● 024 狩猟Ⅰ(2)
ガンド草原に出没する魔物は主に三種。
グラスウルフは2匹以上で行動することが多く、規律の取れた行動が特徴。接近前に弓や魔法等の遠距離攻撃で数を減らさなければ、手足や喉を狙った多角的な同時攻撃に身を晒すことになる。
主な素材は毛皮と牙と骨、魔石。
バイオレントラビットは潜伏状態からの不意打ちを得意としている。警戒を怠れば、速度に乗った二本の鋭い角によってあっという間に下半身に風穴が開いてしまう。
主な素材は毛皮と肉と角、魔石。
ビッグモスは、テイガンド周辺に出没するレベル1モンスターの中では最も脅威となる。巨大な翅から散布される鱗粉が人の神経を侵し、徐々に全身を硬直させる。無抵抗となった人間は、そのまま人喰いの蛾の格好の餌食になる。
主な素材は体液と鱗粉と翅、魔石。
最下級のレベル1モンスターであっても、その素材は魔力を僅かに含んだ魔力合成物であるため十分に有用な素材となる。肉や内臓が食用に適した魔物も多い。
特に、全ての魔物が体内に有している魔石は特殊な魔力結晶体であり、最も貴重な素材である。魔石からは光や熱、電気、魔力そのものを取り出すこともできる。マナ結晶の他、ランプの光源や電池も魔石から作られている。
魔物は根絶やしにされない。狩り尽くさないよう、ハンターギルドによって厳重に『保護』されている。
なぜなら、魔物は人を殺す天敵であると同時に、人を生かす貴重な資源でもあるからだ。グラスウルフやバイオレントラビットの巣もガンド平野から駆除されずに、程よく間引きされて管理されている。
その管理体制はレベル1の狼であろうとレベル9の竜であろうと基本的には同じだ。高レベルの魔物は高ランクのハンターによって適度に狩られ、人類社会に貴重な血肉や魔石を提供し続けている。
ハンターの損耗と、管理失敗による魔物の氾濫――モンスターハザードが発生するリスクを抱えながら、実際に手痛い失敗を何度も経験し、この世界の人間は今まで何とか生き抜いてきた。
――以上、姉御肌なカサンドラさんによる初心者ハンター向けの解説でした。
「ありがとうございます。とてもためになりました」
「どういたしまして。お嬢様」
「もし魔物がいなくなったら、この世界はどうなるでしょうか」
「どうなるだろうねえ。少なくとも魔石がなくなれば色々と不便になるだろうね。魔性化していない動物は、そこら中にいる小さな虫以外は街中で飼われるイヌとかネコとか、しぶとく生き残っているリスやスズメといった小型の動物、あとは家畜のウシやウマくらいだし、食いものも随分なくなっちまうだろうね」
「魔物を飼うことはできないんですか?」
「はは、みんながみんな、そう思ったさ」
「そして、失敗した?」
「頭を齧られてね。どうしたって、人が手懐けることは不可能な生き物なのさ。こいつらは」
「難しいんですね」
難しいのさ、とカサンドラさんが背負っているコンテナをコンコンと叩く。
その中には既にグラスウルフ10体、バイオレントラビット9体、ビッグモス6体が納められている。
ほぼ満杯だ。初めての狩猟は大成功。
そして今また、スパンとビッグモスの首が風の一太刀で刎ね飛ばされた。
光の結界が鱗粉を完全に遮断する以上、エディ君が不覚を取る機会は限りなく零に近い。
「魔物ってのはね、どこまでも狂暴な人喰いで、生存本能すら低下した生物だ」
「生存本能すら…」
文句なしの大戦果の帰り道で、カサンドラさんが追加の獲物をコンテナへ放り込みながらそう言った。
街道に敷設されているものと同じ、強力な魔除け効果があるという薄い灰色の石柵が東西方向に真っ直ぐ伸びていて、柵の向こう側には長閑な田畑が一面に広がっている。
対して、柵のこちら側には茫々とした草原が広がり、人と魔物の血の滴る戦場となっている。
「ああ。だから人間の子どもがいれば魔法を警戒せずに襲い掛かってくるし、田畑があれば飽きずに抜け道を探して侵入してこようとする。頭の出来はイヌネコと大して変わらない。ただ、攻撃性と繁殖力は本当に厄介だ」
「攻撃性と、繁殖力…。それだけ聞くと、本能が強くなっているようにも見えます」
「それも間違っちゃいない。魔性化っていう進化のせいでね。狩っても狩ってもどこかから湧いてくる。だだっ広いの草原のどこかに巣穴が隠されていて根絶が難しい。だからか、いくら減っても痛くも痒くもないと言わんばかりに見境なく襲い掛かって来る。種全体としての繁殖能力が高まった分、逆に一匹一匹の生存本能は低下したんじゃないかというのが定説だよ」
「そうなんですね」
「で、順調に増えまくった魔物のせいで大昔に人間が食物連鎖の頂点から陥落し、こうして壁の中に追い立てられたって訳だ。さっきは間引きして管理してるって偉そうに言ったけど、根絶する余力が人間側にほとんどないのが本当のところさ。情けなさすぎて笑うだろ?おまけに、これ幸いとばかりに復活した魔神が陰魔っていうバケモノを何千万もばら撒くわ、元人間の魔族共が人類の管理を主張して侵攻してくるわ、知恵を得て龍になった魔物が勝手に神を名乗って辺境を支配するわで、もうてんてこ舞いさ」
「唐突に、すごい話を聴いてしまいました」
「特段秘密にはされてはないが、大っぴらにされてるわけでもないからね。ま、ハンターだったら知っておきな。そうそう、勇者テルがバケモノの親玉を倒したっていう話も最近よく聞くけどね、女神教の言うことはあんまり信用するんじゃないよ。少し前からきな臭くなってきてるからね」
「はい。教えてくれてくれてありがとうございます」
女神教のことは置いておくとして(ホントにもう、どうにかしてほしい)。
魔性化という進化。それに続く陰魔や魔族、龍の侵攻。
確か、最初の日の夜にエディ君が『大昔、人類が滅亡寸前に陥った時、レヴァリアという最後の人類圏を守護する神子様と、世界でただ一つの聖剣を振るって幾万の陰魔を討ち滅ぼす勇者様が生まれました』と言っていた。
つまり、時系列的には、神子と勇者が生まれるよりも前から魔物が人類を脅かしていて、それに連鎖する形で陰魔や魔族等が蔓延るようになったということだろう。
魔性化の流れは理解できるとしても、生物的ではない陰魔だけがどうしようもなく浮いている。闇の魔神が正体不明すぎて怖気すら感じる。
そして、特異な陰魔を抜かしても、大自然の摂理が人間に厳しすぎる。聞けば聞くほど詰んでいるように見える。
もしかしたら、エディ君が頑張って陰魔との終末戦争をどうにかしても、それ以外の天敵によって人類が滅ぼされるという結末もあるかもしれない。
この世には弱肉強食の真理があるのだとしても、あまりにあんまりだ。
「もしかして、この世は地獄ですか?」
「ああ、アキラ。それはあんたにゃ早すぎる真実だ」
ちょっとダウナーになって愚痴をこぼすと、カサンドラさんがあちゃあという顔をして嘆いてしまった。
「こりゃあ、あたしが悪かった。あんたがあまりに大人びてるから、つい調子に乗ってくっちゃべっちまった。悪い、ユウ。お嬢ちゃんを慰めてやってくれ」
「アキラさん。大丈夫です。この世がどうしようもない地獄でも、ボクは絶対に諦めません。アキラさんが傍にいる限り…」
「ユウの方も手遅れだったか…」
エディ君が僕の傍に急いでやってきて、そっと肩に触れて慰めてくれた。だから本気で心配してくれているのだと分かる。心が浮つく。
「はい。お兄ちゃんと二人一緒なら、たとえ地獄でも全然恐くありません」
「ボクもです。アキラさんがいてくれるなら、いつどこでも天国です」
「なるほどね。世も末だ」
気を取り直し、いつものノリでエディ君にいちゃついていると、カサンドラさんが額に手を当てて大げさに溜息をついていた。
なにがなるほどで、世も末なんだろう。
◇◇◇
それから無事テイガンドの東市門に帰還し、常駐している解体ギルドにコンテナごと収穫物を引き渡した。
この後、コンテナの中身はすぐに解体され、鑑定員によって厳正に買い取り額が決定されるそうだ。その内の幾らかがハンターギルドとキャリアーギルド、カサンドラさんに回り、残りが僕たちの儲けになる。手数料とか税金とか諸々で、最初の買取り額から何割引かれて手取り額となるのかは知らない方がいいかもしれない。きっと気が滅入るだろうからね。エディ君が知っているなら問題なし。
とは言え、二日前の試験ではグラスウルフ3体で18000レンだった。期待してもいいのではないだろうか。
「狩りに行く時は前日までにギルドを通して連絡しておくれ。あたしは半分引退してるようなもんだから、あんた達以外の仕事は受けるつもりはない。安息日以外はいつでもいいからね」
「はい。今日は本当にありがとうございました」
大きく手を振ってカサンドラさんと別れる。あの人とはいい関係を築けると思う。できれば末永くよろしくお願いします。
そうして大手を振ってハンターギルドに帰り着き、シャランさんに仕事の完了を報告する。
「灰石級と輝石級のハンターは『石くず』って呼ばれることも多いけど気にしないでね。ハンターならだれもが一度は通る道だから」
「分かりました。最初が石くずなら、もしかしてその次は『鉄くず』ですか?」
「そうそう、大正解。赤鉄級が半人前の鉄くずで、『鉄板』の鋼鉄級からようやく一人前よ。遺物探索と素材採取も鉄板ハンターになってやっと解禁されるの」
「そういうのって、儲かるんですか?」
「儲かるわよー。魔物そっちのけで、一攫千金を狙って希少な素材とか魔導帝国時代の遺物とかを探してるトレジャーハンターもいるくらい。俺達は金じゃなくてロマンを追い求めているんだって言ってるハンターに限って、資格剥奪寸前まで落ちぶれることが多いけど。ユウ君も気を付けてね」
「分かりました」
「勿論、世の中の役に立ってる面もあるから一概には悪く言えないわ。街道に立てられてる魔除けの石柵も帝国の遺物よ。退魔の列柱っていう、石柵よりも大きな魔除け効果がある遺物が未使用状態で地中から出てくるなんてこともあるの。お値段何と、一本数千万。それを100本単位で見つけたハンターもいるそうよ」
「それは確かにロマンがありますね」
「例えば、一番有名な遺跡はルナーナ螺旋迷宮ね。地下迷宮全体どころか、地上部分の迷宮都市ルナーナも含めて全部が魔導帝国の遺跡。地下は広大な生きたダンジョンになっていて、多少壊れてもすぐに修復されたり、時折内部構造が変わったりするの。しかも、今でも列柱や貴重な資源、伝説的なアーティファクトを生産し続けているらしいわ」
「それはすごいですね」
「螺旋迷宮。ダンジョン。いいですね。とてもロマンがあります。心惹かれるものがあります。しかも生きたダンジョンなんて。地下深くに工場があって、止める人がいないままずっと稼働し続けているんでしょうか」
「……」
「……」
「あっ、えっと…、すみません。つい」
「ふふっ、気にしないで。ハンターは大昔の遺跡に触れられる貴重な資格だから。いきなり世界が広がって舞い上がっちゃうのは仕方がないもの。この街で一生を終える必要もないし、自由に世界中を巡ってみるのもいいと思う。もちろん、もうちょっと大きくなってからね」
「はい」
「はい。ありがとうございます」
「ふふっ、本当にいい子たちね…。あと、ハンター業界はかなり特殊な風土だから、あんまり染まりすぎちゃわないように気を付けてね。お姉さん、そこだけちょっと心配」
危ない危ない、ちょっと疼いて舞い上がってしまった。某ダンジョンRPGシリーズをやり込んで全裏ボスを撃破した輝かしい冒険の記憶が少しだけ溢れてしまってね。やれやれ。
…エディ君がすぐ隣で意外そうな顔をしていた。ちょっと、かなり恥ずかしい。
そしてパチリとウィンク付きでアドバイスをくれたシャランさん。少しウェーブのかかった栗色の髪が肩口からサラリと零れる。
シャランさんもかなり染まってますね、とは言わなかった。仕事のできる美人なお姉さんという評価は覆ってはいないのだけれど、まあ、チョロさも魅力の内ということで。
それからコホンと咳をし、鑑定結果が出るまではあと30分くらいかかります、といたって真面目な態度で受付の番号札を渡してくれた。そしてそのままもう一度パチリとウィンク。強キャラだ。
さて、適当に時間を潰なくてはならなくなった。どうしよう。
エディ君とロビーをぶらぶらしつつ、ふと案内板を見る。ギルド会館の端っこのスペースに喫茶店があるみたい。
こういうところ、すごく近代的だなって思う。
カメラも電池もあるみたいだし、もしかしたらこの世界は『魔法とモンスターが存在するファンタジー世界:近代』なのかもしれない。居住可能地域が狭くて、人口が少ないだけで。
「喫茶店の『白猫庵』だそうです。少しだけお腹も空きましたし、ここで休憩しませんか?」
「そうですね」
そういうことになった。
白猫庵は焦げ茶色の木材で囲われた喫茶店で、レトロでシックな雰囲気を醸し出している場所だった(語彙力が行方不明)。こういう建築様式を何と言うのだろう。残念ながらそこまでの専門知識は脳内には存在しない。女神様から与えられた言語能力はあくまで『僕が前世で知っていた言葉』と対応する個人的な辞書であって、全ての言葉が載っている辞典でも百科事典でもないのだ。
――カランカラン。
そんなことを呑気に考えながら、鈴というよりも鐘に近い音を鳴らして静々と店内に入る。
店内ではアーマーやローブ姿のハンターさん達が薄暗い照明の下で思い思いに寛いでいた。この暗さなら、薄墨色の法服を羽織った僕たちも目立たずに過ごすことができるだろう。
「いらっしゃいませ…!?」
ただし、目の前の可愛らしい店員さんは宿や受付のお姉さん達ほどには接客スキルが磨かれていなかったみたい。淡いベージュ色を頭の後ろで束ねた、ミッドティーンの女の子。15歳くらいかな?
そういえば、この世界に来てからこんなに年の近い女の子とコミュニケーションを取るのは初めてだ。
…メニュー表には僕がよく知っている飲食物がお洒落な字体の古代語で書かれていた。古代語を読めない人の為か、それぞれの品物には括弧付きで日常語の注釈と読み方も書かれている。なるほど、こんな感じなんだね。
「えっと、サンドウィッチとオレンジジュースをお願いします。お兄ちゃんはどうしますか?」
「ボクも同じものをお願いします」
「はっ、はい。畏まりましたっ。きゃっ!?」
びっくりした顔のまま、カウンターの方へ向かおうとして…、足元が疎かになっていたせいでテーブルの足に躓いてしまっていた。おっとっとと大きな声を出しながらカウンターに消える。アルバイトの子かもしれない。
ちょっとおっちょこちょい。でも悪い子ではなさそう。大目に見よう。
「……」
「……」
「……(じ~)」
と思っていたら、カウンターの向こうから、猫みたいなクリクリの大目に見られていた。
悪い子ではないと思うんだけど…、めっちゃ見られてる。カウンターの向こうから滅茶苦茶見詰められてるね。うん。
どうしよう。今までにないタイプの熱視線のせいでエディ君と会話しづらい。
「こら」
「あ痛あっ!?」
ゴン、という鈍い音と推定アルバイト少女の悲鳴が店内に響いた。
おお、あれはお盆チョップ。初めて見た。脳天に直撃してかなり痛そうだ。
「なに失礼なことしてるの」
「ご、ごめんなさーい…!」
喫茶店のマスターらしき恰幅のいい女性に叱られ、推定アルバイト少女が頭を押さえて謝っていた。
平和と言えば平和な光景だった。
そのまま猫の様に首根っこを掴まれて、こっちに連れてこられている様には思わず吹き出しそうになってしまった。
あ、いつの間にかカウンターの隅っこで白猫ちゃんが丸まって寛いでる。可愛い。
「ほら、お客様にちゃんと謝りなさい」
「すみません…」
「すみません、じゃなくて申し訳ございません、でしょ。あと、何が悪かったのかちゃんと言いなさい」
「はい…。ガン見してしまって申し訳ございません…」
「はあ…。給料カット」
「そんなあ~っ!? 今月きついのにー!?」
ああ、こういう空間もあるんだなあ。癒される、と言ったら失礼かな。こういう、ありきたりな(?)日常風景(?)。
「いいですよ。僕は気にしてません」
「アキラさんがいいなら。ボクも気にしません(※はい。エディ君本人は気にしてるということです。ここポイント。他人への苦手意識、いつもは完璧に隠しているのに気が緩んだのかな?)」
「ホント!?ありがと~!?ホントにごめんね。どうしても気になっちゃって。だって、ほら、すっごく綺麗な女の子がババーンって目の前に現れて!ホントびっくりしちゃったよっ。驚天動地、っていうの?世界がひっくり返ったみたいに感じちゃって!」
おや?
少し雲行きが悪くなってきたかな?
後ろのマスターさんも、疑惑アルバイト少女の自由奔放な発言を客の目の前で力尽くで止めようか止めまいかギリギリのラインで悩んでいる様子。
目が合う。うちの子がごめんなさい、いえいえ、本当に仕方のない子で、大変ですね、みたいな。アイコンタクトによるコミュニケーションも天使の特殊能力だろうか。
「私はセーラ! 白猫庵のマスコットアルバイター、セーラです!」
「初めまして。僕はアキラです」
「ユウです」
「はじめまして、アキラちゃん、ユウちゃん。えっとね、もしよかったら私と友達になってくれませんかっ!?」
あー。
「突然ごめんねっ。だって、天使みたいに可愛いちっちゃな妹ちゃんと、凛々しくて可愛い騎士様みたいなお姉ちゃんと夢の出来事みたいに出会えたんだもの。ホントにびっくりしちゃって…」
「……」
「……」
女子エネルギー満開のセーラちゃんとは対照的に、かっこかわいいお兄ちゃんであるところのエディ君が半目になって澱んでしまった。
瞳から光が消えて、生気が抜けていっている…。
あー、もうね。
悪気はないって分かるから、難しいよね。
 




