● 004 降臨(3)
深い森の中をふわふわと飛ぶ。アイキャンフライ。
先導するエディ君の斜め上あたりの空中にはいつの間にか白い光の球が浮いていて、唯一の光源となって周りを淡く照らしていた。
「天衣には飛行能力以外にも色々な力が秘められています。基本的な身体能力の向上と、防刃防弾、耐熱耐冷等の強力な防護能力。それに疲労回復と自己治癒の促進もあります」
「とても実戦的ですね。この天衣だけでも並外れた戦闘力を得られそうです」
「はい。戦闘力、という言葉は的確です。成熟した勇者は世界で最も強力な戦闘力を持っていて…、天衣も、世界で勇者だけが使える魔法として知られています」
「勇者様だけが…。そんな魔法を僕が気軽に使ってもいいんでしょうか」
「アキラ様は光の女神様が遣わされた天使様ですから。勇者以上に特別な力が使えるのは当然のことです」
「……」
エディ君は饒舌だ。まるで自分の醜態を早く忘れ去ってしまいたい子どものように。
いや、むしろ大人のように、かな。あれだけのことが立て続けに起こったら、普通の子どもだったら、とっくに怒るか泣くか、感情を失うかのどれかになっていると思う。
非常識な僕に紳士的に接してくれるし。
エディ君はかなり精神年齢が高いと判断できるだろう。
見た目は12歳なジェントルマンだ。
…成熟した勇者、という言葉は気になるけれど、ここは聴き手に徹しよう。
「アキラ様は空を飛ぶのがとても上手ですね。とても今日が初めてとは思えません」
今度は褒めちぎり作戦とな。中々のイケメン君じゃないか。可愛いくてカッコいい上に強いし、優しいしで、完璧か?
「あのドラゴンと戦った時に無我夢中で飛んだので、それでコツを掴んだのかもしれません」
軽く会話をしながら軽く空中を上昇し、くるくるっとスピンを決める。
冷静に勇者君の様子を分析しているようで、実はこっちもかなりのハイテンションだった。ぶっちゃけ楽しい。
だって自由に空を飛べるんだよ? ふふーん!
「? エディ様?」
「あっ、その、すごく…い、いえっ、なんでもありません、ごめんなさい…」
人生初のトリプルアクセルを華麗に決めて、ターンして勇者君の隣に戻ってくるとまた顔を真っ赤にしていた。何故に?もしかしてパンツ見えたかな…。
「ええっと、これから、このまま森を抜けて、一番近くの町に行きます」
「はい」
「この聖域の森は相当広いので、飛んでいてもかなりの時間がかかります。なので今の内にアキラ様が知りたいことをお話ししたいと思うのですが…」
「分かりました」
そうだなあ。知りたいこと、聞きたいこと。うん、ありすぎて困るね。
では、まずはジャブから。
「この森には誰もいないのですか?」
「はい。この森は女神様が創造された勇者の聖域なので、勇者以外誰も出入りできません。でも今は天使様の聖域でもありますね」
「出入りできないというのは、そういう決まりというだけでなく、物理的にも?」
「その通りです。認められた者以外は、奇跡の力によって決して侵入できません。地下からも、上空からも。この世界では、そういう場所は特別に『聖域』と呼ばれています」
「なるほど…。死んで復活する時は、必ずここに戻ってくるのでしょうか」
「はい、ここからやり直しになります」
「裸で?」
「は、はい。復活するのは体だけです。着ていた衣服も含めて、持ち物は死んだ場所に落ちたままになります」
「そのあたりはちょっと不便ですね」
「あはは…。何度でも復活できるだけでも、途方もない奇跡ですから」
聖域、復活、そして奇跡か。本当、地球の日本では非日常的な言葉だ。
漫画やライトノベル、ゲームといったフィクションを除いて。
僕の知る限り、現実に本当の奇跡なんて存在しない。
存在しなかった。
ファンタジーとは偽りと同義だった。その最たるものが、魔法と奇跡。
でもこの世界では違う。魔法と奇跡が存在する現実だ。
現実。そう、現実。暗黒のドラゴンに殺された時のあの痛みは紛れもない現実の痛みだった。
そして、恐らくエディ君はあの死の痛みを今までに何度も…。
「当代の勇者…、と仰っていましたが、エディ様はいつから勇者様に?」
「2年前からです」
「ということは…」
「先代の勇者様は、多くの死と復活を乗り越えて200年以上戦い続けた本当に偉大な方です。直接稽古をつけて頂いたこともあります。たくさんの責務と苦しみを背負い続けて、2年前、闇の魔王の一体を撃ち滅ぼし、命を全うされました。ボクが勇者を継いだのはその直後からになります」
歴史。歴史か。先代の勇者。200年。
……。
よし、歴史的背景については保留しよう。さっきの話だけでも質問したいことは山ほどある。でもきっと、デリケートな部分が多いはず。いきなり踏み込み過ぎてもいけないと思う。
どうしよう、どんな話がいいかな。
空気を読まずに一発ギャグをかますのは…、やめておこう。うん。無難に行こう。
でも、シリアスで暗い話をするためには落ち着ける場所と精神的なエネルギーがいる。
何か無難な話題はないだろうか。
「そういえば、エディ様が浮かべているその丸い光はなんでしょうか」
「あ、そうでしたね。これは初歩の魔法で、魔術の『ライト』になります」
「魔術…。さっき言っていた四種類の魔法の一つですね」
「はい。魔術は空想と言葉によって紡がれる魔法で、天、地、水、火、光の五つの摂理を扱う五元魔術と、空間と時間を扱う時空魔術、そして精霊という概念を扱う精霊魔術の三系統に大別されています」
「なるほど。ではエディ様の光の聖剣や天衣は?」
「そちらの、光の女神様から与えられる特別な魔法は聖術と呼ばれています」
ふむふむ。どうやら魔術が一般的な魔法で、聖術は女神様から与えられる特別な魔法のようだ。
魔術。空想と言葉によって紡がれる魔法。すごく意味深な定義だ。そして天、地、水、火、光という5つの自然の概念。ファンタジーの基本中の基本である火風水土の四元素に光の要素を足した感じ…。なるほど、そういう考え方もあるのか。ううん、単なる考え方なんて軽い言葉ではなくて、その5つのカテゴリーがこの世界の伝統的な自然哲学であり、普遍的な概念なのだろう。
空想と言葉が魔術の元になっている。つまり、魔術の基礎になり得るような空想と言葉が共有されているということだろう。この世界で、人類に普遍的な概念として。
「僕にも魔術が使えるでしょうか」
あっ、しまった。
暴走気味に空想を働かせていたら、つい本音がぽろっと口から零れてしまった。
べ、別に恥ずかしくないし。これは中学生に特有な病気ではなく、全人類共通のロマンだから。空を飛ぶことが人類の夢の第一位であるように(達成済み)。そして、ファイアーボールとか、サンダーストームとか、王道ファンタジーの魔法はいくつあってもいい。テレパシーやサイコキネシスもあるのかな。
「勇者は聖術しか使えないということはありませんから、きっと天使のアキラ様もすぐに使えるようになります。飛びながらでも良ければ、今から練習しますか?」
「エディ様がよければ、ぜひ」
「分かりました」
「ありがとうございます」
くす、という笑みの音が似合いそうな優しい笑顔でエディ君は快諾してくれた。
ああ、本当にいい子だ。
僕はずっと、こんな子と友達になりたかったんだ。
ロリな天使でも友達になってくれるかなあ。
「まず、この世界は光の女神様に創られたので、魔術の才能があればライトは誰でも使えます」
「そうなんですか?」
「はい。女神様の恩恵により、地上には光の要素が満ちていますから。魔術に限らず、光の具現は全ての魔法で基礎中の基礎となっています。アキラ様、こういう丸い光を心の中に思い浮かべた状態のままで、体内の魔力を掌に集めてライトと唱えてください。これが最も基本的で確実な手順です」
「分かりました」
いくつかの疑問は置いておいて、言われたように精神を集中させて丸い光を思い浮かべる。
……。
魔力というのは、手足や胴体を流れている、この流動的なエネルギーのことだろう。天使になる前、地球で生きていた頃は全く感じたことのない力が体中で輝いているように感じ取れる、色のない光の筋のような流れ。あまりにも不思議な感覚だけれど、その感覚に素直に従い、その一部を片手に集めるように空想し――、魔法の言葉を唱える。
「――『ライト』」
ポン、という感触と共に小さな光が掌の上に出現した。
わあ。ファンタジー。
「わ。すごいです、アキラ様。誰でも習得できると言っても、余程の才能がないとこんなにすぐ魔術は使えません」
「エディ様の教え方が上手だったので」
ふふん、エディ君は褒めて伸ばすタイプだね。
僕ってば実は結構慎重派で自制的な方なんだけど、ここは素直に受け取っておこうかな。女神様がサービスで魔術の才能も与えてくれていたのだろうという都合のいい推理は脇に置いておきます。
「魔法の行使には想像力と集中力、そして精神力が強く左右します。つまり心の力というものが不可欠で、それは他の誰でもない、アキラ様ご自身の力です」
「僕自身の、心の力」
「はい。心がないと魔法は使えませんから」
「心がないと魔法は使えない…」
「はい」
「それは、とても素敵な決まり事ですね」
「ボクもそう思います」
ボクも、とエディ君が笑う。
屈託なく、まるで、一輪の赤い花のように。
「…例えば、この光の色を変えたりもできますか?」
「はい。空想と魔力次第で…、こんなふうに…。赤、青…」
「本当ですね…。まるで虹みたいで…。エディ様の魔法、とても綺麗です」
「っ…!?」
男の子相手に花のように、とか思ってしまうのは流石にどうかと自分でも思ったけれど、そういえば僕はもうロリ天使になってしまったんだったと開き直る。中々順応性が高いじゃないか、僕。
色々ありすぎてハイテンションになってるだけかもだけど、今はこの精神状態で押し通そうではないか。
一方、素直な感想を口にしただけなのに、面白い声を上げて驚いてしまったエディ君。
驚いたような顔で僕を凝視したかと思うと、空中でグラッと傾いてそのまま墜落しそうになった。どうしたんだろう。予想以上にダメージを受けている。こっちを見てまた顔が真っ赤になったし。
「大丈夫ですか?」
「は、はい…、いえ、そのあまり大丈夫じゃないです、ごめんなさい…。ちょっと待ってください…」
それからかなり長い間、ただでさえ暖色系の色彩の強いエディ君から顔の赤みが引かず、フラフラ飛び続けてこっちを見たりすぐに俯いたりで挙動不審になってしまっていた。
一体どこにクリティカルヒットしたのだろう。もしかして、あまり褒められ慣れていないのかな?
「そういえば、お腹の方は大丈夫ですか?」
「はい…。復活したら、体が一番健康な状態に戻るので栄養面は大丈夫です。でも、お腹は空っぽなので、またすぐにお腹が鳴ってしまうと思います…」
喋る余裕もあんまりない。重症だ。
後でなにかお詫びをしないと。何がいいかな。でもなあ、こんな体だからなあ。来たばかりで何も持ってないし。
ふーむ。
よし、夜になったらお風呂で背中を流して労わろう。