● 042 奇貨Ⅰ(2)
その後、リリアさんの案内でリューダさん宅に向かった。
リリア魔法工房から一区画隣にある三階建てアパートメントハウスの一室へと何の躊躇もなく足を踏み入れるリリアさん。あの、せめてノックをした方が。
リューダさんは少し狭い居間で銀色に鈍く光る長槍を手入れしながら寛いでいた。
女性用の小物が目立たないように置かれた独身男性の部屋。僕もエディ君もアダルティな空気に気が付かない振りをするのに少し苦労した。耳、ほんのり赤くなってるよ、エディ君。
そうか、とは僕たちの正体を知った時のリューダさんのリアクション。
大げさすぎず、さりとて話を信じていない訳でもない、子どもを労わるような大人の優しい表情が素敵だった。僕もこういう顔ができる大人になりたい。
勝手知ったるとばかりにリリアさんが淹れてくれた紅茶が4人分行き渡ってから、エディ君と僕からウィバク黄昏領域解放戦の経過報告を行った。
出資を願い出る以上、ここを疎かにする訳にはいかないので、なるべく具体的に。
個人的に計算している戦闘効率については細かすぎるので省くとして、記録に残している消費魔力量とマナ結晶の使用状況について開示する。
◆◆◆
終末戦争
戦地:ウィバク黄昏領域
目的:封印されている陰魔の殲滅、及びウィバク黄昏領域の解放。
戦闘要員:勇者クエーサー・エディンデル、天使アキラ。
殲滅対象:陰魔約78000体(兵士級・戦士級・騎士級・楽士級・神官級)
新暦5004年4月30日
第1回ウィバク黄昏領域解放戦。撃破数200体。また、これより前にエディンデル単身で450体を撃破済み。
5月4日
第2回解放戦。撃破数366体。守護印1個使用。以降、守護印により騎士霊が参戦。
5月7日
第3回解放戦。撃破数396体。五等級マナ結晶2個、守護印1個。
5月10日
第4回解放戦。撃破数504体。五等級マナ結晶3個、守護印1個。
5月14日
第5回解放戦。撃破数519体。五等級マナ結晶4個、守護印1個(マナ結晶5個目の使用で戦闘不能)。
5月17日
第6回解放戦。撃破数1003体。消費魔力約3600エルネ。四等級マナ結晶4個、守護印1個。
5月21日
第7回解放戦。撃破数1320体。消費魔力4620エルネ。四等級マナ結晶6個、守護印1個(四等級の使用限界)。
5月24日
第8回解放戦。撃破数1535体。消費魔力5518エルネ。四等級マナ結晶6個、守護印1個。
5月28日
第9回解放戦。撃破数2003体。消費魔力6309エルネ。四等級マナ結晶6個、守護印1個。
撃破累計8296体。
◆◆◆
改めてこうして見ると、戦いは順調に進んでいると思う。聖術の練度が順調に上がっていてるし、キャパシティの伸びも良いし。それに、特にマナ結晶の恩恵が大きいことがよく分かる。四等級でこれだけ貢献しているのだから、副作用のない三等級を山ほど使えたら一体どれだけ戦果を伸ばせるだろう。
「……」
「……」
おや?
リリアさんもリューダさんも黙ってしまった。
報告した内容について何らかの反応が欲しいのだけれど。どうしよう、もう少し詳しく数字を出した方が――
「もう、仕方のない子たち」
「むぎゅ」
「わぷっ」
エディ君と二人纏めて、両腕を広げたリリアさんに襲撃された。間違い、ハグされた。
幾ら胸が豊かで心地よくてもギュウって締め付けてくるので息が苦しい。やはりこれは襲撃と言ってもいいかもしれない。
「本当に困っちゃった。色々言いたいのに、言葉にならないから」
「リリアさん?」
独り言を呟いたリリアさんの名前を呼んでも事態はあまり進展しなかった。更にむぎゅむぎゅと抱き締められる。困った。
「どうすればいいのかしら。こんなに可愛くていい子たちなのに、勇者様と天使様だから常識があんまり通用しないし」
「はい」
「はいじゃないの。もう」
「ごめんなさい」
どうすればいいだろう。
なにかやっていましたか?
と、そう聞けばいいのだろうか。言い方がちょっと上から目線で傲慢な感じがしないだろうか。
エディ君はどう思いますか?
すぐ傍で同じように抱き締められているエディ君に視線を送る。ずっと無言のまま、真っ赤っかのいっぱいいっぱいだった。この大人おっぱいは難敵のようだ。微笑ましいと同時に、ちょっとじぇらしーを感じる。
「リリアの言うように常識が通用しない領域の話ではあるが…、5000から6000の魔力総量は青銅級パーティーに匹敵するか、それ以上だ。さらに言えば、魔物の大量発生や魔族による侵攻が起きない限り、たとえ黄金級や宝石級でも一日の討伐数が4桁に達することは滅多にない」
僕が記憶から引っ張り出して書いた数字の羅列に目を落としたまま、リューダさんが溜息をついて静かに告げてくる。
なるほど、そういう比較はとても参考になります。
「これほどの激戦をこの短期間で何度も繰り返してきたというのは、俺から見ても極めて驚異的だ。…すまない、この記録を目にするまでは、正直甘く考えていた。恐らくは勇者なのだろう、とは思っていたがこれ程とは…」
「あ、いえ」
「えっと、ボクはむぐ(ぎゅう)」
「もー、2人ともどうして嬉しそうにしてるのー。反省が足りないわ」
「反省、というと」
「私たちにもっと早く相談するべきだったってこと。違う?」
「違いません…」
「違いまむぐ」
「よろしい。本当に大丈夫?無理してない?」
「はい、大丈夫です。エディ君と話し合って決めたことで、無理はしていません」
「本当の本当?」
「本当です」
「そう…。よかった。でも、絶対無理しちゃダメよ。そして何かあったらすぐに相談して。約束」
「はい。約束します」
むぎゅうとされた上にそんな声で窘められたら頷くしかなかった。リリアさんが言いたいことは分かるし。
週二か週三で休みを入れているとはいえ、客観的に見て戦い詰めで死にまくりなのは確かなので、こうして心配されるのは申し訳なくて、嬉しい。
僕としては無理のないペースだと思ってるけど、大人から見れば無理し過ぎなのかな?
エディ君はどうですか?
本当は辛かったりしますか?
ちょっと不安になって視線を送る。ぎゅうぎゅうと封殺されて茹って撃沈していた。南無。
◇◇◇
リリアさんの母性的抱擁攻撃から解放されて一息ついた後、改めて今後について相談する。
ちゃんと真面目な話なので、気を取り直して真面目に行こう。
まずはお金の問題。
より正確には『黄昏領域解放を可能とするマナ結晶の確保、及び出資者の募集について』となる。
要は、陰魔と戦うには大量のマナ結晶が必要だからどうにかしてたくさん用意しようという問題だ。
問題は、リリアさんとリューダさんが善意のスポンサーになってくれてもまだまだお金が足りないという現実だ。
ウィバクだけでも陰魔があと7万体以上も残っている。かなり少なく見積もっても、必要な魔力は100万エルネを超える。三等級マナ結晶に換算すると丁度5億レン。
現実を直視しなければならない。残る黄昏領域は36箇所。
軽く100億以上必要。
えっ、本当に?
…今日は突発的な会合だったので、出資してくれる額については返事を聞かなかった。
駄目です、聞きません。「とりあえず10お…」ノーです。億万長者のお金持ちでも、ちゃんとリリアさんとリューダさんの2人でよく話し合ってください。
「いくら勇者様と天使様の為でも、安請け合いしちゃ駄目ってことだよね。分かったよ、リューダ君とちゃんと話し合って決めるね」
「他のスポンサー候補についてはどうする?少なくとも一人、俺とリリアが全面的に信頼している友人はいるが…」
「ええっと、はい。迷惑でなければ…」
「迷惑なんと、全然そんなことないよ。相談しなかったら、むしろ今度は私が怒られるくらいだもの。連絡もせずまたあなただけで、って」
「くす、そうなんですね」
「そうそう、フーちゃんって言ってね、元宝石級ハンターで、魔導帝国の元王女様で、導師様で、でもすっごくいい子なの」
「では極秘裏に連絡を付けておこう。その分、合流は少なくとも一ヵ月はかかるかもしれないが、いいか」
「…ありがとうございます(魔導帝国の元王女様…)。そうだ、リリアさん。実はもう一つ、リリアさんに頼みたいことがあるんです。もう少し落ち着いてから相談してもいいですか?」
「えっ、私に? なるほどなるほど。うん、いつでもいいよ」
「はい、お願いします」
「?」
エディ君はハテナ顔だ。僕の個人的な相談事は流石に分からない様子。女子的な相談事なので秘密にせざるを得ない。ごめんね。でも、リリアさんが勝手に何を察したのかは分からない。
「リリアが暴走しないよう努める。何かあればすぐに連絡する」
「もー、リュー君、それは余計だよー。あ、じゃあ、通信水晶板渡しておくね」
「通信水晶板。もしかして、遠く離れた相手と話ができるマジックアイテムですか?」
「ふふ、さすがアキラちゃん。大正解」
「お値段は…」
「秘密♪」
そういうことになった。
うん、とても順調な滑り出しだ。
世界を救うための話し合いにしては和気藹々としすぎていて何かの同好会のような趣きがするけれど、オンオフを切り替えて真面目な時は真面目にすれば問題ないはず。そうだ、次はトムも呼ばないと。
「これからも、黄昏領域解放を目指す会議を定期的に開きましょう。ただし、無用なトラブルを起こさないよう、できるだけ秘密裏に」
「賛成!ふふ、天使様公認の神聖な秘密会議だね」
なるほど。そういう見方ができるのか。神聖な秘密会議。ちょっと面映ゆい。
では、今日の話し合いはこれで…、えっと。
その視線は何でしょう。
議長は僕!?
何を冗談を…、…ふむふむ、僕の見た目はどうであれ、女神様に遣わされた神聖にして真正の天使が誰かの下につくのは体面上よろしくないと。それにさっきのまとめ方もすごく議長みたいだったし「アキラちゃんは大人びてて賢いし!」、あ、はい、ありがとうございます。なるほど。えっと、エディ君もそう思う?そっか。まあ、挨拶と司会進行のお飾りでもいいのなら…。
◇◇◇
暗い部屋の中、エディ君をベッドに腰かけさせて、正面から向かい合って抱擁し、ゆっくりと何度も頭と背中を撫でる。さすり、さすり。
言葉なく、静かに。
エディ君はじっと、まるで祈りを捧げているかのように。
最後に、そっと彼の額にキスをする。
おやすみ。
どうかいい夢を。
 




