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● 006 降臨(5)


 血が勢いよく流れ、段々と弱まっていく。

 あっさりと魔獣の狼を倒した(倒す、という表現は便利だ。殺す、という直接的な言葉を使わなくて済むから)後、エディ君はその結果を特に気にすることなく街へと向けて再び歩き始めた。



「魔物の死骸は放っておいてもいいのですか?」

「大人の人なら、街の入り口で解体ギルドに渡して換金します。でも、ボクは…」


「変に疑われたり、トラブルの元になるかもしれない?」

「…はい。ボクはまだ子どもで、身分も、資格もまだなにもありませんから」



 なるほど、解体ギルドというところに魔物の死体を売り払うには社会的身分が必要なんだね。聖樹の葉っぱとは取り扱いが違うようだ。

 ちょっと残念。

 でも、もし換金可能だとしても、見た目子どもの僕たちが首と胴がすっぱり離れた狼の死体を引き摺って行ったらすごく目立ってしまうかな。


 うーん、大体のゲームだったらモンスターを倒すと自動的に素材になって重量無制限の袋に入るんだけど。わざわざ解体するか持ち運ばないといけないなんて、現実は甘くないね。

 あ、でも、魔法ならなんでもできそうだし、もしかしたら…?



「例えば、いくらでも物を自由に出し入れしたり持ち運べたりできるような魔法はありますか?」

「そういう魔法があればとても便利で、世界が一変しますね。時空魔術なら、もしかしたらそういったことも可能になるかもしれません」


「時空魔術、ですか?確か、空間と時間を扱う魔術だと…」

「はい。五元魔術に属さない、時空という事象を対象とした魔術です。主流ではありませんが、近年最も発展した最先端の魔術でもあります。時間の流れを加速させる魔術や、物体と空間を自由自在に操作する魔術…。それに、最高位の時空魔術師がこの空間とは別の異空間というものの製作に成功したという話も聞いたことがあります」


「それはすごいですね」

「はい。本当に凄いことだと思います。ただ、時空魔術の担い手は聖術の使い手よりも少なくて、長い間門外不出の秘術とされているので誰もが気軽に使えるようになるのは難しいかもしれません」


「そうですか…。いくら魔法が存在していても、そうそう都合よくはならないんですね」

「その通りだと思います、アキラ様。この世界は、いくら魔法や奇跡に満ちていても…、いえ、何でもありません。すみません」



 そこで言い淀んで口を閉じてしまうエディ君。

 うーん、と心の中で唸っていると、エディ君は取り繕うように地平線の方を指して笑顔を作った。



「アキラ様、街道とテイガンドが見えてきました」

「あれが…」



 いつの間にか僕たちはシロツメクサの丘を登り切っていて、前方の光景に変化が訪れていた。

 広大な緑色の絨毯に水平の直線が引かれ、その左側の遥か先に硬質な人工物が描き込まれている。


 緩やかな弧を描く大きな外壁が大自然に対して威容を誇っていて、それだけでもかなりの規模の都市だと分かる。

 文明社会だ。あの内側にたくさんの人がいる。

 微かな興奮を覚えながら、2人で静かに街道の流れに加わる。テイガンドに向かう街道にはちらほらと行き交う人たちがいた。2、3台、馬車がガラガラと音を立てて走っているのも見えた。


 屈強な兵士が見張る大きな門まで粛々と足を進める。薄墨色のローブが如何なる効果を発揮したのか、門を潜る時に見咎められるようなトラブルは全くなかった(長槍と金属鎧。兵士がいる、ということは軍隊が存在している、ということだ)。

 往来は自由で、去る者は追わず来る者は拒まず、という施策を取っているのかもしれない。僕にとっては有難い雰囲気だ。



「アキラ様、ここから街区に入ります」

「はい」


「ええっと、それで、申し訳ないのですが、はぐれてしまったらいけないので…」

「なんでしょう?」


「て、手を…」



 ああ、なるほど。そう言われて、片手をさっと差し出す。

 一方、エディ君の方はと言えばおずおずと震える手を伸ばし、やっとの思いで僕の手を取ることに成功していた。

 手を握るだけのアクションにどれほどの労力をかけているのだろう。思わず少し苦笑する。

 遠慮なんてしなくていいのに。僕は天使で、勇者の君に対して拒否権はないに等しいのだから。



「遠慮しないでください。僕にできることなら何でも言うことを聞きますから」



 だからそう伝えた。当たり前に思えることでも、ちゃんと言葉にすることが大事だと学校の先生が言ってたし。小難しく言うと、言語化という作業だそうだ。



「な、何でもって…」

「いつまでもここで立ち止まってたら後ろの人の迷惑になりますよ。早く行きましょう」


「あっ、はいっ…!」



 戦う時はあんなに毅然としていてカッコいいのにね。これがギャップ萌えというものだろうか。



「あ…、フードも、なるべく目深に…」

「分かりました。他に気を付けることはありますか?」


「そうですね、目線も下げていた方がいいかもしれません。歩きにくいと思いますが、先導しますので…」

「お願いします」



 危なかった。注意されていなかったら、間違いなく街中でキョロキョロするお上りさんになっているところだった。

 異世界の文明的な街並みを見てみたいという知的好奇心を抑え、変に目立たないように俯いて視線を斜め下に固定する。


 シンプルな形状の石畳を数えながら進む。

 人の喧騒が左右を通り過ぎていく。

 客を呼び込む声と笑い声。有名人らしき人物についての噂話。誰かが誰かを呼んでいる。雑踏の音に、扉が閉まる音。どんどん、がやがや。カン、カンと遠くから聞こえる金属音。


 ふと斜め前のエディ君の方を見ると、彼も俯いて歩いていた。表情は見えない。

 でも、足取りは確かで、僕の手をしっかりと握っていた。




  ◇◇◇




 チリンチリン。

 小さな鈴の音が鳴る。


 どうやら一つ目の目的地に着いたようだ。石造りのひんやりとした店内に足を踏み入れる。狭い視界の端に大小さまざまな瓶が並べられた棚が見える。それに、植物特有の青臭い匂い。



「いらっしゃいませ。久しぶりだね、心配してたよ」

「お久しぶりです。聖樹の葉の買取りをお願いします」



 ここは何かのお店で、カウンターの向こう側に座る金髪碧眼の綺麗な女性は店員さんだろうか。慣れた手つきでエディ君からまだまだ瑞々しい葉っぱを受け取っていく。エディ君の方も比較的慣れた感じ。

 やや気安いやり取りからして、良好な関係なのは明らかだ。今まであの森で復活する度に、葉っぱを拾って売りに来てたのかな。そして多分、ここは錬金術のお店だ(ふふん、僕でもこのくらいの推理はできるのだ)。



「えっと、アキ…、いえ、その…」

「…あ、はい」



 こっちを向いてなにかとても言いたそうにして、でもすごく言いにくそうにしているエディ君を見て、気づいたことは二つ。

 一つは、僕が拾ってローブのポケットに突っこんだままの葉っぱも美人の店員さんに渡さなければいけないということと。

 もう一つは、人前でお互いの名前をエディ様、アキラ様と呼ぶのは変に思われてしまうということ。

 そう言いそうになって直前で気付いたんだろうね。ものすごく『しまった』という表情をしてる。



「この葉っぱを綺麗なお姉さんに渡せばいいでしょうか、お兄ちゃん」

「……!?」



 取りあえずのアドリブで。人前ではこの呼び方で問題ないだろう。

 いや、お兄ちゃんって。普通に心の中で呼んでいるようにエディ君と呼ぶのはダメだったのかい、とセルフ突っ込み。


 …おお、また、初めて見る表情をしているなあ、勇者様。どんどん新しい一面を知ることができて嬉しく思う。



「そ、そう、…です。はい。このお店で買い取ってくれるので、綺麗なお姉さんに渡してください」

「分かりました。どうぞ」

「ありがとう。すぐに数えるから待っててね。うふふ、それにしてもこんなに綺麗なお姫様がいたなんて、君も隅に置けないね」


「いえっ、その…」

「はい、品質に問題なし。全部買い取らせてもらうね」


 

 綺麗なお姉さんは焦ってばかりのエディ君の反応を楽しみながら(うん、確実にからかってるね)、あっという間に枚数を数え終え、背後の棚から取り出した緑色の溶液のガラス瓶に手早く浸していった。おお、魔法の薬っぽい。



「全部で167枚。サービスで4000レンにしておくね」

「ありがとうございます」



 買取りが成立し、百円玉くらいの大きさの銀色の硬貨がエディ君に4枚手渡される。

 この街のお金の単位はレンというらしい。

 4000レンはどのくらいの価値だろう。お札は存在しないのかな?

 色々と知的好奇心が刺激される。

 


「またよろしくね。でも本当に気をつけてね。まあ、ユウ君なら大丈夫だと思うけど、こんなに可愛い妹さんがいるなら尚更ね」



 ユウ君。


 ちらりとエディ君の方を見る。ユウ君。ちょっと、いや大分気まずそうだ。まごまごしている。

 その気まずさは、偽名を名乗っていたことを事前に説明し忘れていたからだろうか。それとも、偽名を名乗ったこと自体に対してだろうか。



「…はい、気をつけます。絶対、危険な目には…、ん、何があっても守り切ります」

「だって。よかったね」

「はい。あの、お兄ちゃんとは…」


「ふふ、前にちょっとムキムキで乱暴なお客様がいちゃもんつけてきた時にね。ユウ君が大人顔負けの魔法でちょちょいって取り押さえてくれたことがあったの」

「そんなことがあったんですね」

「えっと…、はい」



 基本的に素性は隠したいけれど、目の前の迷惑行為は見逃せなかったんだろう。それであの狼の魔物にしたみたいに…、殺しはしなかったけど一発で仕留めたのかな。筋肉ムキムキの大の大人が一瞬で転がって…うん、あの光景を見た後だから、とてもイメージしやすいし、説得力がある。

 エディ君はそれを否定しない。でも恥ずかしそうで、まだ気まずそうだ。うーん、自己評価が低いのだろうか。

 あと、守り切るのは僕の役割だよ、エディ君。これからも任せておいて。



「私は錬金術師のリリア。このお店は、そのままリリア魔法工房って言うの」

「僕はアキラといいます。お兄ちゃんとは今日会ったばかりで、でもとてもお世話になっています」


「そう…。アキラちゃん。不思議な響きだけど、いい名前ね。それに、ユウ君と出会えたのはとても幸運だと思うわ」

「ありがとうございます。僕もそう思います」



 なんと、このお姉さんは単なる店員さんではなくて店長さんだったようだ。

 そして錬金術師と魔法工房という言葉。とても好奇心を刺激する。いいよね、錬金術…。アルケミスト!


 おっとそうだ、そっちはおいおいで、気になってしまったことがあったんだった。



「あの…」

「なあに?」


「僕って可愛いんでしょうか」

「……」

「……」



 そこまで言うと、隣のエディ君も目の前のリリアさんも息を呑んでしまった。どういう意味合いの反応?

 だって、さっき、こんなに綺麗なお姫様とか、こんなに可愛い妹さんって言ってたじゃない?



「ええ。フードで半分隠れていても分かるくらい、とっても。あなたのお兄ちゃんが隠したがるくらいにね。そう聞くってことは、アキラちゃんはまだよく分からない?」

「はい、その、実は自分の顔をちゃんと見たことがなくて…」


「…そっか。うん、いろんな事情があるものね」



 リリアさんはそこで言葉を区切り、優しい眼差しを向けてきた。綺麗なお姉さんの視点から見た場合、このような10歳くらいの女児の事情というのは一体どんなケースが考えられるだろうか。少し年の離れた『お兄ちゃん』が傍にいる現状を加味すれば、最悪の三歩手前というところだろうか。



「鏡、見てみる?」

「できれば…」


「遠慮なんてしなくていいのよ。はい、どうぞ」



 そしてあっさりと手渡された、一点の曇りもない鏡面。

 それは、はじめからカウンターの隅にひっそりと置かれていた一台の丸鏡だった。たったそれだけのもの。

 何の変哲もない鏡。


 そっとフードを外し、自分自身と向かい合う。

 そこに、フィクションでしか見たことのないような、まるで妖精のような美しい少女が映し出されていた。


 薄墨色の覆いから解放された、ほとんど銀色のようにも見える淡い空色の髪がきめ細やかに煌き、緩やかに肩口へと流れている。

 藍色のつぶらな瞳がまっすぐに僕を見つめ、可愛らしく驚いた表情をしている。

 細い眉毛、小さな鼻、薄い唇、白い肌、そしてあどけない双眸。耳も首筋も、顔の輪郭も、睫毛や産毛すらも、その一つ一つが神の造形であり、更にそれらのパーツ全てが完璧に調和し、生きた天使という完成した一つの天上の美を実現させていた。



「これが僕…?」



 自分で綺麗だと思う。自分じゃなかったら心が奪われていただろう。ナルシストじゃなくてよかった…。


 というか、やりすぎです、女神様。

 色々な人から狙われるんじゃないかな、この見た目10歳の美少女。

 大丈夫?

 勇者様を支える使命に支障が出ない?



「…これは…、やばいかも。サラサラのキラキラで…。うん、ちょっと甘く考えてた。想像以上」



 ほらー、フードを取っただけでリリアさんも引いちゃってるじゃないですかー。



「…お兄ちゃん?」



 そして、さっきから反応がまるでないエディ君のことが気になって、恐る恐る声をかける。



「……」



 フードの影でもはっきりと分かるくらい、エディ君は顔を赤らめてずっと僕を見つめていた。



「……」



 僕も何も言えずに見つめ返した。



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