● 027 継戦Ⅰ
赤い聖剣の刃がくすんだ黄昏の空間を斜めに切り裂いていく。翼獣体の生き残りが両断され、その一瞬後に蹄獣体が袈裟斬りにされて消滅する。爪獣体は既に騎士霊が放った白い光波によって塵となっていた。
ここまでで、陰魔の撃破数は280を超えている。
そして今、三名の騎士霊の力を借り、騎士級小隊10体の撃破に成功した。
急激な魔力低下で体調に支障が出ないよう、今日は安全策を取って魔力消費のペースをやや抑えている。そのためエディ君の撃破速度は前回よりも落ちているが、危なげなく戦いを運ぶことができている。
感覚的には、ペース配分を考えた長距離走。これならきっと最後まで走れるだろう。
これが三度目の終末戦争であり、ウィバク黄昏領域を解放するための決死の戦いになる。今までで陰魔の大群と二度戦い、二度死んで、僕たちは確実に強くなっている。
エディ君の聖剣の切れ味が前回より僅かに増し、より少ない魔力消費で兵士級と戦士級を捌くことができている。天衣の飛行速度も含め、全ての聖術の燃費が良くなっている。
それに加え、戦いにおいて最大のネックとなる最大魔力量も戦う度に増加し続けているように感じる。魔力切れを起こした前回を1とすると、今日の僕の魔力量は一割増の1.1くらい。
陰魔を倒せば倒すほど、勇者と天使は強くなっていく。成長できる。それが僕たちの力。
それに、陰魔を直接倒しているのはエディ君だ。僕は光の加護と結界の維持しか行っていないから、お零れで成長できるだけでも御の字。
――体感で、僕の魔力は残り3割。
ここまでは、ほぼ前回までの焼き直し。
以前と同じならば、この後すぐに騎士級第二波がやってくる。僕たちはあと少しで命を落とすことになるだろう。
〈マナ結晶を使います〉
事前に打ち合わせていた通り、天衣の懐に忍ばせていた薄黄色の結晶を手に取る。
体内に残されている魔力を結晶を繋げると、まるで掌で氷が融解していくように、液体のようなエネルギーが体内へとみるみる吸収されていく。
やや鈍重になっていた体が軽くなる。
それは熱くも冷たくもない流れであり、見えないのに明るいと思えるような存在だった。
魔力とは『不可視の光』であり、体内には『不可視の線』が存在している。見えない『光』は見えない『線』の中を巡っている――
体内の魔力に意識を向けていると、そういうイメージ、そういう言葉が自然と頭の中に浮かんでくる。
同時に、リリアさんに言われていた通りの強い倦怠感が全身に広がっていくのを感じた。
肝心の効果については、魔力が3割から4割まで回復できたという感覚を得た。五等級のマナ結晶は一つで僕の魔力容量の一割を回復できる。
リリアさんは五等級の結晶で『100エルネ』の魔力を回復できると言っていた。つまり、僕の魔力容量は約1000エルネはあると見積もっていいだろう。
正直、回復できた魔力は多くはない。でも、無意味でもない。決して。
同時に、この怠さは陰魔と直接戦い続けるエディ君にとっては致命的だろう。でも、支援に徹する僕なら支障はない。聖術の維持は問題ない。
〈副作用は問題ありません。魔力の回復も、この窮地を凌ぐには十分です〉
悲観はしない。戦死という末路は決まっているとしても、少しでも前に進むのみだ。
〈エディ様。結界の力で試してみたいことがあります。次は騎士級の攻撃を気にせず、このまま進んで下さい〉
〈分かりました〉
エディ君からの全面的な信頼を受け、あえて自分たちから距離を詰めていく。
わずかに姿が薄くなっている騎士霊はどうしよう。今回ばかりは自滅覚悟でレーザーやミサイルに突っ込んでもらうより、接近されると手強い爪獣体を優先的に相手にしてもらった方が有り難いのだけれど。
と、そう思っていたら、任せろ、と言わんばかりに3名とも盾を掲げて防御姿勢を取った。
どうやら、言葉を交わすことはできなくてもある程度の意志の伝達は可能なようだ。
ありがとうございます、騎士霊様。
激戦の余韻が収まらない内に、ピピピ、と電子音が鳴る。
〈騎士級11体、同時に黒炎弾16発を確認。来ます!〉
意識を集中している僕の代わりにエディ君が的確に状況を教えてくれる。
1キロメートル先から放たれた三角錐の高速誘導ミサイルが迫ってくる。全弾の迎撃と回避は困難。エディ君が正確に剣を振るっても、必ず4、5発は命中する。
焦りはない。
すべきことは決まっている。
迎撃する為に駆け上がっていくエディ君の背を追いながら、光の結界に意識を注ぐ。
イメージは水。水のように。正確には、水の魔術のように。
そう、シャランさんが教えてくれたように、魔術で造られた水の塊を『ぎゅっ』と圧縮できるのなら、光の結界でも同じことができてもおかしくない。
そして、ゼータさんはこの結界について『魔力場が立体的な超高密度障壁として機能している』と言っていた。
だから、思い描くイメージは球面状の薄いバリアではなく、立体的で実体的な球体だ。科学知識と想像力の両方を同時に総動員し、光子という物理的な概念と、心の光という精神的な概念を魔法に載せる。結界の光に心の光を当て、一心に魔力を込める。
求める結果は単純だ。
少しの間だけブーストをかけて出力を増し、結界の密度と圧力を増し、硬度を上げること。ただそれだけでいい。
できるはずだ。できる。最大限まで想像力と集中力を働かせるんだ。光の結界を水球になぞらえて――
――ゴ、という衝突音。そして、ド、という破裂音。
それはエディ君の結界に直撃し、炸裂した4つのミサイルの断末魔だった。被弾した結界は、表面の薄皮一枚分の輝きを僅かに削り取られていただけ。
〈黒炎弾の防御に成功、結界の損壊は軽微!エディ様!〉
〈はい!〉
翼獣体の初撃を皮切りに、砂丘の向こうから騎士級小隊第二波が悠然と出現する。立体絵図が示す通り、計11体。翼獣体4、蹄獣体4、爪獣体3。
――光の結界と同じように、エディ君を取り巻く水色の花弁、光の加護にブーストをかける。突然のことにもエディ君は完璧に答えてくれた。姿が掻き消えるくらいの加速を得て、翼獣体の編隊と同じ高度まで飛翔する。敵は反応できない。加護の力によってより鋭く強化された聖剣が瞬く間に4体全てを断ち切り終え、黒い霧へと散らした。
――蹄獣体が放った黒閃槍が2本ずつ僕とエディ君に直撃。黒色のレーザー攻撃もまた、被弾のタイミングで強化された結界を貫通することはできず、重い金属音を響かせて四方に散らされた。エディ君は止まらない。6枚の花弁を翼のように強く輝かせ、眼下の砂丘へと舞い降りる。大上段から一気に振り下ろされた聖剣の渾身の一撃が隙だらけの蹄獣体を直撃。そして天使の目でも視認できない程の連撃で残る3体を断ち割った。
――切り返し、守りを固めた騎士霊と鍔迫り合いをしていた爪獣体3体を背後から急襲。一思いに頭部を斬り飛ばし、黒い霧へ変えた。
〈ありがとうございます。アキラ様の守護と加護があってこそ、ボクはやっと一人前として戦えます〉
〈どういたしまして。微々たる力ですが、お役に立ててよかったです〉
一連の攻防で、おおよそマナ結晶一つ分の魔力を消費。つまり、騎士霊様の助けもあれば、10体前後の騎士級小隊を『100エルネ』で撃破可能だと判明した。
女神様から与えられた力をただ漫然と使うだけでは駄目だったのだ。大量の魔力を半壊した結界にチャージして修復するより、こうして一時的に出力をブーストした方が消耗をずっと抑えられる。加護へのブーストを通じた、エディ君の強化も同様に。
戦い方次第で僕たちはまだまだ強くなる。
ピピピ、という三度目の警告音は女神様からの賛辞にも聞こえた。
残り一つのマナ結晶を迷わず使用する。魔力が再び一割分回復し、代償として先程よりも強い倦怠感が体中を覆う。怠さが抜けきらない内にマナ結晶を連続使用すると副作用が大きくなるようだ。
でも、このくらいならまだ大丈夫。
〈騎士級小隊の第三波が迫ってきています。次はどうすればいいでしょうか〉
〈僕が決めてもいいのですか?〉
〈戦場ではアキラ様の指示に従います。きっとそれが最善だと思いますから。どうか、陰魔を滅ぼす剣としてボクを存分にお使いください〉
〈エディ様をそういうふうに扱うことの是非は、今は置いておきます。…では、天蓋結界に沿って騎士級から逃げながら、魔力が尽きるまで兵士級、戦士級を倒し続けましょう。結界があるので、狙撃体も優先度を下げて構いません〉
〈なるほど…。陰魔をできるだけ多く倒して、ボク達の地力を上げるんですね〉
〈はい、その通りです。そして『次回のスタート地点』は『今回の死亡地点』からです。そうやって外側を一周していきましょう〉
〈分かりました〉
エディ君は僕の言葉を疑いもなく聞き入れてくれた。全幅の信頼を感じる。僕も心からエディ君を信頼している。お互いに信頼し合っていることを理解する。理解できている。そう信じたい。
〈では、行きます。死ぬまで、できるだけたくさん倒します〉
〈はい。お供します〉
死地だからこその特別な信頼関係に身を委ねながら、迫り来る騎士級の隊列に背を向け、未だに無数に残存している兵士級の大群へと身を躍らせる。
最大戦速を維持したエディ君が地を這う陰魔の群れを食い散らかすように屠っていく。僕はただついて行くだけだ。大分薄まってしまった半透明の騎士霊様は僕の背後を守ってくれている。
天使の動体視力に頼り、エディ君の手元で緑色に灯っている立体地図を覗き見る。猛然と追いかけてくる騎士級と周囲の陰魔のまだら模様、そして大きくうねる砂丘の位置関係を把握する。今までの時間経過によって、方々の陰魔が大量に集まってきている。絵図に映っているものだけでも数千。
エディ君が密度の高いポイントを叩き、撃破数を稼ぐ。
撃破数310。
魔力残量30%。
ほぼ直角で進路の変更を行い、前方の砂丘を越えて谷間まで急降下する。頭上を蹄獣体が放ったレーザーが掠めた。構わず、兵士級の大群を捌いていく。
撃破数340。
魔力残量20%。
後方、兵士級の大群を飛び越えて爪獣体が迫る。接敵まで約10秒。騎士霊が一斉に速度を落とし、真正面から爪獣体を迎え撃った。エディ君が眼前に迫る暗黒の波濤を全力で打ち砕いていく。
撃破数370。
魔力残量10%。
上空から翼獣体の追尾ミサイルが螺旋を描いて落ちてくる。結界と加護に光を注ぐ。聖剣と闘気が煌く。同時、後方の砂丘頂上から照射された蹄獣体のレーザーが結界に直撃した。
魔力残量1%。
3体の爪獣体が消滅した瞬間、守護印もまた砕け散った。
横手から撃たれた狙撃体の弾丸が着弾し、結界を完全に破壊した。
魔力残量0.1%。
〈アキラ様!〉
〈来てください! エディ様!〉
エディ君が傍に飛んで来て手を繋いでくる。しっかりと指を絡める。決して離れ離れにならないように。
最後の力を振り絞り、赤色の聖剣に水色の加護を合わせ、菫色の光を生じさせる。
〈このまま飛び続けてください。命が尽きるまで〉
〈はい。命尽きるまで〉
澄んだ紫色の光の花が大きく広がりながら、灰色の砂漠を明るく照らして翔けていく。小さな闇が次々と消滅していく。
生命力が魔力へと変換されていく。
花は翼のように。
あるいは流れ星のように。
ほんの一瞬だけ、黄昏を菫色に染め上げ、暗黒を縦断し、切り裂き、塵へと還した。
◇◇◇
森の神殿で4度目の復活を迎えた。
結果は『兵士級246』『戦士級126』『騎士級24』。計396体を撃破。
「今日もお疲れ様でした、エディ様」
「アキラ様もお疲れ様でした。アキラ様のお陰で、全力以上の力を発揮して戦うことができました」
「お役に立ててよかったです。マナ結晶は十分に有用でした。次回以降はもっとたくさん持っていきましょう」
「はい」
「あの花を飛びながら咲かせるのは咄嗟の思い付きでしたが、上手くいってよかったです」
「陰魔を何十体も道連れにできたようです。それに何より、苦痛を感じずに死ねるのはいいですね」
「はい、本当に。必殺技のラストアタックです」
「必殺技のラストアタック…。ふふっ、そうですね」
前回のハイテンションとは真逆で、死んだ直後とは思えない程に僕たちの精神状態は落ち着いていた。
そろそろ僕の裸にも慣れてきましたか、と尋ねると全力で否定された。頑なだ。
気を取り直し、真面目に戦いの振り返りを行う。話題の急速転換に対するエディ君のジト目が可愛い。
こほん。
服を着てから、まず二人で確認し合ったのは、今後の戦いではマナ結晶の準備が必要不可欠になるということ。
勝敗は戦う前から決まっている、とはよく言われるけれど、こと陰魔との終末戦争においては『戦果』は戦う前から決まっている、と言えるだろう。僕たちが負けて死ぬことは確定済みでも、死ぬまでにより多くの陰魔を倒すことができれば、それだけ黄昏領域に封じられた陰魔を殲滅できる日が近くなる。
陰魔は非生物的な存在だ。その動きは機械的で画一的。プログラム的、だと思う。もしかしたら本当に魔法的なプログラムによる行動なのかもしれない。学習能力がないことを祈る。
一方ね僕たちは何度でも死に戻りができる。試行錯誤を行い、知能によって戦い方を最適化できる。
だから、今日の戦いで約400体を撃破できたのは当然の結果とも言えるだろう。
陰魔が僕達に対応して戦術を変えてきたことはない。少なくとも今の所は。
もし次回も同じように戦えたら、大体同じような結果を出せるだろう。次もマナ結晶を二つ用意して戦えば、再び400以上の陰魔を倒すことができると期待できる。
撃破数を200、300、400と順調に増やせているので次は500を目指したい。マナ結晶を4つ用意できれば届くかもしれない。
兵士級と戦士級はまだまだ何万もいる。しばらくの間は標的に困ることはないだろう。
「ただ問題なのは…」
「はい。お金の問題ですね。五等級の結晶でも、4つ買うにはなら12万レン必要です」
力とお金が物を言うのは世の常だ。
どこかから一億くらい降って湧いてこないかなあ。
こほん。危ない。
お金にがめつい天使にならないよう、気を付けよう。
◇◇◇
森の傍で聖なる葉っぱを拾い集め、リリアさんの店へ。手持ちが足りなかったので、マナ結晶の補充は次のハントをこなしてからになった。
ちなみに四等級のマナ結晶は1個8万レンだった。リリアさんによると、回復できる魔力量は200エルネで、副作用はこちらの方がずっと少ないとのこと。また、三等級以上は副作用がなくなるそうだ。
もし五等級の結晶を続けて何個も使ったらどうなりますかと聞くと、個人差はあるけど大体5、6個目で全身の感覚がなくなり、丸一日は動けなくなると教えてくれた。
なるほどなるほど。復活すると体の状態がリセットされる仕組みで助かった。
エディ君、その無言の半眼はどういう意味でしょうか。
無理をするのはやめて下さいね、無茶はするかもしれません、もう、うふふ、みたいな。以心伝心。
すぐに手を繋いで仲直り。仲良きことは美しきかな。
◇◇◇
エディ君の頭を幼い胸元に抱きかかえ、優しく背中を撫でる。
おやすみの前の日課。
大切な家族ルールに等しい。
今日も無事にルールを守れてほっとする。女神様に感謝する。
「ボクはいつもアキラ様に救われています。幸せ過ぎて、怖いくらいです」
「きっと、それもそのうち慣れます」
「幸せに、ですか?」
「はい。そして、それが日常になります。戦ってばかりでは生きていけませんから。だから、普通の、日常の生活を送りましょう。僕と二人で」
「正直、ボクには日常というものを想像するのは難しいです。ずっと修行ばかりで、女神様に選ばれた人間として、使命を果たすことしか考えられなくて…。今も戦うことを止められなくて。でも…、いつかは。そういう希望を持つことは構いませんか?」
「もちろんです。希望を抱いて、楽観的に、積極的にいきましょう。悲観的で消極的よりはずっといいです」
「はい。本当にその通りだと思います。アキラ様と出会ってから、ずっとそうでしたから」
「それならよかった」
一歩ずつ。たゆまず、一日ずつ。
そして、また明日。
 




