● 003 降臨(2)
「女神様は仰いました。天使と勇者は『どんな場所でどのように死んでも、何者にも脅かされない聖域へと還り、復活します』と。だから、きっと死んでも大丈夫です」
「…アキラ様も、生き返るのですか? 僕と同じで、死んでも…」
「はい。二人同時に死んでしまったら、多分その聖域という場所で同時に復活するのだと思います。だからずっと一緒です」
「……」
「エディ様?」
エディ君は目を見開いて驚いていた。僕が神殿に降り立った時に見せていた驚きの表情とも違っていて、それはまるで――
「ありがとうございます。――それだけでもう、ボクは救われました」
その言葉通りの、救われた子どもの笑顔だった。
「《光の聖剣》、《光の闘気》」
続けて、晴れやかな表情のまま、彼はそう唱えた。
空中に真っ赤に輝く光の剣が現れ、小さな手のひらに収まる。朱色の煌めくオーラが彼を包む。本当に勇者のようで、ううん、本当の勇者で、すごくカッコいい。
――《光の加護》
――《光の結界》
そして、エディ君が発揮した勇者の力を目の当たりにした後、僕の体の奥底から未知の言葉と力が湧き上がってくるのを感じた。
――これが、僕の、天使の力だ。
確信する。理解する。女神様が与えてくれた、勇者を支えるための奇跡の力。
だからそのまま、疑うことなく心の赴くままに力を全身から解放する。
「《光の加護》、《光の結界》」
エディ君の周囲に水色に灯る六枚の花弁が浮かび、大きな瑠璃色の球体が僕たちをそれぞれ丸ごと包み込んだ。水色の花弁の方が加護の力で、瑠璃色の球体が結界だと直感的に理解する。
そしてエディ君の隣に寄り添うと、二つあった瑠璃色の結界が自然と融合し、より大きな結界となった。これも、そういうものなのだと受け入れる。
暗い曇り空の下で四種類の赤と青の光が放射される。
巨大な暗黒の龍の眼下で、僕たちは小さく、けれど確かな光明となった。
「行きましょう」
「はい」
全く怖くない訳じゃない。怖いに決まっている。
それでも、勇気を振り絞って足を進め、一気に階段を駆け下りる。
一度進み出したのなら、もう止まることはできない。
フワリと二人同時に自然と足が地面を離れる。
くっついて一つになった双子の流星のように自然と空を飛ぶ。
怖くない。
このまま上昇して、真っ黒な怪物の頭に向かって真っすぐに飛んでいこう。
今、自分が最善の行動を取れているのか自信はない。
本当はもっとよく検証し、よく考えるべきなのだろう。これは自殺と変わらない行いで、蛮勇と言うべきものなのだろう。
でも今はこの勢いのまま、二人で突っ切りたい。
だって、いきなり絶体絶命の大ピンチって、燃えるからねっ!
「――!!!」
エディ君が言葉にならない叫び声を上げる。加護の力によるものか、僕たちの速度はあっという間に乾いた風を置き去りにした。
僕たちに向けて、遥か彼方のドラゴンが漆黒の息吹を吐き出す。
見ただけで分かる。
あれは生物を殺し尽くす死の息吹であり、光を消滅させる闇の霧だ。
闇が瞬く間に拡散し、瑠璃色の丸い結界と接触する。
あっという間もなく、結界は一瞬で溶け消えて光を失ってしまった。
朱色のオーラと水色の花弁が明滅し、世界が暗黒に閉ざされた。
残っているのは僕の心と体と、全身を蝕む激痛と、エディ君の真っ赤な剣だけ。
痛い。死んだ時と同じくらい痛い。
この痛みは現実のものだ。
「――!!!」
意識が死の恐怖に塗りつぶされる寸前、まだ幼い少年の叫びが僕の心を震わせた。
赤い剣が光線のように真っ直ぐ伸び、果てなき闇を切り裂かんとばかりに振るわれた。
僕も叫ぶ。
届け。
届け!
◇◇◇
光あれ、とこの世界の光の女神様は最初に言ったのだろうか。
気が付くと、僕たちは白い光が溢れる空間に横たわっていた。ここが聖域だろうか。ぼんやりとした意識のまま思考を立ち上げていく。
今、僕は素っ裸でエディ君と抱き合っている…。
すごい状態だ。
とても、すごい状態。イラストにしたら駄目なヤツ。
でもどうしようもない。
ものすごく体がだるくて、しばらく起き上がることができそうにない。
まあいいか。
エディ君はまだまだ小さな男の子だし、体も細いし、肌がすべすべで髪がサラサラだし、ぶっちゃけ女の子みたいに可愛いし。
事実、間近で寝顔を見詰めると女の子にしか見えない。
僕も問題ないよね。このくらい小さな体なら、性別なんてあってないようなものだよね。多分。
「うっ…」
あっ、エディ君が起きた。
「おはようございます」
お疲れ様。よく頑張ったね。
「…おはようござ…、えっ、あっ、ごごめんなさいぃっ!?」
「無理して動こうとしない方がいいですよ」
裸同士で抱き合っていることに気付いてわたわたする勇者君。でも体に力が入らなくてふにゃふにゃで、無理矢理動こうとするから余計に密着して手足が絡まってしまう。
くすぐったい。
「ほんとうに、ごめんなさい…。復活した直後はいつもこうなるんです…。もうちょっとで動けるようになりますから…」
目をぎゅっと瞑って、今度は体をカチコチに固めてしまって恐縮しまくりである。逆に、下半身の方の身に覚えのあるふにふにとした感触の方は全然反応してない。それだけで信頼度がうなぎ登りである。
「小さい体ですから。そんなに気にしないでください」
「わ、分かりました。すみません…」
エディ君はあったかいなあ、とか呑気に考えながら時間が過ぎるのを待っていると、次第に周囲の白い光が薄れていき、同時に全身に力が入るようになってくる。
エディ君の方はずっと変な顔のまま緊急停止していたので、自分の方から身を捩ってスルリと抜け出る。
復活する時に服は再生されないのかあ、すごく上等そうなワンピースとローファーだったんだけどなあ、と我ながら呑気なことを考えながら生まれたままの姿で立ち上がり、どんどん薄くなっていく光のヴェールの向こうへと目を凝らす。
前後左右のどの方向も大きな梢と枝葉で覆われている。
ここは…、森の中?
しかも、かなり深い場所の。
屋根のない小さな神殿のような石造の建造物を、樹齢千年は軽く越してそうな巨木と苔の絨毯がぐるりと取り囲んでいた。頭上は高く、隈なく木々の枝葉に遮られていて夜のように暗い。
一方で、周囲を染め上げる程に強い光を放っていた石の神殿はテレビ画面程度の明るさに落ち着き、原理不明の神秘的な光を失うことなくぼんやりと周囲を照らしている。
空気は苔に水滴が付いているくらいに湿潤で、言いようのない不可思議な雰囲気が満ちている。
聖域。もう一度、女神様の言葉が頭の中でリフレインした。
「エディ様、もういいですよ」
「はい…、っ…!? 全然よくないじゃないですかぁ!?」
「?」
「いえっ、ですから、服、服を!」
「と言われても、何も持っていないので…」
僕の方を見てまたすぐに慌てて目を瞑ってしまったエディ君。
素っ裸のさらさらのロリを真正面から目撃してしまった非ロリコン青少年の心労は推し量って余りある。犯罪者扱いされるリスクが限界突破するからね。
うん、ごめんなさい。
僕の方だって、決して露出狂という訳ではないのだ。ショタの裸体に興味がある訳でもない。ないのだけれど、こればっかりは仕方ないんだ。
復活できるだけでも破格で、これ以上贅沢は言えないので、まずは人間の祖先のようにまずは葉っぱを手に取るところから始めないといけない。幸い、葉っぱなら周りの木々からいくらでも手に入りそうだ。手ごろな大きさのものがあればいいけど…。
「…《光の天衣》」
そんなことを考えているとエディ君がもう一度奇跡の言葉(さっきから口にしている異世界言語とはまた別の言葉だ。口語の方が日本語だとすれば、奇跡の言葉はラテン語っぽい。多分)を唱える。
すると、なんということだろう、エディ君がついさっきまで着ていた紅白のスタイリッシュな魔法少女風衣装が光を放って空中から現れ、一瞬で彼の体を包み込んだではないか。
これはあれだ。変身、そのものだ。
「その、アキラ様も使えるはずです。ボクのこの天衣と同じものを身に付けていましたから」
「…なるほど」
――《光の加護》
――《光の結界》
――《光の天衣》
意識を頭の内側に向けると、エディ君が唱えた奇跡の言葉が確かに僕にも存在していた。
なるほど、天衣か。天衣無縫の天衣。あるいは天女の羽衣。
念のためにより強く意識を集中するが、他の手ごたえはない。
つまり、女神様から与えられた奇跡の力はこの三つ。
三種の奇跡に付随した知識によると、加護の力は勇者にしか使えない代わりに、彼の力を全体的に大きく底上げできる奇跡のようだ。つまり女神様の加護が付与される超絶バッファー。
結界は勇者にも天使の僕自身にも使える防護の奇跡。全方位型の球形のバリアだ。
そして天衣は自分の身にしか使えないマジカルな衣装を具現化する。あれだね、魔法少女だね。
僕自身に攻撃手段は一切ない。ここまで支援能力と防御能力に偏っているといっそ清々しい。求められている天使の役割がとても分かりやすい。でも、欲を言えば治癒の奇跡が欲しいな。もしかしたら、僕たちは死んでも復活できるから治癒能力は後回しにされているのかも。
うーむ。
どこまで地球産のファンタジー作品を参考にしてもいいだろうか。あるいは、参考にすべきではないだろうか。ここは女神様が作った現実世界。異世界。それを前提として、どうやって…
「アキラ様?天衣は使えますか?」
「あっ、ごめんなさい、つい考え事を。…《光の天衣》」
耳を赤くして背中を向けたままのエディ君に質され、慌てて魔法の言葉を紡ぎ出す。
すると、天使の体に秘められていた光が淀みなく解き放たれ、ワンピースのような天衣が瞬時に僕の身を包んだ。
ドラゴンの闇の息吹によって消し飛んだものと寸分たがわず全く同じ、白地に青い模様とフリルが散りばめられた天使のワンピース。白い靴下とローファーのオマケつき。加えて下着もこの魔法少女風衣装に含まれているようだ。ひらひらとした布地に隠れた内側の部分が素肌にぴったりとフィットしている感覚があり、全く不快感がない。オールインワンだ。
「もうこっちを向いても大丈夫です。とても便利で、素晴らしい力ですね」
「…はい。死んだ時は何も持たずに裸で復活するので、この天衣の魔法なしでは町に戻れませんから…」
やっと目を開けて、赤い顔のまま安心したように一息をつくエディ君。
逆にこっちは羞恥心がないので申し訳ない気持ちになる。
多少は恥ずかしがった方が良かっただろうか。でもそういう気持ちがなかったのは確かだし、演技してもなあ。わざとらしいと思われるかもだし。
うん、ここはスルーして話を進めよう。気になるワードが出たことだし。
「魔法、ですか?」
「ええと…、はい。人が行使する、神様の真似事をそう総称します。神は純粋なる奇跡を、人は劣化した魔法を。人が起こす不思議な力は全て魔法と言っても構いません。細かく分けると、魔法には魔術と聖術、仙術、錬金術の四種類があります」
「なるほど、この世界には色々な不思議な力があるんですね」
「アキラ様は、そういった知識も?」
「はい。詳しくは与えられていません。最低限、自分とエディ様が使える魔法と、この世界の言葉は理解できていますが、それ以外はほとんどまっさらです」
「…なるほど、それで…」
「なにか?」
「い、いえ、なにも!」
ふっ、分かるよ。平気で裸体を曝したのは僕に常識がないからだと考えているようだね。
ふふ、まさにその通りで全く反論できないね。
ロリの常識が皆無のTS天使です。ごめんなさい。
でもなあ。きゃっ、とか言って体を隠して恥じらう自分、本当にイメージできないもの。
――かつてこことは違う世界で生きていた男子学生で、転生したことを隠して天使の演技をするのはいいのか。
そういう自問が頭に浮かぶ。
自答。…セーフ。
自分自身を天秤に乗せた、神様との契約だから。全身全霊で天使の役割を果たす。その覚悟がある。
何なら墓場まで持っていってもいい。
僕はアキラという名前の天使であり、少女だ。そこに嘘はない。だから、まずは形から入ろう。
天使として、そして少女として振舞っていたら、いつか心もそうなってしまうのだろうか。物語でよくあるパターンだ。
…分からない。心が変容するのは少し恐ろしいと思ってしまう。
…同時に、それでもいい、とも。なるようになる、と。なるようになれ、という諦観とは少し異なる感情。
ああ、そういうところは、本当に僕は僕のままだ。