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● 057 対話Ⅱ/少女Ⅷ/ラストナイト


 もう間もなく、僕たちにとって最初の戦争が終わろうとしている。


 カチ、コチ、と近代的な音が暗い部屋で刻まれていく。


 冴えた頭の中では数千の闇の怪物がぐるぐると渦を巻くように踊り続けている。


 忌むべき仇敵、陰魔を滅ぼすために最適化されつつある天使の頭脳が、およそ8時間後に迫った決戦の為に延々と戦いをシミュレートし続けている。ほとんど自動的に、終わらない悪夢のように。


 あと8時間。

 きっと、このまま、夜明けまで一睡もできない。

 横になったまま夜が明けるのを待つのは流石に退屈だ。

 じりじりとした緊張感もあるのでもどかしさもある。


 高校入学試験を思い出す。

 あの日も、結局一睡もできないまま夜を過ごし、でも眠気はなくて、妙な頭の冴えで試験を乗り切った記憶がある。


 だからきっと、明日も大丈夫。

 このまま眠れなくても、静かに横になっていれば問題ない。カチコチと時間が過ぎるのを待てばいいのだから…。



「…アキラさん、起きていますか?」

「はい」



 隣のベッドからエディ君の声が届く。とても遠慮がちに。なので前言撤回。彼の為ならいくらでも簡単に言葉を翻そう。



「眠れませんか?」

「どうしても…、その…」



 半身を起こし、そのままトテトテとベッドの間の距離を渡り歩き、エディ君の傍に行く。


 添い寝とハグ、どっちがいいかな。

 とりあえず軽く手を握って反応を窺う。


 …ん、少し震えている。



「ごめんなさい…。どうしても…」

「大丈夫です、僕がこうしていますから」



 どうしても体の震えを止められなくて、無理して震えを止めようとして余計に体が強張ってしまっているようだ。

 これも一種の悪循環。リラックスできないまま朝を迎えるのはよくないだろう。


 なのでそっとハグをしてキスすることにした。

 ベッドの上で丸まったままのエディ君の隣にお邪魔して、そっと唇を合わせた。


 また無闇に謝りそうだったので、有無を言わさないようにもう一度キスをした。


 触れ合うだけのキス。幼い親愛の口付け。


 ついでにもう一度。

 もう一度。


 エディ君の震えが段々と収まっていく。その事実がとても誇らしく、嬉しい。


 なのでもう一度。

 もう一度…。



「ぅ…」



 どうやら観念したようだ。ふふん、僕の勝ちだね。

 勝者の特権として添い寝を所望します。もぞもぞと同じ毛布の中に潜り込む。

 大分温まって柔らかくなったエディ君の体に寄り添う。

 特定の一か所が柔らかいままなのはほんの少しだけ不本意。ちょっとくらい反応してくれてもいいじゃない、と思ってしまう。


 ああ、僕ってば随分と女の子らしくなったなあと感慨に耽りながら、愛しい男の子と体温を重ねる。うん、これでいいのだ。何の問題もない。


 にぎにぎ。ぬくぬく。

 


「僕が女の子でよかったです」

「それは、どういう…?」


「もし僕が男の天使だったとしたら、こういうふうにエディ君を励ますのは無理ですから」

「…男同士の友情というものも、あると思いますよ? もしアキラさんが男性だったとしても、きっとアキラさんなりに気弱なボクを励ましてくれていたと思います」


「ふふ、そうですね、もし僕が男だったら…、こういう眠れない夜はエディ君を外に連れ出して、気が済むまで剣を打ち合ったかもしれません」

「夜中にアキラさんと剣を…、それはとても楽しそうです。きっと救われます」


「そしてきっと、その後は一緒にお風呂に入って仲良く汗を流したはずです」

「男同士でも一緒にお風呂には入りません…」


「そうですか?」

「そうです。公衆浴場でもない限り、一人ずつ入るのが普通です」


「お風呂に関してだけは、エディ君は随分と強情ですね」

「もしかして、まだ諦めてないんですか…?」



 むー、という至近距離のジト目が可愛い。調子を取り戻してきたようで一安心だ。



「ともかく、エディ君が男の子で、僕が女の子である以上、こうして仲良くするのはとても自然だということです」

「自然…」



 おや、まだジト目が続いている。何か不服があるのかな?


 問い詰める代わりに不意打ちでキスをする。

 また顔を赤くして、そういうところですよ、という目線の返答。ふふ、可愛い。


 ……。

 あれ、僕がしていることって、もしかしてかなり犯罪的なのでは?


 今さら過ぎる疑問。今は深く考えないようにしよう。問題ない。きっと。多分セーフ。



「エディ君は、僕が女の子でよかったと思ってくれていますか?」

「う…、そういう質問はズルいです」


「でも、満更ではないですよね?」



 ノーコメントの防御態勢に入ったエディ君にお休みのキスをする。今夜は何回キスをするだろう。最高記録を更新するかもしれない。



「眠れそうですか?」

「アキラさんのせいで難しいです…」


「エディ君も言うようになりましたね。嬉しいです」

「もう…」



 またキスをする。もう一度、もう一度…。




  ◇◇◇




「眠れません…」



 むむむ、少し想定外だ。せっせとちゅっちゅと100回以上はお休みのキスをしたのにいまいち効果が薄い。

 となると…。



「ひょっとして、頭の中がぐるぐるしていますか?」

「えっと、黒いのがずっと頭の中で動き回ってて…。アキラさんもですか?」


「はい。明日が明日なので、頭が妙に冴えてしまっています。自分ではどうしようもなくて、眠れなくてもどかしいですよね」

「はい…」



 やっぱり僕と同じように、頭脳がフル稼働して加熱状態に陥っていた。

 あと一日とはいえ、過労傾向を示す状態でもあるから楽観視はできない。


 それでもキス連打の甲斐あって、緊張状態の方は治まって体が良い具合に脱力できている。

 最悪このまま眠れなくても夜が明けるまで目を瞑っていればコンディションは少し悪い程度で納まるはず。


 でも、それでは天使の沽券に関わる。たとえどんな形でも、天使の僕が陰魔相手に敗北を喫するなんてことはあってはならないのだ。

 添い寝でもキスでも駄目なら…。



「…エッチなのは駄目です」

「むむ…」



 くそう。それを封じられると弱い。とりあえず裸になってエディ君の抱き枕になろうと思っていたのに、出鼻を挫かれてしまった。

 

 仕方ない。エディ君は本当に真面目な人で、決してロリコンではないので(12歳バージョンの僕が明らかにストライクゾーンに入っていたのは、さておき)、体を張った献身は自重しておこう。


 空が白み始めるまでにはまだまだ時間が残っている。

 どうしようかな。

 豊富とは言えない人生経験と知識を総動員して次善策を模索する。要は、使用率100%のまま下がらないメモリを一旦鎮められれば良い訳だから…。


 子守唄とか寝物語とかはどうだろう。

 ううーん。一見良さそうだけど、今は意味がほとんどないような気がする。単に寝付けないだけならともかく、頭が働き続けている状態で歌を聞かせても煩いノイズにしかならないのでは?

 それなら、静かに横になっていた方がましだろう。

 仕事をしたつもりの自己満足ではダメなのだ。気を付けよう。にぎにぎ。



「エディ君は僕にしてほしいことはありますか?」

「してほしいこと…、ですか?」


「はい。遠慮せずに何でも言ってください」

「何でも…」



 こういう時は基本に立ち返る。つまり、相手が何を望んでいるのかという主訴が大事だ。それを疎かにしては、結局一方通行の自己満足で終わってしまう。

 もし何も望んでいなくても、それはそれで構わない。大人しく負けを認めて、夜が明けるまでこのまま二人で横たわっていよう。



「ボクは…」

「はい」


「こうして、アキラさんと話をしていたいです」

「話を?」


「はい」

「分かりました。エディ君はどんなことを話したいですか?」


「話の内容は何でもいいんです。こうして、アキラさんと話をしている時が一番幸せです」

「っ…」



 それは予想外の言葉だった。

 エディ君は僕とのコミュニケーションを望んでくれている。言葉を交わすことそのものに幸せを感じる。エディ君はそういう男の子なんだと、もう3ヵ月も一緒にいるというのに、ようやく僕は理解できた。


 天使になってから身体的接触を好むようになった僕とは違って、エディ君は会話を重んじている。


 僕と話をしたいと言ってくれる。


 何故か、その事実がとても新鮮で、無性に嬉しい。



「じゃあ、しりとりでもいいんですか?」

「はい、もちろんです。寧ろしたいです。しりとり」



 ほとんど照れ隠しで冗談めかしてしりとりを提案したら、予想外に食いつきが良くて更にびっくりしてしまった。

 そして、小さな頃に両親としりとりをした思い出を今でも憶えていて、時々夢に見るんです、と恥ずかしそうな小声で思わず胸を締め付けられる。


 その仕草。その、表情。

 もう、ずるいなあ。自覚がないのかなあ。



「それじゃあ、先手はエディ君に譲ります。なんでも好きな言葉をどうぞ」

「えっと…、アキ…、ん、『天使』から、お願いします…」


「…人の名前とか、固有名詞は禁止にしましょう。その代わり、古代語はセーフで」

「わ、分かりました」


「『天使』の[ru]ですね。『レモン』」

「『カボチャ』」



 頭が過熱状態になっているせいでぽろっと告白しそうになったのかな、と内心ドキドキで受け流しつつ言葉を繋げていく。



「『リンゴ』」

「『リス』」


「『鉛筆』」

「『赤』」


「『薔薇』」

「[ル]…、『リボン』」


「『カラス』」

「[ル]、『眼鏡』」


「じゃあ…、『サファイア』」

「また[ル]…。えっと、それなら『蜃気楼』」


「[ル]ですね。『胞子嚢』」

「えっと、[ピャ]、[ピャ]…、『膵臓』。あっ」


「[ン]で終わったのでエディ君の負けです」

「うぅ、嵌められました…」


「くす。意地悪してごめんなさい。じゃあ二回目は勝ち負けに拘らずに、できるだけしりとりを長く続けてみましょうか」

「それは面白そうですね。やってみたいです」


「次は僕からでいいですか?」

「はい」


「じゃあ…、『エディ君』」



 キスをする。挨拶のように。心を込めて。

 性懲りもなく身体接触をしてごめん。我慢しきれなかったんだ。許してくれるかな?



「…エディ君?」

「…もう」



 ほとんど何も見えない暗がりの中、エディ君はとても穏やかで、優しい表情をしていた。

 


「ルール違反です」

「にぁ…?」



 一瞬、何をされたのか僕は理解できなかった。


 だって、目の前の男の子が僕の頬を優しく摘まんできたから。

 悪戯好きの友達か恋人に仕返しをするように。


 頬を摘ままれるのは勿論、悪戯に反撃されるのも初めてだった。

 それどころか、こうしてエディ君の方からまともに触れてくることさえ…。



「アキラさんは…、天使様でも、まだ子どもなんですね」



 まるで、初めて気づいたというような眼差し。とても優しくて、温かみのある声。


 そしてエディ君は頬から手を離し、今度は優しく頭を撫でてくる。


 僕は抵抗も反応もできない。理解が追い付かず為されるがままだ。

 そこまでされて、僕もやっと気付いた。やっと。



「…はい。僕はまだ子どもです」



 僕はまだ子どもだ。


 そして、私は好きだ。目の前にいるこの人が。どうしても。親愛とは別に。

 冗談ではなく。

 軽口でもなく。

 淡い想いでもなく。


 子どもでも。

 子どもだからこそ。


 本気の、本気で。



「ボクもです。しりとりをしたがるような子どもで…、やっと分かりました。ボクとあなたは、同じなんだって」



 胸が痛い。疼く。切ない。どうしよう、すごく恥ずかしい。まともにエディ君が見れない。暗くてよかった。顔が熱い。きっと赤くなってる。気付かれたくない。気付かれたい。どっち?分からない。言葉が出てこない。どうすればいいのか分からない。



「アキラさん」

「は、はい」


「アキラさんは、何かボクにしてほしいことはありますか?」

「してほしいこと…」



 さっきとは立場が逆の質問が僕/私の耳をくすぐる。

 僕/私の望み。

 僕/私の願い…。


 ……。



「…もう少し、頭を撫でてくれますか?」

「分かりました」



 止まっていた手の動きが再開する。サラサラな髪ごしに頭頂部やおでこの上辺りが優しく撫でられる。気持ちいい。落ち着く。

 僕/私の体の頂上が優しく刺激される。外側から、僕/私の輪郭が優しくなぞられている。

 小難しい言葉を持ち出すまでもない。


 幸せだ。



「次は、さっきみたいにほっぺたを摘まんでムニムニしてください」

「えっと、はい…。……。痛くないですか…?」


「だいひょうぶです。しんせんにゃかんかくで、うれしはずかしです…」

「そ、そうなんですね…」


「じゃあさいごに、はぐ、してください」

「……。はい」



 ぎゅ。



「……」

「……」


「……」

「…苦しくないですか?」


「はい。大丈夫です」

「よかった…」



 とくん、とくん。



「……」

「……」


「…エディ君も、いつもこんな気持ちになっていたんですか?」

「はい。毎晩、アキラさんにハグされる度に、僕はいつも救われていました」


「どうしてこんなに幸せな気持ちになるんでしょう」

「どうしてでしょう。不思議です。本当に…」



 ……。



「…『勇者』」

「アキラさん…? ……。『天使』」


「『ピアノ』」

「『猫』」


「『ラッパ』」

「『時計』」


「『マッチ』」

「『靴』」


「『湖』」

「『煉瓦』」


「『コーヒー』」

「『バッグ』」


「『グルメ』」

「『百合』」


「『花粉』」

「『パジャマ』」


「『夢』」

「『ひまわり』」


「『ハサミ』」

「『卵』」


「『瞳』」

「『指輪』」


「『カメラ』」

「『鉛筆』」


「『桃』」

「『鏡』」


「『星』」

「…『キス』」



 ちゅっ。



「『夕焼け』」

「もぅ…、『瑠璃』」


「言ったのはエディ君ですよ。『家族』」

「『唇』…、あ」



 ちゅっ。



「ぷっ。もしかして狙ってましたか?」

「違うんです。2回目は本当に偶然で…、あ…、聞かなかったことにして下さい…」


「っ、っ…、ちょっと待ってください。お腹が…」

「笑い過ぎです…。うぅ…」



 ……。

 

 …………。




  ◇◇◇




 夜明けは近い。


 とても穏やかな寝息に耳を澄ませ、幸せな時間に浸る。


 ずっとこうしていたいけれど、僕も少しは眠った方がいいだろう。



「…私はあなたが――」



 私はエディ君が好きだ。愛している。


 この大きくて温かな想いを行動で証明し続ける覚悟がある。もちろん、言葉もいつかちゃんと伝えよう。


 …これからは少女としての自分が体と心の多くを占めていくだろう。


 でも、僕をなかったことにしたくはない。だから、せめて少しだけ僕を残そう。

 男の僕はもうどこにもいないのだから。記憶にしか。そして、ごく当たり前のこととして、記憶は少しずつ薄れていく…。


 受け入れる時が来たんだ。

 私は、あの頃の僕に戻ることはできない。永遠に。記憶が連続しているとしても。連続した存在だとしても。

 不可逆的な断絶。それは死だ。秋月昭は死に、アキラが生まれた。


 時間がかかった方かな?

 どうだろう。そんなに拗らせたつもりはないよ。



「…私は、僕」



 それだけは変わらない。変えなくてもいいと思う。


 

「おやすみなさい」



 おやすみ、エディ君。

 おやすみ、僕。


 明日からもよろしく。










 

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