● 025 狩猟Ⅰ(3)
サンドウィッチとオレンジジュースは美味しかった。とても。
「…………(ちらっ)」
「…………(どんより)」
「…………(重症だ)」
「…………(もそもそ)」
食事中の空気は気まずかった。ものすごく。
あの不幸なアクシデントの後、複雑な表情をしたエディ君が「ボクは男です」とセーラさんの誤解を解いた。とても冷静な対処で、エディ君は優しいなあと感心した。
でも、それからがもっと大変だった。セーラさんが文字通り動転して、ころんと転がって、慌てふためいて謝ってきて、それでも「え?え?」という疑問の表情は拭い切れていないままで、それを見たエディ君が過去最大級に落ち込んでしまって、マスターさんのお盆チョップがセーラさんに再び炸裂し、セーラさんも涙目になって、店内のお客さんからの注目が集中して…。
結果、セーラさんが大泣きした。
そしてすぐにマスターさんが平謝りして、どこか熟達した手つきでセーラさんをスタッフオンリーの扉の向こう側へ連れ去ってしまった。
あーあ、またセーラちゃん泣いちゃったよ、おっちょこちょいだからなあ、可愛い、よく泣く子だなあ、慣れてきた、今日もお仕置き部屋かー、あれも持ち味、ここの名物と化したよな、あっロリっ子とショタっ娘じゃん、何言ってんだロリ姫とショタ姫だろ、どっちも可愛い、眼福、変態、おっミーさんだ等々。
相変わらずハンターの皆さんは言いたい放題だなあ。ちょっと言い過ぎではなかろうか。僕の耳が良すぎて、いらない雑談まで拾ってしまうのは難点だ。
僕はいいとして、ショタっ娘とか、ショタ姫とか。エディ君に聞こえていませんように。
ミーさんというのは白猫の名前かな。我関せずと言わんばかりの丸まり具合が大変可愛い。抱っこしたい。
こほん。
そんな感じで、沈んだ空気のまま時間が過ぎたわけで。
「ボクって、そんなに女の子みたいに見えますか?」
ミーさんが由来であろう喫茶白猫庵を後にしたタイミングで、エディ君が澱んだ表情でそんな質問をしてきたのは必然的なことだった。
「僕は最初から男の子だって分かってましたよ」
これは嘘ではない。女神様に教えてもらっていなかったら、女の子だと勘違いしていた確率が50パーセントだったとしても。
「よかった…。ありがとうございます(全幅の信頼)」
「いえ(ちょっと目逸らし)」
とはいえ、やっぱりエディ君は可愛いと思ってしまう。顔立ちが可憐なだけではなく、素直で純真で、佇まいそのものが美しいのだ。これはもう天性のものだろう。
サラサラのセミロングの髪型も女の子みたいに見える一因だ。でも、髪を切った方がいいですよ、なんて口が裂けても言いたくない(ポニーテールにしてもすごく似合いそう)。
「それに、お兄ちゃんはとてもカッコいいです。僕にとっては世界一のヒーローです。もっと自信を持って下さい」
「あっ…、ありがとう、ございます…」
赤くなって俯くエディ君。口をもにょもにょさせてる。
カッコいい上に可愛い、と余計なことを言わなくてよかった。言わなくてもいいことってあるよね。僕は学習しました。
ぼくは、そう、性別に関係なく、エディ君らしいエディ君が好きなだけなんだ。
◇◇◇
シャランさんはちょっとクレームの対応で忙しそうだったので、番号札をもって開いている受付へ向かった。お休み中なのか、眼鏡姿の麗しいエリーゼさんもいない。ああー、そっちいっちゃうのー、見捨てないでー、と言わんばかりのシャランさんを横目に見ながら初見の受付のお姉さんにペコリと挨拶をする。よろしくお願いします。
営業スマイルに若干の保母さん的慈愛の笑みが含まれたお姉さんから受け取った報酬額は、手取りで18万9070レン。
諸々を差し引いての最終的な額なので、予想していたよりもかなり多い。
「こんなに貰ってもいいんですか?」
「はい。ユウ様、アキラ様の正当な報酬となります」
「内訳を教えてもらってもいいですか?」
「こちらのようになっています」
ふむふむ、なるほど。
単価としてはビッグモスが一番高くて、グラスウルフとバイオレントラビットが同じくらい。
状態のいいレベル1モンスター25体分で、平均して約7500レン。
命がけの仕事の対価だから、妥当と言えば妥当な報酬なのかな?
それに、カサンドラさんがいたからこその大量納入だし。これだけで、本当にキャリアーは大切な仕事だと身に沁みて理解できる。
「受け取りはどうしますか?」
「えっと、10万レンを現金で、残りはボクの口座に預金でお願いします」
畏まりました、という丁寧な返答の後、10枚の1万レン金貨がジャラジャラと巾着袋に入っていった。文明の音だ。現実と未来の音でもある。
背後のシャランさんの受付窓口はちょっとした修羅場になっていた。どうやら、微妙なラインで税金の控除ができるかできないかで押し問答になっていたようだ。そういうことはどこでもあるんだね。エリーゼさんは帰ってこない。孤軍奮闘が続いている。お仕事頑張ってください。南無。
次に向かう場所は決まっている。
仲良く手を繋ぎ、子どもの歩行速度から正確に算出される所要時間を費やし、チリンチリンとリリア魔法工房の小さな鈴を鳴らした。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。五等級のマナ結晶を二つください」
フラスコをゆるゆると振って緑色の液体を眺めていたリリアさんに、エディ君が単刀直入に注文した。こういう所もちゃんと男らしくてカッコいいと思う。普段からもっと自信持っていいのに。
「はい、どうぞ。2つで6万レンになります。使い方は分かる?」
「念のために教えてもらってもいいですか?」
「もちろん。この結晶を手に持って、結晶の魔力と自分の魔力を繋げればいいの。そうすれば自然と魔力が身体の中に入ってくるよ。五等級なら、回復できる魔力は『100エルネ』丁度。等級が低いものは副作用が出るから、使う時は気を付けて」
「分かりました」
「100エルネ。それに、副作用ですか?」
「うん。錬金術師の法律でそう決まってるの。エルネというのは魔力の単位だね」
「魔力の単位」
「ふふ、アキラちゃんはこういうのに興味があるのね」
「はい。魔法全部にすごく興味があります」
「かわっ…」
「かわ?」
「(分かります、という頷き)」
「…こほん。どこまで話したかな。そうそう、マナ結晶に入ってる魔力は専門の道具を使って測定しているから誤差はほとんどないよ。副作用の方は、痺れるような倦怠感…、えーっと、分かりやすく言うと体中が怠くなって手足に力が入らなくなるの。だから、なるべく戦闘中じゃなくて休憩中に使ってね。それに、怠さが完全に抜けきらない内に連続して使うのは厳禁よ」
「はい、よく分かりました。ありがとうございます」
「こちらこそ。お買い上げありがとうございました。…ニコニコの不意打ちヤバいね(コソコソ)」
「ヤバいです(コソコソ)」
念願のマナ結晶を購入。あっちでリリアさんとエディ君がコソコソしているけれど、何が何やら。
でも、購入したのはいいものの、僕もエディ君も手ぶらでバッグの一つも持っていない。ビニール袋のサービスなんてある訳ないし。
直に手に持って帰るしかないかなあと思案している内に、直感的な閃きが発生し、天衣のデザインをある程度自分のイメージ通りにアレンジできるか試して――できた。聖術ってホントに便利だね。リリアさんに見られないようにエディ君の背中に隠れ、腰辺りのヒラヒラフリルの裏側に大きめのポケットを作って詰め込んでみた。バッチリ。これなら左右のポケットに合わせて6個くらい入りそうだ。
今の所、リリアさんは何も聞いてこない。薄いローブが突然下からぽっこり膨らんでも、その笑顔は単なる営業スマイルでも児童に向ける保母さんスマイルでもない。僕たちのことを信頼してくれていると分かる親愛の笑顔だ。
対して、エディ君の表情は少し浮かない。
「えっと、理由、聞かないんですか?突然こんなものを買って…」
あ、聞くんだ。まあ、リリアさんが気になっていないのか、気になるよね。
「すっごく聞きたい。普通、初心者ハンターが優先して買うようなものじゃないもの。でも、聞かない方がいいんでしょう?」
「ええっと、はい。すみません、ボクから聞いたのに」
「ふふ、いいのいいの。私は、ユウ君とアキラちゃんに期待してるから」
「期待、ですか?」
「そう。だからこうしてお店に来てくれるだけでも嬉しいし、商品を買ってくれるともっと嬉しい。余計な詮索をして嫌われたくないの。将来有望な大事なお客様だから」
「ありがとうございます。ボクも…。いつか、ちゃんと話せたらいいなって思ってます」
「うん。ありがとう」
「は、はい。こちらこそ…」
よかったね、エディ君。カサンドラさんに続いて、期待してくれている人はリリアさんで2人目だ。
ううん、3人…、4人だね。トムと、ついでにゼータさんも入れて。
「よかったですね、お兄ちゃん」
「はい。よかったです」
「うんうん、よかったよかった」
これでまた一歩前進だ。それに、そう遠くない未来、リリアさんにエディ君と僕の正体を明かすのはアリだと思っている。
不思議とそう思える。これは直感だろうか。天使だからそういうこともあるかもしれない。
「それでね、ユウ君」
「はい」
「ネクタル水も、買っていかない?飲んで良し、かけて良し。外傷も打ち身も、骨折も、内臓破裂だってたちどころに治す由緒正しい錬金術の秘薬。疲労回復効果もあるから、ハンターなら必須だよ」
「買っていきます」
「毎度あり♪」
リリアさんは商売上手だった。年上の明るくて綺麗なお姉さんからあんなふうにセールスされたら断れるはずがない。
まあ、死んだら復活するとはいえ、確かにハンターとしては怪我を治す手段は用意しておいた方がいいだろう。
「疲労回復効果というのは、疲れてヘトヘトになってもこれを飲めばまた元気いっぱいになるんですか?」
「うん。元気モリモリ。キクよ」
なるほど、怪我を治すだけではなく、魔法的にキク滋養強壮剤でもあると。要はHP回復プラススタミナ回復。使いどころは色々あるかもしれない。
五等級のネクタル水も一つ3万レン。二つで6万レン。テル様の遺産の金貨が残っているとはいえ、またエディ君のお財布が軽くなりました。
ふむふむ。僕の人差し指くらいの、ほんの小さな試験管のような容器に濃緑色の液体が封入されている。この位なら、グイっと一口で飲めるかな。味には期待しないでおこう。だって、見るからにアレな色合いだもの。
「効果は直接飲んだ方が高くて、五等級でも骨折くらいは一日で治るよ。味は…、ちょっと独特かな。どうしても慣れない場合は、四等級で少しは苦味が抑えられてるから。そうそう、言い忘れてた。使った後のガラス瓶はお店で買い取ってるからなるべく捨てないようにしてね」
「分かりました」
苦味かあ。覚悟しておこう。マナ結晶も不作用があるって言ってたし、安物は安物なりの理由があるんだね。
安物と言っても、3万もするんだけど。
えーと、参考までに、四等級のネクタル液とマナ結晶の値段は…。
あっ、何だろうこのコップ。純水がひとりでに湧き出るコップ。なるほど。魔術で作った水は飲めないから、こういうアイテムがあれば便利だ。こっちは?ふむふむ、使い捨て電撃爆弾…、って爆弾!?あ、よかった、棚にあるのは信管を抜いてるんだね。この指輪は…。
「錬金術で作ったマジックアイテム、気になる?うふふ、目が行ったり来たりして可愛い」
「えっ?その…」
油断していた。
店内の棚を調べていたら、気が付かない内にリリアさんの笑顔の矛先がこちらに向いていた。エディ君も微笑ましいものを見つけたみたいな眼差しをしていてガードを放棄している。
目が行ったり来たりって。そんな、人を幼い子どもみたいに。誤解です、誤解。
「アキラちゃんのね、キラキラした目がすっごく綺麗なの。ずっと眺めていたいくらい」
キラキラって。
生まれて初めて見るようなものばかりだから仕方ないんです。オトコはこういうのに弱くて…。
今までは正式なお客じゃなかったし…。
「そんなに、キラキラしていましたか…?」
「(満面の笑み)」
リリアさんがトム化してしまった。
ちょっと恥ずかしくなって、エディ君に助けを求める。
――今度はエディ君が挙動不審になった。どうしろというの。
「ニコニコ笑顔とキラキラお目目だけじゃなかったかー…。その上目遣いは反則だね」
横で、リリアさんが訳の分からないことを言っていた。
カサンドラさんといい、セーラちゃんといい、知り合った人の反応が僕の心構えをひょいっと越えていくんだよね。どうしろと言うの。
◇◇◇
夕方、聖樹の森まで往復し、エディ君がテル様の遺産の宝箱から50万レン分の金貨を引き出して小龍の宿で一ヵ月の長期契約を結んだ。ハンターの収入があれば更新を継続していけるだろう。これで不安定なスケジュールを気にせず、いつでも宿に泊まれるようになる。
二人で相談し、明日は休日とした。
一日中部屋でまったり過ごすのもいい。商店街に散歩しに行くのもいいね。
何か本を買おうかな。将棋の盤と駒も忘れずに。こちらのルールを憶えて、二人で対戦しよう。
「できれば私服も買いましょうね。アキラ様」
今日のハグとナデナデを終えておやすみなさいを言った後、ベッドに横になったエディ君がそう付け加えてきた。まさか憶えていたとは。
はあ…、ちょっと気が重い。マジカルな天衣のワンピースは仕方ないとして、女物の私服かあ。
この天使の体に似合うことは分かっている。きっとどんな服も似合うだろう。
問題は。
問題は…。
◇◇◇
――日本の夢を見たと思う。地球という星の、日本という国で学生として生きていた頃の夢を。昔の僕の夢を。
夢の内容は憶えていない。
ただ、そういう夢を見たと思えるだけだ。
女神様は、僕は僕自身で、連続した存在だと保証してくれたけれど…。
今もう、遠い過去のことのようだ…。
不幸ではなかった。普通に楽しかったし、幸せだった。でも、僕は死んでしまった。
父さん、母さん。先に死んじゃってごめんなさい。
兄さん、元気にしてるかな。
…兄さん。兄さんか。久しぶりに思い出した。十歳以上年の離れた兄。僕がまだ小学生だった頃、おぼろげな記憶の中で、父さんと大喧嘩をして半ば家出のように上京した兄。
僕が死んでしまったことがきっかけになって仲直りしてくれたらいいな。兄さんのことは嫌いじゃなかった。ただ、とても遠い存在だっただけで。
父さん、母さん。兄さんがいるから大丈夫だよね?
兄さんがいてくれて本当によかった。今、人生で初めて兄さんに感謝しています。
僕は大丈夫。元気に飛んだり跳ねたりして元気にやってます。
信じられないことに、10歳の女の子だけれど。あはは。
…ああ、でも。
昔の僕も、今の僕を笑えるような男子ではなかったなあ。小さい頃から瘦せ型でヒョロヒョロだったし、折角の思春期だったのにボッチの暗黒中学時代だったし、高校デビューを盛大に失敗したし。初恋もまだだったし…。
…あれ?
あれあれ。
男らしい男ではなくて、恋愛経験がなくて、童貞のままだった、ということはつまり、僕は男である意味はなかったということにならないだろうか。
もし前の僕が女で、ボッチの女子生徒だったとしても、前の人生はほとんど変わりがなかった?
いやいや。さすがに極論過ぎるだろう。
いや…。
敢えて極論すれば、僕は男性というよりも、無性に近い存在だったとすら言えるかもしれない…。
やばい。今までで一番のアイデンティティクライシスだ。恋の経験がないというのが何気にやばい。性同一性の危機だ。両親の心配をしている場合ではないかもしれない。
文系の陰キャというカテゴリーであるところの僕。昔の僕。生物学的な性別を考慮する必要がない、草食性の、無味無臭な…。
なんで僕はこんなことを考えている?
ええっと、だからどういうことだ。落ち着いて考えろ。落ち着いて…。
自問。
昔の僕が、自分は男であると定めていた根拠は何か?
自答。
男性器が付いていたから。
自問。
他の根拠は?
自答。
特になし。強いて言えば、最低限の女性への興味と性欲があったから。最低限、男性の骨格をしていたから。他人が自分を男性扱いしていたから。しかしそれらは、結局は男性器の有無に帰着する。男性ホルモンは精巣から分泌される。性欲は脳で生み出される。
もちろん、そうではない人がいることも知っている。性器によらない性別が心の中に存在する場合もあるらしい。
でも、少なくとも僕にとっては…。
○ん○んと○玉だけが僕のオトコの証明だった。極めて物理的な根拠しかなかった。
女性経験がなく、初恋すらしておらず、男性特有の武勇やスポーツの経験が皆無だった。
趣味はあった。娯楽小説と大衆向けの漫画、メジャーなゲームを趣味と言っていいのなら。
結果的に、男である必要はなかったと言える。
では、今は?
天使の体になって、女性への興味は…、確実に薄れている。どんどん薄れていっている。受け継いだものが人格と記憶だけで、股間も頭脳も全く違うものになったからこそ、明確に。
男だった時の僕が、同性にあまり興味がなかったように。
それなら。
性懲りもなく、僕はオトコだと主張し続けている正当性はどこにある?
 




