● 032 少女Ⅱ
今日は黄色のサルファス日。地球で言う水曜日で、僕たちにとっては中休みの休日にあたる。
ごろごろ。
コンコン。
遅い朝食を済ませた後、部屋でエディ君と二人でまったり将棋をして過ごしていると、珍しく扉がノックされた。
そして、僕たちの所在を訪ねる声。
この声は宿の女中さんだ。大体の人とは顔と声が一致するくらいに顔馴染みになっているのでほとんどストレスは感じない。
どうしたのかな。
「はい、どうぞ」
「えっ?ちょっとま――」
「失礼いたしま――」
10代後半くらいの若い女中さんが静々と部屋に入ってきて――、その瞬間にぴたりと固まってしまった。
ん?
エディ君も何か言いかけて固まってる。
んー…、あー…。
「お休みの中、大変失礼しました。料理長がデザートの試作品をぜひお得意様のお二人にも召し上がって頂きたいと…」
「わあ、ありがとうございます。ぜひ食べてみたいです」
「それで大変申し訳ないのですが、食堂までお出で頂いてもよろしいでしょうか。料理長が、モモは鮮度が命だから早く召し上がっていただきたいと。ええ、料理長は本当に気まぐれで…」
「分かりました。モモを使ったデザートなら確かに傷みやすいですよね。すぐに行きます」
「ありがとうございます。お待ちしています」
ほんのり耳を赤くした女中さんが、顔を俯かせたままいそいそと退出してぱたりと静かに扉を閉める。
モモが傷みやすいのは酸化のせいだったかな?モモのケーキでは宝石みたいにゼリーでコーティングされてることが多いね。
…エディ君が固まったまま動かない。早く行かないと折角のデザートが傷んでしまうので、僕も現実逃避はこのくらいにしておこう。
「大丈夫です。エディ様。何も悪いことはしていませんから」
「この有り様をどう見られたかについてはフォローできないんですね…」
「それは、まあ」
「うぅ」
ベッドの上で、くんずほぐれつ一歩手前の子ども2人。
どちらとも肌着と下着だけの姿で、ほとんど役に立っていない毛布から4本の生足が絡まり合いながらまろび出ている。
人様には見られてはいけないくらいに露出面積と接触面積が大きい。
寝転がってごろごろしながら緩い感じでエディ君と将棋を指していただけなのに、被害は甚大だ。
アブノーマルと言えなくもないロリショタな光景に動揺してしまった女中さんが、いたたまれなさの余り突発的な事故の責任を気まぐれな料理長さんに負わせようとしたのも仕方のない話だろう。
そして、料理長からの好感度がどうしてこんなに高いのかは謎。最近、いつの間にか食後にデザートがサービスで付くようになっていたんだよね。料理長っぽい帽子をかぶったおじさんと何度か廊下ですれ違って挨拶をしたくらいなのに。エディ君の人徳のなせる業か、あるいは単に僕たちが小さな子どもだからか。
「ごめんなさい。軽率でした」
「アキラ様は悪くありません…。いつもなし崩しで誘惑に負けてしまう僕が悪いんです…」
「誘惑ですか…。僕のスキンシップはそんなに抗い難いですか?」
「ボクがどんな思いでアキラ様に手を引かれて、身を委ねているかを知れば、きっとアキラ様はボクを軽蔑します」
「軽蔑なんてしません。だから、毎晩一緒に寝たり一緒にお風呂に入ったりしましょう」
「それは駄目です。倫理的な問題です」
「むぅ…。お昼にくんずほぐれつはセーフなのに?」
「…はい。……。…そんなに可愛く抗議しても、ダメなものはダメです」
「可愛く?」
「だから、どうしてそこで疑問に思うんですか…?」
そう言われても、可愛く抗議するというのが分からない。僕はいつも真剣だというのに。それなのに可愛いと言われるのはちょっとばかり心外だ。
僕はオトコであることに拘ることはやめたけれど、オトコの心意気そのものを捨てたわけではない。
そう、貧弱な陰キャなりの男気は今もこの胸にちゃんと宿っている。もてない童貞ではあったけれど、せめて下を向かないように、無様な姿を見せないように、姿勢と言動にはそれなりに気を付けていたのだ。
だから、第三者から見れば、僕の一挙手一投足には可愛さではなく男気に満ちた威厳が宿っているはずだ。そう、威厳が。
何しろ僕は天使なので。女神様から遣わされた身として、威厳のない弛んだ姿を見せることは許されないので。
「エディ様。僕の仕草や表情はかなりオトコらしいですよね?キリっとしていて」
「???」
「どうして、いきりなり何を言ってるんだろう、みたいな表情をするんですか…?」
「アキラ様はとても可愛らしいですよ」
むぐぐ…。
◇◇◇
主観的なジェンダー像と客観的な少女像の差異について悩んだ分、モモのタルトは一層美味しく感じた。
可愛いなあ、可愛いしかないなあ、というエディ君と周囲からの視線を受け流しながら黙々とタルトを口に運んでいく。
いくら本当に可愛くても、可愛い可愛いばっかりしていたらいくら謙虚な僕でも調子に乗って天狗になってしまうということを分かっているのだろうか。いつかちゃんと言っておかなくては。まあ、今はいいかな。
ご馳走様でした。口が緩んでしまうのは美味しいデザートのせいであり、決して少女が板についてきたからではない、と思う(少女が板についてきたって。どんな表現だ)。
大体、エディ君こそこんなにも可愛いのに。頻繁に女の子に間違われている割には、自分の可愛さには無頓着のままだ。
こんなに可愛いのに男の子扱いしてほしいというのは、やはり卑怯では?
可愛いのに可愛い扱いしてほしくないと主張する女の子と、どっちが卑怯かな?
「…アキラさん?」
ニコニコ顔のエディ君の頬を指でつんつんと突く。
「あの、えっと…」
ほら可愛い。
笑顔から一転、恥ずかしそうな赤ら顔が堪らない。
言わないけど。
「アキラさん?」
僕の不純な心の内を読んだのか、ジト目の半眼になるエディ君。ふふ、可愛い。
「もう…」
ほら、そんなふうに満更ではない反応をするからどんどん調子に乗られてしまうのだ。つんつん。
押しに弱くて(センシティブなスキンシップ以外は)はっきりノーと言えない系勇者様だね、エディ君。それが君の弱点だ。
言わないけど。
◇◇◇
柔らかな日差しが降り注ぐ休日の午後。
「アキラさん、今日こそ服を買いに行きましょう」
「はい…」
午前中とは打って変わって断固とした意志で説得してきたエディ君に観念して、銀星街のアパレルショップへと向かった。
ここぞという時は我を押し通す決断力系勇者様でもあるね、エディ君。
とはいえ、僕はローティーンのファッションには全く通じていない。それはエディ君も同じだろう。予算も潤沢とは言えない。
なので、とりあえず一着だけ、ごくシンプルなデザインの服装を店員さんにお任せで選んでもらった。選択権を得られなかったエディ君は忸怩たる思いを抱いているようだった。そっとしておいた。
やけに神妙な表情をした店員さんが選び取った子ども用の半袖ワンピースとカーディガンを素直に受け取り、すごすごと試着室へ向かう。
着慣れた薄墨色のローブを脱ぎ去り、往来を歩くには勇気のいる天使の天衣を解いて一旦下着姿になり、頭から被る。頭からすっぽり被っていいんだよね?だってそうするしかないし。
姿見の自分を確認する。絶世の美少女が可愛らしい白いワンピースと水色のカーディガンを着て佇んでいる。うん、サイズもぴったりで、何もおかしくない。ワンピースに刺繍された、ちょっとエキゾチックなワンポイントシンボルがアクセント。いいんじゃないかな。文句なし。
ちなみに、天衣の付属品である白いローファーは消えずにそのまま残っていた。女神様、サービスしてくれてありがとうございます。
これで、いっぱしの町娘くらいにはなれたかな?
クルっと回って『自分』を見る。
どこからどう見ても可愛い女の子だ。
試しに、自分なりに『キリッ』としてみる。あまりできていなかった。『むっ』としてみる。あまりできていなかった。
可愛いが溢れていた。あれー?
うん、なるほど。こうなっていたのか。うん…。
気に病むことはない。自己の再認識はいいことだ。事故になってしまったのは不運だった。
衝突し、より一層、内面と外面がすり合わされて一致していくのを感じる。
僕は僕。アキラという名の天使であり、心は、ただの僕だ。エディ君の支えに支障が出ない限り、女の子っぽく振る舞う必要はどこにもない。自然体でいよう。
よし。
では、お披露目。試着室のカーテンを開けて、客観的な少女像についての意見を聞いてみよう。
「とてもよく似合っています。世界一可愛いです」
絶賛だった。世界一って。エディ君は大袈裟だなあ。嬉しいけど。
そして店員さんは無言でぐっとガッツポーズをしていた。文字通り拳を握って。
この世界の人って、実は結構ノリがいいよね。絶望的な世界観の割には。
でもニヒルだったりシニカルだったりするよりはずっといい。
もしかしたら、人類全体が女神様の影響を受けているのかもしれない。ほら、光の女神様はあまり威厳がない感じの神様だし。子は親に似るものだし。
だから僕にあまり威厳がなくても問題はない。ノープロブレムである。
おっと、エディ君。一世一代の大仕事を終えたみたいな表情をするのはまだ早いよ。
「次はお兄ちゃんの番です」
「えっ…、いえ、ボクはこのままでも…」
「ダメですよ?」
「うっ…」
そういう訳で、今度は僕も店員さんと一緒にエディ君に似合う服を厳選することにした。男物には一家言あるので。ごめんなさい、嘘つきました。衣料品を母親任せにしていた草食系男子でした。
結局エディ君の希望も聞いて、ゆったりとした白シャツと淡い色合いのジャケット、ダークグレーのズボンに決定した。薄墨色のローブ姿よりは男性度が増して、エディ君としても中々いい結果になったようだ。
女性的な巫女風天衣とは違ったスタイルで、これはこれでとてもいいと思う。
野生の小学六年生ではなく垢抜けた中学一年生の12歳だ。
ファッションに疎い僕でも分かる。
これはいいものだ。いい…。
あ、そうだ。この格好なら。
「お兄ちゃん、ちょっとじっとしていてくださいね」
ちょちょいのちょい、と。うん、上手くできた。店員さんに前に教えてもらったスキルが早速に役に立った。
「よく似合っています。カッコよくて素敵です」
赤色のリボンを結わえた、ポニーテールバージョンエディ君。素晴らしいと言わざるを得ない。店員さんも満面の笑みでうんうんと大きく頷いている。営業スマイルは完全に捨て去ったようだ。
「ありがとうございます。でも、その、赤いリボンは目立ちませんか…?」
「お兄ちゃんの瞳と同じ、茜色のリボンです。それに、僕のリボンも瞳と同じ藍色ですから。お揃いです」
「…そうですね。お揃いです。それじゃあ、僕もこれで」
「よかった」
エディ君が肩から力を抜いて微笑む。
その自然体がヤバい。カッコいい。
語彙力がなくなるくらいヤバい。
もし、エディ君が実年齢通りの14歳の少年に成長していたら。今以上にカッコよくなって途轍もなくモテていただろう。
流石に見た目12歳のショタに手を出そうとする人はいないはず。少年期における2歳の差は大きい。成長的な意味でも、社会的な意味でも。
たとえエディ君を狙う人がいたとしても、大人だったらお縄になるし、同世代の女の子なら正々堂々ライバルとして立ちはだかればいい。
ん?
ライバル?
立ちはだかる?
あれー?
店内の姿見に映る、10歳ロリの町娘姿の僕が僕を見つめてくる。新しい今世の僕。今の僕にとって前世は薄れゆく過去でしかない、と理解せざるを得ないほどの圧倒的な存在感を放っていた。
そして、新しい僕から『早く認めたら?』と言われているようにも、新しい僕に『もう認めるべきかな?』と問いかけているようにも見えていた。




