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1話 王太子の執務室

 王太子のミハエル・エドワード・オブ・グノマリアに呼び出され、第二近衛隊長のクロエ・シェードウィン公爵は彼の執務室前にいた。


「シェードウィン公爵!」


 杖の石突で廊下を鳴らし、衛兵が敬礼をする。クロエも答礼をし、制帽をとったたときに執務室から声がかかった。


「入って、クロエ!」


 陽気な声は相変わらずだ。

 毎日なにが楽しいのだろう。

 公爵であり近衛隊隊長であるクロエでさえ激務。

 王太子など想像を絶するだろうに、常に快活で溌溂としている。


 なにか変な薬でもやっているんじゃないだろうかと最近は勘ぐるほどだ。


 制帽を脇に挟むと、衛兵が扉を開けてくれた。


「第二近衛隊隊長クロエ、お召しにより……」

「かたっくるしいな。従姉妹だろ? そんなのいいから早くこっちへ」


 せっかく敬礼もしたというのに、答礼もない。執務机のミハエルはにこにこ笑って手招きしている。


「失礼いたします」


 お前が気にしなくても私が気にするのだ、と怒鳴りつけたいのをこらえ、クロエは入室した。


 背後で扉が閉められる。

 クロエは、ついもれそうになるため息を飲み込み、真正面の執務机にいる王太子を見た。


 肩口で切りそろえられた銀色の髪は動きに合わせてさらさらと揺れる。母后ゆずりの甘い表情は宮廷の年上女性たちから絶大な人気だ。


 細身ではあるが鍛え抜かれた体幹が服越しにもわかる彼は、今年23歳。クロエのみっつ年上になる。


 本人も言っていたように、ミハエル王太子とクロエはいとこ同士という関係にある。


 彼の父でありグノマリア王国の国王ハインリヒと、クロエの父ミシェルが兄弟なのだ。


 幼いころはよく遊んでもらっていた。というよりクロエはもっぱら武芸の攻撃対象にしていた。


 だから彼が「今日はお人形遊びでもいいよ、クロエ。おにいちゃまがパパ役をしてあげようか?」とひきつった笑顔で人形を握り締めているのをよく覚えている。


 王子であったクロエの父は、結婚をするにあたり、王籍を離れて空位となっていたシェードウィン公爵位を継いだ。同時に第一近衛隊隊長にも任命されたのだが、もともと荒事が苦手な性格のため、長子であるクロエが16歳になるや否や、爵位を譲り、退官してしまった。


 クロエが男子であれば王族の男子を警護する第一近衛隊、通称銀白隊の隊長におさまったのだろうが、女子であるために一部から反発を受けた。そこでもともと「むくつけき軍人には抵抗がある」と苦情の多かった、王族の女子を警護する第二近衛隊、通称朱紅隊の隊長となり、ついでに部隊編成についてもできるだけ女性を積極採用することとなったのだが……。


 クロエが着任して4年。

 現在うまくいっていない。

 完全にとん挫している。


 が、まあそのことはおいおい考えていこう。とりあえずはこの困った年上いとこに集中せねばなるまい、とクロエは胸を張った。


「こたびはいかなるご用むきでございましょうか」

「いや、それがさ。まじでクロエにしか頼めないことなのよ」

「また女ですかっ!」


 くわっと目を見開いてクロエは怒鳴りつけた。

 ついでに執務机に詰め寄る。


「あの子爵令嬢をようやくなだめたとおもったのに! 次はどこのご令嬢をたぶらかしました⁉ よもや市井の無垢な娘ではありませぬな⁉」


 ばしっと机をたたく。


「円熟で恋愛にたけた未亡人だけにしておきませ、とあれほど口を酸っぱく……! 銀白隊はいったいなにをもって仕事をしておると言うておるのやら!」


 頭のなかでは、銀白隊隊長がのほほーんとした顔で「いやあ、もうこれは個人の問題でしょう」とか言っている。


 悔しい。まったくもって腹が立つ。

 この王太子の悪癖のひとつは、つぎつぎと恋人を作っては別れることだ。


 クロエとて個人の問題であるとは思う。

 それに夫に先立たれた有閑マダムが火遊び相手にと関係をもつなら別にいい。というか、いままではずっとそうだった。この王太子の遊び相手はそういった「これは遊び」と割り切ってくれる女性たちだった。


 だがこの王太子。とうとう未婚女性に手を出したのだ。アデル・ジェイド子爵令嬢である。


 別れ話でもめていると相談されたとき、クロエは卒倒するかと思った。


『信じてくれ! 最後まではしてない!』

『それが真実であっても、私を含めて世間は信じませぬぞ⁉』


 人生を狂わされるのは女なのだとどやしつけ、なんなら蹴りもした。数発は腹を殴ったかもしれない。


 そしてなぜ自分がと思いつつも別れを切り出された子爵令嬢宅を訪問し、誠心誠意詫びたあと、泣き暮らす彼女をいたわり、菓子を食わせ、お茶を飲ませ、涙を拭いてやった。令嬢のご両親はさぞかしお怒りかとおもいきや、手切れ金を拝領した段階であるていどの諦めはついていたらしい。


 それに『王太子と恋までした娘』ということで箔がついたのか、縁談が山のように舞い込み、その中から良い相手をみつけたとか。


 そんなこんながあったのがつい半年前。

 ようやくクロエの疲れも癒えてきたところだというのに、この男はまたしても!


 はっ! よく考えればこの執務室に今日は行政官がいない! 侍従もいないではないか! これはあの子爵令嬢の『実は別れ話でもめててさ』案件と似た状況!


 次はどこの娘に手を出したというのか⁉


「違う違う! おちついて、クロエ! ちょ! 暴力反対!」


 気づけばこぶしを握り締めていた。強く握りこみすぎたのか、手袋がギチギチいっている。それにおびえたミハエルがホールドアップしていた。


「ではどういったご用件でしょうか。できれば手短にお願いいたします」

「というかクロエって丁寧語を使えば不敬じゃないっておもってるよね」


「さようなことはございません」

「腕組んで睥睨されているけど」


「こうでもしてないと殴りそうですが。ほどいてもよろしいのか?」

「じゃあ腕組んでて」


「承知しました」

「で、今回の件なんだけど」


 ミハエルは立ち上がり、手招きをする。

 なんだろうとクロエはいぶかしんだ。


 というのも彼が歩み寄っていくのは書棚だからだ。

 なにか本でも紹介してくれるのだろうかと思っていたら、案の定ミハエルは一冊の本を取り出した。


 だが、それをクロエに手渡すでもない。

 一冊分の空白に右手を突っ込み、「よいしょ」と力をこめてなにかを押し込んだ。


 がこん、と。

 つっかえが外れたような音がした直後、書棚がゆっくりと横にスライドしていく。

 唖然とするクロエの目の前に、別室が姿を現した。


「どうぞ」

 ミハエルは声をかけてさっさとその部屋に入る。


(隠し部屋か)


 あるとは聞いていたが、まさか毎日のように出入りしていた執務室にもあろうとは。


 おっかなびっくり、入室する。


 そう広い部屋ではない。

 ソファと机があるだけだ。

 窓もないので断然暗いのだが、いまは執務机と続き間になったおかげで目が利かないということもない。


「……殿下っ!」


 ついうめいて頭を抱えてしまった。

 というのも、そのソファに誰か横たわっていることに気づいたからだ。

 毛布をかけられているが、あきらかに「ひと」だ。


「今度は無理やり手籠めにしたとかではありませぬな⁉ でしたら乙女の純情を奪った罪、つぐなっていただきます!」

「よせ! ナイフをおろせ! ってか執務室内は帯剣を禁じられているだろう⁉」


「護衛対象を守るために隠し持っております! お覚悟を!」

「え⁉ 王太子わたしって護衛対象じゃないの⁉ ひっ! 近づくな! 切っ先をこっちに……ていうか、振りかぶるな! こいつはわたしの友人で男だ!」


 首を狙って振り下ろそうとしていたクロエはぴたりと動きを止めた。

 ミハエルはソファのそばに両膝をついて毛布にくるまった「ひとがたのなにか」に抱き着いて真っ青になっている。


「友人……ですか? お加減が悪いのですか?」


 投げ捨てた鞘を拾ってナイフを懐に戻し、クロエはミハエルのそばにそっと近寄った。


 ここまで来ると確かに男性だと気づく。 

 大きいのだ。

 それに毛布で身体をくるんではいるが、顔は少しだけのぞいていた。


「あ……。これは……」


 つい口から言葉が漏れる。

 金色のくせのある髪と、目を閉じてはいるが端整な目鼻立ちには見覚えがある。


「アイザック・ハミルトン伯爵ではございませんか?」


 彼であれば確かにミハエルとは同級生。大学時代のご学友であり、ミハエルが腹を割って話せる友人でもある。


 社交界では彼を知らぬ者はいない。


 なぜなら。

 婚約破棄された伯爵だからだ。


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