● 007 降臨(6)
リリア魔法工房から出た後、再びエディ君に手を引かれて街を歩いていく。
二人とも無言で、繋がれた手の辺りにどことなく気まずさが漂っていた。
もし僕が男のままだったらこんな雰囲気にはなっていなかっただろう。勇者様が女の子で、女同士でもこうはなっていなかったはずだ。
つまりこれは男と女の問題だ。
更なる問題は、二人が推定10歳と12歳の子どもだということだ。
一方は元男の天使。
もう一方は独りぼっちの勇者。
エディ君はどうして――
「着きました。今日はここで休みましょう」
「ここは、宿屋さん…、こほん、宿場ですか?」
「はい。リリアさんのお店のように、前からよく利用させてもらっています」
「落ち着いていて、いい雰囲気ですね」
玄関に設えられた看板には『小龍の宿』の文字。
年季の入ったお屋敷のような、木造の四階建て。木造四階というのは日本でもかなり珍しいのではないだろうか。
軒先にささやかながら幾つかの鉢植えの花が並べられていた。アットホームなその景観に少しホッとする。
「お腹は空いていますか?」
「そういえば、なんとなく…」
「お腹が空っぽの状態ですから。早めに夕食を頂けないか聞いてみます」
「ありがとうございます」
お腹の具合を聞かれ、ふと辺りを見回す。太陽が外壁の向こうへと沈みかけていて、子どもが歩き回るのは相応しくない時間帯になりつつあった。
そろそろ子どもは家に帰る時間ですね、と軽口を言いそうになって、その寸前で口を噤んだ。
チリリン。
リリアさんのお店とは微妙に異なる軽妙な音が鳴る。
内部もほとんどが木造で、地球の和洋折衷のような様式のフロントには妙齢の女性。柔らかな笑顔で「いらっしゃいませ」と応じてくれた。
それからはとんとん拍子で手続きが進んだ。明らかに未成年の子ども相手でも事情を聴かずに対応してくれて、問題は何も起きなかった。
手荷物は何もないので、エディ君が鍵を預かった後はフロントからそのまま一階の食堂へ向かう。隅のテーブルでフードを被ったまま黙々と食事を頂いた。白くはない硬めのパンと塩コショウの野菜スープ、香辛料のよく効いた豚肉の生姜焼きっぽい料理は十分に美味しかった。味付けは決して日本人向けではなかったけれど、きっとその内慣れるだろう。
他の宿泊客はまだ少なくて、あまり目立たずに過ごすことができたと思う。
正直なところ、他人を気にする余裕はあまりなかった。食事についても実はほとんど味を覚えていない。
これからのことを考え続けていたから。これからのことというよりも、エディンデル君、ただ一人のことを。
そして彼もまた、周囲に注意を向ける余裕はほとんどなさそうだった。
「アキラ様、本当に申し訳ありません。僕が不甲斐ないせいで、不自由な思いをさせてしまって…」
三階に上がり、子どもには十分大きなシングルベッドが2つ並べられたツインルームに入っての開口一番が、この言葉だった。
深刻な顔をしそうになって、ぐっと我慢する。言葉を飲み込む様に、表情を飲み込んだ。
平静を装い、大した問題ではないというように返事をした。
「エディ様が謝ることは何もありません」
エディ君は口を開いて何かを言いかけようとして、その直前でためらうように口を閉じてしまう。そのまま俯いて動きを止める。立ち尽くしてしまう。
「座ってお話しましょう。ゆっくり、少しずつ」
「はい…」
今度は僕の方から彼の手を引く。
明かりをつけないまま、薄暗い室内で二人きり。
彼はフラフラと歩いてポスンとベッドに腰を降ろした。
寝室に辿り着いた途端に活力を失ってしまったかのようだ。まるで、巻かれていたゼンマイが回り切ってしまったかのように。そして明日の朝、この子は自分でネジを一日分回すのだろう。意識的にも無意識にも、何か大事なものをすり減らして。
そういうふうに生きている人もいると僕は知っている。そういうふうに生きざるを得ない人がいると。
そういう人が、大体どういう結果に陥るのかも。
「…この世には、人間の天敵が四種類存在しています」
「…はい」
どうすればこの子を助けられるかな。
残念ながら、僕だってそんなに人生経験は豊かじゃない。都合よく妙案は浮かばない。
「魔物と魔族、龍族、そして陰魔の四種です。動植物が魔性化した魔物と、人間が魔物化した魔族、そして魔物が知性化した龍族…。この三種は普通の武器や魔法でも互角以上に戦うことができます」
「でも、光の女神様と敵対する闇の魔神が生み出した陰魔だけは、女神様が与えてくれる聖術でなければ倒すことがとても難しいんです。不可能と言っていいくらいに」
「聖術を使える人はごく限られていて、それで、女神様の力と教えを授かった女神教の人達だけでは陰魔に対抗できなくて。…大昔、人類が滅亡寸前に陥った時、レヴァリアという最後の人類圏を守護する神子様と、世界でただ一つの聖剣を振るって幾万の陰魔を討ち滅ぼす勇者様が生まれました」
「女神教と共に、歴代の神子様がレヴァリアを覆う大結界を維持し続け、歴代の勇者様が僅かに侵入してくる陰魔を排除し続けて、何度も人を滅亡の危機から救ってきました。そうした、光と闇の黄昏の戦いが果てしなく続いているんです。それが、終末戦争と呼ばれる光と闇の果てしない戦いです」
僕が男のままだったら友達になれただろう。あるいは年上の女性になっていたら、女神様は僕に年頃の男女間特有のアレコレでこの子を支えることを期待していると推測できただろう(倫理的な問題や、僕の精神的負担はさておき)。
でも、この僕はあまりに幼すぎる。エディ君が女神様謹製の天使の外面に惹かれてしまっているとしても、あっち方面のエッチな方法で慰めるなんてことはいくらなんでも無理筋だと思う。
女神様は何を期待して、僕をこんな姿にした?
考えろ。必ず意味があるはずだ。
「ボクが勇者を継いだのは2年前の12歳の時です。テル様…、先代の勇者様が命を燃やし尽くして深海に潜む闇の魔王の一体を滅ぼして…、女神教の神殿で修業をしていたボクに、ある日突然勇者の力が宿ったんです」
「でも…、大人の人たちに戦わなくていいって言われて、その言葉に甘えてしまって。一度も戦わないまま、気づいたら自由に外へ行けなくなっていて。…それで結局、神殿から逃げて…」
「でも、逃げた後も、全然上手くできませんでした。ろくに戦えずに死んでばっかりだったんです」
「いつかそう遠くない未来に、勇者様が倒した魔王は復活してしまいます。そうなったら、結局なにも…。どうすればいいのか分からなくて。ずっと、どうすればいいのか…」
とりあえず、抱きしめた。
ベッド上で膝立ちになり、小さな体でエディ君の頭を抱きかかえた。
「教えてくれてありがとうございます。今日はここまでで構いません」
今日はここまでだ。陰魔だとか闇の魔神だとか、子どもには難しいことはまた明日。
抱きしめること。抱擁。うん、多分これが正解じゃないかな。男同士だったら心理的にハグしにくいし、体硬いし。スキンシップをするのなら柔らかくて温かい方がずっといいよね。あと、年頃の女の子だったらどうしても性的な意味が付け加えられちゃうし。無垢な体温を与えるには幼い子どもの方がいい。
結論。
天使は10歳ロリがベスト。
さすがは女神様だ。見事な采配と言わざるを得ない。
「…何も、考えなくていいんですか?」
「いいんです。後回しにしても大丈夫ですから。今までよく頑張ってきましたね。諦めないでいてくれて、本当にありがとうございます」
「っ…。…ずっと大変なことばかりで、考え事ばかりしていて、でもどうすればいいのか全然わからなくて。頭がどうにかなってしまいそうだったんです。ずっと…」
「ずっと、一人きりで辛かったんですね。もう大丈夫です。僕がずっと一緒にいますから」
安直な慰め。しかし、それ以外にどう言えばいいのだろうか。分からない。
だからせめて、心を込めて慰める。手を回して背中を優しく撫でる。
「エディ様は偉いです。十分すぎるくらい頑張っています…」
「う…」
こんなにいい子をここまで追い詰めるなんて。この世界はどうかしている。
怒りを覚える。
誰もこの子を大事にしないのなら、僕が大事にしよう。
入れ込み過ぎだろうか。たった半日で情が移った?
それとも、こうなるように女神様に操られている?
ギュウと、全く抵抗感なくエディ君をハグできた、という事実。例えば、はじめから勇者に好意を持つように、天使の体にインプリンティングみたいな仕掛けがされていたとか。あり得るかな。いくら光の女神様が善良そうな神様でも、人を操るような策略を巡らせているはずがないと勝手に決めつけるのは愚かだろう。
まあでも、構わないさ。
僕の座右の銘は3つある。
我思う、ゆえに我あり。
レットイットビー。
人間万事塞翁が馬。
この三本柱だ。
僕はここにいる。あるがままに。幸せは不幸に、不幸は幸せに。
だから平気だ。
現実がどうあれ、後悔はしない。
強がり?
そうだとも。
「……」
泣き疲れたのだろう、エディ君はいつの間にか穏やかな寝息を立て始めていた。
同時に、勇者の衣装である光の天衣がゆるゆると解けていき、透明な粒子になって消えた。
裸にローブ一枚だけだと風邪をひいてしまう。
しっかり毛布を掛けて。
一緒に毛布に潜り込んで、と。
多分、僕も眠って意識を失ったら魔法が解けて裸になるかな…。
うん、問題なし。
今更だし、このくらいのお○ん○んなら可愛いものだ。
おやすみ。
◇◇◇
翌朝、薄明かりの涼しい空気に包まれて僕たちは目覚めた。
ローブも毛布も半分くらい役立たずになっていた。
どうやら二人とも寝相はあまりよくないみたいだ。
でも、互いの体温で暖を取るように抱き合っていたから大丈夫。ちっとも寒くない。
「っ…!? ……!!」
「おはようございます」
どったんばったん。
よかった、このくらい元気なら大丈夫だね。
心が死んでいたら驚くことすら出来ないから。
さて、最悪の三歩手前、崖っぷち三歩手前から、新しい一日を始めよう。