憊していたのを見かねたのか、副隊長が強く帰宅を勧めてくれたのだ。
(甘いものが食べたい)
ショーケースを見つめて思う。
そこには籠に盛ったクッキーやブラウニーがまだいくつか残っている。ケーキやチョコもあるかもしれない。
ふと頭に浮かんだのはアイザックの姿だ。
いつも料理を作ってくれる礼にこういうものを贈るのはどうだろう。料理を作るのが好きだと言っていた。だとすれば他人の料理も気になるのではないだろうか。
「……よし」
うなずき、クロエは店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
カランとドアベルが鳴ると、すぐに奥からふくよかなエプロン姿の女性が現れる。なぜだろう。甘いものを売っている店の店員がふくよかだと、絶対はずれなしだと思うのは。
「クッキーやブラウニーは見たが、ケーキはまだあるだろうか」
クロエが尋ねると、一瞬きょとんとした顔で見られた。
ああ、自分が軍服姿なのに声が女だからかと気づく。こういう反応はよくあることだ。
「あ、失礼いたしました。あまりにも格好良い軍人さんだったので」
にこりと笑ってそう言われた。
今度はクロエが戸惑う。
『女性だと思いませんでした』『軍人……ですか?』そんなことはよく言われるが、面と向かって『格好良い』と言われたのは初めてだ。そして悪い気はしない。
「すみません、タルトもスポンジケーキもすべて売り切れておりまして。あるのはもう、ブラウニーとヘイゼルナッツのクッキー、それから……えーっと。あ、チョコレートもない……」
申し訳なさそうに言う店員に、クロエはゆるく首を横に振った。
「いや、大丈夫。ではブラウニーをみっつ、クッキーを……そうだな、10枚はあるか?」
「ちょうどございます」
「ではそれを」
「かしこまりました」
店員が紙袋を持って商品の入った籠に近づくのを見、クロエは財布を出しながら店内を見回す。
そして、見つけた。
(猫用……クッキー?)
商品手渡しカウンターあたりに、『猫用クッキー』とポップのついた籠があるのだ。
のぞきこむと、白めのクッキーが数枚ある。
(犬用の菓子なら買ったことがあるが……)
ジャーキーだ。愛犬は特に鹿が大好きで、鹿の角を与えると狂ったんじゃないかとおもうぐらいかぶりついていた。
「あの」
「はい?」
「この猫用というのは……」
「ああ、そちらは米粉を使っておりまして。ジャーキーの粉末を混ぜております。人が食べても問題ありませんよ」
なら安心だ。
だが果たしてうれしがるものなのだろうか。
「犬用なら買ったことがあるのだが。猫も喜ぶものなのだろうか」
「あー……。やっぱりジャーキーとか魚の乾燥したもののほうが喜ぶでしょうが、それもまぁ、人気ですよ?」
店員が苦笑いする。要するに、人間がうれしがって猫に与える、という感じで、猫が喜んでいるかどうかは不明、というところか。
「ではそれも2枚……にしておこう。あ、そうだ。ブラウニーはもうひとつ追加できるか?」
「はい。買っていただくとそれで完売ですのでうれしいです」
「では買おう。申し訳ないがブラウニーひとつは袋を分けてくれ」
「承知しました」
テキパキと店員が動き、金額を告げる。財布から札を数枚とチップ用の硬貨を差し出すと、店員は袋詰めをしながら話しかけてきた。
「時折、窓越しにお姿を拝見していたんですよ」
「私の?」
「お見かけにならないときはきっとご帰宅が遅い時なのでしょうね」
「そうだな」
「軍人さんも……その……。女性がお仕事をする、というのは大変ですか?」
ちらりと視線を向けられる。買い物でこんなに会話をするのは初めてだ。クロエは内心戸惑いながらも、小さく頷いた。
「そうだな。だがそれは男も一緒ではないか? むしろあいつらのほうが無用に派閥争いなどをして大変なようにも思える」
ぷ、と店員は吹き出した。
「ですね。女だから大変ってわけでもないですね」
「大変なのか?」
「大変な時も……あるなあ、と。いや実は、窓越しにみていたときは男性だと思っていたので」
「よく言われる。気にするな」
あははは、とさっきより屈託なく店員は笑った。
「近衛隊の軍人さんだし、若いし、見栄えもいいからきっと苦労なんてないんだろうな、って勝手に思ってました」
「いや、かなりある」
「ですね。だけどこうやってお話して……。実は一緒の職業婦人なんだってわかったらちょっと勝手に親近感です」
商品の入った紙袋を差し出す店員にクロエはうなずいてみせた。
「そうであるな。職は違えど、世間と戦う同志である」
「では同志、お互いがんばりましょう」
店員は見よう見まねの敬礼をして見せた。クロエもびしりと答礼をし、「またくる」と言って店を後にした。
家に向かって歩きながら、どこか心が軽くなった気がした。
駐屯地内ではまるで女性進出ができないし、「そもそも女性、いる?」的扱いを受けることが多い。「貴官が珍しいだけだろう」と。
だからなんとなく最近は心折れかけていたが。
どんなもんだ。
社会で働く女はちゃんといる。
しかも自分と同じく、時折心細く思っているようだ。
自分だけではなかったという思いと、お互いがお互いを励みにしようという背筋が伸びる思いに胸がほくほくと温かくなる。