● 058 決戦/ウィバク黄昏領域解放戦
明日が最終回、明後日がエピローグになります。
どちらも午前0時過ぎに投下します。
8月1日、カイア日。赤の日。
快晴。微風。
意識がとてもクリアだ。
この数週間ずっと浅い微睡に浸っていて、やっと今朝、目覚めることができたような気分さえする。
僕はここにいる。ここにいるのが私だ。
あるがままに。そしてせめて、できることを。
幸せは不幸に。不幸は幸せに。それでも、無くならない幸せはここにある。
隣のエディ君と目を合わせ、頷き合う。
光の結界を巡らせ、天衣の力で少しだけ宙に浮かぶ。
コンディションはやや良し。最高ではない。でも悪くもない。十分に勇者と天使の力を発揮できる。
「その姿だけでも、あなた達を疑う者はいない」
「うん、すごく凛々しくて綺麗だよ。ユウ君、アキラちゃん」
きっと最初で最後になるからと、初めて森の縁まで見送りに来てくれたフーヤさんとリリアさんに直球で誉められ、少し照れてしまう。
「武運を祈る。…無理はするな」
「いってらっしゃいませ。エディンデル様、アキラ様。どうかご無事で」
同様に、リューダさんとトムからの真摯な励ましは純粋に嬉しい。
「エディ君」
「はい。いつでも」
エディ君ともう一度目を合わせる。
確認すべきことは、もう何も残っていない。あとは突き進むだけ。
「行ってきます!」
「行ってきます!」
大声を推進剤にして一気に上昇する。あっという間に緑の大地が遠くなっていく。地上の四人がすぐに点になる。
目指すはウィバク黄昏領域。その解放。
そして僕は願う。エディ君の解放を。
◇◇◇
色褪せた空を飛び、山脈のような灰色の砂丘を越える。
まずは残党の殲滅。
集合体を成していた兵士級と戦士級が深層部のあちこちに散らばっている。それらは神官級蛇心体を失い、混乱して右往左往しているようにも見える。大きく成長したエディ君にとって、下級陰魔はもう敵ではない。鎧袖一触で殲滅していくだけ。あくまでも効率的に、必要最低限の威力と機動で順序良く刈り取っていく。
今までに神官級6体、騎士級14000体が消滅し、閑散となった深層部を時計回りに駆け巡る。
深層部の更に奥地、黄昏領域の中心部は黄金に輝く巨大な円柱形の壁面で囲まれている。あれが黄昏領域の最深部でもあり、陰魔をこの地に封じる天盤結界の中心地でもある。
天盤結界がどのように造られ、維持されているのかはエディ君ですら分からないという。
もしかしたらトムなら何か知っているかもしれない。今はただ、陰魔の封印という奇跡めいた結果だけがこうして眼前に示されている。
――でも僕はどこかでその秘密を知った。どうしても思い出せないけれど、確かに――
〈アキラさん?〉
〈――大丈夫です。このまま時計回りに進んで下さい〉
戦いに意識を向け直し、ひたすらエディ君の背中を追う。
――聖剣の刃が舞い、闘気の弾丸が踊る。
意識が引き延ばされた、0.1秒単位の世界。加速魔術すら未使用。高速戦闘に最適化された勇者と天使の頭脳がこのような光景を生み出している。
――時間が進む。景色が流れる。陰魔が消えていく。一体たりとも逃しはしない。
――兵士級、戦士級、合計で1000体を撃破。
2000体を撃破。
3000体を撃破。
消費魔力は5000に満たず。
そして兵士級と戦士級の撃破数が1645と1579になった時、電子音と共に天網絵図の縁に騎士級を示す赤紫色の光点が灯った。100、200…、合計419体。その地下後方には195体の楽士級。
意外にも、騎士級大隊は防御的な態勢を構えたまま動かず、僕たちを待ち構えているように見えた。初めての挙動。騎士級や楽士級の戦力が危険域まで低下し、本能的にあのような陣形を取っているのだろうか。
ともかく、敵が仕掛けてこないならこちらから行くしかない。守護印に手を伸ばし、先端の一つに触れる。危機に陥らなくても、こうして直接手で触れて助けを求めたら守護霊様はすぐに来てくれる。
出し惜しみはしない。エディ君の首にかけられた守護印と足して、230個分の魔力を開放する。
白色に輝く柱が次々と立ち昇り、総勢690名の光霊軍が空中に整然と現れる。騎士霊600名、神官霊90名。かつてテル様と共に戦場を翔けた破魔の軍勢。聖なる闘気と光矢が積み重なり、周囲の大気を煌々と白く発光させていく。
〈行きます!〉
高度200メートル付近で旋回し続けていた140体の翼獣体から560個の高速誘導弾が発射される。
楽士級増幅体の増強効果を最大限まで受けた黒炎弾の飛翔速度と威力は決して侮れない。回避は困難。神官霊が光矢を連射して迎撃し、黄昏の空に黒ずんだ紫色の爆炎が咲き誇っていく。その直後、蹄獣体が142本の黒閃槍を斉射。騎士霊が大楯を掲げ、強靭な積層障壁を形作る。楕円形の障壁に沿って真っ黒な光線の全てが歪曲し、散らされていく。
エディ君が天衣を翻して空を翔ける。掲げるのは魔力が結晶化した赤き聖剣。最大内包魔力570エルネの聖なる刃。唯一人の為の加護ははじめから最大出力を維持している。阻むものは何もなく、標高300メートルを超える巨大砂丘頂上に陣取っていた騎士級14体を薙いで消し飛ばした。直後、左右から爪獣体137体が殺到するも、騎士霊部隊が間に入り、全面衝突し、混戦となる。そして勇者が大いなる加速世界に飛び込み、聖剣が閃く。時間加速、実に12.71倍。俯瞰的には僅か0.3秒で錬成され、開放される赤き煌閃。一閃を十三度煌めかせ、楽士級26体を討滅。
混戦地帯から後退し、射線を確保した騎士級が低威力レーザーを連射。ほぼ直上で渦巻く翼獣体が再装填を完了し、数百個の高速誘導弾が殺到する。前後左右と上方からの飽和攻撃。瑠璃色の結界と白く輝く積層障壁がその全てを阻む。一瞬の静寂の後、再び赤と白の閃光が黒い雲霞を圧倒した。
若き勇者が一気呵成に騎士級を蹴散らし、僅かな間隙を縫って幾度も赤い軌跡を刻み、地下に潜む楽士級を次々と消滅させていく。
聖剣の一閃を適切な位置から速く正確に振るい、次の適切な位置へと速く正確に飛ぶ。邪魔な騎士級がいれば必要な威力で必要なだけ撃破する。簡単に言ってしまえばそれだけだ。ただ、それをひたすら繰り返す。それを可能とする精神力こそが彼の本当の強さ。
今また、エディ君が0.3秒と570エルネを消費して一閃を13回連続で放ち、楽士級27体を撃破。そして短く振るった聖剣で背後から襲い掛かる爪獣体を弾き返し、至近距離から気弾を放って頭部を撃ち抜いた。再び煌閃。楽士級26体撃破。闘気を限界まで圧縮した超高密度気弾を8つ手元に作り、無造作に上空へと放ち、翼獣体6体を撃墜。煌閃。楽士級28体撃破。
――騎士級1個大隊419の内、227体を撃破。楽士級195体の内、107体を撃破。特級マナ結晶を使用し、魔力を回復。
――騎士級大隊第二波、第三波、第四波が出現。216体、189体、377体。また、兵士級、戦士級約400が接近中。
エディ君が迅速に楽士級を刈り取って騎士級全体を弱体化させ、600名の騎士霊が一丸となって爪獣体と蹄獣体を磨り潰し、90名の神官霊が翼獣体を撃墜していく。
一度戦端が開かれると周囲から怒涛の勢いで大群が押し寄せるのも陰魔の特徴だ。愚直な圧殺が敵の戦略であり、今までずっと、僕たちの敗死は決定づけられていた。死因はエネルギー不足。黄昏領域において、形勢は極めて不利。今までは。
これまでの戦いを死と共に乗り越えてきたからこそ言えることではあるけれど――、陰魔は弱い。
聖術以外の干渉を無効化するという特性こそが、陰魔の最大の強みであり、同時に欠点でもあるのだろう。脆弱性と言ってもいい。数多くの人間に対して無敵を誇れる代わりに、小さな聖術の光によって容易く消し去られる。そしてその脆弱性を克服する訳でもなく、ただひたすら、雑と言えるほど大量生産を行って侵略を繰り返してきた。陰魔とは、そういう歪な存在だ。
――これまでに、騎士級4個大隊1201体、楽士級195体を殲滅。また、兵士級2065体、戦士級1976体を殲滅。
消費魔力約120000エルネ。純白の宝珠を2つ使用し、キャパシティに70000エルネを補充。残存魔力、総計約470000。
魔力は潤沢であり、戦闘続行に問題なし。
そして、薄緑色に輝く天網絵図が残る敵の全容を明らかにする。
――騎士級1599体、楽士級486体、神官級1体。
あと、たった2086体。
その全てが神官級黒雷体の射程範囲内に引き籠り、僕たちを待ち構えている。これが最後の戦いとなることを陰魔達も理解しているかのように。
〈アキラさん〉
〈はい。行きましょう〉
エディ君が命を燃やさずに神官級を倒すには、地下に巣食う楽士級の殲滅が必須になる。少なくとも、あの青黒い障壁を生み出す障壁体を排除しなければ神官級に有効打を与えることはできないだろう。
突出したエディ君に向けて千数百もの黒炎弾が一斉にばら撒かれ、幾百の黒閃槍がやや時間差を置いて放たれる。この密度は回避できず、このままでは光の結界が蒸発する。
煌閃。それが彼の返答だった。
12.71倍の時間加速を得た勇者がレーザーの嵐を掻い潜り、極限まで高められた一閃を立て続けに放つ。楽士級が蠢く地下に向けてではなく、ミサイルが犇めく空へと。
その一瞬後、同一平面上に存在する黒い三角錐が断ち切られ、周囲のものも大気を引き裂く強烈な衝撃波によって誘爆し、黒ずんだ紫の爆炎を咲かせた。一閃ごとに数十。それが13度。半数以上のミサイルが空中で四散した。
空中に取り残された翼獣体は聖矢の嵐に消えていく。
やがて、聖気をまとった盾や直剣が爪獣体と甲高い音を立てて激突する。
エディ君が闇の楽士隊を殲滅する頃、守護者たちは壊滅しているだろう。
これは戦力を削り合う戦争であり、最終的に僕とエディ君、神官級一体が残った場合、勝利はほぼ確実となる。
これまでの戦いの経験から、加速を駆使すれば神官級の攻撃は十分に回避可能だと判明している。黒剣体の黒剣も、焦熱体の焦熱も、攻撃には一定のパターンと僅かな隙が存在していた。だから、研ぎ澄まされた集中力と加速魔術があれば――
――神官級黒雷体まで、距離2413メートル。本物の雷のような轟音を引き摺り、ギザギザな漆黒が迫る。
加速――相対的に遅滞し、赤く滲んだ光景が非常にゆっくりと流れていく。地面に激突する寸前まで急降下。間一髪で、音速を遥かに超える速度でアーチ状に曲がった黒雷を潜るように回避する。
エディ君が身を捩って聖剣を抜刀。0.3秒。再びの煌閃。一閃につき消費魔力41エルネまで最適化された疑似的な空間切断が13度閃き、26体の楽士級を切り裂く。
このペースなら、問題なく――
――頭上を通り抜けた黒雷が消え去っていない。本物の雷のように細かく枝分かれをしたまま、身を捩じるようにのたうち、瞬きよりも速く落ちてくる。
予想外の攻撃。いくらこの意識と体が加速していても、物理的に回避が間に合わない。12.71倍まで加速しているエディ君なら――でも僕は精々4.47倍しかなく――
結界内包魔力を最大限まで――最大出力720――最大圧縮。
――漆黒の雷が結界表面に接触――ほとんど抵抗できずに破壊され、結界の下半分と右足が消失。
〈アキラさん!〉
エディ君の声が届く。慌てず、一等級ネクタル水を即座に服用。
傷口が塞がり、出血が止まる。素早く結界へ魔力をチャージして修復。右膝から下を失うも、戦闘続行に問題なし。
――黒雷の猛攻が続く。天盤まで届く円柱の根元に鎮座したまま、神官級黒雷体が樹状突起のような暗黒を生み出している。
樹状突起。我ながら言い得て妙だ。あの黒い雷には生体的な律動を感じる。闇の魔力が脈打ち、威力を全く弱めずに空中を奔り続けている。生命のように持続する放電現象。本物の雷とは全く異なっている。焦熱体や黒剣体とも。無数に枝分かれした樹状体を蛇のように捩じり、僕たちを攻撃し続けてくる。
言うなれば樹状放電。
攻撃範囲も追尾性能も高く、加速魔術を駆使しても僕には完全回避は困難。
破壊力は他の神官級より数段落ちているが、全力の結界を容易く打ち破る程度には致命的だった。
騎士霊が黒雷と僕の間に割り込み、一身に強烈なエネルギーを浴びて次々と消滅していく。
驚くべきことに、激しくのたうつ黒雷は黒い騎士級にはかすりもせず、絶妙な位置と角度で枝を伸ばし、曲がりくねり、正確に周囲の白い騎士霊を打ち据えていく。
〈エディ君は楽士級の殲滅を!〉
エディ君が歯を食いしばって意識を集中させているのが分かる。僕を庇おうとして、その寸前で身体を抑え、自分の役割を全うしようとしてくれていた。
煌閃が吹き荒れる。しかし、どうしようもなく黒雷もまた吹き荒び、絶望的な破壊がもたらさていく。
ここまで生き残っていた守護霊の半分が騎士級と相打ちとなり、もう半分が黒雷から僕を庇う盾となった。一人、また一人と消え去っていく。
いくらエディ君でも煌閃の連続発動はできない。ほとんど空になった加速魔術と聖剣の内包魔力を再び満たすためにはおよそ6秒の時間を要する。それもまたボトルネック。各魔法への魔力充填は決して一瞬では完了せず、一秒当たりの魔力出量にも限界がある。特に加速魔術の再発動に時間がかかり、今ここでは、その6秒があまりにも遠い。
最後の神官級が生きている限り、樹状放電は永続する。それこそがあの個体の特性。
今の僕たちでは――
僕では――
◇◇◇
瑞々しい空気の香りが鼻をくすぐる。灰色と黒に塗れたあの空間とは別世界のようだ。
ああ、負けたのか。殺されて、死んだのか。
よりによって最後で…。
よりによって、僕がネックになって…。
「アキラさん…」
「エディ君。気が付きましたか?」
「ボクは…」
「負けましたね。思い切り」
「っ…。はい…。ごめんなさ――」
「――よりによって、あんなに相性の悪い敵が残っていたなんて思っていませんでした。まだまだ考えが浅かったみたいです」
「…アキラさん?」
「黒雷体の攻撃特性は、持続する広範囲の雷撃です。大樹の枝のような雷を常時放出し続ける代わりに、他の攻撃主体の神官級よりも大分威力が弱いですが、運の悪いことに、それでも僕たちを瞬殺できる程度には高威力のようです」
「…はい」
「はっきり言って、黒剣体や焦熱体が生み出す瞬間火力は僕たちに対して過剰威力でした。多分、ああいった攻撃特化の個体はテル様のような歴代の成熟した勇者を想定しているんだと思います。一方、黒雷体は比較的低威力の雷撃を広範囲に撒き続ける牽制役としての役割を持っていたんでしょう」
「…理解できます。あの黒雷体は、他の神官級ほどの威圧感は感じませんでしたが、とにかく大きく広がった黒い雷が厄介でした」
「だから、多分テル様にとって黒雷体は『鬱陶しいけど一撃を恐れる程ではない』という評価に留まったはずです。でも、僕たちにとっては…」
「当たれば丁度死んでしまうくらいには、強い…」
「はい、その通りです。よりによって、最後に残った黒雷体は相性最悪の敵です。僕たちのことを認めてもらうためには、黄昏領域に生きたまま留まって、解放されたウィバクにやってくる人たちを迎える必要があります。それなのに、相打ち以外の方法で勝つことがこんなにも難しいなんて…」
「アキラさん…」
「ごめんなさい。敗因は僕です。エディ君は何も悪くありません。僕がもっと速く飛べるか、もっと強い結界を作れたら…」
「そんな、謝らないで下さい。アキラさんは何も悪くありません」
「いいえ、こればかりは。僕は自分の弱さを認めないといけません。僕は、明らかにエディ君の弱点になっています。それはこれからも変わらないでしょう」
「……」
「そして、反省してから、次にどうするかを決めましょう」
「次の…?」
「はい。これから、エディ君はどうしたいですか?」
「ボクは…」
「僕はあなたを支え続けます。出来る限り、力を尽くして。だから遠慮なく言ってください」
「…諦めたくありません。負けたままなのは嫌です」
「はい」
「だから、お願いします。もう一度、僕と一緒に戦ってください」
「はい。喜んで」
**
エディンデル 69661
アキラ 131431
兵士級 2065
戦士級 1976
騎士級 1572
楽士級 273
**
潔く反省して気持ちを新たにしたところで、エディ君が横たわったまま天網絵図を展開する。2人で一緒に、枠内に投影された簡潔な文字列を眺める。
エディ君のキャパシティが7万近く、僕が13万以上。
これだけの魔力があれば、マナ結晶がなくても不足はない。
正直に言うと、ネクタル水とアクセルリングを失ったのは痛い。
2倍ちょっとの時間加速でその樹状放電をどれだけ避け続けられるか。
いいさ。ここまで来ればぶっつけ本番、当たって砕けろだ。
「計算が正しければ、敵の残りは騎士級1228、楽士級408、そして神官級1、です。今の僕たちならきっと勝てます。裸一貫になっても」
「ふふっ、そうですね。裸になっても…。って、もう。本当に裸を見せる必要はないですからね…?」
「安心してください。これからもずっと、僕の裸はエディ君にしか見せません」
「それは…、これからもボクに勇ましく裸を見せてくるという意味ですか…?」
僕は裸のまま立ち上がり、エディ君へと手を差し伸べる。
さながら、かけがえのない戦友を死地へと誘うように。
赤くなりながら、もう少し恥じらいというものをですね、と目を閉じたまま手を重ね、ジト目風の表情を向けてくるエディ君。ふふ、器用だ。
ホントはちょっと、いやかなり恥ずかしい。
でも、少しでも君の為になるのなら、たとえそれがくだらない気分転換程度でも、喜んでこの体を晒すよ。
◇◇◇
……。
…………。
2度目の出撃を果たし、再びの復活。
放電射程距離は2413メートルで確定。
今回の死亡地点は距離1800メートル地点。
現状、樹状放電を防ぎ切る力も、避け切る方法も持っていない。どうしたって最大内包魔力700程度の結界では足りない。
特に、アクセルリングを失ってしまい、エディ君でも回避が非常に難しくなっている。騎士級の横槍もあり、黒雷が支配する空間に留まる限り、命が30秒ももたない。より具体的に言うと26秒。2回目の交戦でも、射程範囲に入って26秒後に黒い樹状放電の末端に捕まって死んだ。
でも。
「いい調子です。エディ君はこの一回で楽士級を106体も倒しました。残りはあと302。この調子でいけばいつかきっと敵を殲滅できます」
逆に言えば、30秒近くなら生き延びられるということでもある。案外生き延びられたとすら思ってしまった。
エディ君が放った疑似的な煌閃は4つ。アクセルリングを失っている為、時間加速は約7倍に留まっている。それでも、52個の赤い軌跡が吹き荒れ、都合106体の楽士級を塵へと還した。
そして26秒も生き残ったのだから、きっと次は30秒を超えられる。
へこたれるわけにはいかない。
戦うと決めたのだから、今はただ、真っすぐ前を向いて進むのみだ。
「だから、エディ君」
あと何回戦えますか、なんて質問をする必要はないよ。
言ってほしい。何回死んでも、何十回何百回死んでも、最後まで一緒に戦ってほしいって。
大丈夫。僕なら…
「あと千回は死ねます」
あ。つい心の声が漏れてしまった。やばいかも?天使らしくないかも?というか女の子らしくないかも…!?
「えっと、その」
「ぷっ」
ぷっ!?
もしかして、ぷって笑われた!?
ああ、聞き間違いでも見間違いでもないみたいだ。目の前でエディ君が笑いを堪えて苦しそうにしている。我慢し切れずに、くくっ、て笑いが漏れている…。
やってしまった。おしまいだ…。
「ぷふっ…。ごめんなさい、つい…」
「その…」
「前から思ってましたけど…」
「なんですか…?」
「アキラさんって、すごく男らしいところがありますよね」
「むぅ…。誉め言葉として受け取っておきます」
ツボに入ったのか、くすくすと笑い続けるエディ君。むう。昨晩の仕返しをされているような気分。
いやまあ、元男の僕としては否定しきれないというか、そう思ってくれて嬉しい気持も無きにしも非ずなのだけれど。
このままでは現女の沽券に関わるので。はい。
「――にゃっ…!?」
「男らしさだけじゃこんなことはできません」
「分かってます…。不意打ち禁止です…」
「これから死んで復活する度に、エディ君に一回キスをすることにします。頑張ってって、心を込めて」
「もう…。というか、裸の時にキスするのは禁止してましたよね…?」
「そうでしたっけ?」
そんな約束してたかな。おかしいな、記憶にないなあ。
とぼけてもダメですよ、と半目のエディ君。ふふ、可愛い。ふふかわ。
◇◇◇
3回目の出撃。そして3回目の死と、復活とキス。
35秒生き残り、落命までにエディ君が楽士級132体を撃破。目標達成。
聖剣、闘気、加護、結界、天衣。天網絵図、天眼水晶。タイムアクセル。
全ての魔法を駆使し、死は免れないものの、生存時間を9秒も伸ばすことができた。
あの放電の経路はかなりランダムのようだ。黒雷体本体ですら制御し切れていないかもしれない。そのようなカオスなランダム性が余計に予測を困難にしている。
しかし、確定していることはある。それは放電が空中を奔る速度だ。全体的にほぼ一定で、音より速く、光より遅い。確実に回避し切ることはできないが、段々と目と体が慣れてきている。
でも、決して不可能ではない。恐らく、あの樹状放電は良くも悪くも確率に支配されている。だからこそ、勝機はある。
「アキラさん…、お腹が吹き飛んで上半身と下半身に分かれました…。くるくる回って…」
「エディ君だって、最後は顔が半分なくなってましたよ。色々と零れてました」
「うぅ、また夢に見そうです…」
「よしよし」
ただ、リアルで死に戻りを繰り返したらトラウマ対策は必須になる。
真面目にしていて気分が重くなるよりは、軽口を叩けるくらいの緩い空気の方がいいだろう。
4回目の出撃。死と復活とキス。
黒雷が極めて不規則で回避困難な軌道を描き、侵入から僅か5秒で直撃。しかし、その直前にエディ君が生命力を対価にして聖剣の最大出力をおよそ3600まで引き上げ、煌閃を放ち、一閃を88度煌めかせた。それによって、残りの楽士級170体を全て撃破。暫定的に滅閃と名付けるべきか。
5回目。
取り巻きの楽士級を全て失い、樹状放電の射程半径は1784メートルまで弱体化。
黒雷がうねる空間の外側から、最大射程924メートルを誇る一閃で騎士級大隊を焦らず時間をかけて一方的に刈り取っていった。最終的には滅閃も使用し、578体を撃破。楽士級を失った騎士級は万全の状態の三分の一まで戦闘能力が低下する。エディ君と僕の二人でも圧倒可能。
距離956メートルで、死角からの黒雷直撃で即死。
非常に口惜しいことに、楽士級による増強効果がなくとも黒雷の威力は結界を貫通する程度には強力であり、放電速度も足手まといの僕を捉えるには十分だった。
6回目。
5回目と同様の戦法で騎士級650体を殲滅。
距離1466メートルで死亡。
残る敵は神官級黒雷体一体のみ。
場は整えられた。ここからが本当の決戦となる。
◇◇◇
7戦目。
距離851メートルでエディ君が黒雷体に対して一閃を放つが、光の刃が黒球表面で弾かれて霧散した。原子よりも薄く鍛えられた聖剣は斬鉄や砂漠切断を可能としているが、強固な魔法障壁や魔力合成物は必ずしも切断できない。
加速魔術が失効した直後に樹状放電が一瞬で大きく薙ぎ払われ、胸部を喪失。
8戦目。
距離579メートルまで接近に成功。一閃でなく、最大出力で刃厚の厚い聖剣を形成。硬度を重視した高密度の刃で初めて黒球に僅かな傷を残す。
直後、鋭角を刻んだ巨大な雷が頭上から直撃し、即死。
9戦目。
距離1440メートル地点で、樹状放電が不規則に乱舞した後、確率によって算出されただけとしか思えない角度から飛来し、直撃。即死する。
10戦目。
距離1262メートルで、まるで出鱈目な軌道で飛来した黒雷が直撃。
以下、天眼レンズによる観測結果。これまでの観測と分析により、比較的見慣れた高確率軌道と珍しい低確率軌道を把握した。
黒雷は数秒~十数秒間隔で静止状態をとる。静止状態は0.1秒~約1秒持続する。そこで、とある静止状態から別の静止状態に移るまでの黒雷の動きを『軌道』と定義した。
高確率軌道と低確率軌道のそれぞれに回避しやすい低難度軌道と回避しにくい高難度軌道が存在している。高難度軌道は、軌道の複雑さや枝の多さ、持続時間等によって特徴づけられる。
高確率・低難度軌道が多く発生すれば今の加速でも安定して回避し続けられるが、唐突に高難度軌道が挟まれば被弾の確率が上昇する。見慣れない低確率・高難度軌道は回避が非常に難しく、高確率で即死する。また、発生確率が0.1パーセントもないような超低確率軌道も問題となる。余程運が良くなければ、初見の軌道は死を意味する。
更に、それらの軌道が発生する順序の確率も把握する必要がある。明らかに、連続しやすい軌道と連続しにくい軌道がある。
試行回数を増やせば、それらの別個の確率と全体的な順序の確率の精度を高められるだろう。しかし、完璧な予測はおそらく不可能だ。
11戦目。
距離536メートルまで接近。黒雷の枝を掻い潜り、射程500メートルまで圧縮した聖剣によって傷を与える。致命傷には程遠い。最大出力をさらに圧縮した刃が必要。高確率・低難度軌道が連続した後、高確率・高難度軌道によって即死。
12戦目。
距離367メートルまで接近。射程を360メートルまで絞った過去最高密度の聖剣で黒球に深さ数センチの損傷を与えることに成功する。高確率・高難度軌道の連続攻撃に被弾。
13戦目。
距離1550メートル地点で低確率・高難度軌道によって死亡。黒雷の勢いは衰えず。黒球は表面から数センチ以上の深さまで細胞壁のような保護層に覆われていると推測される。タイムアクセル失効直後が最も被弾率が高い。
14戦目。
距離616メートル地点で死亡。高確率軌道と低確率軌道、高難度軌道と低難度軌道、それら全ての順序確率を十分な精度で把握したと判断する。天眼水晶による予測もある程度可能。六覚を通じ、そのビジョンをエディ君と共有する。
「ある程度のパターンは掴めました。でも今の僕たちの実力では、雷に当たるか当たらないかは完全に運です」
「運…」
「だからこそ、これは試行回数の問題でもあります。諦めない限り、いつか必ず勝てます。エディ君の聖剣が届くのなら、絶対に」
「任せてください。絶対に諦めません。アキラさんの導きがある限り、何度死んでも、何度だって、届かせてみせます」
「はい。信じています。勝ちましょう」
「必ず勝ちます。見ていてください」
15戦目。
距離352メートル。黒球保護層に損傷を加える。高確率・高難度軌道の回避に成功するが、初見の超低確率軌道で死亡。
16戦目。
距離580メートル。低難度軌道であっても、その発生順序によっては回避が困難となる場合がある。高難度順序軌道と定義。
17戦目。
距離329メートル。黒球保護層に損傷追加。有効打を与えるには更に接近する必要がある。目標を200メートルに設定。
18戦目。
距離660メートル。高確率・低難度、高確率・高難度、低確率・低難度、低確率・高難度の4パターンの軌道が複雑に組み合わさった低確率順序軌道(何の規則もなく、完全に確率的に決まっているようにしか見えない)が続き、位置取りと接近に苦心する。最終的には高難度順序軌道の雷撃を回避し切れず、死亡。
19戦目。
距離459メートル。探していた目的物を発見する。距離600メートルの谷間。高難度軌道の連続回避に成功するが、超低確率軌道と衝突。
20戦目。
距離278メートル。黒球保護層に3箇所の損傷追加。更なる接近を試みたが、静止状態0.1秒、低確率・高難度軌道の繰り返しが連続発生し、見切れず被弾。静止状態が短く、かつ高難度軌道が3回以上連続した場合、加速魔術を使用しても回避はほぼ不可能。
21戦目。
距離713メートル。初見の超低確率軌道によって死亡。発生確率が一万分の一未満のような、未見の軌道はまだ多く残されているだろう。軌道予測と飛行制御に全神経を集中させなければならない。
22戦目。
距離380メートル。黒球保護層に2箇所の損傷追加。高難度軌道の回避がやや安定してきたが、それでも2連続まで。
23戦目。
距離165メートル。幸運にも高確率・低難度軌道が連続して発生し、最接近距離を記録。黒球保護層に残された傷痕の一つに、射程160メートルまで圧縮した過去最高密度の聖剣を寸分違わず重ねることに成功する。傷を抉り保護層を突破。黒雷体が奇声のような音波と共に全周囲に回避不能の大量放電を行い、即死。
◇◇◇
23回目の死と復活とキスの後の、24戦目。
赤と青の残光が色鮮やかな軌跡となる。
彼方から飛来するのは、蛇行し、打ち震える漆黒の軌道。
天眼水晶から得られた、比較的黒雷が流れやすい通り道のビジョンをエディ君へ送る。小さいけれど力強い背中が無言で答える。
もう、言葉は少ない。何度でも復活できるはいえ、やはり現実的には限度がある。死に至る苦痛と恐怖が堆積し、じくじくと精神を蝕む。長時間の戦闘による精神的な疲弊もある。復活するのは肉体と魔力だけであり、精神はやせ衰えたままだ。やせ我慢をしても、指先が震えてきている。エディ君も。徐々に、確実に聖剣を振るう速度が落ちてきている。多分、十分に戦えるのはこれで最後。また戦えるようになるには長い休息と慰撫が必要になる。もう戦ってほしくない。苦しんでほしくない。未来を掴むためには戦わなければならない。苦しみは続く。せめて全てを捧げて労り、慰めよう。そして必ず、勝利を手に。
ビジョン通りの高難度軌道で致死的な黒雷が飛来する。
回避。
再び、ビジョン通りの高難度軌道が飛来。
回避。
三度、ビジョン通りの高難度軌道が飛来。
回避不能――
――否、23回もの死を伴う究極的な鍛錬によって0.01倍ずつ上達し続けていた加速魔術が、今、遂に黒雷の速度を僅かに超えた。
瑠璃色の結界が内部まで大きく抉られるものの、辛うじてこの体に損傷はない。
反対に、黒く染まった紫電が轟音と共に虚しく空へ散っていく。
――時間加速の失効。再発動まで6秒。
――再び黒雷が迫る。不可避――
〈アキラさん!〉
――雷を超える。
そして、エディ君に導かれ、僕は見た。
砂丘頂上にに聳え立つ黒雷体が歪な黒い枝を生やし、斜めに傾いでいた。正確には、巨大な黒球表面に刻まれた亀裂から黒雷の一部が漏電し、苦悶に喘いでいた。
いつから?
たったの1秒前からだ。23回目の死の直前にエディ君が届かせた聖剣は黒雷体に不可逆の損傷をもたらし、24回の戦闘が神官級にすら疲労を与え、その積み重ねによって、1秒前、致命的な機能低下を露呈させていた。
〈勝ちます!これで、最後です!〉
〈はいっ!〉
真に赤い光が渦巻き、収束し、細く強靭な破壊力へと変換されていく。血が迸る。
加速。光の結界を再展開する。
致死的ではなくなったが、なおも十分に強力な黒雷が直撃すれば飛行速度が大きく低下する。可能な限り回避し、短時間での黒雷体への接近を目指す。長期戦は不利。
残り600メートル。
既知の軌道。既知の順序。回避は容易い。一瞬だけ砂漠に降り立ち、目的の物を拾って高く飛び上がる。
残り400メートル。
高難度軌道。けれど、もう見慣れた。回避可能。
残り200メートル。
未知の軌道。予測不可能。
エディ君が大きく広がった枝に接触し、僅かに減速する。黒雷の蛇腹が不規則に鋭角を刻みながら左右から迫ってくる。
〈エディ君!〉
――エディ君を包む光の結界はもはや僕の手足に等しい。だから手足を動かすように、結界を自由自在に動かすことも可能だ。
だから彼を引き寄せた。エディ君を包んだまま光の結界が鋭い角度で軌道を変え、無傷のまま僕のところまで飛んできた。そのまま二つの結界を一つに合わせ、エディ君を抱き寄せる。
残り150メートル。
全周囲への大量放電が放たれる。
一見回避不可能。しかし、全てが黒い雷に埋め尽くされている訳ではない。子ども二人が通れるだけの隙間はあるはず。――あった。
任せてくれますか?
はい。アキラさんに委ねます。
以心伝心。
為すべきことは決まっている。天上で造られた水晶を使い、暗黒の網目を潜り抜けられる経路を透視しすればいい。
大丈夫。一日分の命が残るなら、神経が焼き切れてもいい。難しいことなんて何もない。いつものように、天使の役目に殉じよう。
エディ君と僕自身を回す。コマのように。フィギュアスケーターのように。連星のように。
ターン、ステップ。ジャンプ、スピン。
簡単には真っ直ぐ進めない。時に遠心力を利用し大きく迂回し、時に慣性を打ち消して落雷から退避する。
残り100メートル。
最後の難関、黒雷積層障壁。雷の編物のように黒雷体の黒球を防護する。背後からは雷の槍衾が迫り、迂回も退避も不可能。
――お願いします。
白い勾玉を掲げる。傷一つない聖者の守護印。
今日最初に死んでしまう直前、急いでベルトポーチを外して砂漠へ落としていた。中身があちこちに零れ落ちてはいたけれど、全て破壊されずに残っていた。無駄なものなんて何一つない。
だから、ここまでたどり着く前に砂漠に一瞬だけ降り立ち、守護印と指輪だけは一つずつ素早く拾っていた。
たった3名の騎士霊が現れ、何も言わずに突き進んでくれる。見覚えがある。最初に来てくれた人たち。顔馴染みになったのに、未だに名前を教えてくれない過去の聖騎士。
彼らは全滅した訳ではなかった。ほんの一瞬だけ、僕たちの方が先に死んでしまったから。
そして最後の最後に、もう一瞬だけ真っ白に光り輝き、黒雷と対消滅するように還っていった。
加速魔術、アクセルリングを同時使用。
加えて、光の加護を最大出力。――限界突破。半分だけ、命を燃やす。
加護の花弁が強い輝きを放ち、寄り添い合う僕とエディ君の周りを巡る。2人同時に、水色に透き通った世界へと沈む。超越した三重加速。時間加速、36.56倍、持続時間、21.8主観秒。
固く抱き合い、今にも閉じようとしていた小さな風穴へと飛び込んだ。
10メートル。阻むものは、もう何もない。
「これで!」
エディ君が叫ぶ。年相応の少年のように。大きな怒りを混ぜ込み、たった1メートルの聖剣を頭上に掲げ。それは太陽の輝きを放ち。
「終わりだっ!!!」
渾身の力で、黒球の表面に残されていた傷跡の一つに、その切っ先を深く突き刺した。
明らかに限界を超え、赫々たる紅蓮が奔出した。
彼の命の半分が燃え盛り、闇の魔物を討ち滅ぼす太陽のようなエネルギーが燦然と花開いていく。
僕はすぐ傍でその光景を見届ける。強く、美しく、そして――
――僕は天使の役目を全うできただろうか。
まだだ。彼を一人きりにはさせない。
この手は緩めない。
燃え尽きるとしたら、一緒に。




