● 017 試験(1)
「最近、ボクは泣きすぎています」
5日目の朝。
4日目の夜も無事宿の同じ部屋で寝泊まりして、さあ今日はギルド試験だ、と気合を入れながら顔を洗って身だしなみを整えた直後にエディ君はそう申告した。
「そんなことは…ない、と言えなくもないですよ?」
「なので、これから先は絶対に泣きません」
僕からの苦しい慰めは厳正な自己分析に全く届いていなかった。一睡して決意を新たにしたような、並々ならぬ意志が茜色の瞳に宿っていた。
「目標を持つのはいいことです。でも無理は駄目です。無理をするくらいなら、僕の前でならいくらでも泣いていいですから」
「それはとても甘い誘惑です、アキラ様」
「誘惑」
「アキラ様にそうやって慰められると、ボクは…。ボクは…」
「エディ様?」
「う…、ですから、その上目遣いが…」
エディ君は懊悩していた。悩み、悶えていた。いや、悶えるって。そんなに重大なことなんだろうか…。
悪魔の誘惑ならぬ、天使の誘惑といったところかな。
「女神様も見守ってくださっています。このクエーサー・エディンデル、勇者として、そして男として、これ以上女神様とアキラ様に無様な姿を晒したくありません」
「な、なるほど」
男として、か。
成程。
僕もいっぱしのオトコであるからして、エディ君の気持ちは分からなくもない。いや分かる。分かるとも。デリケートな出来事が続いてしまい、彼の秘めたる男心が発奮したのだろう。
しかも相手がロリ天使だし。こんなにちんまいロリッ子に慰められてしまった心的ダメージの深刻さは同情に値する。
女神様に惨めなところは見られたくない、というのは大いに同意できるし。
ここはエディ君の考えを否定せず、励ました方が得策だろう。
「分かりました。僕は応援します。あなたの天使として。いえ、それ以上に、一番の友達として」
「……!!」
拳をぐっと握って励ます。
エディ君はよろめいた。形容しがたい複雑な衝撃を受けたかのような反応だった。
む…。
ここは純粋に喜んでほしかった。時々、僕の言動が想定外の解釈をされてるっぽい時があるんだよね。ブツブツと「無邪気な笑顔が…」とかなんとか呟いているけど、よく分からない。
女神様謹製の美貌に惹かれてしまうのは仕方がない。それでも全然構わないと思っている(しかしまあ、惹かれても仕方ないなんて、純情な少年に対して酷い言い草ではないだろうか)。
でも、体はつるぺたのがちろりで、内面は一般市民の僕だし。こんなだし。
…まさか、ね。
◇◇◇
予定通り朝一番の時間帯にハンターギルドに到着する。今日も大きな分岐点になる。気合いを入れていこう。
「すみません。加入試験を受けられますか?」
「まあ!」
エディ君は昨日と同じように受付へと迷わず真っ直ぐ進んだ。僕も昨日と同じように注目されながらその背中にぴったりとついていく。
そして、栗色の髪の美人なお姉さんと再び巡り合った。これもまた運命。
「まさか、昨日の今日で試験を受けに来るなんて。若いってすごいなあ」
お姉さんは変な方向に感心していた。怪訝に思われたりするよりはずっといい。隣の受付のお姉さんがまた眼鏡をくいっと上げてこちらのお姉さんを注視しているのもまた運命。昨日、あの後に怒られなかったのだろうか。
「こほん、当ハンターギルドへの加入試験ですね。ではこちらの用紙の必要事項を記入してください」
「分かりました。ありがとうございます」
真横から突き刺さる視線に気付いたお姉さんが姿勢を正す。一瞬で気安い近所のお姉さんからお役所の職員さんに変貌した。
本番が控えてるから、今は無難に手続きを進められるのならそれはそれでありがたい。
「お、睨んだ通り朝一で来たな。ふふん、賭けは俺の勝ちだ」
否、無難とはいかなかった。おおよそ5メートル左から届いた低い男性の言葉によって、新しい人間関係が発生する。願わくは、どうかトラブルになりませんように。
「俺はゼータ。ここのギルドに所属する黄金級ハンターだ。これから、嬢ちゃんたちの試験官を担当する。よろしくな」
「ユウと言います。今日はよろしくお願いします」
「アキラです。よろしくお願いします」
「無意味な質問も反発もせず、しかも礼儀正しい、と。こりゃあいい拾いもんだ。おう、じゃあ早速行こうか」
現れたのは、ザ・ハンターとでも言うべき中年の偉丈夫だった。とても背丈が高い。1メートル90センチ…、いや、2メートルあるかもしれない。背が高い分細身に見えるけれど貧相な感じは全くしない。寧ろ筋肉質で、素人の僕から見ても全身がぎちぎちに鍛え上げられているように見える。そして、使い込まれたレザーアーマーと顎鬚がとても似合っている。
言葉遣いはやや乱暴だが、血生臭い戦いを生業にしている大人の男性にしてはとても配慮がある方ではないだろうか。
「用紙の記入が澄んでからお願いします、ゼータさん」
「んー?別にいいだろ?後からどうとでも…」
「規則は規則です。お願いします」
「ちっ、分かったよ。おい嬢ちゃん、とっと書いてくれ。受付のねーちゃんが怖いからな。…睨むなよ。マジで怖いだろ」
「(にっこり)」
「ったく。どいつもこいつも敬意ってもんが…」
そして受付のお姉さんには弱いようだった。眼鏡のお姉さんにも呆れた視線を向けられているのでギルド内で有名な人なのかもしれない。
そういえば黄金級ハンターと言っていた。黄金。その貴金属の名が示す階級が低いわけがない。突然やってきて一方的に試験官をすると宣言しても、その宣言内容自体については否定も非難もされていない。
加入試験の試験官は上級ハンターが担当するという規則があるのかな。そしてそれに自選できるくらい上の立場にいるんだろうと予想できる。
でも受付のお姉さんには弱い、と。逆に、お姉さんがこのゼータさんに強いのかも。
もう一つ。
そういえば、ゼータさんはさっき『お嬢ちゃん』と言っていた。とんでもない勘違いをしている恐れがある。
無言でさらさらと記入を済ませていくエディ君の様子を窺う。
若干、心理的負荷が掛かっているような表情に見える。有り体に言うと、ほんのちょっぴりムカッとしているような(そんな横顔も可愛い。本人には言えない)。
「できました」
「おう、早いな。ふうん、字も綺麗だな嬢ちゃん。まだ小さいのに大したもんだ」
「ボクは男です」
「は?」
「ボクは男です」
「いやいや…、声だって女声だし…、嘘だろ?」
「…嘘じゃありません。お兄ちゃんはお兄ちゃんです」
「うっそ」
案の上だった。黄金級ハンターのゼータおじさんが失言してしまい、言葉を失い、エディお兄ちゃんがめっちゃムカッとしてしまった。
「はあー、えらい別嬪だな、お前。悪い悪い、素で間違えちまったよ。いやいや、俺の目を誤魔化すなんてマジで大したもんだぜ?あっはっは!」
「……」
酷すぎる言い分だった。悪びれもなく豪快に笑うゼータさんを思わず茫然と見上げてしまう。
恐る恐るエディ君の様子を見る。耳まで赤くしてプルプル震えていた。
しかも圧倒的な体躯を誇る黄金級ハンターは声量も膨大だったので、その時にはもう、一連の遣り取りによってフロア中から注目を集める事態に陥っていた。朝一ではあるけれど、勤勉な人はそれなりにいる。
男だってよ、嘘だろ、姉妹にしか見えねえよ、男の娘と書いてオトコノコっていうんだぜ、知ってるよ、やべえ、いいなって思ってたのにマジかよ、オレならいけるね、青いちっこい方はマジで天使だけど赤い方もトップレベルで可愛いよな、変態、ひそひそ、わいわい。
悪い意味で群衆から観衆にランクアップしたハンター達の勝手きわまる寸評が耳に届く。
エディ君が堪らず俯いて限界まで真っ赤になってしまう。手の指先まで赤くなって震えている。
これはもう、本当に、笑い事ではない。
思わず手を伸ばしてエディ君を抱きかかえる。これ以上見世物にはできない。
第一印象の高評価が一瞬で吹き飛んだ、元凶のセクハラハンターに非難の目を向ける。
ロリに睨まれたところで痛くも痒くもないだろうが、僕だって怒る時は怒るのだ。
「ぐっ…!?」
「最低。謝ってください」
「最低です」
「最低最悪だな」
「見損なったよ」
天使の藍色の眼光にいかなる威力があったのか、遥かに上背の相手が怯む。同時に、近くで状況を見守っていた人たちからの援護射撃が入った。ありがとうございます、受付のお姉さん、ハンターAさんBさんCさん。
「悪かった。悪かったって。許してくれ」
「…気にしていません。大丈夫です」
分が悪いと判断したのか、一転して両手を合わせて平謝りをするゼータさん。
対して、僕に抱きかかえられたままのエディ君が気丈に振舞い、立ち直ってみせる。
大丈夫ですか?
視線で尋ねる。
大丈夫です、もう泣かないって決めましたから。
少しだけ涙ぐんだエディ君がそう視線で答えてきた。ような気がした。とても可愛かった。ベリーキュート。これが萌えか。駄目だ雑念よ去れ。
「はあ。偉そうに言うがよ。そっちだって勘違いしてたんじゃねえのか?」
「わ、私は最初から分かってましたよ」
「ほんとかあ?」
「(ッチ)」
「おい舌打ちしなかったか!?」
「いえいえ、そんな。気のせいですよ。投げキッスと勘違いしたんじゃないですか?」
向こうの方ではもはや死に体のゼータさんが、あろうことか受付のお姉さんに食って掛かるという無様な姿を衆目に晒していた。隣のお姉さんが眼鏡を抑えて深いため息をついている。お疲れ様です。
よしよし。
気にしなくていいからね。
僕たちは僕たち。エディ君はエディ君だ。
「アキラさん…、恥ずかしいです…」
◇◇◇
新しいトラウマになってもおかしくない凄惨な事件の後、ゼータさんの先導でテイガンドの市壁を越えて野外に出る。
見渡す限りの大草原。地名としてはガンド平野と言うそうだ。
テイガンドではなくガンド。何か理由があるのかな。
優しい受付のお姉さんは試験官を替えてもいいと言ってくれたのだけど、エディ君が本当に大丈夫だと言ったのでそのまま手続きを続行することになった。ギルドから出発する際には、周囲の奇異の視線が生温い応援の目線に一変していたので、災い転じて福となす、と言えなくもないかもしれない。
そういえば、受付のお姉さんの名前をまだ聞いていない。ギルドに帰ったらぜひお近づきになろう。隣の眼鏡のお姉さんも。
「あー、色々と言いたいことはあるだろうが、一旦置いてくれ。真面目に行こう」
「はい」
「分かりました」
よし、とゼータさんが大股で歩きながら鷹揚に頷く。
先ほどの失態を抜きにして見れば、彼はハンターギルドの一員であり、僕たちの命運を左右する試験官である。佇まいからして強者の雰囲気が滲み出ていて、断じて子どもの僕たちが下手を打っていい相手ではない。
「ユウと言ったな。まあ、お前は大丈夫だろう。見れば分かる。たまにいるんだ。お前みたいな、大人顔負けの天才児は。若い内に才能を使い果たすか、名だたる英雄になるかはそいつ次第だがな」
素晴らしい高評価だ。やっぱり分かる人には分かるんだね。
「で、アキラ嬢ちゃん」
「はい」
「俺としては嬢ちゃんの方が気になる。待て、変な意味じゃないぞ。誤解するな」
「大丈夫です。分かっています」
うん。案外面白い人かもしれない。あの失態も、ゼータさんの性格が裏目に出た事故だと思えば情状酌量の余地があるかもしれない。甘いかな?
「まず確認するが、そのペンダントは守護印だな?女神教の」
「はい。知ってるんですね」
「ギルドで気付いたのは俺を含めて片手で数えられるくらいだろう。低ランクハンターは不勉強になりがちだからな。生きるのに精一杯で、手前に無関係なものに興味を示す余裕がない。逆に、ある程度上に行けば知識量が物を言うようになるんだが」
「そうなんですね」
「ああ、そうなんだよ。やれやれ、嬢ちゃんも見た目通りの歳には思えないな。見た目そのものが尋常じゃないが…、まあ、いい。これ以上藪をつついて蛇を出したくはない。事情も出自も問わん。今はそれより」
ゼータさんが遠くの丘陵へと目を遣る。三体のグラスウルフが新緑の草原を駆け下りてくるのが見えた。まだ豆粒よりも小さい。
「早速お出ましだ。見えるか?」
「はい」
「はい」
「いい目だ。どっちから行く?」
「ボクから行きます。二体、倒してもいいですか?」
「ああ、問題ない。口出しはしない。多少怪我をしても介入しない。命の危険があると判断した場合にのみ手助けをして、不合格とする。いいな?」
「分かりました」
和やかで殺伐な会話が中断され、いよいよハンターギルド加入試験が始まる。
よし。気合十分。目指せ一発合格。




