表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

白虎帝の寵姫 義妹の身代わりに後宮入りしたら皇帝陛下に溺愛されました!




麗華(れいふぁ)、後宮に行こうと思う」


 幼馴染のたいそう可愛い少女から思いがけない言葉を告げられ、私は目を真ん丸に見開いた。

 

「え? (しろ)ちゃん、どうして――?」


 問いかけると、儚げな少女がふっと微笑んだ。


「君と一緒に国を変えるために――麗華、必ず君を迎えに来るよ、待っていて」


 そうして、私は彼女から綺麗な翡翠の佩玉(はいぎょく)を貰った。


 当時、彼女にまた会えると信じて手を振って見送ったのだった。

 

 まさか、後宮に行った女の人達は、一生そこで過ごさなければならないとは知らずに――。




***




 巨大な大陸の西を統べる帝国――西華国(さいかこく)

 国を霊獣・白虎(びゃっこ)が守護しているとの伝承が残っており、新たな皇帝が誕生する際にだけ姿を現すのだという。

 美しき純白の虎が、最後に皆の前に現れたのは、現皇帝・白焔(はくえん)が王太妃の腹に宿った頃だと口述で伝えられている。


 歴代の皇帝の中でも、優れた美貌と知性と武芸の才能を生まれ持ったとされるうら若き青年は、困窮した国を救ってくれる、稀代の人物として民達の羨望の的だった。


 そんな彼に期待されるのは有望な男児の誕生であり、後宮には、身分の高低に関係なく、色とりどりの女性達が集められていた。

 けれども、どんなに高い家格の女性に対しても、彼が興味を示すことはなかった。

 何千人の美姫がおわす後宮に、彼が足を運ぶことはない。


 そうして――皇帝は男色家なのではないか、男性としての機能がないのではないかと、そんな噂が経つことになったのだった。




***




 約一年前、国に売り渡されるように後宮入りした私――麗華(れいふぁ)は、後宮の片隅で黙って過ごしていた。

 元々、地方高官の娘でしかなく、大した身分の出自ではない。

 そのため、家格の高い妃嬪(ひひん)達とはあまり仲良くなれず、本当に身を潜めるように生きてきた。


(だけど、生家に比べたら幸せな生活を過ごせてる)


 ふと、生家での生活を思い出した。




***




 実母が私を生んですぐに亡くなったこともあり、父からは大事にされて育ってきた。

 けれど、数年後に父が後妻――私にとっての継母を娶ってから、生活は一変したのだ。

 言葉巧みに彼女は私の所持品を奪うと、自分の娘――私にとっては義妹に渡した。

 そうして、私のことはまるで奴隷か何かのように家事労働をさせて、こきつかってきたのだった。

 父は知ってか知らずか、なかなか助けてはくれない。


 まるで――地獄のような日々を過ごしていたのだ。


 そんな中、近所に住んでいた幼馴染の少女だけが、私の心の拠り所だった。

 綺麗な綺麗な黒髪の持ち主で、上品で優しい自慢の少女――通称(しろ)ちゃん。

 とっても仲が良かったけれど、数年前に彼女は後宮に行くと言って、大人たちにどこかに連れて行かれてしまった。


『麗華、必ず君を迎えに来るよ、待っていて』


 そう言って数年が経つが、彼女が迎えに来ることはなかった。

 それもそのはず――だって、本当に後宮に行ったのだとしたら、女性が一度入ったら一生外に出ることは出来ない場所なのだから――。


 再会するはずもなかったが、私はその約束を心の拠り所に生きて来た。

 そうして、成人を迎えて二年が経った頃、お触れが出て、国中の女性が後宮に集められることになった。

 陛下はとても良い皇帝のため嫁がせたいと思う高官たちも多かったけれども、男色家・不能だと評判であり、嫁がせたくないと思う家達は多かった。

 ある夜、父に呼び出されて、こう告げられる。


『麗華、私たちのために後宮へと行ってくれるか?』


 父の背後には継母が立っていた。

 継母は自身の娘を大層大事にしている。皇帝の評判はすこぶる良いものの男色家だとの噂もあったし、政争争いの渦中である後宮へと、実娘を送りたくなかったのだろう。

 そうして、継母に聴こえない音量で私に告げた。


『絶対にここよりも良い暮らしができるはずだ。だから……』


 ちらりと父の手を見ると皺がれており、とても申し訳なさそうな表情を浮かべているではないか。

 老いた彼に心配はかけたくない。


『分かりました、お父様、私が参りますから』


 そうして、私は遠路はるばる後宮に送られたのだった。




***




(見た目も特別綺麗ではないし、何か特技があるわけでもない……だから、何百人も女性がいるような後宮で、皇帝の世継ぎを生むなんて大それた夢は描いていない。そもそも陛下は男色家だと言われているし……)


 地方高官の娘だったのに、義母の支配下にあった生家では貧相な暮らしを送ってきた。

 それに比べたら、三食食べることが出来て、寝食だって安全にできるのだ。

 

 私は本当に恵まれている。


 後宮では、趣味の読書がたくさん出来てとても幸せなのだ。

 それに、もしかしたら――。


(白ちゃん)


 今はまだ後宮で見かけたことはないけれど、幼馴染の少女との再会だってあり得るのだ。

 とにかく無難に妃達の機嫌をとって、いじめられないようにしながら、書物を読んで生きていけたらそれで良いのだ。


 私本人は、そう思っていたのだけれど――これから先、予想外の出来事が待ち受けているのだった。




***




 後宮の庭園が紅葉に染まってきた、ある日のこと。

 妃嬪達が何やらクスクスと嫌な笑いを浮かべながら、茂みから出てくる場面に出くわした。


「こんな丸々と太った白ネコ、可愛くないったらありゃしない」

「頭の模様も愛らしくもなんともないわね」

「あやかしの類いかもしれなくてよ。道士(どうし)達の代わりに私たちが成敗してやったと思ったら良いわ」

「ふふふ、そうね」


(一体全体、何……?)


 閉ざされた空間では女性同士の虐めの類いが起こりやすい。

 時折、自分達の鬱憤晴らしに、家格の高い妃が低い妃をいじめることがあるのだ。

 麗華はそんな彼女達に巻き込まれないように細心の注意を払ってきていた。だけど、生家での自分の暮らしのことを思い出して、酷い目に合っている女性達には声を掛けて励ますこともあった。


 また誰か家格の低い女性がいじめられているのだろうか――?


 そう思っていた、その時――。


「……にゃあ……」


 ――何かの鳴き声が聞こえてくるではないか。


(え? まさか……)


 白い何かが、茂みの向こうに倒れているのを見つけてしまう。


「猫じゃない!」


 地面を見遣れば、頭に黒い縞模様(しまもよう)がついた猫に気づく。

 白い毛並みを紅い血がぐっしょりと濡れてしまっていた。

 そんな今にも死にそうな猫を、丞相(じょうしょう)の娘である曹貴妃(そうきひ)が棒で打ち付けていたのだ。

 まさか、人間に飽きたらず、動物にまで虐待をするような女性達がいるなんて――。

 義母といい、人はなんて恐ろしい生き物なのだろう。


(放ってはおけない!!)


 平穏な暮らしのために、このまま身を引いた方が良いなんて、そんな考えは浮かびもしなかった。


「止めてください!!」


 すると、曹貴妃が棒で打つのをやめて、こちらを見て眉をひそめてくる。


「ふん、誰か知らないけれど、身の程知らずも良いところね?」


 彼女の高慢な言い方を聞いて、体がびくりと震えた。

 とても美人な御人だが、なんと心根が恐ろしい人なのだろう。


「興が醒めたわ。まあ良いわ、行きましょう」


 それだけ吐き捨てると、曹貴妃は他の妃嬪達を連れてどこかに行ってしまった。

 私は白猫の元へと急いで駆けつける。

 赤ん坊程の大きさがあるではないか。

 一張羅であるウグイス色の(じゅ)の裾をビリビリと破り捨てると、傷口に直接当てて止血をはじめる。


「誰か? 誰かいませんか?」


 大声で呼んだが、どうやら近くに宦官(かんがん)達はいないようだ。


「私がどうにかするしかない? 動物だけれど、侍医(じい)なら分かる?」


 この巨大な白猫は下手をしたら、神聖な後宮を汚した存在だと、棒で撃たれたり処刑されたりするかもしれない。

 いいや、それ以前に死んでしまうかもしれないのだ。


「絶対に私が助けてあげる!」


 血で衣服が汚れるのも忘れて、私は猫にしては少しだけ大きな身体の生き物をぐいっと抱える。

 なるべく頭を揺さぶらないようにして、私はその場を駆け出そうとしたのだけれど――。


「待て、動かさないでほしい」


「ひゃあっ!」


 突然、女性か男性かは分からないけれど――声がするものだから、思わず悲鳴を上げてしまった。

 白猫を護らないといけないと思って、腕にぎゅっと力がこもる。

 だが、キョロキョロと周囲を見回すがどこにも姿はない。


「ええっと?」


「ここだよ」


「え……?」


 声の主は――。


「そんな、まさか!」


 だが、どう考えても白猫が口を開いて喋っているようにしか見えない。

 

(人語を喋る猫!? まさか、さっき妃嬪達が言っていたように、あやかしの類いだというの?)


 小刻みに身体が震えはじめる。


 すると、白猫がやんわりと続けた。


「落ち着いて。貴女に危害を加えたりはしない」


「本当に?」


「本当です」


 まじまじと白猫を見つめたが、言われてみれば怪しい感じはしない。

 

(それに、この白猫を抱えていたら、なぜだか懐かしい感覚に包み込まれていくのはどうして?)


 白猫が私に向かって問いかけてくる。


「後宮ではあまり見かけない顔ですが、懐かしい感じがする貴女のお名前は……?」


「え、ええっと……麗華です。私が懐かしいのですか?」


 すると、白猫の声が少しだけ高くなる。


「麗華! そうか、やはり貴女は……」


(……?)


 白猫の反応を見て、なんだろうかと思っていたが、はたと大事なことに気付く。


「あ、そうだ! 白猫さん、貴方は怪我をしているから、動物が診れる侍医に診せにいかなきゃって思っていたんです!」


 すると、猫は首を左右に振った。


「いいえ、貴女の神聖な気のおかげで、何の問題もない」


 猫の身体を見れば、立ち所に傷が塞がってしまっているではないか。


「助かったよ、礼を言う。いつもありがとう。それでは……」


 それだけ言い残すと、白猫は私の腕の中をすり抜けて、宮殿へと姿を消したのだった。




***




 不思議な出来事もあったものだと思っていた数日後。


(曹貴妃達の仕業ね……)


 やはりと言うべきか、物を隠されたり、おかしなイタズラをされたりするようになっていた。

 しばらく標的になって躱していたら落ち着くものだろうか?

 生家と同じような事態は避けたい。


 黙ってやり過ごそうとしていた、そんな矢先のこと――。


 宦官からの突然の報告に、私は目を真ん丸に見開いてしまう。


「え……? 私が陛下の寝所に……!?」


「はい、陛下は麗華様をご所望です」


「そんな、どうして私なんかを? もっと綺麗な妃たちはたくさんいて……」


「理由は私たちにも分かりかねます……けれども、陛下が女性を近くに呼ぶなど初めてごと。これは国の一大事にございます。どうか良い夜をお過ごしください」


 相手の宦官も興奮した様子で告げて来たのだった。




***




(いったい全体、何がどうなっているというの……?)


 訳も分からぬまま、夜を迎えた。

 侍女達から身体を清められ、黒髪は椿油で潤し、今まで着たこともないような、絹で出来た襦裙(じゅくん)に着替えて、高級な紫の布を装着した。頭には金色の髪飾りを着けると、まるで公女(こうじょ)のようだ。

 そうして、皇帝の寝所へと向かう。


(まさか、どこかで私を見初めたとか? そんな物語のような話があるはずないわね)


 朱塗りの柱の間を抜け、しばらく歩いた後、陛下の部屋に辿り着いた頃には、月が中天にかかっている。

 窓辺には、夜着をくつろげた格好をした、とても見目麗しい美青年が立っていた。


(あ……)


 月夜に輝く銀糸のような白髪に、目を奪われてしまう。

 彼がこちらを振り返ると、麗しい黄金の瞳と出会った。

 キリリとした眉、すうっと通った鼻梁、薄い唇。

 女性とも男性とも見紛うような、この世のものとは思えない美貌の持ち主がそこには立っていたのだ。


(なんだろう、この感じ、どこかで……)


 なぜだか、幼馴染の少女の姿が重なった。


(私ったら……白ちゃんは、そもそも黒髪だし、性別が違うじゃない)


 そう自分に言い聞かせていると、陛下が声をかけてくる。


「南の街の高官の娘――金麗華(きんれいふぁ)だね」


「は、はい……! 左様にございます」


 陛下に対して無礼がないようにと、両手を合わせて低頭する。

 心なしか声が戦慄いた。

 彼が獣のような軽やかな足取りで私の元へと近付いてくるのが分かった。

 そうして、優美な指で私の黒髪を掴んでくると、彼から蘭の高貴な香りが漂ってくる。


(あ……)


 心臓がドキンと跳ねる。


「麗華、僕はずっと貴女のことを――」


 ずっと――?

 心臓がドクンドクンと跳ね上がっていく。

 彼の指が私の頬の輪郭をなぞる。


「……っ……」


 頬が勝手に紅潮していく。

 やけに色香の漂う仕草で触れてくるものだから、心臓がおかしな音を立てて落ち着かない。


(皇帝陛下の寝所に呼ばれた……それはつまり……)


 夜に呼ばれたということは、子を成せということ。

 けれども、どうして家格が低い自分を呼んだのだろうか――?


(女性に興味がわいてきたから、まずは身分の低い女性で試そうと考えたの……?)


 いいや、そうではないだろう。

 いくら男色家との噂があるとはいえ、いずれ後宮を持つ皇帝陛下には、子どもの頃から女性を悦ばせるための手練手管が教え込んであると言われているのだ。

 疑問符がいっぱい飛び交う中、彼の方から答えを口にしてきた。


「着飾ることが好きな女性達が多いはずなのに、服の新調もしてこなければ、宝玉の類いも希望しない。兵法ばかり読んでいる不思議な少女がいるなと思ってね……そんな女性となら、話してみても良いかなって」


「え?」


「ああ、見ての通り、僕って女性みたいな身なりをしていると思わない? だから、僕のことは女友達ぐらいに思ってくれて良いよ」


「ええっと」


「だから、君が嫌なら無理に夜の相手は務めなくて良い」


「ええっ……!?」


 思いがけない台詞を告げられ、私は驚いてしまう。

 すると、相手がクスクスと笑う。


「あれ? 僕と何か期待していた?」


「い、いいえっ……! 滅相もございません!!」


 勘違いしていたのだと分かり、頬が真っ赤に染まっていくのが分かる。

 すっと流麗な動きで離れた青年は、少しだけ離れた寝台へと腰掛けた。


「なかなか兵法のことが好きな女性は珍しい。私の周りにいる男達は頭が固い者が多い。この国のため、女性の君ならではの考えを聞かせてはくれないかな?」


「あ……」


 つまるところ、国の先行きを話すための話し相手といったところだろうか――?


(男尊女卑が強い国だというのに、陛下は女性の意見を取り入れようとしてくれているの?)


 今まで接したことがなかった彼の真剣な様を見て、麗華の心臓がドクンと跳ねる。

 その日以降、彼の寝所に呼ばれて女友達のように談笑をする仲になったのだった。




***




 それからは毎晩陛下の部屋に呼ばれ、清い仲が続いた。

 会話を続ければ続けるほどに、彼の国に対しての真摯な思いが伝わってきて、一緒に討論して楽しい日々を過ごしていた。


(陛下はこれまでの皇帝とは違う。ただ偉そうにふんぞり返っている人ではない。優しくて真面目で素敵な人)


 男性だけれど女性のようにきめ細やかな配慮をしてくれる。

 彼――と言っていいのかわからない位美人の陛下は、毎晩、私に書簡をいくらか渡してくれた。

 夜に会っているのに全く男女の仲にはならない。


(同性同士の親友という感じ。彼が私のことを女性としては見ていないのは分かっている)


 分不相応な考えだとは分かっているのだけれど、魅力的な異性と――そもそも誰かにこんなに優しくされる機会がこれまでほとんどなかったので嬉しくて仕方がないし、どうしても気持ちがふわふわと浮ついてしまうのだった。




***




 そんなある日の朝方、部屋に帰ると――。


「え? これは、いったいどういうことなの?」


 部屋の中が荒らされているではないか。


(陛下に昨晩借りた書簡……!)


 心配になって探すと枕元にちゃんと置いてあった。


「良かった……!」


 ほっと安堵したものの不安は募っていく一方だ。


「一体全体誰がこんなことを……?」


 その時――。



「どうせ、すぐに飽きられてしまうわ」



 女性の声が聞こえたかと思うと、さっと影が消えた。


(今の声は曹貴妃?)


 胸騒ぎがして落ち着かない。


 やはりそうだったというべきか、その日からというもの、陛下からの夜の呼び出しが増えれば増えるほど、妃嬪達からの嫌がらせが増える一方になったのだ。




***




 ある夜、陛下と一緒に過ごしている時、彼から問いかけられた。


「麗華、ねえ、僕に何か隠しごとをしてはいないだろうか?」


「え……?」


 黄金の瞳に真っすぐに見つめられてしまい、私は思わず視線を逸らしながら、きゅっと胸元を掴んだ。


「それは……」


 相手の瞳の前では、全てを見透かされたような気がしてしまう。

 妃嬪達からの嫌がらせの数々を陛下に告げれば、もしかしたら止むかもしれない。だけれど、密告された彼女たちの行く末はどうなるのだろうか?

 下手をしたら、陛下の寵姫(ちょうき)を貶めた罪で死刑だってあり得るのだ。

 けれども、彼女達だって生家の繁栄のために、陛下の寵を受けようと必死になり過ぎて、周りが見えなくなっているのかもしれない。

 そんな女性達を貶めるような真似はしたくはなかった。


 それに――何よりも――。


 自分が、他の女性達に虐められるような劣った存在だと、陛下に知られるのも怖かったのだ。


(どうにかして隠さなきゃ)


 手をぎゅっと握りしめながら考えあぐねていると――。


「貴女が妃達から虐められていること、私に報告が上がっている」


「あ……」


 ――陛下に知られてしまった。


 不安に駆られ、指先が震えはじめる。


(彼の前では、兵法を嗜む知性ある女性に映ることが出来ていたかもしれないのに……)


 自分が価値のない存在だと、陛下に気付かれてしまったかもしれない。

 多くの女性に虐められるような、ちっぽけな女なんて、もう相手にしない。

 そんな風に陛下に思われたらと思うと、怖くて仕方がない。


「陛下……」


 喉がカラカラに乾く中、必死に声を振り絞ろうとした、その時――。


「麗華、すまなかった。貴女が一人で抱え込んでいることに気付いてあげられなくて」


「あ……」


 気づけば、私は陛下の腕の中にいた。

 高貴な蘭の香りに包み込まれ、ふわふわとなんだか夢見心地だ。

 彼の逞しい胸板に頬を押し当てられると、自然に涙が溢れてきた。


「ふっ……」


 陛下の優しさに抱きしめられると、硬くなっていた心がどんどん雪解けの水のように溶けていくのを感じる。

 頬をすり寄せられると、心臓がドキドキと跳ねて落ち着かない。

 そうして――。


「麗華、君のことは大事な()()()だと思っているんだ」


「陛下……」


 ――友だち。


(そんな風に言ってくれたのは白ちゃんだけだった)


 初めて出来た幼馴染以外の友人の存在に、私の胸が高鳴っていく。

 

 彼の長い指がそっと私の顎を掴んで上向かせた。


「ねえ、だから、僕の頼みを聞いてほしい」


「陛下……?」


 いったい何を頼まれるというのか――?


「君とずっと仲良くしていきたい。だから、僕の寵姫としての君の立場を確固たるものにしたい」


「え……?」


 相手の真意を図りかねていると、陛下がそっと私の頬を両手で包み込んでくる。


(あ……)


 凛とした眉、きりりとした黄金の瞳、それらを覆う銀色の睫毛。何よりも端正な顔立ち。

 今まで女性のようだと、なぜ思っていたのだろうか――?

 熱っぽい眼差しを受けると、彼が男性だとまざまざと感じてしまう。


「君のことを()()()()として迎えたい」


 熱っぽい眼差しで射抜かれると、心が震えはじめる。


「子を孕みでもすれば、皇帝の子を孕んだ女性として、今よりも高い地位の妃にすることが出来る――君への嫌がらせは止むだろう」


 彼の申し出はとても嬉しいがそれだけは出来ない。


「……私には子どもを利用するような真似は出来かねます」


 厚い胸に頭を沈めながら心苦しく思っていると、陛下が口を開いた。


「君ならそう言うと思った」


「陛下、それに――」


 私は唇をきゅっと噛み締めた。


「……子どもが不幸になるような事態には陥りたくはないのです。私はどうなっても構いません。けれども、もし、陛下の後ろ盾がなくなってしまったら、我が子はどうなってしまうというのでしょう。実の親でさえ子を虐げてくることがあるというのに……」


 けれども、彼は私を離してはくれない。

 それどころか、彼の正面を向けさせられると、こう告げられた。



「遅かれ早かれ、私は子を成さねばならない。それならば、他の狐のような女達よりも――子の母親は友達の君の方が良い。そうして、私は絶対に君たちを不幸な母子にはしない、ね?」



 彼の言葉がすうっと胸に染みこんでいく。

 身体中が熱くなって仕方がなくなっていく。

 しばらく二人の間に沈黙が流れる。


「陛下……」


「麗華」


 そのまま寝台へとなだれ込む。

 熱のこもった眼差しに射貫かれる。

 彼の手が私の襦へとゆっくりと伸びてきた。


「どうか僕に全てをゆだねてほしい」


「陛下」


 女性と見まがうごとき美しい顔が近づいてきたかと思うと、そっと唇をふさがれた。


「んっ……」


「麗華」


 そうして、彼が私の頬を両手で包み込んできた。


「僕にとって君はずっと大切な人だ。これまでも、これから先も、ずっと」


「陛下」

 


 その夜――私たちは夫婦として結ばれたのだった。



***




 陛下は夜だけでなく昼の行事にも私を連れ立って歩くようになっていた。

 女友達のようで体の関係はある不思議な間柄だ。

 そんなある日のこと。


「皇妃様、おめでとうございます。懐妊なさったようです」


 後宮に住まう侍医にそう告げられた。

 そっと帯の上に手を当てる。


「私の……」


 ――赤ちゃん。


(陛下と私の……)


 震えた指の先――赤ん坊が宿っているだろう場所から、温かさが伝わってくるようだった。

 彼の反応はいったいどんな風なものだろうか。

 ドキドキしていると、陛下が私の元を訪ねて来た。


「……麗華、懐妊したと聞いたよ!」


「きゃあっ……!」


 陛下が私を抱きしめると破顔する。


「まさか、女性同士のような間柄なのに、子どもに恵まれるなんてね」


 まるで少年のような笑顔を向けられて、胸がきゅうっと疼く。


「幸せにするよ、私の大事な友だち」


(あ……)


 ――友だち。


 夫婦とは言われないことを少しだけ寂しく思いつつも、私は幸せの絶頂にいた。


 だけれど――事件は起こるのだった。




***




 ――幸せな毎日が過ぎていく。


(こんなに幸せで良いのかしら?)


 そんなことを思いながら、部屋で子どものための産着を縫っていた、その時――。

 

 突然、バンっと扉が開かれる。


 わらわらと部屋の中に入ってきたのは――衛兵達ではないか。


「な、何……?」


 先頭にはなぜか丞相の姿があった。


「金麗華殿、貴女を不義密通の罪で捕縛させていただきます」


「不義密通……? そんなこと、あるはずが……」


 相手が何を言っているのか分からず困惑していると、丞相と衛兵達の後ろから現れた妖艶な美女――曹貴妃(そうきひ)が声高に叫ぶ。


「お父様! 私はその女が、他の男を連れてきているところを見ました!」


 丞相が畳み掛けるように続けてくる。


「現在、後宮内で最高位である曹貴妃(そうきひ)がこのように申しているのだ。連れて行け――」


 衛兵達が私のことを取り囲んだ。


「そんなっ……! 絶対にありえません……! 陛下はなんと仰せなのですか?」


 抗議する私に向かって丞相が冷たく告げてきた。


「『不義密通を働くような女は後宮には必要ない、そんなにも皇后になりたいのか』と――」


「あ、そんな……」


 目の前が真っ暗になるようだった。


「さあ、金麗華を連れて行け」


 そうして――私の言い分は何も通らないまま、冷たい牢屋の中に入れられたのだった。




***




 牢屋に入れられると明日裁判だと宣告された。

 陛下は会いには来てくれない。


(陛下、せめて直接お会い出来たら……)


 悲しみで押し潰されてしまいそうだ。

 ヒンヤリとした石に包み込まれた空間で、あまりの衝撃にしばらく動けないでいたが――。


「あ……」


 胎動を感じて、私は一気に正気に戻る。


(どうにかして、この子を守らないといけない。こんなところでくじけてはいけない。それに……)


「あの言葉、直接陛下から聞かされたわけではないもの。私は私を友だちだって言ってくれた陛下を信じるわ!」


 勇気を奮い立たたせ、私は来たるべき裁判に備えることにしたのだった。




***




 裁判当日。

 たくさんの人が宮殿前には集まっていた。

 私の隣には曹貴妃が立っている。

 遥か高みの台に座する陛下が、冷たい目で私を睥睨していて、ぞくりと背筋が冷たくなる。

 

(陛下に疑われている可能性が少しでもあるのだと思うと怖いけれど、まだ直接何かを言われたわけじゃない。私は陛下を信じるだけよ)


 そう思いながら、裁判が進んでいくのを淡々と聞いている。

 途中、意気揚々と嘘八百を並べ立てていた曹貴妃に向かって、陛下が問いかけた。


「金麗華と不義密通を働いたという男とやらを連れてきてくれるか?」


「陛下! やはり、私の言い分を信じてくださったのですね! この男にございます!」


 そうして、妃の呼び声に応じて、一人のむさ苦しい青年が姿を現した。


「私は麗華様に言われて仕方なく――」


 青年は私と逢瀬があったと嘘を並べ立てはじめる。


(こんな嘘をべらべらと……)


 腸が煮えくり返りそうだったが、なんとか呼吸を落ち着けていると、陛下が冷たく呟いた。



「そんなにも皇后になりたいのか……」



 ――ズキンズキン。

 誤解されれているのだと思えば唇が戦慄くが――。

 ちゃんと陛下の視線を観察する。


(いいえ、陛下が見ているのは――)


 


 ぎゅっと拳を握りしめると、私は覚悟を決めて叫んだ。




「私は絶対に不義密通など働きません! この子は間違いなく陛下の子です!」




 一瞬怯んだ曹貴妃だったが、負けじと叫んだ。



「金麗華はあやかしと通じていると道士からの情報もございます……! 白猫を痛めつけ、後宮内で呪術を扱っていたようです!」


 民衆たちがざわめく。


(痛めつけていたのは自分でしょうに……)


 曹貴妃は、つくづく都合の良いように話をでっちあげる人物のようだ。


 相好を崩さない陛下がゆっくりと口を開く。


「そうか。では曹貴妃の言う通り、麗華に呪の類がかかっていないかどうか、道士たちも招いて調べてみようか」


 陛下が手を叩くと、道士が現れた。


「では、わたくしめが調べてしんぜましょう」


 道士が近づき何か呪文を唱えはじめた途端、私の腹部から白い光が漏れ始めたのだった――。


「え……?」


 一体全体何が起こっているのか分からずに動揺してしまう。


「ほら、やはり、麗華は、あやかしの類と通じていたのですわ……!!」

 

 曹貴妃が得意げに叫んだ。

 そう言われても仕方がない程の、真っ白な光が、民衆たちを包み込みはじめたのだ。


(これはいったい……? 私の赤ちゃんから……?)


 困惑していると――玉座から立ち上がった陛下がゆっくりと口を開いた。


「大臣達しか知らないことだが、私には生まれた時から、もう一つの姿がある」


 陛下が王冠を大臣達に手渡す。

 すると、陛下の身体がミチミチと変貌をはじめるではないか。

 近くの側近たちが悲鳴を上げ始めた。

 だが、古くから陛下に仕える人物たちは、その光景を黙って見つめているだけだ。


 ――ハラリ。


 彼が着ていた龍装がその場に翻える。

 

「え? いったい、何が……?」


 私が困惑する声を上げていると、先程まで陛下が立っていた場所に現れたのは――。


 長身の男ほどの大きさの、真っ白な獣。

 さらさらの白い毛には、黒い縞模様が躍る。

 つり上がった黄金の瞳はらんらんと輝いていた。

 しなやかな四肢の先には鋭い爪が輝く。

 彼の周囲には、白く神々しい光が舞い踊る。


 嘘の証言をしていた青年が呟いた。


「白虎……」


 その言葉は瞬く間に伝播していく。

 大臣たちが、その場にいた民衆たちが一匹の霊獣の前に一斉にひれ伏す。


(国の守護神である白虎は皇帝陛下自身だというの……?)


 白虎の姿になった陛下が曹貴妃達に向かって告げた。


「この白い波動は、次代の帝である白虎の光だ。それを、ただのあやかしのものだと決めつけるとは、なんたる侮辱だ……本当に国の政治を司るものとその娘なのか?」


 丞相と妃の父子はブルブルと震え始めた。



「次代の帝が何者か分からないではないな……? 我が妃が孕んでいるのは、まぎれもなく白虎である我が子のようだ」


 立ち並ぶ大臣達は私とお腹の中にいる子どもに向かって一斉に頭をたれた。

 皇帝陛下は玲瓏たる声音で告げる。


「皇帝の子どもを愚弄した罪。重いぞ。さあ、牢屋へと連れて行け――!」


 彼等の叫びが聞こえる。


 白虎姿の陛下がしなやかに動くと、私のそばに近付いてくる。


「すまない、色々と怖がらせてしまった。だが、君のお陰で裏で色々悪政を敷いていた者たちを一斉排除できる。黙っていて悪かった。このような、化け物の姿を見せられて不快だったろう? さて、すぐに人間に戻ろう」


 踵を返そうとした白虎の首筋に私はぎゅっと腕をまわした。フサフサの白い毛が頬にチクチクと触れる。


「待ってください」


「麗華?」


「とても勇猛なお姿で、麗しいです」


 陛下が一瞬息を呑んだのが伝わってきた。


「醜いとか怖いとか思わないのか?」


「思いません。どんな姿でも陛下は陛下だから」


 すると、くるりと身体を動かした白虎のざらついた舌が、私の頬をペロリとなめてくる。


「そうか、ありがとう。やはり、君のような女性は他にはいない」


「陛下」


 ――わたしたちは抱きしめあうと長い長い時間、その場で互いを確かめ合ったのだった。




***




 そうして――。


 平和を取り戻した私は順調に妊娠生活を送っている。


 私から物を盗んだり隠したりした妃たちへの処断について陛下からどうするか問われたが、それに対しては「彼女たちも自分の身を護るためだったのでしょうから、これからは二度としないと誓うのであれば、許してあげてください」と伝えた。


 ある時、父から手紙が届いた。


『やっと正気に戻ったよ、大事な麗華。妻と義娘は追い出した。陛下とお前の子が幸せになれることを祈りながら余生を過ごすよ』


(お父様にもいつかまた会いたいわね……)


 陛下の部屋の中、寝台に座っている私の隣に、彼が腰かけてきた。


「麗華……」


「はい、白焔様」


 そっと彼に肩を抱き寄せられ、厚い胸板に顔を預けると、心地よい幸せに包み込まれる。


「今まで言いそびれていたことがあるんだ」


「なんでしょうか?」


 するとイタズラっぽく彼が微笑んだ。


「実は白虎姿以外にも黙っていたことがあってね」


「それはいったい?」


 少しだけ心配になったのだけど――。


「君が話してくれた幼馴染の白ちゃんは――私なんだ」


「ええっ……!? 白ちゃんが陛下!? 女のコじゃなかったの……!?」


 あまりの衝撃に困惑していたが、陛下がクスクスと笑っていた。


「やっぱり勘違いしてたね……ちゃんと迎えに来ただろう? 僕の大好きな麗華」


「白焔様……!」


 女友達のように仲を育んで、子どもを授かって――。


 なんだか不思議な間柄だけど――。


「あと、ずっと君に言いそびれていた言葉がある」


「はい」


 耳元に彼の唇が近づくと、柔らかな声音で告げた。



「愛している――ずっと私の側にいておくれ、君は最愛の人だよ、麗華」



 耳元から離れたかと思うと、彼がそっと膨らんだ腹部に口付けを落とした。


「はい」


 柔らな春風が吹き、授かった子と私たちの未来を祝福してくれているのだった。



 

 ――白焔帝の隣にはいつも最愛の皇后が隣で過ごしており、以降の治政は大層平和だったと、後の歴史書には記載されている。






小説家になろう様ではお久しぶりです。

お読みくださってありがとうございます。

ブックマーク・【☆☆☆☆☆】→【★★★★★】評価・いいね!してくださいましたら、作者の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです! すごく好みな作品で、刺さりました。 麗華と白焔がこれから先も幸せに暮らしているみたいで良かった!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ