● 037 少女Ⅲ
二十二日目。二連休の二日目。紫のレヴァ日。
頭の中で昨日勉強したばかりの歴史が渦巻いている。
女神様の顕現、天使レヴァの降臨と犠牲…。
滅びた魔法都市と魔導帝国、セイヴリード同盟の結成、神聖セイヴリード帝国の建国と分裂…。
大結界と数千万の陰魔、36の黄昏領域…。
そして、八大魔王。三体の陰魔の魔王と、陰魔以外の五体の魔王。
陰黒龍ギラー。闇の魔王の一体。闇の魔神を守護し続けていると言われる、最大最強の暗黒龍。あの威容は今なお記憶に新しい。健在。
暗黒帝ザハー。闇の魔王の一体。深海に潜み、年間一万の陰魔を生産し続けていた。二年前に勇者テルの突貫により消滅。復活まで残り18年か。
漆黒蝶ベゼー。闇の魔王の一体。20年に一度の復活を繰り返し、都市に多大な被害をもたらしていた。術者共々、最高位の時空魔術により永久封印中。
腐食王ハルテリオン。原生の魔王。およそ一億個の核を持つスライム。新暦以前から生き残っている最古の魔王。レヴァリア南西部で休眠中。
白眼狼デューディア。魔物の魔王。前魔王ケイアスビートを食い殺して魔獣の頂点に立った。本能的で狡猾。現在は南東部の山岳地帯に潜伏中。
真龍妃エス・エリス。龍族の魔王。竜から龍へと進化した真龍の魔王。魔王の中で唯一、人類に友好的。北東部を支配下に置き、龍族過激派を抑え込んでいる。
鮮血姫フェアリエル。魔族の魔王。美しい人間の少女の姿を保つ。西部の都市を支配下に置き、人類の上位種を自称。セイグリードの玉座を狙っている。
巨人骸レッドクラウン。死者の魔王。突然変異体。龍族と魔族の間に生まれたとされる、呪われた巨人の死骸。北西部の樹海から神出鬼没で彷徨い出てくる。
天使の記憶力に頼って色々なことを詰め込み過ぎたかな。
沢山の固有名詞が頭の中で渦を巻いて踊っている。
なので、今日は本当にお休みの日にしよう。エディ君と二人でのんびりするのだ。
「エディ様、昨日はずっと部屋で過ごしたので、気晴らしに散策に行きませんか?」
「喜んで」
善は急げと、世界地図と一緒に買っていたテイガンドの地図をベッドの上に広げ、二人で散歩コースの吟味に入る。
「今いる小龍の宿が北東地区で…、銀星街もトムの教会も同じ北東地区ですね。街を出入りする時に通るのがこっちの東地区の東市門で…」
「リリアさんの魔法工房とハンターギルドのコンテナ集積場も東区にあります」
「ハンターギルドは中央区ですね」
「中央区には中央広場や市議会等、重要な公共施設が集中しています」
レヴァリア最南端に位置する辺境都市テイガンドは高く分厚い円型の市壁に囲まれ、東西北の三方向にそれぞれ大きな市門がある。
市壁の形は、正確には円ではなく、正十二角形。都市の内部は縦横を三等分した3×3の9マスの区画に分けられている。北西地区、北地区、北東地区、西区、中央地区、東地区、南西地区、南地区、南東地区の全九地区。分かりやすさ重視の区画だ。
僕たちの主な行動範囲は北東地区と東区、中央地区の3つ。
北東地区は富裕層が暮らす高級住宅街。やはりそうだったか…。
東区を含む東西南北の四地区は主に住宅街と商店街。
中央区には青空市場の敷地を含む広大な中央広場があり、その周りに主要な都市施設である市議会や市庁舎、魔法院支部、劇場、ホテル、教育機関、ハンターギルドを含む各ギルド会館、教会等が円状に立ち並んでいる。
他には、足を運んだことのない北西地区は区画の大半がセイグリード同盟軍(都市軍とも言う)の駐屯地で、南東地区は工業地域で大小様々な工場が密集しているようだ。
中央区を挟んで北東地区の反対側にある南西地区にはゴミ集積場と、大量の廃棄物で造られた貧困街があり、そこには決して近づかないでくださいとエディ君からお願いされている。大丈夫、分かってるよ(断じてフリではない。イベントを求める好奇心よりもエディ君の方がずっと大事だ)。
そしてテイガンドの街中には南地区から北地区までほぼ一直線に聖樹の森を源流とする清流が流れていて、5万人の市民の生活を潤している。
流量はやや少ないけれど、農業用水や工業用水は公務員の錬金術師が働いて必要な分だけ貯水しているから大きな問題はないようだ。ビバ魔法。
ちなみに、復活の神殿はテイガンドから見て南東方向に位置している。神殿は聖樹の森の中心地にあり、全体的に見るとテイガンドの方がレヴァリアの南北の中央線からやや西へずれている。
元々、ガンド平野の中央には大きな湧水の湖があり、その恵みによってガンドという数千年の歴史を持つ辺境都市が栄えていた。
けれど、歴史書に書かれていたように、今から130年ほど前の新暦4873年にウィバク黄昏領域が形成され、その影響もあってか南部地方で大干ばつと魔物の氾濫が重なった。勇者テルの奮闘空しく、最終的にはウィバクから最も近い辺境都市ガンドが滅亡。神聖な湖すらも干上がってしまった為、西に流れている川のほとりにテイガンドという比較的小規模の新都市が興されたのだという。
テイガンドの大きさで小規模だとすると、かつてのガンドはどれほどの威容を誇っていたことか。
実は、テイガンドの東側の草原では、そこかしこから朽ちてもなお立派な石壁や建物の一部が顔を覗かせている。ファンタジーなゲームではよくある光景。実際の歴史的価値は計り知れない。
重要な遺物は取り尽くされたようで、その他の遺跡の保全や発掘作業に労力を振り向ける余裕はないようだ。世界が平和になったら、考古学者によって日の目を見たガンド遺跡が世界遺産に登録されるような未来も訪れるかもしれない。
思い付くまま、そんな話をエディ君にする。
そうなったらとても素敵ですね、と歴史のロマンを優しく笑って肯定してくれた。魔導帝国の遺跡を追い求め続ける宝石級ハンターの冒険譚や、数多くのトレジャーハンターを飲み込んできたルナーナ螺旋迷宮、魔導帝国の秘宝が今なお多く眠るセイヴリード地下迷宮、スライム系モンスターと最上級素材が湯水のように湧き出る腐界迷宮等、ダンジョン談義で脱線しつつイチャイチャ語り合った。
「そう言えば、ハンターギルドがある中央区には何度も行っていますが、広場や他の建物をゆっくり見たことはありませんでしたね」
「えっと…、はい。そうですね…」
「エディ様?」
「その…、ごめんなさい。今までわざとそうしていた面もあるので…。あまり目立たないように、ハンターギルドの用事が終わったらすぐに帰るようにして…」
「悪い意味で、人目に付かないように?」
「…はい」
それはエディ君自身の為と…、僕の為に?
そう思ってしまうのは自惚れだろうか。
自惚れではないようだ。うん。エディ君の複雑な表情が全てを物語っている。
その日その日の目的地は事前に二人で話し合って決めているとはいえ、外を歩く時はいつもエディ君に先導を任せている。天使の僕はああだこうだ口出しせずについて行く。だから行き先はエディ君次第。僕としては、彼が望むならどこに連れていかれても構わないのだけれど。
うーん、どうしよう。身の回りの心配をしてくれるのは有難いし、本当に嬉しい。
安全を第一に考えるなら、町の中とは言え無闇に行動範囲を広げるのは止めた方がいいかな?変に目立ちすぎるのは色々とトラブルの元だしね。
リボンとハイカラな私服で着飾った僕たちはさぞ目立つだろう。
さてどうしよう…。
「アキラ様の身の安全は何よりも優先されるべきことです。でも、他の人の目を恐れて、アキラ様の自由を制限するというのも、ボクには耐えられません。だから、その」
「はい」
「不埒な人間にはあなたに指一本触れさせないと誓います。だから…」
僕としては割と気楽な感じで散歩について考えていたら、エディ君がかなり真剣な様子で僕の安全と自由について話し始めた。
僕を見つめ、宣誓するように胸に手を当てる。
「ボクと一緒に、この世界を見て頂けますか?」
「はい。喜んで」
新しい散歩コースを開拓するだけなのに、まるで一世一代のプロポーズみたいだ。大げさだなあ、エディ君は。過去の遺跡に思いを馳せた影響で、気分がちょっとロマンチックな方向に傾いたのかな?
「新しい散歩コースを開拓するだけなのに、まるで一世一代のプロポーズみたいです。エディ様は大げさですね」
影響は僕にも及んでいたようだ。
気が付くと、そのまま、思った通りのことを口にしてしまっていた。
「えっ…!?えっと…、いえっ、ちちがうんです。そういうことではなくて」
「そ、そうですね。ごめんなさい、いきなり変なことを言って…」
しまった、と思った時にはもう遅く、エディ君が予想以上に動揺してしまった。
そして何故か僕も動揺してしまった。自分の口から出た言葉が引き起こしたことなのに。
ちょっと気まずい空気が流れる。
どうしてこうなった。自分のロリ成分のせいだった。10歳ロリ天使が素直すぎる。なんという加速力。まさか超自我が置き去りにされるとは。
ううむ。
エディ君がこの天使の外面に魅了されていて、それに、多少なりとも『僕』のことを憎からず思ってくれているのは分かっているつもり…、なのだけれど。
童貞で処女の恋愛弱者には難しすぎる関係性だ。
恋愛を前提としない純愛?友愛?
感情面がかなり拗れている。ここまで来ると、寧ろ逆に体を張って慰めていた方がもっとシンプルに強い絆を結べていただろう。エロゲ的に。こほん。
いや、現状に不満は全くないし、女神様には心の底から感謝している。あくまでも仮定の話だ。それにもし僕が性交渉可能な肉体を得ていたとしても、自分から体を使ってエディ君を慰められたとは到底思えない。…多分。
駄目だ。またドツボに嵌ってきている。
問題視を複雑に考えるのではなく、もっとシンプルに、単純化して考えよう。
「エディ様」
「は、はい」
「難しく考えずに、こう考えてみてください。いわば、僕は女神様からエディ様に送られたパートナーなんです。僕を独占できるのはエディ様だけです。つまり、役得です。そういうふうに開き直ってみましょう」
「……」
おや、滑ったかな?
いっそのこと開き直ろうと思ったけれど、論理が飛躍しすぎたかもしれない。
「…パートナー…、独占…、役得…」
言葉選びに失敗しただろうか。考え方が現代風過ぎたかもしれない。
エディ君が今までにない衝撃を受けてしまったようだ。顔が真っ赤に茹ってフラフラしてる。申し訳ない。
パートナーじゃなくてコンパニオン、いや、バディー、ペット…。どれもしっくりこない。やっぱりパートナーがベストだね。
「うぅ」
「ふふっ」
そんなこんなで。
僕たちは更に仲良しになって(開き直って)、着慣れてきた私服を身につけ、手を繋いで外出した。
小龍の宿のある北東区から環状通りを伝って東区へ南下し、東西に一直線に延びる大通りを真っ直ぐ西へと進み、立派な各種公共機関が立ち並ぶ中央区へ。
ハンターギルドは東区寄りに立地している為、ギルド会館をそのまま通り過ぎて中央広場へと進む。これから先は未踏の地。大勢の市民と馬車の流れに身を任せ、青空に響き渡る賑わいの中心へと向かう。
既にこの時点で注目を集めているけれど、気にしない、気にしない。
ちらちら。ぼそぼそ。みてみて。
駄目だった。やっぱりちょっと気になってしまう。またまだ慣れが足りないようだ。皆そんなにロリショタが好きなのだろうか。
愚問だったね、うん。前の僕だって、今の僕たちを目撃したら思わず二度見していただろう。
ましてや、おとぎ話に出てくるような美形のロリショタカップルならなおさらだ。
だから、こうして注目が集まることに大した意味はない。大多数の人にとって、僕という人型、造形はその内見慣れるようになる対象でしかない。そう思おう。
首に守護印のネックレス、右手にエディ君の左手。僕を守ってくれている。
石畳の数は気にならない。
人の喧騒が左右を通り過ぎていく。
客を呼び込む声と笑い声。有名人らしき人物についての噂話。誰かが誰かを呼んでいる。雑踏の音に、扉が閉まる音。どんどん、がやがや。カン、カンという遠くから聞こえる金属音。
ふとエディ君の方を見ると、彼も前を向いて歩いていた。注目に晒されているせいで少し表情が硬い。
でも、足取りは確かで、僕の手をしっかりと握り返していた。
◇◇◇
丁度都合よく、休息日のレヴァ日は中央広場で週市が開かれる日だった。
見渡す限り一面に露店が並び、色とりどりの商品で溢れ返っている。
食材、刀剣、防具、衣装、雑貨、アクセサリー。一週間分の七色を揃えて購買意欲を掻き立てるように美しく並べられている。
露店を開く商人も市場を自由に練り歩く人々も七色だ。
表情も感情もファッションも様々で、そこらじゅうから喜怒哀楽の声が聞こえてくる。もうちょっと負けてくれよー、とか、冷やかしなら帰ってくれ、とか。商売は戦いでもあるんだね。
客寄せの目玉商品を除き、値段は大体数百レン~数千レンでお手頃価格。周りの売り買いの様子を見るに、これが一般的な物価のようだ。
やはり銀星街はかなり高級な商店街だった。物価が高い分治安もいいので不満は何もありません。
「お買い上げありがとうございました。本当によくお似合いですよ」
「ありがとうございます。いいものが買えて良かったですね、お兄ちゃん。すごくカッコいいです」
「アキラさんもとてもよくお似合いです。すごく可愛いです」
取り敢えず広場を軽く一周して、一つ400レンで売られていたペアのミサンガ風ブレスレットを購入。決定要因は赤と青の色合いと頑丈さ。これだけでも来た甲斐があったと言えるくらい。宝物がまた増えてホクホクだ。
「搾りたてグレープジュースを二つ下さい」
「まいどっ! 二つで800レ――」
「はい、二つ分のお金です。800レンでいいですか?」
「ま、まいどあり…」
ここからは休憩タイム。ちょっとぼったくり気味の搾りたてジュースを購入し、広場の隅に置かれていたベンチから市場の様子をのんびり眺めることにした(一生もののミサンガとジュース一杯が同じ値段だなんて、市場経済は不可思議だ…)。
「とても活気があって、見ているだけでも楽しいです」
「はい。本当に色々なものが売っていますね。来ている人も色々です」
一種の観光名所のようなものだろうか。人の天敵が都市外に蔓延っているこんな世界では、週市は貴重な憩いと娯楽の場でもあるのだろう。
家族連れの人たちもたくさんいる。
僕たちよりも小さな子どもたちが元気に走り回って楽しそうにしている。
あ、目が合った。うん、おはよう、気を付けてね。
「お兄ちゃん、どうしましたか?」
「小さな子に手を振り返してあげているアキラさんがとても可愛くて、癒されていました」
「エディ君は開放的になると口が軽くなるみたいですね」
「そうかもしれません」
優しい微笑み。ずるいなあ、エディ君は。
センシティブ問題さえ絡まなければ、本当に完璧な美少年だ。まあ、そっち方面でも対応が完璧なイケイケ美少年だったら、それはそれで大問題になるのだけれど。主に僕にとって。
そのまま、二人並んで市場の喧騒を静かに眺めて過ごす。
時間がゆっくり流れていく。
会話はないけれど、こういう雰囲気もとても好きだ。
すぐ隣にエディ君がいるし、ジュースも美味しいしで何も言うことはない(現金!)。
「言葉にするのはとても難しいです。こういう空気…、世界…。ボクの現実と、ものの捉え方をなんと言い表したらいいのか。楽観と悲観のどちらが正しいのか。何気ない光景に希望を見出せばいいのか、世界はこういうものだと斜に構えたらいいのか」
「僕もそうです。奇跡も魔法もあるこの世界が不思議で仕方ありません。でも…」
「でも?」
「女神様は、きっとこういう世界がなくなってほしくなかったんだと思います。神様の力を振るってでも」
「……。そうですね。ボクも、どうして女神様はボク達に…、人間にここまでよくしてくれるのだろうと思うことがあります」
「女神様に救われた時から、人は女神様を前提とした世界で生きなければならなくなったのかもしれません。良くも悪くも」
「良くも、悪くも」
「はい。僕もそれを言葉にするのは難しいです。絶対的な神様と、あやふやな人の…。でもだからこそ、僕たちが正体を明かしても案外あっさりと受け入れてくれるような気もします。段々とそう思えるようになってきました」
「…そうかもしれません。そういうことがあってもおかしくない、くらいの感じで。ちゃんと実績があれば」
「くす。やっぱり、ちゃんとした実績があることがポイントなんですね」
「はい。女神様の御威光の下、この世界には言葉では言い表せないような神秘的で苛烈な出来事が溢れていますから。いい意味でも、悪い意味でも。そしてだからこそ、ハンターギルドのように実力主義で、強く逞しい人たちがこうして…」
生きていて…、とエディ君は小さな声で続ける。
少し嬉しそうに。そして、少し悲しそうに。
「かつてウィバクの広大な田畑が陰魔に浸食された後…、テル様は何日も空を飛び続けて当時のガンドに食料を運び続け、少なくない命が救われたそうです。そして、ガンドが滅びてしまった後も、生き残った人達が懸命に努力してテイガンドを新しく築き上げたんです」
「それは本当に、言いようのない悪夢と、希望ですね」
「はい。テル様は当時のことを本当に悔やんでいました。勇者としてまだ未熟だった頃で、陰魔の侵攻を止められなかった、一人でも多くの命を助けたかったと、言葉少なく、本当に辛そうに話して…」
「……」
僕は何も言えない。言葉を持てない。
ここで全てをない交ぜにして言葉を紡げるのは、きっとエディ君だけだ。
「この平和も、この光景もテル様がくれた宝物です」
本当に嬉しそうにエディ君が笑う。
「ああ、そっか。だからボクは、この世界を守りたいんだ…。当たり前のことなのに、ずっと気付けないまま、ここに…」
寂しそうに自分の胸を押さえ、でも、いつか見たことがあるような、なくしてしまった大切な宝物をやっと見つけられたというような、安心し切った微笑みを浮かべた。
僕は、思わずその横顔に見入ってしまって――
――どくんと、大きく鼓動が跳ねた。
――ああ、僕は。
僕は何も言えない。言葉を持てない。
 
 




