● 013 勇者(6)
エディ君は手強い。
「アキラ様は天使様ですが、同時に人間の女の子と同じ姿をしているということをちゃんと自覚してください」
真剣な表情で怒られてしまった。
「自覚…。でも、僕はこんなですよ? ほんの小さな子どもです。気になさらないでください。外で裸になるのと、お風呂で裸になるのは全然意味が違いますから大丈夫です」
「大丈夫じゃないんです。アキラ様のお身体は、男子とは違って、その、気安く晒してはいけないものなんです」
「男の子との多少の違いがあることは理解しています。でも、やっぱりほんの子どもですから、そんなに気にする程でもないのでは?」
「だ、だからですね…、小さくても、全然違うんです。体つきが柔らかくてふんわりとしていて…。分かってください…」
「ふむ。つまり、こんな僕でもエディ様に多少はセンシティブな刺激を与えてしまうということでしょうか?」
「……!? …そうです、はい。だから、駄目なんです。ボクがそう感じてしまう以上、道徳的に…。」
「そうだったんですね。ごめんなさい、そこまで考えが及んでいませんでした。ここまで体が小さいなら問題はないと短絡的に思っていました」
「思ってましたか…」
そうだったのか…。
だとしたら、明らかに僕のミスだ。股間以外に、10歳児の時点で既に性差があるとは。
男だった時の10歳の頃の自分を思い返す…、駄目だ、野生の猿と変わらない。男女の違いとか体の仕組みとか全然意識せずに馬鹿をしたり馬鹿笑いをしたり、あちこち走り回ってばかりいた時代だ。真の暗黒時代。明確な自我があったかどうかすら怪しい。当然、自分の体つきがはっきりと記憶に残っているはずがない。精々、金玉痒いなあ~っていう理由で袋を裏返して鏡で見てみた一幕を憶えているくらいだ。ひどい。
「そういうことなら、諦めます」
「ほっ…。ありがとうございます」
「本当にごめんなさい。信じて欲しいのですが、エディ様を困らせるつもりはなかったんです。ただ、きょうだいのように一緒にお風呂に入りたいなと思っただけで…」
「きょうだい…。そう、だったんですね…」
「はい。でも考えてみると確かに軽率でした。僕たちは出会ったばかりの関係で、天使と勇者で、家族ではありませんから…」
「アキラ様…。えっと、お気持ちは嬉しいです。本当に。ずっと両親と妹と離れ離れですから。そのお気持ちだけで本当に嬉しいです。ありがとうございます」
エディ君が優しく笑う。
一つ、分かったことがある。僕はこの微笑みに弱い。やっぱり勇者に対するインプリンティングが仕込まれていたんじゃないだろうか。そんなふうに女神様のせいにしてみる。
「では、僕は今日からエディ様の正真正銘の新しい妹になります」
「…そういう話ではありません」
「?」
「えっと、そんな純粋な疑問の表情をされてもですね」
「お兄ちゃん、妹は嫌ですか?」
「嫌じゃないです。お気持ちだけで嬉しいんです」
「エディ様は変なところで頑固ですね。分かりました。では、ひとまずは戦友の枠でお願いします。一緒に死線を潜り抜ける、かけがえのない友達です」
「戦友…。はい。それは間違いなく。ありがとうございます、アキラ様。とても嬉しいです」
「死線を共有した戦友ですから、一緒に湯浴みするくらいは当然ですよね」
「それは違います」
「む…」
「っ…、そんなに可愛く抗議しても駄目です」
「??」
「ですから、どうしてそこで疑問形なんですか…」
そんなこんなで。
先にエディ君がお風呂に入ることになった。ちらちらこっちを見ながら浴室に行っていたけど、やっぱり一緒に入りたいのかな?
違うか。あれは警戒している目だ。
入浴後のエディ君のしっとりと湿った緋色の髪はとても美しかった。少し上気した横顔は、エディ君には悪いけれど、とびっきりの美少女にしか見えなかった。でも戦っている時は紛れもなく男の子で、すごくカッコよかったのだ。複雑な気分だ。
僕はロリコンでもナルシストでもないので、無心で迅速かつ丁寧に全身を洗った。どうということはない。僅かに女性特有の曲線を描いているように思えなくもないが、どれだけ美辞麗句を並び立てても結局は幼稚な寸胴の体形であり、自分としては健康的な美しさを感じるだけだ。端々に宿る女神様の芸術性に心から感動はするけれど、目を奪われて盲目になったりはしない。断じて強がりでも言い訳でもないとも。
さて問題は、お風呂から上がった後だ。
問題があるというより、特にすることがなくて暇を持て余すという問題。
昨夜、森の神殿で行った魔術訓練の続きはやめておいた方がいいとエディ君に言われた。万が一の確率でも魔術が室内で暴発すると大惨事なので、魔術訓練は専用の訓練室か屋外で行う必要があるとのこと。当然すぎて仕方ないね。
ではエディ君から真面目な話の続きを聞くべきかということになるけれど、それは僕が嫌がった。昨日の復活後から引き続き、今日もまだ休息日だ。難しいことを考えず、心も体も労わってほしい。
「しなくちゃいけないことばかり考えていたら頭が疲れ切ってしまいます。だから何も考えずにぼんやりしたり趣味で時間を潰すことも大事です」
「ぼんやり…。趣味…。ごめんなさい、神殿で修行を始めてからこのかた、どちらもほとんどしたことがありません」
「それは重症ですね」
「はい、ボクもそう思います。我ながら、ボクは全然子どもらしくないと思います。駄目な人間です」
「自己卑下もよくありません。そうですね、エディ様の好きなものはなんですか?」
「それはア…、あ…、~~ッ」
「顔を赤くしてベッドでじたばたしてどうしましたか?恥ずかしい過去を思い出しましたか?」
「そんな感じです。はい…。趣味はありません。ごめんなさい…」
「謝ってばかりなのも心の健康によくありません。シビアな状況でも、いえシビアだからこそ肯定的に考えましょう」
「肯定的に」
「はい。そして楽観的に、積極的にいきましょう。趣味がなければ見つけましょう。何よりも、自分の為に。僕も協力しますから」
「アキラ様がいれば百人力、いえ百万人力です」
「期待に応えられるよう頑張ります。では、手始めに外へ趣味探しに行きませんか?」
「喜んで」
というわけで、夕方まで街をぶらぶら散歩することになった。
でもまあ、趣味は別に不可欠ではないし、強制するつもりもない。
こうして散歩をして気分転換になれば、それでもう目的は半分達成したようなものだ。つまり戦略的勝利。
トムから貰った聖なるお守りがあるお陰か、外に出てもエディ君はが過敏に警戒していない様子だった。悪夢のような戦いで負けじと勇者の力を十全に振るい、ある程度の自信がついたという理由もあるだろう。余裕があり、緊張感が大分和らいでいる。
視線を上げてゆっくりと街並みを観察する。二人一緒に、それこそ仲のいいきょうだいに見えるように。
◇◇◇
人の流れに乗っていると、宿からほど近い商店街へと自然と辿り着いた。とても活気に溢れている。
色々なものが売られている。美味しそうな匂いがする。人の笑顔がある。たくさんの人たちが生活していた。
目深にフードを被っていることもあり、僕たちを気にしている人は誰もいない。道端で立ち止まった僕たちの横を通り過ぎていく。がやがやと、わいわいと。
――あっ…。
エディ君がゆっくりと自然な仕草でフードを外す。炎の宝石ような茜色の双眸に光が当たり、炎の絹糸のような緋色の赤髪がふわりと外気に触れて煌いた。
彼の姿と美しさに気付いた人たちが視線を向けてくる。驚いたように二度見してくる人もたくさんいた。
「ごめんなさい、アキラ様。あなたが危険な目に遭うかもしれないのに…。その、こうしたいって思って…」
「謝る必要なんてありません。それに、きっと大丈夫です」
僕も驚き、同時に彼の姿を尊いと思った。
格好いいよ。眼が澄んでいてキラキラしている。
意を決し、僕もそっとフードを外す。銀がかった空色の髪の毛が晒される。エディ君に目を奪われていた人達が隣の僕にも気付いた。白い肌と藍色の瞳が相当に目立っていることだろう。
息を呑む音。まあ、という好意的な驚き。どこの子どもだ、見たことないな、孤児か、という疑問。そして最後に、わあ、ママー、おねえちゃんきれー、という幼い子どもの声。
「お兄ちゃん、あれを食べてみたいです」
「あっ、…はい。『大判焼き』ですか、美味しそうですね。ええと、あずきと白あんどっちがいいですか?」
「どっちも一つずつ買って、半分こにしましょう」
「分かりました。そうしましょう」
覚悟していたのに、ネガティブな視線は一つも感じなかった。僕が鈍感なだけだろうか。
「すみません、あずきと白あん一つずつください」
「いらっしゃいませ。はい、どうぞ。出来立てで熱いから火傷しないように気を付けてね」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
女性の店員さんが一瞬息を呑んだ後、柔和な笑顔を浮かべて対応してくれた。
そのまま、軒先で熱々のお菓子を二つに割って二人で仲良く口にする。大きく割れた方は僕にくれた。エディ君はとても優しい。熱っ。でも甘くて美味しい。
店員さんの眼差しがこそばゆい。
「美味しいですね」
「はい。とても」
それから、商店街を端から端まで一往復した。なんでもここは銀星街といって、週に一度開かれる週市を除いてテイガンドで一二を争う程大きな商店街らしい。
散歩中、たくさんの好奇の視線が突き刺さった。でも強い不快感はない。この天使の体が女神様の実在を証明していて、大勢の人たちがそれを知らずに目撃していると思えばちょっと小気味よく思える。
ふふーん。ちょっと余裕出てきたかな?
「お兄ちゃん、面白そうなものはありましたか?」
「ええっと、よさそうなものはいくつか。模型作り、音楽鑑賞、読書…、あと『将棋』がいいでしょうか」
「どれもいいと思います。特に将棋なら二人で対戦して遊べますね」
「アキラさんは将棋を知ってますか?」
「大体の遊び方なら。細かいルールはお兄ちゃんが教えてくれますか?」
「分かりました。ボクも初心者レベルなので丁度いいですね。あ、でも、将棋セットを買っても、保管する場所が…」
「あ…、そうでした。どうしましょうか」
「これまでは一泊ずつ宿をとっていましたが、一部屋の長期宿泊をしてもいいかもしれません。それなら毎日部屋が空いているか心配しなくてもいいですし、荷物をずっと部屋に置いておけます。ただ…」
「ただ?」
「小龍の宿は一つ一つの質が高くて安全な分、他より割高なんです。その、実は今の所、収入があの葉っぱしかなくて、このままでは生活資金が底をつくのは時間の問題で…」
「なるほど。結構ピンチですか?」
「宿の長期契約をするなら、食費を入れて二か月分くらいのお金が残っています」
「二か月…。微妙な期限ですね」
「微妙です。うかうかしていたらあっという間に過ぎてしまいます…」
「考えるのは明日にしましょう」
「はい」
多分、ここがスタートライン。ここまでやって、やっと。
出会って、話をして、戦って、抱き合って、見上げて、やっとだ。
しかも、道はずっと崖っぷちだろう。心というものを天秤の片方に乗せ、僕たちは崖沿いに進む。奈落までの余裕は子どもの歩幅で三歩分しかない。
望むところだ。
臆することなく異世界で堂々と戦い続けよう。
とはいえ、悪夢的な怪物の大群を相手した直後に生活費の心配をしなくちゃならないなんて、現実は世知辛いね。
◇◇◇
「おやすみなさい」
「おやすみなさい…」
決意を新たにしたところで、無体にも添い寝を断られてしまった。またしても一刀両断。現実は非情である。僕たちは今夜から別々のベッドで寝ることになってしまった。
遠慮しなくていいのに…。
うむむ、距離感が難しい。少なくとも、エディ君なら裸で抱き合っても不快感は全くない。それ以上は?どうだろう。
そういうシーンを想像してみる。
むむ…。
自意識過剰、空想癖、という理性からの突っ込みを甘受し、仮定の上に仮定を重ねて想像してみる。
――わあ、想像できる。
想像できるということ自体が既に驚愕に値する。
更にイメージ。決して偏見でも差別でもないけれど、相手がガチムチさんの場合を仮定してみる。あ、駄目だ。無理無理。中肉中背の一般的な男性でも、無理。
でもエディ君なら大丈夫。大丈夫だと分かることにびっくりする。
この感情は何だろう。恋ではない。愛でもなく。
愛じゃないよ?僕はまだ、愛を証明できる大人にはなれていない。
ショタコンでもない。ないはず。
……。
問い。友情によって相手の全てを受け入れるということはあり得るのだろうか。
答え。唯一無二の親友ならあり得るかもしれない。
その夜、エディ君の寝息を聞きながら、一人きりのベッドの中でそう結論付けた。




