● 050 導師
「魔術について、どこまで理解している?」
開口一番。つばの大きな三角帽子を目深に被った年齢不詳、性別不詳の魔術師さんが尋ねてきた。
身に纏うのは深紫色をした三角帽子に、足元まで届く紫紺のローブ。両手には、親指以外に金、銀、銅色等の八個の指輪。顔立ちはとても整っていて、皴は一つもない。ローブと同じ紫紺の瞳。
状況整理をしよう。
一、今日は7月2日レヴァ日。安息日の昼下がり。
二、明日のウィバク黄昏領域深層部戦に向けて、小龍の宿でエディ君とごろ寝をして英気を養っていたら珍しく尋ね人の来訪を知らされた。
三、すわ毒薬の出番かと警戒をしながら玄関口まで降りると、前述通りの姿をした見知らぬ美しい人と目が合い、前述通りの質問をされた。
そう、美しい。
それが第一印象だった。
血色が悪く肌が青白いのに。唇も薄く、全く化粧をしていない。第一印象は男性に傾くも、よくよく見れば丸みを帯びた輪郭が女性のようにも見える。
それでも謎めいていて怪しい、ではなく、一目見てただ美しいと思える人。男性的でも女性的でもない、ただただ綺麗で優美だと感じた。
「間違っていたらすみません。リリアさんのお友達の『フーちゃん』さんですか?」
「そう。フーヤという。ちゃんはいらない」
僕と同じ答えに至っていたエディ君が確認し、抑揚のない肯定と否定が返ってくる。
言葉は感情のない表情同様、とても淡々としている。
でも寧ろ、そのような抑揚のない言動が静的な美しさを際立たせている。不思議な人だ。
高徳なトムとはまた違うタイプの『本物』の人だと感じる。トムが人徳なら、この人には高潔という言葉がふさわしいだろうか。
フーヤさん。7月頭にはテイガンドに到着すると前々から話題に上がっていた、リリアさんの古い友人だ。
僕たちの事情を説明し、すぐに天使会議(レヴァリア解放戦略会議という正式名称はあっという間に廃れてしまった。無念)に参加してもらいたいくらいに客観的な信用も主観的な信頼もできる人だという。そして、リリアさんの言葉を借りるなら、元宝石級ハンターで、魔導帝国の元王女様で、導師様。
レヴァリア解放を現実にするための、極めて強力で貴重な支援の手。その候補者。決して失礼な態度をしてはいけない。年齢を気にするのは厳禁。媚びへつらって下手に出るつもりはないけれど、緊張感をもって礼儀正しい態度を取らなければ。
「初めまして、ボクは――」
「自己紹介はいい」
「フーヤ様は――」
「様はいらない。それで」
「はい」
「さっきの質問。あなた達は、魔術についてどこまで理解できている?疑問に思うことは?」
て、手強そうだ。きっと、とても頭がよくて独自の価値観とルールを持っている人だ。いきなり一人で宿までやって来たのもフーヤさんの行動規範に則ってのことだろう。
頑張れエディ君。
「フーヤさん。とりあえず、リリアさんと合流しませんか?」
「そうしよう」
肯定にホッと一息。
けれど、僕たちがフーヤさんに全神経を注いでいた間に、宿の玄関前はちょっとした喧騒に包まれていた。
フーヤって、あの帽子、導師様だ、間違いない…、あの子たちとどんな…、という周囲のざわめき。
顔見知りになって擦れ違えば挨拶くらいはするようになったハンターの人たち以外に、驚くことに、街路を往来する市民の人たちも驚いた顔で足を止めている。
エディ君、知っている方ですか?
はい、知っています。物凄く有名で偉大な方です。
念話すら使わない以心伝心はこういう時に役に立つ。
どうやら、知らないのは僕だけのようだ。
リリアさんの特別親しい人ということで、敢えて『フーちゃん』のままで本名を確かめず、3つの肩書きについてもに深く考えないまま情報収集をしてこなかったけれど。
世情に疎い僕がエディ君の傍に居ることが吉と出るか、凶と出るか…。
◇◇◇
チリンチリン。
昨日ぶりのリリア魔法工房。
鈴が響いてすぐに「久しぶりフーちゃん」「久しぶり」「元気だった?」「健康」「先にユウ君とアキラちゃんに会ってたんだ」「そう」「お店閉めるから待っててね」「分かった」と旧友の二人が再会を仲良く分かち合うところを見守り(置いてけぼりになったとも言う)、そのまま奥の客間へと移動する。
「実演をしたいから外へ」
「ん、そうしよっか」
「俺も行こう」
フーヤさんの鶴の一声で、テーブルにつく前に外へUターン。そして当然の如くリューダさんが奥間から現れて合流した。
ぞろぞろと5人連れ立って東市門を潜り、草原へ向かう。先頭は無表情のフーヤさん。
友人同士のリリアさんとフーヤさんが無言のままだったので僕たちも無言で歩いた。そしてとても目立っていた。
拒否権はない。流れのままに。レットイットビー。
街道を外れ、何事もなく草原に出る。平和な散歩のように。獲物が来たかと顔を覗かせたグラスウルフがフーヤさんを一目見て動きを止め、雲を散らすように逃げていった。
「魔術とは、まず、破壊の魔法である。――《アイスボール》《アイスキャノン》」
唐突な詠唱と同時に、フーヤさんの掌から氷属性魔術が立て続けに生成され、誰もいない草原に射出された。
アイスボールはウィンドエッジやウォーターボールと同格の下級魔術、アイスキャノンはウィンドブレードやウォーターキューブと同格の中級魔術だ。
それぞれ、リンゴとスイカくらいの大小2つの氷塊が数十メートル先の地面に着弾し、硬い爆発音を響かせた。
小さなボールですら、たった一発で自動車を廃車にできる程の爆発を生じさせる。大きな砲丸は二階一戸建ての家屋を無慈悲に瓦礫へと変える程。
フーヤさんが言う通り、どちらも破壊的な魔法の大砲であり、それ以外の表現は難しい。
焦点を少しだけ合わせた天眼水晶によると、内包されていた魔力はボールがおよそ100、キャノンがおよそ800。
下級魔術で100エルネまで内包魔力を籠められるなんて、一体どれほどの練度が必要なのか。
そして中級魔術の800エルネはエディ君の全力に僕の加護の全力を合わせた聖剣最大出力448エルネを軽く超えている。
しかも、間違いなくどちらも全力ではない。あれがフーヤさんにとっての通常出力だろう。
以前カサンドラさんが言っていたことを思い出す。いかに天才児でも、何十年、何百年も生きた達人に勝つことは難しい、と。
「破壊力こそが魔術の本懐。人の天敵と戦う為に。――《アイスミサイル》」
氷属性上級魔術。内包魔力、約8000エルネ。
全長2メートルを超える筒状の氷塊がフーヤさんの横手に出現し、空高く射出された。大きく放物線を描き、数百メートル先に自由落下する。
耳をつんざくような轟音と共に、緑色に輝く草原の一角を真っ白に抉り取った。
同じ魔術を数発撃てば鉄筋コンクリートの高層ビルを崩壊させられるだろう。もし聖剣でこれ程の力を生み出せるのなら、きっとあの大蛇ですら――
「ここまで極められるのなら、有用性は否定はできない。――《アイスコメット・ギービア》」
半ば呆然と、固有名最上級魔術、とエディ君が呟いた。
僕も呆然としている。まさか、もう一段階が…。
お空に、お空に撃ってー!、とリリアさんが慌てて叫んでいる。
今までの魔術は全て遊戯だと言わんばかりの大魔術。桁違いの魔力が渦巻き、大きな三角帽子の頭上に集約していき、きっかり10秒後、およそ人との関係性が見出せないような氷の天球が青空に造り出された。
氷そのものではない。空想と言葉によって造られた、氷よりも遥かに低温で遥かに硬い魔力結晶。
内包魔力、70000超。
それは神話的な彗星として空想された、極めて強大な冷却エネルギーを内包した破壊魔法だった。
見ただけで確信できる。あれは魔術の極致。一つの到達点。内包されている魔力以上の破壊性を秘めている。
数万度、数億度の炎を凍らせられるのであれば、加熱力同様、冷却力にも上限はない…。
フーヤさんが軽く手を振る。たったそれだけで、凍てついた彗星が衝撃波と光の尾を残して直上の空へと飛び立っていく。
やがて、青空の中心で彗星が破裂した。街一つが滅びそうな音と冷気が僅かに地上に降り注いだ。
「炎の魔人も火龍も凍てつかせ、打ち砕く氷の彗星。直撃させられるなら、魔王ですら手負いにできる。――陰魔という、埒外の怨敵を除けば、だが」
フーヤさんは淡々と語った。僕たちを直視し、あくまでも無感動に。
「要は、個々の魔法が搭載できる内包魔力。その上限値。あなた達に足りないもの。違う?」
「いえ、違いません。フーヤさんの仰る通りです」
「そう。しかし、あなた達に限った話ではない。それは、数多くの幼い天才が陥る陥穽。十分な鍛錬と栄養と睡眠、そして時間経過だけが魔法を強める。その枠を緩やかに拡大させていく。どれほどの才覚があろうと、尽きることのない魔力を有していようと、未熟な若者が100年を生きる先達、1000年を生きる怪物に敵う道理はない」
「はい」
「稀に存在する、魔法能力を劇的に引き上げるアーティファクト…、魔法都市時代や魔導帝国時代の遺物が向こう見ずな童の手に渡る確率は如何ばかりか。勇者テルですら、十分な開花までに100年の年月を必要とした」
「テル様でも…」
「そう。最も偉大な勇者でさえも。ゆえに」
紫紺の瞳が僕たちを見据える。一体、どれだけの年月を生きてきた人なのだろう。今まで、これほどに圧倒的で透徹な視線を感じたことは一度もない。
「はじめの質問に立ち返る。魔術について、どこまで理解できている?その答えの如何によって、あなた達への支援方法が変わる。これは、一種の試験だと思ってくれて構わない」
◇◇◇
再びの、リリア魔法工房。その奥の客間。
リリアさん特製のハーブティーを頂く。ほっとする。美味しい。
ちらりとテーブルの面々を窺う。
あの問いから、フーヤさんは沈黙を保っている。表情は平静。不機嫌でも上機嫌でもない。
リリアさんとリューダさんは不思議といつも通りだった。今が日常の一コマでしかないように振舞っている。それだけ、フーヤさんと僕たちのことを信じてくれているのだろうと好意的に判断する。
そしてエディ君は…、答えに窮していてかなり苦しそう。答えの如何によってフーヤさんから受け取れる援助内容が変わり、ひいてはその結果が世界の命運にも影響するとあっては当然のことだ。
「エディ君」
「…アキラさん」
僕の考えでよければ。
エディ君は察してくれた。申し訳なさそうに、でも確かな信頼と一緒に頷いてくれた。以心伝心。
天使の僕が出しゃばるとすれば、今だろう。僕たちは二人で一つ。僕の答えはエディ君の答えだ。フーヤさんも、はじめから僕たち二人に向けて問い掛けていたから、僕が答えても大丈夫のはず。
「魔術が本当に空想と言葉によって紡がれる魔法なら、本当はもっと多くの可能性を持っているはずです。それこそ、人の空想と言葉と同じくらいの可能性を」
「ふむ」
前々から考えていたことを、思い切って一息で答える。
すると、フーヤさんは口の端を僅かに吊り上げ、初めて笑顔を見せてくれた。
「合格。しかし欲を言えば、もう一声欲しい」
ぐ…。比較的高度な日本的教養(ファンタジー知識とも言う)からカンニングして一歩踏み込んだのに、もう一声と来たか。この人かなりスパルタでは…!?
ええい、ままよ。
「だから、きっと魔術の力は破壊だけに留まりません。人が空想し、言葉にできることならなんだってできるはずです。例えば、魔力で時間や空間を作り出したり、精霊という新しい存在を生み出したり」
「ほぼ満点。時空魔術と精霊魔術について、どこまで理解している?」
「時空は、三次元空間と一次元の時間軸を合わせて四次元のものとして扱う概念です。計算可能なら、空想と言葉で組み立てることは不可能ではないと思います」
「その概念は、主塔魔法院でのみ教授されている知識だ。しかし、思索のみでも到ることは不可能ではないか。精霊は?」
「精霊のことは、実はまだよく知っていません」
「では最低限の知識を与えよう。精霊とは、魔力のみを原動力とし、人語を語る、幻のように定まった形のない存在だと言われている」
「…なら多分、精霊は人の空想と言葉から生み出された、知能を持った新しい生命です」
「ふふ…。天使、か」
辛うじて知っているSF知識から空想を広げ、ある程度は正しいだろうと思われる回答を思い切って口にする。
より深くなった彼女の笑み。昏い瞳。それでもやはり、美しいと感じる。
僕の背筋を冷汗が伝っていく。
「そう。空想の魔術は意図的に、ある意味では幼稚な破壊の術だけが教え広められ、そのような固定概念が植え付けられてきた」
「……」
「その理由について考えているな?魔導帝国の興亡に深く関わる真実が隠されているのではと。禁じられた魔術の深奥を知りたいか?知りたければ――」
「フーちゃん」
「む…。そうだな、ここまでにしよう。取り敢えずは」
平素な表情のまま、一歩どころか二歩も三歩も踏み込んできたフーヤさんに、リリアさんが最終的に待ったをかけてくれた。
思わず安堵の溜息が漏れる。
少し前世知識に頼り過ぎたかもしれない。四次元時空や人工知能の概念、それらのイメージは前提となる高度な教育を受けていなければ難しい。必要に駆られてのことだったので仕方がないとはいえ、調子に乗ってしまった感じも否めない。
エディ君に変に思われていないかな。心配だ。
「勇者エディンデル」
「はい」
「まずは時空魔術の『時間加速』を教えよう。術者固有の時間流を生み出し、通常時空に重ねることによって結果的に多くの時間を得る魔術だ。火力不足は速度と手数で補えばいい」
「はい。ありがとうございます」
「己のみを対象する為、消耗は比較的少ない。実用に値するかはあなた達次第。違う?」
「いえ、違いません。本当にありがとうございます、フーヤさん。きっと、これで…」
「礼は不要だ、新世代の勇者。私はまさに、このような時のために生き長らえてきた。この時、この場所に私が存在している。それこそが私の報酬だ」
「フーヤさん…」
何でもないことのようにフーヤさんは言った。
「ただ望み、託す。未来を」
「はい。必ず」
「いい返事だ。では――」
――時間が惜しい。私の授業は厳しいぞ。
フーヤさんは薄い笑みを浮かべ、囁くような声でそう付け加えた。
僕は少し後悔した。
好意的なその笑顔こそ、今までで最も美しく、最も恐ろしいものだったから。やはり前世知識をひけらかして調子に乗るべきではなかったのだ。
頑張って、とガッツポーズを贈ってくれるリリアさんと、ひたすら沈黙を保ち続けるリューダさんの同情の眼差しが強く印象に残った…。
◇◇◇
結果。6時間以上、ほぼ休憩なしのスパルタ式集中訓練のお陰で、下級時空魔術『タイムアクセル』を習得しました。
とてもめでたい。
ああいや、この世界にはスパルタは存在しないので別の言い方をした方がいいね。
フーヤ式集中訓練だ。フーヤ式鬼訓練だ。
うぬぬ、鬼教官め…。
本当にああまで徹底的に、遠慮というものを排除してくるとは。
ほら、可哀そうにエディ君なんかすぐベッドに突っ伏して、頭が茹って死にそうになっている。
それどころか、全身がタコみたいにふにゃふにゃになって半死半生の状態だ。
いっそ楽にしてあげて、復活し直した方がいいんじゃないかと思うほど。
まあ、人のことは言えないんだけどね。
いっそ、一度殺して欲しい。
全身が死ぬほど怠い。辛い。
――回答で満点をもらった後、そのまま客間で行われた講義内容は、まさかの特殊相対性理論。
特殊相対性理論。
鬼教か…、フーヤ先生によると、時間の流れは絶対的なものではなく相対的なものであるという理解がタイムアクセル習得の絶対条件だという。時空障壁や瞬間移動等、更に高度な時空魔術を習得するには一般相対性理論と量子物理学も学ばなければならないとのこと。空恐ろしい。
前世知識と天使頭脳があるので、特殊相対性理論は何とか理解できた。エディ君は光速度不変の原理や相対性の原理で目を白黒させていたけれど、できるだけ数式を廃したフーヤ先生の懇切丁寧な説明である程度のイメージは掴めたようだった。さすがエディ君。天才だ。
そしてフーヤ先生も素晴らしかった。2時間足らずで『子どもでも分かる特殊相対性理論』を成し遂げてしまうなんて。素直に尊敬する。本職は教師なのかもしれない。
でも、問題はその後。
時間の相対性を前提知識として実施されたのが、時間を加速させる空想に魔力を注ぎ続けながら無限に往復ダッシュを敢行する、まさかまさかの体育会系トレーニングだった。他の魔法使用は一切禁止されたため、天衣も禁止。リリアさんから提供された運動服を着こみ、お店の近くにある空き地でひたすらダッシュし続けた。
空き地と言ってもちゃんとリリアさんの私有地で、将来新しい家屋を立てる予定で買っておいたらしい。そしてチラリと隣を見る。なるほど…。
訓練開始前の、えっと本当にここで?、というエディ君の表情が忘れられない。
当然、滅茶苦茶目立った。秘密の特訓でも何でもない。12歳ショタと10歳ロリが汗を滝のように流して空き地の端から端まで往復し続ける様を近所のご婦人や子どもたちに目撃されてしまった。
ねー、おねえちゃんたち何やってるのー。しっ、見ちゃいけません。お約束ありがとうございます。
こんな特訓で本当に時間を加速できるようになったらギャグではないか、と半ばやけっぱちになって筋力と魔力をぶん回し続けた。すぐに一万エルネが空転して無駄になった。魔法に失敗するとこういうふうに魔力が大気へ漏出してしまうのか、と知的好奇心が少しだけ満たされた。金額に換算すると500万レン以上が露と消えた。あまりに儚かった。
魔力が切れそうになると、経口補水液と共にマナ結晶がリリアさんから無償で提供された。ただし、フーヤさんの指示でネクタル水はなし。鬼だった。
壁にタッチしてターン!
壁にタッチしてターン!
時間よ加速しろ!
そして4時間経過し、走行距離100キロメートルを突破して限界を3回くらい超えた頃、本当に習得できてしまった。しまっていたのだ。エディ君と僕が同時に。何かが共鳴するように。
僕自身は変わらない。隣を走るエディ君も変わっていない。
けれど、鬼教官が手に持つ砂時計の砂の落下速度は約0.5倍まで緩やかになっていた。
すごいーアキラちゃんービュンビュンしてるよー、と間延びしたリリアさんの喝采が聞こえてくる。調子に乗ってVサインをしようとして滑って転がった。
ゴロゴロドカーン!
「共に、時間加速1.9倍。一主観秒間につき消費魔力約40エルネ。余程相性がいいのか、初心者にしては非常に性能がいい。あなた達ならできると思っていた」
慌てて起こしに来てくれたエディ君の背後に、隠し切れていないドヤァな表情が見えた。あ、実は愉快な人だ…。
この鬼がリリアさんの親友であるのにはちゃんと理由があったのだ。類友である。吐きそう。乙女の尊厳が…。
「二つ目の切り札を教える。今、何でもいいから魔法を全力で使ってみてほしい」
全力でと言われても死にそうなんだけど…、と本当に死にそうな気持ちでヤケクソ気味に光の結界を使ってみると――
――内包魔力1270エルネ。
結界に内包させられる最大の魔力量、つまり結界の最大出力が倍以上に上がっていた。普段よりも大きく、明々と灯る瑠璃色の結界に近所の幼児たちが寄ってきてぺちぺちと叩いてくる。ピカピカ光らせてあげると歓声を上げて喜んだ。
エディ君の方も、疲労困憊で今にも倒れそうな様子とは裏腹に、朱色の闘気がかつてないほど激しく輝いている。そして、恐る恐る木の枝を伸ばして火が付かないか試そうとする子どもたち。何事も試してみるのはいいことだ。
「枷を外して命を削れば、一時的に限界を突破することは可能。肉体が著しく衰弱している場合も、反比例するように各種魔法能力が限界を超えて上昇する。手法としては邪道だが、あなた達ならば有効に使えるだろう。今の感覚をよく覚えておくように」
なるほど、火事場の馬鹿力的な…。そう言われると、ピンとくるものがあった。
そう、安楽死兼ラストアタックでお世話になっている菫の流星。
死の間際にしか使えない特別な必殺技と認識していてあまり深く考えてこなかったけれど、あの威力を出力に換算すれば…、軽く限界を超えて数千エルネくらいは出ていたはずだ。
そうか、ヒントははじめからあったのか。女神様がちゃんと用意してくれていた。
結局は検証不足で努力不足。まだまだ精進が足りていない…。
「つまり、命を燃やせば…」
「勇者テルも命を対価とした極大の聖剣を切り札としていた。確か、そう『レーヴァテイン』と」
「レーヴァテイン…。どういう意味なんですか?」
「不明。私が知る限り、同名の剣や人間、その他事象はこの世界に存在していない」
「……」
そんなこんなで、テル様の正体がほぼ確定するというオチで特訓パートはお開きになった。
ギャグ時空も展開可能なんて現実っていうのは懐が広いなあと認識を新たにしつつ、プルプル震える体に鞭打ってネクタル水に手を伸ばした…。
「ネクタル水、マナ結晶は使用禁止。意図的に限界突破を果たすには心身の極限状態に慣れておく必要がある。魔法にも奇跡にも頼らず、時間経過による体力回復、魔力回復に努めるように」
うぐ。本当に鬼教官だ。それはまあ、確かに今までは死んで復活する度に魔力枯渇も疲労も帳消しにされてきたけど…。
……。
……。
はい、分かりました。従います。
よろしい。
鬼教官は以心伝心すら鬼のように強かった。
「それにしてもあんな妙ちきりんな特訓、ホントに成功する見込みあったの?」
「魔術は想像力と精神力に依拠する。いかなる模索も可能性は零ではない。試す価値はあった」
「本音は?」
「びっくりしている。奇跡。数理の秘奥かそれ以上の神秘に触れていれば不可能ではない、というレベル」
最後の最後、情けとして宿まで送ってくれた時に天使の耳が捉えた、リリアさんとフーヤさんの裏話。なるほど、ほとんど憶えていないとはいえ、神域辺境に至った経験がこんなところでも活かされたのか。無駄なことなんてない。僕たちはちゃんと自助努力できていた。
あとは、リリアさんが目下開発中の特製マナ結晶と時間加速装置が完成すれば、戦闘準備は現時点でほぼ最善のものになるだろう。
となれば。残る問題は…。
「エディ君、お疲れなら一緒にお風呂に入りませんか?洗いっこすれば負担は半分です」
「う…。大丈夫です。頑張って一人で入ります…」
宿に帰ってすぐにベッドに倒れ込み、ふにゃふにゃになっていたエディ君に下心なしで提案した。
僕自身心底疲れていたし、エディ君が風呂場で転んだり水没したりしないかも心配だったので、本当に下心なんてなかった。そんな誠意が伝わったのか、エディ君は少しだけ逡巡し、でも結局は死力を振り絞るようにお風呂に向かってしまった。
むう、残念。
こういうことに関しては本当に強情だ。でもそういうところも好き。
はあ…。エディ君の背中を流して労わるという大願はいつなったら成就するのやら。
12歳になってから、正真正銘の恋仲にならないと無理かなあ。
いやしかし、僕はどうしてもこの体でいる内に一緒にお風呂に入りたいのだ。
エッチな要素なしで、浄い心で彼を洗ってあげたい。
そして湯船でのんびりイチャイチャしたい。
えっ、下心が出てきた?邪心駄々洩れ?
そんなことないよ。
むにゃむにゃ…。
◇◇◇
そして明くる日の早朝。
一つの重要な事実として、8時間睡眠で回復する体内魔力がおよそ5000程度であることが判明した。僕のキャパシティはおよそ25000まで成長しているため、4日では全快できないくらいの量になる。
そう言えば、魔法鍛錬でもスライムハントでも魔力消費はせいぜい3000~4000エルネくらいだったので、今までずっと気付かず過ごしてきたのだろう。
様子を見に来たフーヤ教官に、たった一日で魔力が何万も自然回復する訳がないと言われた。ぐうの音も出なかった。
「一晩5000でも破格。高位魔術師が上級、最上級を連発できない理由」
フーヤ教官にとってもあの彗星は大赤字だったらしい。世知辛い。
ウィバクを解放した後は、遠方にある黄昏領域と復活の神殿を何度も往復するのは現実的ではない。将来的には、できるだけ復活に頼らずに戦い抜く方法を考える必要があるだろう。
そして残ったのは、ありきたりな自然現象のように引き起こされた激しい筋肉痛。まともに歩くことすらままならず、痛みに耐えながらエディ君に縋りついた。気遣わしげな表情とジト目が半々だった。体を支える時にどこを持つかかなり悩んでいたようだったから、照れ隠しが多分に含まれたジト目だったと信じたい。こんな時くらい、役得でさわさわしてきてもいいのに。
それから、一週間あまりがあっという間に経過した。
リリアさんとフーヤ先生は満を持して時間加速装置『アクセルリング』の共同開発に着手。ほとんど七日七晩、お店の工房から出てこなかった。
その間、僕たちは先生の言いつけを守って完全に復調するまでネクタル水もマナ結晶も使わず、ハントも解放戦も休んでひたすら静養と軽い鍛錬を繰り返す日々を過ごした。
比較的退屈で、幸せな毎日だった。
そうとしか言えない。




