● 040 継戦Ⅲ/転回
新暦5002年5月28日カイア日、終末戦争、第9回ウィバク黄昏領域解放戦。
出撃一回の撃破数が1000を超え、敵残存数は7万近くまで減っている。
未だ打開策の見えていない敵は三種。
黄昏領域の中心部に封印されている神官級、砂漠の地下に潜む楽士級、そして言うまでもなく、幾度も辛酸を舐めさせられた騎士級。
神官級については今は置いておく。
楽士級障壁体が周囲の陰魔に付与する青黒いバリアは騎士級の約4分の1に相当する耐久力を持っている。楽士級増幅体も同様に、赤黒いオーラは騎士級の約4分の1に相当する攻撃力を陰魔に分け与える。
楽士級による戦力増強の限界値は陰魔の階級が上がる毎に倍々で増えていく。
具体的には、兵士級は楽士級2体、戦士級は4体、騎士級は8体、そして神官級は32体まで。
例えば騎士級が楽士級の支援を最大限まで受けたなら、増幅体8体と障壁体8体ずつから効果を得て、丁度騎士級2体分の攻撃力と耐久力が加算されることになる。つまり戦闘能力が従来の3倍まで跳ね上がる。
最下級の兵士級でも騎士級の半分の戦闘能力を獲得し、戦士級は騎士級丸々1体分の戦闘能力を追加で獲得することになる。
騎士級と同等の耐久力を持った戦士級の大群や、通常よりも3倍強力な騎士級のミサイルやレーザーなんて悪夢でしかない。
辛うじて付け入る隙があるとすれば、楽士級の力が及ぶ範囲は半径300メートル程であり、効果を受けた陰魔の移動速度や攻撃頻度は変化しないという点だろうか。
エディ君によると、手つかずの黄昏領域に存在する楽士級の割合は全個体数のおおよそ3~4%であり、そのほぼ全てが中層部と深層部の地下に存在しているらしい。
また、騎士級は全体の24~26%。光壁付近の表層部では小隊単位で巡回している程度だが、中層部では中隊規模で行軍し、深層部では大隊規模が迎撃体制を保ち続けているということだ。
つまりウィバクの奥地では2340体から3120体の楽士級と、軽く1万8000体以上の騎士級が待ち構えていることになる。
その分、兵士級と戦士級は外側の表層部に多く分布している。
無論、神官級は深層部に。
ほぼ全ての黄昏領域がそのように表層部・中層部・深層部の三層構造となっているのは、強力な陰魔ほど奥深くに閉じ込めようとする天盤結界と、陰魔自体の本能的な防衛機能との相互作用によるものらしい。結界が陰魔軍団を三分割にしているのではなく、神官級と騎士級の大部分を中心部に抑え込まれた陰魔が自ずから戦力を三分割して防衛体制を取っている。
騎士級との戦闘が本格化する前にどれだけ僕たちが成長できるか。
地中の楽士級にどう対処するか。
問題は山積したままだ。
◇◇◇
騎士級が現れるまでの第一ラウンド。侵入地点から天盤結界に沿って時計回りゆっくり移動しながら、群がってくる兵士級、戦士級を倒し続け、合計撃破数は既に570強。魔力消費量はおよそ1220。
戦闘効率と戦闘速度の最高記録を更新し、極めて順調に戦闘継続中。
光の加護による魔力供給機能に支障なし。余力あり。
騎士級が進行方向の斜め後ろから現れる――騎士級の接近を素早く察知するため、絵図の索敵範囲は2.5キロメートルまで広げられている――騎士小隊編成数は9体。最小構成数。幸先がいい。
第二ラウンド開始。
一つ目の四等級マナ結晶を使用。体内の魔力樹が200エルネ分の長さだけ不可視の輝きを取り戻す。
ほぼ同時に守護印のペンダントが光り輝き、三名の守護霊様が召喚される。
騎士級小隊に背を向け急速発進。騎士級をわずかに上回る速度で時計回りに飛び、接敵する兵士級、戦士級を可能な限り殲滅していく。
〈進行方向から騎士級小隊第2波、計10体が接近中。同時に、楽士級6体確認。騎士級付近の地表から、地下約50メートルです!〉
遂に、楽士級陰魔と遭遇。
絵図の光球では、薄い緑色の光線で描かれている砂漠表面の下部に6つの光点が灯っている。
〈楽士級は稀に表層部地下まで彷徨い出てくるとテル様から聞いたことがあります。今までは一度も遭遇してきませんでしたが…〉
この遭遇は偶然で、必然の一度目だ。今までが運が良かっただけだと受け入れる他ない。
絵図だけでは障壁体と増幅体の区別はつかない。目視できたとしても、その二種は全く形状をしているため識別は極めて難しい。例えば、増幅体3体、障壁体3体の場合は、周囲の陰魔全てが最大で騎士級の0.75倍に相当する攻撃力と耐久力を付加されている。
つまりその場合、黒色レーザーや追尾ミサイルの威力が1.75倍になり、同時に射程範囲も1.75倍長くなっているということだ――距離約1.8キロメートルで翼獣体が黒炎弾を9発発射――辛うじて迎撃と防御に成功するが、明らかにミサイルの飛翔速度と爆発力が増大している。
そして距離約520メートルまで接近した瞬間、蹄獣体が黒槍閃を4本投射――本来の射程は300メートル。300×1.75=525――増幅体3、障壁体3で確定。光の結界を最大出力、最大圧縮。金属音に似た轟音を響かせ、エディ君と僕に2本ずつ着弾。1.75倍の威力を秘めたレーザーに結界を削り取られるも、身体までは届かない。幾度の戦いを経て、僕の結界も聖剣に負けないくらい鍛え上げられている。
目視。10体の騎士級と数十の戦士級、数百の兵士級が青黒いバリアと赤黒いオーラを身に纏っている。6体の支援型陰魔がある程度の距離を取って点在しているため、かなり広範囲に増強効果が及んでいる。
強化された大群を真正面から相手にすれば魔力を大きく消耗してしまう。しかし、地下50メートルに隠れている厄介な敵を、一体どうやって倒せばいいのか。さすがに聖剣でも、砂漠ごと地下深くまで斬ることは――
〈アキラ様――、アキラさん。試してみたいことがあります。上手くいけば地中の楽士級を一撃で倒せるかもしれません。合図をしたら、天眼の視界範囲を楽士級がいる地下まで広げてくれませんか?〉
〈分かりました〉
これだからエディ君は凄いのだ。
僕が答えに辿り着けなくても、自分で考えて答えを見つけることができる。
賢くて勇敢な男の子。
エディ君はこの世でたった一人の勇者で、ヒーローだ。
〈アキラさん、その、そんなにキラキラした目で見られると…、もしかしたら失敗するかもしれないので…〉
〈その時はその時で、別の方法を考えればいいんです。失敗は成功の母です。気負わずに行きましょう〉
〈あ…、はい。ありがとうございます。見ていてください。失敗しても次に活かせるよう、全力を尽くします〉
〈はい。見ています。すぐ傍で〉
うん、いい笑顔。惚れちゃいそう。おっともう惚れてた。静まれ僕の乙女回路。
〈実物の真剣のイメージに囚われず…。魔法の剣に必要なのは、薄氷よりも薄く、鋼鉄より強固な…〉
――翼獣体が闇の魔力を凝縮させてミサイルを再装填し、次々と僕たちに向けて投下する。防御は可能。大量の魔力消費は無視できない。
――未だに点のように小さく見える、赤黒いオーラと青黒いバリアをまとった騎士級蹄獣体が再び黒色レーザーを収束させていく。しかし、充填速度までは強化されていない。そこに付け入る隙がある。発射まであと5秒。
――爪獣体3体が爆風を伴った疾走を開始。脚力は1.75倍になっていて、恐れを知らない怪物のように猛然と空中を駆け上がってくる。騎士霊3名が前に出て盾を構えるが、このままでは押し切られるだろう。
〈聖剣は光の刃…。実体のない、女神様の恩寵、聖なる力…。極限まで…〉
強大な魔力を伴うエディ君の思念が僕のところまで届いてくる。
言葉が連なり、彼が両手で掲げ持つ聖剣が更に細く、薄く尖っていく。研ぎ澄まされた精神が赤い光を象り、極限まで洗練させていくように。
〈――今です!〉
天眼水晶。込める魔力を一気に増やし、世界を俯瞰する視界を一気に押し広げる。
網膜に映る平面的な視界とはまるで異なる立体認識情報――地下で蠢く闇の魔力の塊が捉えられる――の内、必要な映像のみエディ君へと送った。
〈天地を、全てを!〉
そして、一片の迷いなく、勇ましい裂帛と共に一条の清らかな閃光が灰色の砂漠へ振り下ろされた。聖剣の刃は砂漠へと吸い込まれる瞬間に今までで最も薄く、最も長く、そして最も鋭く光り輝き、俯瞰世界に厚みのない真の平面のような、鋭い扇形の赤い軌跡を残した。
キン、と一拍遅れて硬質な音が響く。
同時に、赤い軌跡と同一平面上に位置していた2体の楽士級が両断されて消滅した。2体を扇の端に捉える、必要最小限の斬撃角度を伴って。
残る4体の楽士級もまた、キン、キン、と必要最小限の角度だけ2度閃いた赤い軌跡に捉えられ、一泊遅れて次々と消滅していく。
そうして、3.2秒もの精神統一の後、比類なき『一閃』が一瞬で3度振るわれた。エディ君の体内から約180エルネもの魔力が一気に消費され、楽士級6体が消滅。一振りで60エルネ。最大射程489メートル。60エルネの一閃一つで2体撃破できるのなら、効率的には――
――ううん、客観的な分析なんて今はどうでもいい。
どうでもよくなるくらい、滅茶苦茶カッコいい!
やったねエディ君!
〈凄いですエディ君!パーフェクトです!〉
〈はい! このまま行きます!〉
楽士級が消滅した直後も、10体の騎士級は全く動揺を見せることなく全速力で接近し、再度攻撃を仕掛けてくる。どこまでも機械的な行動。
騎士霊様が前に出て爪獣体の黒刃爪と切り結ぶ。エディ君が空高く飛翔して翼獣体を切り落とし、すぐさま地上へと刃を振るって立ち並んでいた蹄獣体を斜めに切り裂く。最後に騎士霊様に抑えられていた爪獣体を背後から強襲し、殲滅を完了。
紛れもない完勝。
しかし、戦いはまだ終わっていない。喜ぶのはまだ早い。
死ぬまで戦いは続くのだから。
2つ目のマナ結晶を使用。
後方から追いついてきた9体の騎士級との戦闘を開始。
切り返して直ちに殲滅し、3つ目のマナ結晶を使用。
第3波12体、第4波13体と時間差で交戦。同時に戦士級、兵士級の大群が乱入する。
このタイミングしかないというような僅かな間隙でエディ君が再び聖剣を両手で掲げ持ち、精神統一を行う。静寂3.2秒。のち、一度きりの一閃。必要最小限の角度だけ閃いた極限の真一文字。いつか地平線すら切り裂けそうな光の斬撃が、砂丘頂上で横並びになっていた蹄獣体4体を上下に分割し、黒い塵へと還した。60エルネ、射程502メートル。一体につき15エルネ。
直後に残る騎士級から攻撃を受け、余裕を持って防御。即時、射程約350メートルを超える連撃で反撃し、8体を撃破。約200エルネを消費。一体につき25エルネ。騎士霊様は大技を使わず、まるで僕たちの戦い方を見定めるように堅実に爪獣体を抑え込んでくれていた。
4つ目のマナ結晶を使用。
気分は最高。絶好調。
そしてエディ君もまた、勢いは最高潮に達していた。
まさに一騎当千。
もはや、彼とって地上で蠢く戦士級と兵士級の大群は多少の魔力を消耗させるだけの障害物でしかない。
第5波騎士級13体と正面から衝突、蹄獣体を射程320メートルの聖剣でレーザー射程外から撃破し、残りは全て100前後メートル前後で殲滅。消費魔力約240エルネ。一体につき18エルネ。
魔力消費のペースが速い。光の加護による魔力供給機能は既に全開となっている。それでもエディ君の消費速度に追い付かない。ここまで来たら、このまま行こう。止まる必要はない。5つ目、6つ目のマナ結晶を連続して使用。副作用による倦怠感が体中に広がる。飛行に支障なし。
第6波騎士級15体、及び第7波騎士級14体とほぼ同時に会戦。兵士級、戦士級も入り乱れ、過去最大級の乱戦となる。翼獣体のミサイルがいくつも空中で弾け、蹄獣体のレーザーが入り乱れ、爪獣体の爪刃が光の結界を削り取ってくる。ミサイルの全てを受けて騎士霊様が消え去った直後、砂丘を走る蹄獣体5体と上空で渦巻いていた翼獣体4体が2つの赤い軌跡と共に霧散した。殲滅完了。
息が切れ、意識が朦朧となっていく。殲滅速度が過去最高となり、エディ君のキャパシティ内が零に。彼への流出速度が全開を超える。急激な魔力低下。許容値を超える。精神が摩耗し、神経系が機能不全を起こし始める。
光と闇が全てになる。
でもまだいける。死ぬほど苦しいけれど、まだ死んでいない。
第8波11体の殲滅を完了。
天眼水晶で全てが見える。闇の塊が乱雑に集まっている。闇の嵐が視える。このビジョンはエディ君も見ている。時に流れに身を任せ、時に淀みを切り裂き、渦の中心で苛烈に光り輝いている。闇を切り裂いて無へと還していく。
第9波騎士級小隊9体を撃破。
第10波騎士級小隊12体を撃破。
第11波騎士級小隊10体を撃破。
第12波騎士級小隊15体の内、11体を撃破。
最後に、手を繋いでわずかに残った魔力から光の花を作り出し、騎士級4体を蒸発させ、陰魔の大群を引き裂きながら安らかな死を迎えた。
◇◇◇
――第9回ウィバク黄昏領域解放戦。
消費魔力6309
・エディンデル1504、アキラ3005、マナ結晶(四等級6個)200×6、守護印600
撃破数2003
・兵士級1236、戦士級618、騎士級143、楽士級6
撃破累計8296
復活後キャパシティ
・エディンデル1886、アキラ3720
聖剣の『一閃』――必要な内包魔力は一撃につき60エルネ。最大3連続攻撃。3.2秒間の精神統一を必要とするが、砂漠すら斬れる光の刃を作り出し、比較的少ない魔力で長射程範囲攻撃を行える。地中に点在する楽士級を撃破可能。騎士級殲滅にも有効。
エディ君の必殺技が編み出された結果、撃破数2003。
勇者的で劇的な成長により、撃破困難と思われていた楽士級の脅威が大きく減少した。
必死の思いで数百体を倒していた頃が懐かしい。
エディ君は最高で最強の勇者様だ。
「本当に上手くいってよかったです。前にリューダさんが教えてくれたことが聖剣にも応用できるような気がして」
「ぶっつけ本番で成功するなんて、エディ君は本当に天才です。本当にカッコよくて素敵でした」
「た、たまたまですから…。アキラさんの力がないと当てられませんでしたし、あんなに魔力を無駄遣いをしてしまいましたし…」
「無駄遣いだなんて、そんなことはありません。これはとても大きな進歩です。いえ、むしろ進化です。楽士級すら撃破する方法が確立して、戦いはこれで一気に軌道に乗りました」
「軌道に、ですか?」
「はい。この戦い方を繰り返せば、僕たちは必ず勝てます。そして、繰り返す度に僕たちは強くなります。たとえ砂漠の奥深くで数万の騎士級が待ち構えていようとも、その頃には僕たちは今よりもずっとずっと強くなっているでしょう」
「なら…」
「あとは時間の問題です。7万の陰魔全てがあなたの糧となって、いつか必ずウィバクの大地を解放できます。いえ、いつかと言わず、きっと一年以内に」
エディ君は言葉を失い、思ってもみなかった、というような表情をした。
「今まで本当によく頑張ってきましたね。エディ君の頑張りがあってこその勝利です。僕たちは勝てます」
「っ…。すみません、その…、胸が一杯で、なんて言えばいいのか、本当に分からなくて…」
よしよし。
本当によく頑張って来たね。
何度だって君を誉めるよ。何百回でも、何万回でも。
「……」
「……」
「アキラさん…」
「よしよし…」
「いえ、あの、そろそろ…、その、もう体が動くので…」
「今いいところなので、もうちょっとだけ」
「ええっ…!? あっ、だ、だめです、そんなに抱きつくのは」
「まあまあ」
「まあまあじゃなくてですね…?うぅ…」
ぎゅっとね。
思いの丈を込めて、ぎゅぎゅーっと。
◇◇◇
――そして、転回の時。
聖樹の森と草原を分け隔てる、光と影の境界でエディ君が立ち止まる。
何かを話そうとして口を開きかけ、でもどうしても言えないというふうに口を噤んでしまう。
エディ君はそれを三度繰り返し、とても辛そうな表情で俯いた。
「その、アキラ様。…アキラさん」
「はい」
「ボクは…。…………」
「…………」
長い沈黙。僕は待ち続ける。
「ボクには…、トム以外の、女神教の人たちとはもう関わりたくないという気持ちがあります。とっくに、僕はアキラ様と女神様に救われましたから。もう、これ以上は何も望みません。だからもう、あの人たちは勝手に自滅すればいいとすら、思ってしまって…」
エディ君は途切れ途切れにそう告白した。
遂に言ってしまった、と言わんばかりの罪悪感に満ちた表情で。でも、いつか明かさなければいけないことをやっと懺悔できたというように。
勇者になったエディ君を一年以上に渡って監禁し、自殺まで追い詰めた女神教の人間たち。
彼ら彼女らはここから遠く離れた最北端の神殿にいるという。
世界の中心に存在している大神殿とどのくらいの関わりがあるのかは分からない。どれほど強く罵りたくても、滅多なことは言えない。大結界を維持している神子様についても。
自滅すればいい。
それはエディ君が今までに口にした言葉の中で最も強い批難であり、相手の死すら望む拒絶だった。
そしてそれは、本来はエディ君に押し付けられようとしていた最悪の未来だった。あるいはもう、回避できた過去だろうか。
真に糾弾すべきは、エディ君を地獄に叩き落した元凶であり、この世界を危機に陥れた犯罪者たちだ。
万が一、億が一、どうしようもない事情があり、悪意がなかったとしても、当のエディ君が深く傷ついている以上、僕は決して許せない。
もうどうしようもない。よりによってどうして女神様を信奉する人たちが、という憤りが何度も頭の中で反復する。黒い憎しみが僕を手招きする。
きっとトムもエディ君の気持ちを理解している。だから今も、あの廃棄された教会でエディ君の帰りを待ち続けることしかできないのだろう。
「……………………」
再び長い沈黙が流れる。もう一度僕は待ち続ける。
どうして今、その話をするのか、なんて質問はしない。
言い切れずに途切れてしまった言葉がすぐそこにある。彼だけの、本心の底の言葉が残っていると理解できたから。
「でも、それだけじゃないんです。あの頃、僕が憎もうとしていたのは、あの人たちだけじゃなくて、テル様とボクのことを何も知らないまま生きている人たちで…」
沈黙は断ち切られた。
エディ君は胸に手を置き、祈るようにそっと目を閉じた。
「どうしても、人を信じられなくなったんです。ボクは、…本当は、人があまり好きじゃなくなってしまいました。それで、どうしても人と関わるのが苦手になってしまって。だから、ギルドでもお店でも、本当は表面を取り繕っているだけなんです。無害な子どもみたいに。アキラ様がいてくれるから、何とか頑張れているだけです。だから、本当は…。アキラ様が助けに来てくれなかったら、きっとボクは俯いたままで…、この世の全てを憎みながら、消えてしまっていたと思います。……。やっと…」
言葉にできました、と聞き取れないくらい小さな声で、寂しそうに。嬉しそうに。
うん。知ってたよ。本当は、エディ君はあまり人が好きじゃないって。上手に取り繕っているだけで、人付き合いが苦手で、人見知りをしてるって。だから僕は。だから…。
「決めました。帰ったらトムとリリアさんに本当のことを告白します。全部正直に話して、これからのことを相談します。テル様の跡を継いだ、世界でただ一人の勇者として」
エディ君ははっきりと言った。。
それは、いつか彼の口から告げられることを覚悟していた言葉だった。
僕の支えだけでは世界を救うには足りない。もっとたくさんの人の助けがいる。そんなことはずっと前から分かっていた。
僕の我儘で最善を放棄し、当たり前の現実からずっと目を逸らしてきた。
きっと誰も信じてくれないからという子どもみたいな言い訳を盾にして。
「…もう、大丈夫ですか?」
それはあまりにも優しい声だった。一瞬、僕自身の言葉だとは思えないくらい、心の底から相手を愛している少女の声だった。驚き、改めて気付いた。改めて。本当に。ああ、僕は、と。
「はい」
「本当に?」
「はい。全部アキラ様のお陰です。アキラさんがいてくれたから、ボクは諦めずに済みました。……。…でも」
「でも…?」
「本音を言えば、ボクは最後までアキラさんと二人きりで世界を救い切りたかった。どれだけ困難でも、どれだけ時間を無駄にしても。誰にも秘密のまま」
「僕もです。僕は、心の奥底では、ずっとエディ君と二人きりで戦いたいと望んでいました。エディ君を独り占めしたかったんです。愚かで汚い独占欲で――」
気付いたらエディ君にハグされていた。
初めて、エディ君の方から僕を抱き締めてきた。
ボクもです、と独り言のような告白が天使の耳に届く。
思わずエディ君を抱き返す。
何故か鼻の奥がツンとする。
どうして僕は泣きそうになっているのだろう。
「……、…………」
エディ君に何か言われような気がする。でも、その言葉はさっきの告白よりもずっと小さくて僕の耳でも聞き取ることができなかった。
こんなに密着しているのに。あまりに大きな心音のせいかもしれない。
もう、目を瞑るくらいしかできることがない。
言葉が出ない。
言葉にならない。
 
 




