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● 018 試験(2)


 エディ君が冷静にグラスウルフの襲撃を待ち構えている。

 まもなく、彼はあの魔物達を殺すだろう。一撃で、容赦なく。


 目算で、一撃必殺の距離まであと十秒ほど。

 

 あと五秒。エディ君の全身から朱色のオーラが淡く放出する。あれは…。



「闘気か。ほとんど熟達レベルだ。驚いたな」



 僕もちょっと驚いている。間違いなく聖術の光の闘気だ。その魔法をエディ君はわざと身に纏い、ゼータさんに見せている。そう思った。

 聖術の『光の闘気』は仙術の『闘気』と非常によく似た性質を持っているそうだから、無詠唱で使えば他人の目の前で使っても見破られないと判断したのだろう。事実、熟練ハンターのゼータさんでも違いが分からないくらいだ。


 あと三秒。


 狼たちが一斉に咆え、四肢に力を入れて飛び掛かろうとする直前。



「《ウィンドエッジ》」



 必殺の距離。約20メートル。至近距離ではなく、遠すぎることもなく、絶妙な中距離と言える間合いで風属性魔術が唱えられた。光の闘気はあくまで見せ札で、防御用。本命は無色透明の風魔術。魔力から作り出された幻想的な風の刃が弧を描いて振り下ろされ、二体のグラスウルフの首がスパンと一瞬で刎ねられた。残った一匹が驚いて一旦方向転換をして距離を取る。


 見事、と僕の隣に立つ試験官のゼータさんが呟いた。次は嬢ちゃんだ、お誂え向きに一匹だけ残してくれたぞ、と続ける。

 他人の言葉が遠い。


 僕も覚悟を決めなければならない。じんわりと背中に汗が浮かぶ。


 エディ君が振り向いて視線で心配してくる。大丈夫ですと頷き返し、《光の結界》と心の中で唱える。


 昨日、神殿で習得を済ませていた無詠唱バージョンの結界。ギルド試験で僕がこの魔法を使うことについては事前の打ち合わせ通りだ(さっきの光の闘気は打ち合わせにないエディ君のアドリブ。僕への注目を分散させようとしてくれたのかもしれない)。

 きちんと詠唱した場合よりは一回り以上小さな瑠璃色の球体が僕の体を包み込む。ぎりぎり足から頭まで入るくらい。ここでは十分。これで、命を失う恐れは限りなくゼロに近づいた。


 エディ君が一安心した様子で臨戦態勢を解き、僕に場所を譲ってくれた。


 一歩を踏み出す。


 生き残った最後尾の一体が態勢を整え、大きくカーブしながら向かってくる。折角生き延びたのに、どうして逃げないのだろうか。目の前で仲間が殺されたというのに。

 普通の狼ならば、いくら相手が子どもの姿をしていても、不可視の力で瞬殺されるかもしれないと分かれば恐れをなして逃げるのではないだろうか。


 つまり、それが魔物という生き物なのかもしれない。

 知能が低下している?狂暴性が生存本能を上回っている?

 グラスウルフだけの特性かもしれない。全ての魔物がそうだと判断するのは早いかもしれない。


 グラスウルフが全速力で僕に襲い掛かってくる。何という形相か。途方もない殺意。あまりにも純粋な暴力だ。食欲だけではない。激しい衝動性があるように見える。



 ――落ち着け。大丈夫。



 頭の中で、大きな水球のイメージをできるだけ詳細に形作る。

 恐怖はある。ない訳がない。

 死の恐怖を意志の力で押さえつける。何度も体験した僕にはそれができる、と自分自身を叱咤して。


 魔力抽出、空想描画、言語固定。


 水の質感と透明感、重量感、そして光沢感。それは一瞬で立像された。



「《ウォーターボール》」



 僕の喉笛に噛み付こうと飛び掛かってきた狼が瑠璃色の結界に接触する寸前、その軌道上の空中に水球が発生。魔物の頭部が丸ごと飲み込まれた。


 水球だけで跳躍の勢いを殺すことはできず、僕よりも大きな狼の体躯が結界に衝突する。音はほとんどない。衝撃は全く伝わってこない。


 ガフッ、と気泡が大きな牙の間から噴出する。


 ――できるだけ大きな水玉を作って、モンスターの鼻と口に被せてぎゅってしなさい。


 お姉さんのアドバイス通りに。

 一思いに力をかけ、暴れて逃れようとする狼を地面に無理矢理押さえつける。

 幸い、水魔術の圧力はグラスウルフの筋力を上回っていた。


 痙攣が止まる。

 終わった。 



「よし、二人とも合格だ」



 ゼータさんが告げた。

 


「アキラさん」



 エディ君が駆け寄ってくる。



「終わりました。僕にもできました」

「はい。本当にお疲れ様でした。魔物は人間の敵ですから。アキラさんは、この魔物が殺していたかもしれない人達を助けました。だから、どうか気に病まないでください」


「ありがとうございます、お兄ちゃん」



 そう言われると救われる。うん、本当に。ありがとう、エディ君。

 そして、直截対峙して実感した。

 魔物と陰魔は全く異なっている。

 魔物はあくまでも血の通った生物だ。一方で、死ねば霧となって消える陰魔は普通の生物とは全く異なっている。もしかしたら、あれらは命を持たない機械的な存在なのかもしれない。そして――



「嬢ちゃん、魔物を殺したのはこれが初めてか?」

「はい。普通の、大きな生き物は…、今まではお兄ちゃんが倒してくれていたので…」


「そうか。まあ実際、大人でも加入試験で童貞切るっていうのはそれほど珍しい話じゃない。気にするな。吐かなかっただけましだ。あとで兄ちゃんに思う存分慰めてもらえ。待て、あいつらに言うなよ?」

「何をですか?」


「何をって、ああ、いい。忘れろ」



 童貞がどうのっていうセリフのことかな?

 ゼータさんのこれは素だろうか。うん、やっぱり面白い人かもしれない。

 あと、エディ君に慰めて貰うというのはいいアイデアだ。ぜひ参考にします。



「で、だ。これが嬢ちゃんの本命か。水魔術はおまけだな。坊主の方は底知れない赤い闘気と殺傷特化の風魔術。とんでもねえな…」



 顎に手を添えたゼータさんが興味深そうに瑠璃色の結界を矯めつ眇めつ眺めている。あ、消すのを忘れていた。

 傍らのエディ君は半眼でゼータさんを見上げて警戒している。むう、と言わんばかりの半眼がなんとも可愛い。



「ちょっと触ってもいいか?そんな目で見るな、坊主。やましい意味はねえよ」

「別に構いませんよ」

「アキラさんがいいなら…」


「そりゃ助かる。ふうん、マジもんだな。昔、時空魔術師が似たようなもんを使っていたのは見たことがあるが…。それにしたってやべえ」

「やばい、ですか?」


「やばいな。魔力場が立体的な超高密度障壁として機能している。なのに嬢ちゃんは窒息してねえ。つまり本物だ」

「まりょくば。ちょうこうみつどしょうへき…」


「五元魔術とは根本的に異なる、高度な時空魔術だな。嬢ちゃんは生まれつきこれを使えるんだろう?」

「えっと、はい。そうです。生まれつき…」


「なら、天恵魔法で確定だ。坊主の闘気も、本来はガキが気軽に使えるものじゃない。つまり、お前たち二人は辺境都市に突然現れた英雄の卵って訳だ。やべえぜ」



 天恵魔法。

 また専門用語が出てきた。


 何となく意味は分かる。生まれた時から持っている先天的な魔法みたいな意味だろう。大変中二心をくすぐられてよろしい。実際には女神様が与えてくれた聖術なんだけど…、ん?そう言われると、確かに結界も加護も、生まれ変わった僕に与えられた天恵魔法と言えなくもないか。嘘をつかなくてよかった。



「…そうだな、今の時代、大抵の人間は一つか二つ、生まれつき魔法の才能を持っている」

「そうなんですか?」


「ああ。普通は下級魔法ばかりで、得意分野くらいの意味合いだがな。半数の人間は、五元魔術のどれか1つか2つ程度だ。次に多いのが仙術で、割合として一番少ないのが錬金術になる」


「なるほど」

「しかしそれは、天恵魔法とは関係ない。単なる、血統による才能だ。そして、その才能による魔法を中級相当まで使いこなすには20年近くの鍛錬が必要になる。少なくとも、余程の天才でもない限り、15にも満たないようなガキには不可能だ」


「なるほど…?」

「で、そのような魔法を、総じて『血統魔法』という」


「血統魔法。例えば…、お兄ちゃんの風魔術のような?」

「はい、アキラさんの言う通りです。僕の風魔術は、先祖代々受け継がれてきた血統魔法に当たります。僕の母方の祖父は風属性上級魔術を操る達人だったそうです」

「分かりやすいだろう?嬢ちゃんなら水魔術だな。どちらも最下級の魔物を倒せるくらいには強力だが、それでも下級魔術に過ぎない。一方で、天恵魔法は才能すら超越した、高次元上に存在する『魔法系統樹』から与えられる。血によって決まる才能よりもピンキリで無作為的、しかも遺伝しない一代限りのものだが…」


「子どもの頃からでも使いこなせる?」

「正解だ。時に拒絶反応を起こす血統よりも遥かに、天恵魔法は宿った人間との相性が良い。相性がいいからこそ宿るのかもしれないが。肉体よりも魂の波長がどうのことのと聞いたことがあるな。で、お前たちの闘気や時空障壁、あれらは明らかに中級以上の代物だ。一人前のハンターでさえ、中級魔法を一つ持っていれば上等。そういうものだ。大体は理解できたか?」


「はい」

「はい」

「お前たちが賢くてよかったよ。それだけ俺が楽できる。何か質問は?」


「はい。魔法系統樹とは何ですか?魂の波長というのも…」

「あー、説明が面倒だ。あとでお兄ちゃんに教えてもらえ」


「そうします」

「えっと…、はい」

「仲が良くて何よりだ」


「色々教えて頂いてありがとうございます」

「…一つ忠告だ。いくら特別な魔法を持って生まれても、いいことばかりじゃない。増長して早死にすることもあれば、力に溺れてあっさり道を踏み外して転落することもある。精々気を付けろ」


「はい」

「はい」

「あと、もし天恵魔法が女神から与えられる聖術だったりしたら、世界を守るためにあの忌々しい陰魔どもと戦う破目になるが…」


「それは…」

「心配するな。女神教の連中に連れ去られるとしたらもっと小さいガキの時だよ。よかったな、生まれ持ったのが聖なる魔法なんてもんじゃなくて」

「……」



 さて、とゼータさんが一息置き、手慣れた様子で片手を足元にかざす。

 直後、彼の足元の雑草が寄り集まって一つの大きな袋を形作った。あっという間の出来事だった。



「仙術と魔術は見せてもらったから、サービスで錬金術を見せよう。仙術が自己完結的な強化と進化を扱う魔法であり、魔術が破壊的な空想と言葉を扱う魔法であるなら、錬金術は生産的な操作と反応を扱う。覚えたら何かと便利だぞ。何に使うかは言わなくても分かるな?」



 すぐに分かってしまった。

 空想から生まれた儚い魔術ではなく、実物の瑞々しい青草から編まれた植物繊維の袋に、自分たちが倒した魔物の骸を入れて持って帰るのだ。


 それから、僕もエディ君も仕留めた狼を無言で緑色の袋に詰め込んでいった。溺死した死体は特に問題なかった。二人で分担して前脚と後脚を掴んで持ち上げて袋に入れた。疾風の一太刀で首が切断された死体については、頭部が飛んで行った方向にエディ君が僕に先んじて向かい、両腕に抱えて運んできた。そして僕が何か言う前に、慣れているので大丈夫です、と小声で言った。首の切断面が何度か視界に映った。


 三体の獲物を袋詰めにする作業は滞りなく終了した。植物繊維製の袋はかなり頑丈で、多少乱暴に扱っても破れる心配はなさそうだった。ご丁寧に長い紐もついていたので、二人で力を合わせて引き摺って行くことにした。天衣の飛行能力は目立ちすぎるので、今後もハンターの仕事では使うことはできないだろう。



「よし、帰るぞ。その袋は市門にいる業者に丸ごと渡せ。ギルドに着いたらハンター証を発行する」

「はい」

「分かりました」



 指示に、特に不満はない。

 血と草の臭いが混じり合うが、吐き気を催すほどではない。

 早く帰ろう。

 早く帰ってエディ君を慰めよう。



「幼い内に連れていかれた子どもは、不幸なんでしょうか」

「急に黙り込んだと思ったら、そっちの話か」



 小さな汗を額に浮かばせ、エディ君がポツリと呟いた。手ぶらのままのゼータさんが少し呆れたように口を開いた。



「どうだろうな。別に、そういう訳でもないんじゃないのか?」

「えっ、でもさっき…」


「ああ、そうか。ガキがクソ陰魔と無理矢理戦わされている、みたいに聞こえたか」

「そう、です。小さい頃に選ばれて…、集められて、他に選択肢がないと言ってるように聞こえました」


「はっ、なんだ。生粋のいい子ちゃんかと思えば、反抗的な目もできるじゃないか」

「あっ、えっと…、すみません」


「そこで謝るのは育ちが良すぎるな。まあいい、話を戻すが、温室栽培された女神教の聖騎士も神官も、実際のところ俺達とどれだけ違う?」

「それは…、戦う相手がまるで違っていて…、自分の意志の有無も…」


「そうだな。そこら中にいて食い物にも資源にもなる魔物か、何の役にも立たないクソ陰魔かが違っているな。だが結局はどっちも人間様の敵だ。で、その日暮らしで自由に戦うのか、崇高な使命で戦うのかが違っていて、だが結局はどっちも戦わないと生きていけないな」

「だから同じだということですか? 結局は…」


「分かってるじゃないか。ああ、その様子じゃあ納得できてないだけか」



 エディ君は口を開きかけ、躊躇して、結局口を閉じてしまった。

 僕も同じだ。言葉が上手く出てこない。



「なら、結論も分かっているはずだ。結局はそいつ次第だ。どうしようもなく、そいつ次第なんだ。望んでいるかいないか。理解しているかいないか。納得しているかいないかはハンターなら自由を。聖騎士なら使命を。それらの価値は、等しい。どうしようもなく。ただ、自由を求める人間の立場からは、使命の価値が不確かにしか見えないってだけだ。じゃあ、逆ならどうだろうな?」

「……」

「……」


「そら、他にはあるか?」

「えっ…?」


「なんでもいい。言ってみろ。自由であれ使命であれ、それを求める理由を」

「……」


 ……。


 ゼータさんが言いたいのはきっと、弱肉強食とか犠牲精神とか洗脳教育とか、どうしようもないこと全部ひっくるめて、最後はどうしようもなく僕たち次第、という話で。

 そんな過酷な現実を成人前の子どもに付きつけるなという憤りもなくはないけど。上の人間が極悪人だったり犯罪者だったりしたらちゃんと裁いて欲しいという文句もあるけど。

 大真面目でこんな話をしてくれるのは一人の人間として認めてくれているからだ、という嬉しさもあり。


 今の僕たちは自由だ。比較的。

 だから、ゼータさんはよかったなと言ってくれた。僕たちが自由を求めていると理解しているからこそ。


 考える。

 僕自身のことを考える。


 どうしようもなくても、僕自身の自由について、願望や希望、理解、納得があるか。

 そして同様に、天使としての使命について、願望や希望、理解、納得があるか。

 ある。僕にはある。どちらもあると意識している。決定している。現時点でそう決定しているのが、僕だ。


 他には? 


 もちろん、あるに決まってる。



「なんだ、ないのか?」

「あ、あります。信じているかいないか、です」



 うん、そうだね。

 エディ君が勇者テルを信じていることを僕は知っている。エディ君について確実に理解できている数少ない事実だ。

 そしてきっと、女神様のことも。



「それもあるな。信仰も信念も馬鹿にはできん。他は?」

「えっと、す、好きか、好きじゃないか…。嫌いか、嫌いじゃないか…」


「はは、そりゃあ確かに。好きも嫌いも、どっちも原動力になる。次は?」

「…責任があるかないか。利益があるかないか。約束をしているかいないか」


「いいね。次」

「っ…。次は…、他に…」


「どうした、品切れか?」



 ううん。全然。



「僕もあります。美味しいものが食べられるかどうか。居心地がいいかどうか。それに、楽しいかどうか」

「くはっ、全くその通りだ、嬢ちゃん。どれもこれも大事すぎるな。んじゃあ、いい答えが出たからあと一つで仕舞いでいいぞ。ユウ坊のとびっきりの理由でな。どうだ、あるか?」

「とびっきりの…、はい。あります」



 ふふん。まあ、このくらいのアドリブはね。



「一つじゃなくて、二つ」


 

 そして、エディ君も答えた。ちっとも躊躇わずに、はっきりと。



「そうすることが自分にとって大切だから。そして、大切な人がいるからです」



 うん。



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