● 016 平穏(3)
『魔力抽出』――体内に流れる魔力を両手に集める。
『空想描画』――次に、両腕で抱えられるくらいの水球をイメージする。以前作った水滴よりもずっと大きく。
『言語固定』――そして、イメージした水球を言葉によって固定する。
難しく考える必要はない。
エディ君が教えてくれた三段階の工程は、矛盾のない一貫した規則に準じている。
魔術に必要なものは、まずは魔力。鍛冶に例えると、作ろうとする剣の原材料である鉄のインゴットに当たる。
次に想像力。魔術の形を具体的にイメージする力。剣の形、デザインに当たる。
そして最後に、言葉。ひいては精神力。魔術を固め、維持する力。鉄を叩くハンマーに当たる。そして同時に、剣の形を維持する鉄の結合力でもある。
魔力と想像力だけならば要求水準を満たしている人も多いとエディ君は言っていた。
しかし、魔術は言葉に乗せる精神力こそが肝要であり、この最後の要素で躓く人が一番多いとも。
精神力は、単なる集中力とは似て異なる。
もちろん集中力も必要だ。精神が散漫なままなら魔術は決して成功しないだろう。
魔術理論的には、精神力とは心の光だという。
言葉に乗せる心の光。
なんて単純で情緒的な定義だろう。
まるで人の中に光り輝く星があると言わんばかりだ。
僕はそれを信じる。事実として受け止める。
光の女神様が実在しているから。
だからこんなにも簡単に信じられる。
この世界はずるいなあ、とちょっと羨んでしまう。
「《ウォーターボール》」
イメージした水球に心の光を当てて固定する。
難しく考える必要はなかった。
物事は、光が当たれば自然と輪郭が露わになり、形が明確になるものだから。
全ての工程を終えて瞼を開けると、目の前の空中に自分の頭よりも大きな水の塊が丸くフワフワと浮いていた。
できた。
無重力状態の水球を前後左右に動かしたり細く伸ばしたり、輪っかの形したりして遠隔操作の練習も行う。うん、いい調子だ。
「できました。このくらいなら、多分本番でも大丈夫だと思います」
「アキラ様は本当に凄いです。そんなに嬉しそうに、簡単に魔術を使う人を、ボクは見たことがありません」
隣で見守ってくれていたエディ君がニコニコ顔をして不思議な言い回しで誉めてくれた。
「嬉しそうに…。もしかして僕、笑っていましたか?」
「はい。魔法を使うことが嬉しくてたまらないというふうに、ごく自然に笑ってらっしゃいました」
「ん…、そ、そうですか…」
「初心者が魔術を形にしようとする時、変に力んでしかめっ面になったり、呻いたりするのが普通です。それを少しずつ矯正して、まさしくアキラ様のように力を抜いて魔術を発動できるようになるまで繰り返し訓練しないといけません。だからもう、アキラ様は初級魔術を完全習得したも同然です」
「そうなんですね…」
「はい」
やばい、普通に照れる。ナチュラルでこういうこと言うから、エディ君は困るなあ。もう。もう。
不意打ちを喰らって顔が赤くなっていることを自覚しながらチラチラとエディ君を見る。
おっと、そういうエディ君の方こそ頬っぺたと耳が仄かに赤くなってる。見逃すところだった。危ない危ない。
「もしかして、見惚れていました?」
「うっ…。それは、その…」
「ふふ」
「あぅ」
しまった。エディ君の反応がいいから、その度についからかってしまう。自重しなければ。
なので、それからはしばらく無言で魔術性の水球を作ったり消したり、伸ばしたり縮めたりする練習を繰り返した。
ウォーターボール、ウォーターボール、ウォーターボール…。時々ファイアーボール、サンダーボール、等々。
…よし、ボール系10属性コンプリート!
「ごめんなさい、練習に付き合ってくれて。つまらなくないですか?」
「あっ、いえ。全然そんなことはないです。とても楽しいです」
「それならいいんですが、ずっと僕がこんなふうに水球を作って動かす練習をしてるだけですよ?遠慮しているなら…」
「遠慮なんてしてません。見ているだけで楽しいんです。アキラ様が面白そうに水で遊んでいる姿を眺めていたら微笑ま…、あ…、ご、ごめんなさい…。悪い意味で言った話ではなくて…うぅ…」
あらら。今度はエディ君が勝手に自滅してしまった。
微笑ましい、ね。僕が魔術で遊ぶ子どものように見えて、それをついぽろっと口にしてしまったのだろう。
遊ぶ。遊ぶかあ。
そうだ。
「えいっ」
「わぁっ!?」
ばしゃん。
ローブをばさりと脱ぎ捨て、天衣だけの姿になり、浮かばせていた水球をぽいっとエディ君の頭に投げて命中させる。うん、頭のてっぺんから水の滴るいい男だ。
「くす、では遊びましょう。水遊びです。練習にもなって一石二鳥ですね」
「えっ、えぇっ…!?」
「エディ様も投げ返さないと一方的に濡れ鼠になってしまいますよ。《ウォーターボール》!」
「《う、ウォーターボール》…!アキラ様ぁ!?もうっ」
ばしゃんっ。
エディ君も慌ててローブを脱ぎ、僕が続けて放り投げた水球に自分の水球を当てる。空中で二つの水球が衝突し、水飛沫が広範囲に飛散する。二人とも少し濡れてしまう。双方、損害軽微。
むむ、やるではないか。
「エディ君も水属性、使えたんですね」
「下級魔術までなら――」
「もう一回。《ウォーターボール》!」
「わっ、《ウォーターボール》!」
「と見せかけて、こっち!」
「えっ!? わぷっ!?」
ばしゃんっ。ぱしゃん。
右手から大きな水球を弓なりに放り投げた直後に、心の中で《ウォーターボール》と唱え、左手からもう一つの水球を生み出して真っ直ぐ飛ばした。不意を突かれたエディ君の顔面に見事に着弾。ふふん。無詠唱魔法は淑女の嗜みってね。ごめんなさい、嘘言いました。
「まだ教えてないのに、いつの間に…」
「やっぱり。魔法は口に出して唱えなくても使えるんですね。時々エディ様が何も喋らずに魔法を使っていたので、もしかしたらと思って。上手くできてよかったです」
「アキラ様の考え通り、魔術でも他の魔法でも、発動に必要な言葉を頭の中で一字一句明確に形にできるのなら必ずしも口に出す必要はありません。マジックスキルと呼ばれる技術の一つで、慣例的に古代語でサイレントと言われています。マジックスキルも古代語で、そのまま魔法技術ですね」
「なるほど、隙あり、《ウォーターボール》!解説ありがとうございますっ」
「っ!?《ウォーターボール》!」
ばしゃんっ。ばしゃんっ。
フェイント気味に時間差をつけて連続で放った詠唱分一つ分と無詠唱分一つ分の魔術。大小二つの水球となって空中を奔り、エディ君が慌てて同時に放った二つの水球に迎撃される。む、結構自信あったのに楽々対応された。ちょっと悔しい。
「想像の仕方が甘いのか、無詠唱の方はちゃんと詠唱した場合よりも大きさも速度もいまいち…。もっと慣れが必要です。というよりも、一度にたくさん攻撃できるなんてエディ様はずるいです。あとスパン魔術は殺意高すぎです」
「すぱ…?ええと、これはマルチというマジックスキルで、2~3個程度の同時発動なら慣れればすぐにできるようになります。本来はサイレントよりも簡単なんですよ…?」
「そうなんですね。他にもそういう便利な技はありますか?」
「そうですね…。他には、消費魔力を上乗せしてその分威力を上げるブーストや、発動中の魔法に魔力を充填して持続時間を伸ばすチャージ等がよく使われています」
「なるほど。サイレント、マルチ、ブースト、チャージですね」
「はい。主に使われているマジックスキルはその四種類です。そのスキルも相性のいい魔法と悪い魔法があって…、特にボクの聖剣と闘気、天衣はチャージと相性が良いんです。ほとんど無意識で魔力をチャージできるので、魔力切れにならない限りはずっと使い続けられます」
「ふむふむ、そう言われると確かに…。僕の天衣、加護、結界の3つも一度発動させたら維持は簡単ですね。もしかしたら、戦う敵に陰魔の大群を想定しているからでしょうか…、《ウォーターボール》(×2)!」
「あっ、はい、その通りで、わっ、もういきなり2つ!?って、アキラ様、いつまで続けるのですかっ…!?」
「もちろん、気が済むまでです。《ウォーターボール》!」
「《ウォーターボール》!分かりました、受けて立ちますから!」
ばしゃんばしゃんと水が跳ね、割と真剣なマジカル水遊びが開幕した。
最初の内は、エディ君は僕を直接狙わず迎撃に徹していたけれど、段々僕の手足の方を狙うようになってきた。それがとても嬉しかった。
遠慮せず顔面も狙ってもいいですよ?顔面セーフです。
身振りで不敵に挑発する。
それだけはできません…。
顔を赤くして大げさに首を振ってきた。
あはは、仕方ないね。僕はロリっ子で、エディ君は紳士だから。勘弁してあげよう。
◇◇◇
「くしゅんっ」
閉幕の合図は僕のくしゃみだった。その時にはもう、どちらも全身濡れ鼠になっていた。
「楽しかったですね」
「そ、そうですねっ…」
髪の毛も露出している部分も全部濡れてしまったので、一度天衣を解いて裸になる(なお、天衣は防水性もあるので体が透けたりはしない。抜かりはないのだ)。
それから僕がファイアを、エディ君がウィンドを使って緩やかな熱風を起こし、冷えた体を温めていく。発案者は僕。いいアイデアだと自賛。
「魔力で作った水だからあっという間に蒸発していきますね。この水は口の中に入っても大丈夫ですか?」
「はい…。そのくらいなら無害です…。お腹の中でしゅわしゅわ蒸発していく変な感触があるくらいで…」
僕が今更な疑問をすると、目をぎゅっと閉じて裸を見ないようにしているエディ君が真面目に答えてくれた。
しゅわしゅわという擬音語が可愛らしい。頬っぺたを突っつきたい。駄目だ。我慢。
「じゃあ、本物の水でずぶ濡れになったとして…、体を一瞬で乾かしたり綺麗にしたりできる魔法はありますか?」
「そういう聖術なら存在しています。『浄めの陽炎』という聖術で、どんなに汚れた体も服もすぐに元通りに綺麗になるんです」
「なるほど。聖術は本当に便利な魔法が多いんですね」
「はい。ボクの絵図もそうです。魔力を集めて詠唱すれば、ひとりでに地形や敵を教えてくれますから」
ひとりでに。つまり、黄昏領域で戦っている時に判明したように、自動的に。それは本当に便利だろう。さすがは女神様が与えてくれる魔法だ。一体どんな仕組みで…。
あ。
そっか。もしかして…。
「つまり、エディ様の意志とは関係なく、絵図の光球が周りの地形を調べて、そのまま正確に表示してくれるということですね」
「はい」
「浄めの聖術も、自動的に?」
「そう言われると、そうですね。神官様が唱えると、ひとりでに洗濯物が綺麗になっていくのを見たことがあります」
「それはどうして…、というより、どうやってでしょう」
「それは…。ええと、全ての聖術は女神様が人にお与えになられたもので…。女神様の御業ですから…」
「エディ様、ちょっと絵図を出してくれませんか?」
「あ、はい…、あ、アキラ様っ…?」
「服を被りますから。お願いします。大事なことなんです」
「わ、分かりました。ボクも被りますからちょっと待って下さい…」
まだ十分には温まっていない素肌を法服で急いで覆い隠し、エディ君の傍に寄る。エディ君は僕の我が儘を聞いてすぐに緑色の光球を灯してくれた。無詠唱で、とても手慣れた動作で。…それだけこの魔法を使い慣れているということだ。
彼自身はそのことについて言及しないまま、穏やかな表情で立体地図に目を落としている。
薄く光る光球の内部で、3Dマッピングされた神殿と聖域の森の地形が細く鮮やかな緑色の光線で描写されている。魔法が発動した瞬間に、一切のタイムラグなしで。そして極めて正確に、緻密に、自動的に。
その中心には、この光球自体である原点が僅かに濃い緑色で表示されている。すぐ傍にはエディ君と僕を表す二つの薄緑色の光点。よくよく見れば人間の形をしているようにも見える。虫眼鏡で覗き込めば本当に僕たちの姿をそのまま象っているかもしれない。
一番単純な魔術ですら、強いイメージが必要不可欠なのに。
何の理由もなく、ひとりでに複雑な地図が出来上がるなんてありえない。
となれば、考えられることは一つだ。
「女神様?見ていますか?」
女神様の御業。そのまま、言葉通りだ。
だから――
――リィン――
わずかに強く、けれど確かに、緑の光球が一度だけ煌めいた。
僕は確信を得る。地上に降りてきてから再会できなくて、その方法すら全く分からないままだけど、女神様は天上から僕たちを見守ってくれていると。聖なる魔法を介して手助けをしてくれているのだと。
聖術は女神様が制御している。どれほど複雑で高度な魔法でも、女神様自身の力で。
光の応答は一度きり。
これ以上はルール違反になるのかもしれない。もしかしたら、たった一度でもルールに反する行いだったのかもしれない。
これだけでも、僕は女神様の実在と介在を信じられる。
そして、実在する女神様について色々な想像を働かせることもできる。僕なら、過去の記憶庫で山積みになっている神話や創作を参考にして異世界の神様について柔軟に考えることが可能だ。
例えば、創造の神が全知全能であるとは限らないと。
例えば、女神様でもエディ君を直接助けることは不可能だったのだろうと。
――でも、エディ君は?
彼にとって、たった一度の煌きが何を意味するというのだろう。僕の自己満足になってしまっても、何の…。
あ…。
「エディ様…」
「ごめんなさい…。…泣き虫で…」
「謝る必要なんてありません。それに、あなたは泣き虫じゃありません」
「…でも、近頃は、ずっと泣いて、…ばかりです…」
ぐす、とエディ君は息を詰まらせる。
僕には、どうして彼がこんなにも泣いているのか分からない。理解できるなんて、口が裂けても言えない。
でも傍で見守ることはできる。
エディ君は無くしていたものを見つけたかのような、長い旅をしていてやっと家に帰ることができてほっとしたような、そんな嬉しそうな顔をしていた。
僕にはそう見えた。
だから、よかった、と思った。そう思う。そう、思いたいんだ。
「我慢しないでください。見ているのは女神様と僕だけです」
「はい…。ありがとうございます…」
こうして、平穏の四日目が暮れていく。
明日はどんな一日になるだろう。
頑張ってギルド試験に合格しよう。
頑張って、もっとたくさんエディ君が笑えるようにしよう。




