● 020 再戦(1)
地上に降り立ってから6日目の朝を迎えた。
朝食後、僕とエディ君は時間をかけて話し合うことにした。
話し合いのテーマは今後の活動方針の決定について。人類と敵対する陰魔との終末戦争を終結させる、というただ一つの長期目標を達成するため、数々の中間目標を定めなければならない。
「エディ様。先にお金の問題から整理しましょう。この部屋を長期契約で借りると、月にどれだけかかりますか?」
「昨日受付で相談したら、一ヵ月50万レンで契約できるそうです」
「50万…」
「ええっと、参考として、都市部での平均的な生活費は一人15万くらいだそうです」
ベッドの上で脚を折り畳み、もう一つのベッドに腰かけているエディ君に問いかける。
女の子座りにも慣れてきた。エディ君が反射的な定位反応によって視線をこの白い生足へと引き寄せられて、すぐに慌てて逸らしている。仕方ない仕方ない。
朝食・お風呂付きの二人部屋でそのお値段はちょっと尻込みする。でも、治安やサービスの問題で、エディ君はこの宿以外を利用するつもりは全くない様子(それに、このお値段でもかなり割引されてるような気もする)。
昼夜の食事代は平均すれば一食1000レン前後だから、一月で2000(レン)×2(人)×30(日)で12万レンの食費を追加。
合わせて62万レンが必要最低限の出費になる。雑貨や生活必需品等の費用も合わせて、大体70万くらいの支出を見込んでおこう。
ちなみに、この世界の一ヵ月は30日。一年は12ヵ月と、最後に十日間だけの特別な13月目がある。なので一年は360足す10で370日。一週間七日の概念もある。七という素数はどの世界でも特別な意味を持ちやすいのだろう。
「もし毎日聖樹の葉っぱを集めたら…、一ヵ月で12万レンくらいは稼げるでしょうか」
「はい。そのくらいだと思います」
「葉っぱだけでもかなり稼げますが、拾いに行っている人はあまり多くないみたいですね」
「そうですね、都市で生まれ育った人にとっては最下級の魔物でも十分な脅威ですから。血統魔法や天恵魔法の才能があっても、実戦経験がないまま安全に暮らす人はかなり多いと思います」
「それだけ、壁の内側は安全で平和な場所ということですね」
「はい。そういう立派な都市が先人のたゆまぬ努力でいくつも建造され、守られてきました」
毎日は無理だとしても、リリアさんのお店には定期的に葉っぱを売りに行って顔馴染みになっておきたい。
錬金術といえば魔法薬。魔法薬と言えば変身薬。変身薬と言えば成長薬。可能性はあるだろう。目指せ十二歳ロリ天使。
「本命のハンター業の方はどうですか?」
「そうですね…。毎回キャリアーを雇っても、現状の灰石級のままでも一日で数万レンは稼げそうです」
「キャリアーは倒した魔物を運んでくれる職業の人でしたね」
「はい。ハンター心得によると、ハンターとキャリアーは持ちつ持たれつの関係のようです。ボクたちだけでも倒した魔物を持ち運ぶことは不可能ではありませんが、効率を考えると結局はキャリアーを雇った方が安くつきます。女性のキャリアーの方も多いみたいなので、ギルドで相談して、子どもの僕たちでも契約してくれる人を探してみましょう」
「そうですね。シャランさんに聞いてみましょう」
「では、そのように」
ハンターが魔物を狩って、キャリアーが運搬する。とても単純で、効率的な役割分担だ。
しかし、いついかなる時でも単純ではないのが人間関係。そして人間関係で重要になるのが性格の相性。
こればかりは運任せになるかもしれない。
いい縁に恵まれたらいいな…。
「となると、問題は一月に何日ハンターをして、何日黄昏領域で陰魔と戦うか、ですね。精神衛生の観点から、陰魔と連戦して毎日死ぬのはお勧めできません」
「アキラ様の助言に従います。無理をしないと決めましたから」
「よかった。あと、毎日戦ってばかりというのもよくありません。定時の仕事に就いている場合は、一日八時間就労、有給休暇有りの週休二日制が理想になります。長期的な視点を持つなら、三連休も入れて、一月に十日は休んでいいと思います」
「30日の内、10日もですか…?」
「そのくらいの余裕は持ってもいいと思います。いえ、持つべきです」
「分かりました」
最低でも週休二日制。これは絶対。そして、三連休も必要。理想を言えば長期休暇も欲しい。
陰魔との戦争が切羽詰まっているなら、使命を優先してひたすら戦い続ける日々になっても仕方がないとは思っている。
でも、この町の様子や、エディ君やトムからの話から判断する限りではそこまで逼迫している訳ではないみたいなんだよね。
それは間違いなく、先代勇者様のテル様の活躍が大きく影響している。
断片的な情報だけでも断言できるくらい、歴史的で伝説的な偉業だ。
――勇者テルは2年前に深海に巣食う闇の魔王、暗黒帝ザハーを命と引き換えに討ち取り、昇天した。ザハーは無数の陰魔の母体であり、ザハー消滅後、人類圏に侵攻してくる陰魔の数が激減。人間世界は未曾有の黄金時代に突入した。しかし、ザハーはかつて天空を舞った闇の魔王のように20年で復活する恐れがある。二度と復活しない、と断言できる根拠は何一つない。明日復活する可能性も零ではない。残された猶予は、楽観的に見ても、あと18年。
これが現時点で最も客観的な状況。
僕たちはテル様の奮戦と犠牲によって生かされている言っても過言ではない。
でも、焦りは禁物だ。重要なのは、継続的に戦い続ける為のケアだ。
死と復活は精神的に負担が大きすぎる。致命傷を追えば文字通り死ぬほど痛い。苦痛と恐怖はそのままだから。
僕たちが諦めない限り幾らでも復活できるとはいえ、死ぬような目に遭うことが心身の健康に悪影響を及ぼさないはずがない。
「その…、今までにそんなに休みを貰ったことがないので、どうやって過ごせばいいのか…」
「大丈夫です。前に言っていた趣味を始めたり、どうしても暇な時は僕とデートしましょう」
「で、デート」
「はい。二人で外出して、町を気ままに散策したり、買い物をしたりしましょう」
「散策…。買い物…。…はい。ボクでよければ、喜んで」
「よかった」
エディ君は未だに僕とのコミュニケーションやスキンシップに対して消極的なままである。恥ずかしいのかな。
「詳細な予定はハンター業と使命の両方の成果を見ながら調整していきましょう」
「分かりました。まずは今日、前回よりも陰魔を多く倒せるように頑張ります。前は騎士級と相打ちをしてしまいましたから」
一度立ち上がり、エディ君がいる方のベッドに移動する。
拳一つ分だけ距離を開け、ちょこん、と彼の隣に腰かける。服が少し擦れ合うが拒否的な反応はない。エディ君としては密着しなければセーフなのだろう。憶えておこう。
「…今の所、僕が考えている中間目標は3つです」
無詠唱でウォーターの基礎魔術を使い『ウィバク黄昏領域の解放』と空中に文字を描く。透明で読みにくいが、辛うじて判読はできる。イメージを強めて色水にできないかな。
むむ。
できた。
透明な水の文字がかすかに青く光って読みやすくなった。
「また、さらっと高度なことをしていますね」
「どうしたしまして。これは、一年以内の達成を確定として。問題は次です」
青色の水文字を崩し『勇者の認証と支持』と書く。
「口惜しいですが、僕一人だけでエディ様を戦争終結まで導くのは限界があります」
「そんなことは。…でも、アキラ様の言う通り、ボクが勇者として認められなければ魔神の打倒は夢のまた夢でしょう。世界中のたくさんの人から協力を得られなければ…」
「段階を追って考えましょう。まずは身近な信頼できる人から。幸い、トムがエディ様の味方になってくれたように」
「はい。この町でトムと出会えたことは望外の幸運でした。あ、えっと、アキラ様の次に…」
「くす。そして、いずれウィバクを開放すれば何万もの人がエディ君のことを知って、勇者として認めるでしょう。そうして支持を増やしていって、最終的には…」
「…公的に、レヴァリア全土で勇者として認められる為には女神教の最高権威である神子様との謁見は避けられないと思います。神子様は、レヴァリア中央に築かれた王都セイヴリード、更にその中心地点に建つ大神殿にいらっしゃいます」
「王都セイヴリード。大神殿…」
「はい。最南端の聖樹の森、最北端の聖水の湖に並ぶ『聖者の閨』と呼ばれる大神殿地下の聖域で、神子様は陰魔から人類を護る大結界を維持し続けられています。でも、大神殿には神子様に付き従って女神教の中枢を担う人達も、神子様直属の聖騎士もいるので…」
「二人で大神殿に向かって、僕たちが勇者と天使だと明かせば大変なことになりそうですね」
「それは…、はい。大変なことになると思います。どうなるのか、全く想像が付きません」
「エディ様が修行していた北神殿というのは、大神殿とはあまり関わりがないのですか?」
「ボクも後から知ったのですが、聖水の湖のほとりに位置している北神殿は地理的な距離もあって独自の派閥を作っていたみたいです。ですから、多分神子様は…」
「北神殿で行われていたことを関知していなかった?」
「ボクはそう思っています。神子様は大結界の維持に心血を注がれていて、外界と関わることが少ない方ですから。いいえ、これはボクの願望です。本当に、そうであればいいと…」
「分かりました。大神殿に乗り込むのは後回しにしましょう。少なくとも、僕達が誰にも負けないくらい強くなるまで」
「乗り込む…。アキラ様、もしかして怒っていらっしゃいますか?」
「実は、かなり。いざとなれば、誰が相手でもぶっ飛ばしてあげます」
「……」
返事はない。代わりに、少し困ったようで、少し嬉しそうな表情を向けられた。どうか気にしないで下さい、と言わんばかりの顔だ。本当に、もう。君がそんなだから、僕は…。
…僕は女神様の遣いとして女神教を糾弾することもできる。もしかしたら女神様もそれを僕に望んでいるのかもしれない。
女神様を奉じる宗教の腐敗。勇者となったエディ君の監禁。
最南端に位置するここから遠く離れた、最北端の地に悪逆に塗れた神殿が存在している。
いつか罪人と対決し、その罪を明らかにする日が来るかもしれない。
でも、今は。
息を吐き、気持ちを切り替える。
三つ目の目標は『陰黒龍ギラーの打倒』。巨大な暗黒のドラゴン。今はまだ、あの存在に打ち勝てるイメージは全く持てない。それこそ、全世界の力を結集しなければ勝ち目がないかもしれない。そんな予感がする。
「あのドラゴンは、どうしてあの場所に?」
「アキラ様が降臨された、大結界の外側に残された最果ての神殿の近くには魔神の住処への入り口があるとされていて、闇の魔王の一体であるギラーは何千年も昔からその場所に結界を張って守り続けています。大地を這うあの魔王を倒さない限り、魔神と相対することは不可能です。ただ…」
「ただ?」
「この世界ができてから、闇の魔神を直接見た人はいません。そういった記録も残されていなくて…、実は、魔神が実在し、闇の魔王を生み出し、蘇らせているという証拠もないんです。だから…」
「陰魔との終末戦争を終わらせる方法がはっきりしていない?」
「その通りです。何もかも、とても古い言い伝えですから。でも、教会は伝承が誤りである可能性を決して認めないでしょう。そういった説を唱えるだけで異端とされる恐れがあります」
「そうですか…。それなら」
ゆっくりと『真実の解明』と空中に書き記す。
「4つ目の目標です。この終末戦争は、陰魔と魔神の真実を明らかにしなければ決して終わらない…。そう思えてなりません」
「アキラ様がそう仰るのなら、きっとそうなのでしょう。アキラ様の御意志で世界の命運が左右されるとしても、全く不思議ではありません」
仰々しい言葉をかけられて思わず横を向くと、肩が触れ合うような近い距離でエディ君と真っ直ぐ目が合ってしまった。
何故だか何だか面映ゆい。
「えっと…」
「あっ…、ごめんなさい」
いつの間にかエディ君の手を握っていた。ぎゅう、とかなり力を込めて。僕はエディ君を励ましたかったのだ。うん、きっとそうに違いない。
少しだけ力を弱める。このくらいならいいかな。
「もう少し、こうしてもいいですか?」
「…はい。お好きなだけ、どうぞ…」
「ありがとうございます」
「こ、こちらこそ…」
ついさっきまでの仰々しさが吹っ飛んで、年相応のまんざらでもなさそうな顔。
繋がっているのは手だけなのに、なんだかぽかぽしていい気持ちになってきた。
「少しだけお昼寝しましょうか」
「…夕方まで寝てしまいそうなので駄目です」
「では、お昼寝は休日のお楽しみに取っておきますね」
「折角のお休みの日に外出しなくてもいいんですか?」
「大丈夫です。部屋デートという考え方もありますから」
「部屋デート…。そういうものがあるなら、もう何でもありじゃないでしょうか」
「何でもありなのが人間関係です。家族です」
「そういうものですか?」
「はい、そういうものです。だから添い寝もありです」
「それはどうでしょう…」
「ハグもありありです」
「むぎゅ」
寝転んで昼寝はしなかったけれど、思い切ってベッドの上で膝立ちをして抱き締めた。
拒否は全くなかった。むぎゅむぎゅ。
それどころか、僕の背中に手を回せないでいたエディ君が、最終的に服の端を恐る恐る摘まんできたのがとても微笑ましくていじらしかった。
12歳ロリになるっていう目標はどうしたのかって?裏目標を堂々と挙げるような馬鹿な真似はしないとも。
◇◇◇
堂々と都市の門を潜る。トムが同伴していない分、注目が露骨に突き刺さってくる。けれど、もう僕たちはいっぱしのハンターなので後ろめたさを感じる必要はない。
ガンド平野。見渡す限りの大草原を東西に貫く街道を進み、ある程度歩いてから南側の草原へと外れ、聖樹の森を目指す。
森の縁までたどり着いたら、周りに誰もいないことを確認し、一気に青空へと飛び上がる。
光の結界を張り巡らせて風を押し分け、一直線に飛び続ける。
やがて、草の海のような平原の只中で揺らめき続ける黄昏の空間が見えてくる。
ウィバク黄昏領域。
僕にとっては二回目の戦争となる。
戦争。
果てしない終末戦争。78000。ウィバクを除き、同様の黄昏領域があと35箇所。本当に果てが見えない。
陰魔との戦争こそが勇者の使命だ。僕はそれを止められない。
その代わり、天使として全力を尽くし、エディ君を支えることはできる。
心身共にオールグリーン。
さあ、行こう。




