● 009 勇者(2)
気持ちのいい青空の下、丸々としたリュックサックを背負ったトマス神官改めトムが意気揚々と街道を往く。
僕とエディ君改めお兄ちゃんはその後ろをついてゆく。
どこからどう見ても教会の神官様に連れられた孤児の子どもたちであり、おかしなところはどこにもなかった。
リュックサックの中には薄墨色のローブと子ども用の下着や肌着が10着分ずつ詰まっている。
お茶を飲みながらトムから軽く聞いた話によると、このローブは『万人の法服』、もしくは単に法服と呼ばれる『普遍的な衣服』であり、遥か昔から女神教大神殿が世界中の貧困者に配給し続けているものだという。
防水性と断熱性に優れ、いくら洗っても擦り切れにくく、手触りも良い一品。そのまま寝間着としても使えるため、多くの孤児がこの法服一つで寒さを凌いでいるという。
衣服以外にも、大神殿が出資者、監督者となって世界中の貧困街で炊き出しが絶えることなく続けられている。無償の医療活動、人道援助活動も…。
一方、エディ君が幼少期から過ごしていた件の神殿…『北神殿』は古くから信徒の修行場として運用されており、女神教中枢の『大神殿』と地政学的に大きく隔たっているらしい。残念ながら、それ以上のことは言葉を濁されて詳しく教えてくれなかった。
きっと、女神教は一枚岩ではない。子どもの僕でもそのくらいは分かっている。
そうしたささやかなお茶会の後に有り難く法服をまとめて受け取り、大きな荷物を子どもが持ち運んでいたら変に目立ってしまうと説得されて、トムが聖樹の森までの道のりに加わることになった。
徳の高い神官様が丸々とした大きな背嚢を背負って歩いていてもそれはそれでかなり目立ってしまうんじゃあとも思ったけれど、当のトムは全く気にしていないようだった。
「ありがとうございます、トム。重くないですか」
「何のこれしき。服しか詰まっておりませんので赤子のように軽いものです。アキラ様に飛び乗られてもビクともしませんとも。それに、こう見えても若い頃は修行で世界中を巡礼していましてな、このくらいはちょっとしたハイキングと変わりません。…飛び乗られても大丈夫ですぞ?」
「では」
「おっとっと。ほっほっほ」
そこまで振られたなら応じない訳にはいかない。
ていやっと地面を蹴り、手を広げてジャンプして。勢いのまま服がみっちり詰まっているリュックにボフンと飛び乗る。
ふふん、成功。
天使の体は運動神経も抜群なので、このくらい造作もないのだ。
おっと、エディ君があっけに取られている。
うん、僕は慎重派でその気になれば自制できる方だけれど、結構ノリに乗っかる方でもあるんだよ。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、ってね。
だからこのくらいのやんちゃは見逃してほしい。
「ほほっ。これはこれは。アキラ様を背負えるとは光栄の極み。友人や弟子たちが地団駄を踏んで羨ましがるでしょうなあ」
トムのふさふさとした白髪が陽光を反射してキラリと光る。
はっはっはという笑い声が左右の草原に広がっていく。本当に元気なお爺ちゃんだ。
「お弟子さんのことも気になりますが、巡礼というのは?」
「はい。神官として、レヴァリアと呼ばれるこの大結界の世界を巡り歩く過酷な修行です。命がけの、けれど感動と喜びに満ち溢れた巡礼の旅でした」
「世界中を…」
「私がテル様と初めてお会いしたのは、その道半ばでの時でした。ある大嵐の夜、神子様の大結界のほんの小さなほころびから溢れ出た陰魔の群れと鉢合わせをしてしまい、しかも不運が重なって崖崩れが起きてしまいまして。深い山中で立ち往生し、これはいよいよとなった時にテル様が空を翔けて助けに来て下さったのです」
「テル様が世界中を飛び回って大勢の人たちを救われていたという話はボクも何度も聞いたことがあります。歴代で最も眩い聖剣を振るって、一夜の内に数万の陰魔を撃ち滅ぼされていたと」
「そうですとも、エディンデル様。まさにテル様がそのようなご活躍を始められた頃に、私も運よく命を救われたのです。私の場合は、土砂崩れに埋まっていたので生存者はいないと思われて危うく聖剣で山ごと吹き飛ばされそうになりましたが。アッハッハ、聖なる光で昇天するというのは、それはそれで神官冥利に尽きるものです。少し惜しいことをしましたな」
中々興味深い話だ。テル様という、先代の勇者様は本当にすごい方だったみたいだ。
空を翔けて、世界中(レヴァリアという固有名詞は昨夜にも出ていた。天使の記憶力に頼って頭の片隅にちゃんとメモしておこう)を飛び回って、というのは文字通り空を飛んであちこちに戦いに行っていたんだろう。
聖剣で山ごと、いうのも誇張ではく事実のような気がする。
リュックにしがみ付いて足をブラブラさせながら思うのは、勇者って滅茶苦茶強い、強すぎる、という小学生並みの感想。
それじゃあ駄目駄目すぎるので、少し精神年齢を引き上げて考える。気になるのは、勇者の飛行速度や聖剣の威力だ。
地球の現代兵器に換算した場合、巡航ミサイルや戦闘爆撃機を想定すればいいのかなあ。それに、燃料は?もしかしてエネルギーが無尽蔵だったりするのだろうか。
…でも。
それくらい強くても、今までの勇者は…。
「ボクも、テル様のように強くなりたいです」
――強いなあ。
少ししんみりとした空気に投じられた、小さな勇者のその言葉こそが眩くて、僕は思わず口を綻ばせた。
「大丈夫です。お兄ちゃんなら、きっと誰よりも強くなれます」
「ほっほ。アキラ様が仰る通りですとも。不肖ながら、爺も保証します」
挫けていない。
前の世界で、いじけて悲劇の主人公ぶるような人とは違う。
ちゃんとエディ君は強い。なら僕は、僕なりの経験を元に、その強さを守ろう。
◇◇◇
森のほとりでトムから大きなリュックを受け取る。
周りには誰もいない。元々、この辺りまで来るのは聖樹の葉を目的にした人達だけなので、あまり人目を心配する必要はないらしい。
「では、爺はここまでございます。聖樹が広げる枝葉の下に足を踏み入れる事ができるのは、光の女神様に認められたお方だけですから」
「ここまでありがとう、トム」
「ありがとうございました」
「このトム、エディンデル様、アキラ様のためならば腐敗した北神殿も、沈黙した大神殿も喜んで敵に回しましょう。いざとなれば、ランビッツのウシガエルも――」
「トム」
「ほっほ。爺はいつまでもあなた様の味方です。どうか忘れないでください。エディンデル様は決してお一人ではありません」
「ありがとうございます。はい。絶対に忘れません」
腐敗した北神殿と沈黙した大神殿、そしてランビッツのウシガエル…。
世の常か、この世界の宗教組織でも何か重大な問題が発生しているようだ。
そのまま、女神様を冠しているのに。勇者が孤立する原因を作り出しているのならばあまりに罰当たりだ。女神様に対する裏切りにすら当たるだろう。
「トム、これを」
「いいえ、一銭たりとも受け取れません。これでは逆になってしまいます。エディンデル様、どうかご自愛ください」
「純粋な寄付です。そもそも、元はテル様のお金ですから。子どもたちに美味しいものを食べさせてあげてください」
「ですが…」
「受け取らないと動きません。早くしないと、誰かに見られるかもしれませんよ」
「これはこれは。適いませんな。こういう所はテル様そっくりです」
「誉め言葉として受け取っておきます」
「ほっほ」
金貨五枚。それは、受け取った衣類と同等の対価なのだろうか。ううん、考えるまでもないね。
「行ってきます。…アキラ様、今日もよろしくお願いします」
「はい、こちらこそお願いします。エディ様」
仲良し兄妹ムーブはここで中断だね。ちょっと残念。
気を取り直し、エディ君と二人で聖樹の森に足を踏み入れる。
エディ君は自分の体積の半分以上もあるリュックを軽々と背負い、大樹の根をしっかりと踏み越えていく。少なくとも表面上、その足取りに不安はない。
何より、その森には僕たち以外誰も入れない。ここまで来れば安全だ。
――ああ、成程。
トムが僕のことを全然疑わなかったのは。そしてここまでの荷物持ちとボディーガードを務めてくれたのは。
――僕がこの森に入れるか、自分の目で確かめるつもりだったから。
背後へ振り返ると、巨大な聖樹の陰の向こうで深く頭を下げる神官様の姿があった。
◇◇◇
白い魔術の光が二つ。木の幹に衝突しないようにゆっくりふわふわ飛んで進む。
「森の中は同じような景色ばかりですね。あの宝箱の場所は分かりますか?」
「あっ…、はい。場所は憶えています。もし迷っても絵図がありますから」
「その光の地図は本当に素晴らしい魔法ですね。よく見れば木の位置も一本一本正確で、地面の凹凸も全く同じです。中心の光点も、もしかして僕たちの姿を象って…?」
「っ…」
考え事をしていたのか、こちらからの問いかけに一瞬だけびっくりしたような表情を見せてから、エディ君は緑色の光を手元に生み出す。
覗き込むように近づくと、自然と肩と肩が触れ合う。エディ君がビクッとしてわずかに離れ、緑色の立体地図が遠のいてしまう。
「あっ、すみません」
「すみませんっ」
「いえ…」
「その…」
「……」
「……」
降って湧いたようにくすぐったい沈黙が生まれた。
そのまま、つかず離れずの距離を保ってフワフワと流れるように飛んでいく。
極めて高性能な3Dマッピングの投影地図はいつの間にか僕にも見えやすい位置に戻されている。
何か気の利いたことを喋りたいけれど、こういう時に限って何も浮かばない。
「その、着きました…」
「はい…」
そうしている内に、見覚えのある大きな虚の大樹が見えてきた。
ほとんど無言で薄墨色の法服を白く輝く宝箱へ詰めていく。協力してギュウギュウと折り畳む。決して嫌な空気ではない。お互いに適切な距離を探っている感じ。
「このお金も、懐中時計も、元々はテル様のものだったんです。森の宝箱に入れてあるから、もし万が一、勇者を継いだら自由に使っていいと言われていて」
「そうだったんですね。じゃあ、その時計は…(もし万が一…)」
「はい。テル様の形見です。ボクが受け継いだ、世界でただ一つの。でも、持っていくことはできません。死んだらその場所に落としてなくしてしまうから、ずっとここに保管しています」
「エディ様…」
「…そういえば、テル様もこの保管箱のことをいつも宝箱って言っていました。死んで復活した時のための、森の宝箱って…。だから、さっきアキラ様が宝箱って言った時に少しびっくりしたんです。確かに、この箱は大事な時計もお金も入っていて、立派な宝物の箱ですね」
気にしないで下さい、と言わんばかりの笑顔。
懐かしそうにしていて、無理に笑っているわけではなさそうだった。良かった。
「それで、その、アキラ様。言いにくいのですが…」
「?」
「今日からお召し物を着て頂けますか…?」
「…なるほど。下着ですね。分かりました」
「もしかして忘れてましたか?」
「ええと、はい。この天衣と教会のローブがあれば、今のままでも不都合はないので」
「お願いします。履いてください。ボクもこれからはちゃんと履くようにしますから。大事なことなんです」
「む、分かりました。そうですね、服というのは人を人たらしめる大事な文化です」
「理解して頂けて嬉しいですあと宝箱を神殿まで運んでからでいいのでここでいきなり裸にならないでください」
「…はい」
僕は決して露出狂ではない。小さくて平べったい体になったからとはいえ、野外で自ら裸を晒すような真似はしないのだ。
昨日は不可抗力だったからセーフなのだ。