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● 010 勇者(3)


 重い宝箱を二人で両脇から抱えて宙に浮かび、えっちらおっちらと運送。

 復活の神殿の傍に安置(二人分の浮遊力の勝利。なんとかなるもんだね)。

 それから法服を脱いで、天衣の魔法を解いて裸になってから下着を履く、という手順。


 非日常的でシュールなシーンが続いている。


 シュル、パサ、ゴソゴソ。


 衣擦れの音が湿潤な空気に吸い込まれていく。


 深い森の神殿で子ども二人、背を向け合い、裸になって薄布に手足を通す。題して『森のエデン』。

 中々神秘的な場面ではないだろうか。どうだろう。

 とまあ、馬鹿なことを考えつつ装着完了。たぶん木綿製の、一つも飾り気のない半袖シャツとパンツ。肌触りは悪くない。



「《光の天衣》」



 ラテン語のような聖なる言葉を唱える。下着という人の証に重なるように、ワンピース型の魔法の衣が展開される。内側もこれまで通りぴったりフィットしていて、下着を履いていなかった時との違いが全くない。

 どういう構造になっているんだろう。

 もしかして、下着が一度分解されて天衣と融合した?

 気になる。


 もう一度天衣を解く。すると、上半身と股間に木綿の感触が戻ってきた。半裸の薄い姿。やはり、魔法が解けると同時に下着が元に戻ったとしか思えない。衣服の分解と再構成を自動で行うとは、すごい魔法だ。まさしく魔法。



「ひゃっ!?」



 真面目に検証していると可愛い悲鳴がすぐ傍から聞こえてきた。無論、着替えが終わって振り向いてきたエディ君だ。僕が天衣の魔法の言葉を口にしたから、こっちを向いても大丈夫だと思ったんだろう。

 甘いね。


 …ごめん。



「なんでまだそんな恰好をしてるんですかぁっ…!?」

「ごめんなさい。つい。…《光の天衣》」



 しまった。これ以上軽率なことをすると呆れられてしまうだろう。まだセーフだよね?



「でも、素晴らしい発見をしました。多分、普通に服を着ていても一瞬で天衣に着替えられます。逆もまた然りで。変身可能です」

「それは…、はい。その通りです。天衣は、一瞬で普通の衣服と切り替えられます。だから、変身と言っても過言ではありません」


「やっぱり」

「ただし死んでしまうと、その瞬間に天衣が解除されるので、着ていた服がその場に落ちてしまいます」


「なるほど」

「アキラ様には普段から私服を着て頂く方がいいかもしれません」


「ええと、死んだ時に服をなくしてしまうのなら、下着と天衣だけで構いませんよ?」

「アキラ様ならどんな服でも似合います。近い内にお店に買いに行きませんか?」


「えっと、はい。考えておきます」

「法服を羽織って天衣を隠し続けるのは無理がありましたから。いい機会だと思います」



 提案は至極正論。

 そして無自覚にもう一つ提示されたものは、生粋の女の子なら虜になってしまうような微笑だった。


 こういうふうに遠慮のない話し合いは望むところだ。ただ若干、押しが強いような気もする…。

 手のかかる妹分に向ける視線のような…。

 まだセーフだよね?


 この女神様印のワンピースを捲り上げて内側がどうなっているのか確かめたかったけれど、今は自重しよう。うん。



「これで懸念が一つ減りましたね。一歩前進です」

「はい」



 やけに実感の籠った『はい』だった。そんなにも天使の裸体が視覚的に負担になっていたのだろうか。だとしたら反省しなければならない。勇者を支えるべき天使が逆にストレスをかけてしまってはならない。猛省しよう。

 

 ふむ。


 お風呂で背中を流すのはやっぱりアウトかな?

 冷静に考えたらアウトなような気もする。

 いや、野外で裸になるのと浴室で裸になるのはまるで意味が違う。セーフだね。



「こほん。それで、ここで済ましておきたいことというのは?」



 閑話休題。



「ボクにあったこと…、今までのことをちゃんとお話ししたくて。少し長くなりますが、いいでしょうか」

「はい。喜んで」

 


 一連の遣り取りで少しは緊張がほぐれたかな?

 朝からずっと思い詰めたような顔をしていたから。少しでも緊張がほぐれたのなら幸いだ。


 その為にわざと子どもっぽい馬鹿なことを誇張してやっていた、なんて言えないし、言わないけど。




  ◇◇◇




 生と死が超越される神殿に腰を下ろして耳を傾ける。今はただ、静かに彼の話を聴こう。



「ボクはアウデイロという霊峰の麓で生まれました。自然以外に何もない小さな村でしたが、父も母も優しくて、2歳年下の元気な妹もいて、とても幸せな時間だったことを憶えています」


「三歳の時、とても不思議な夢を見ました。それは女神様と会った夢でした。それが現実でもあると知ったのはずっと後のことです」


「四歳の時、女神教の神官様が村にやって来ました。両親と会って、ボクを女神教の大神殿まで連れていきたいという話をしていました。ボクが、女神様に選ばれた聖術の使い手だからと」


「神官様の言う通り、あの夢の後、とても不思議な力を使えるようになっていたんです。生まれつき持っていたものを思い出したかのような…。父と母にはずっとそれを秘密にしていました。天網の絵図。周りの世界を広く細やかに映し出し、人間の天敵を見つけ出すための魔法。女神様の力。一人の時に隠れて唱えて、家の周りの山々を覗き見ていました。ボクがまだ勇者じゃなかった時に与えられた、最初の…」


「だから、神殿に行こうって決めました。少しでも家族の為になるならって…」


「王都に守られた大神殿で初めて神子様とお会いして、それから聖水の湖のほとりにある北神殿で暮らすようになりました。アウデイロから、本当に長い旅で…、両親と引き離されて寂しい思いもしました。でも、あっという間に時間が過ぎて、何年も神官の見習いとして修業に明け暮れている内に、寂しさや疑問はほとんどなくなっていました。女神教の信徒としてこの身と聖術の力を捧げ、人類のために戦うのだと」


「そして十歳の誕生日に行われる儀式で、初めてテル様にお会いしました。強さも功績も、初代勇者にすら匹敵すると謳われた生ける伝説。およそ200年という歴代最長の勇者の務めを果たされていた方で、ボクにとっては神様のような存在でした」


「ボクは勇者様に憧れていました。適うのなら、あの方の跡を継ぎたいと。それは確かに本心でした」


「テル様は最後に、暗黒帝ザハーを…、長らく討伐不可能とされていた深海に巣食う闇の魔王を撃ち滅ぼし、その使命を全うされました。その直後に勇者の力を受け継いだんです。ボクが12歳の時のことです。テル様は最期に…、女神様の御許へと昇天される前に、夢の中でボクに会いに来てくれました。でも、その時の言葉がよく聞き取れなくて。どうしてもよく思い出せなくて。それだけが本当に心残りなんです」


「勇者になってすぐ、王都の大神殿でもう一度神子様とお会いしました。神子様は仰いました。ボクはまだ未熟だから、まだしばらくは北の地で修業しなければならないと。それは命令ではありませんでしたが、特に疑問に思わず、納得して言われた通りにしました」


「それから、光の聖剣と闘気、天衣という勇者にしか使えない3つの特別な聖術を高めるため、北神殿で毎日訓練に明け暮れました。テル様が倒したザハーは無数の陰魔を生み出す母体だったので、ザハー消滅以降、西の海から侵攻してくる陰魔が激減していたんです。それで、レヴァリアは未曾有の黄金時代して…、この平和はテル様が作ってくれたものだと思って、特に焦りはありませんでした。楽観的に、そう思ってしまっていました」


「勇者になって不老の体になったので、体が12歳のままで成長が止まって戸惑いもありましたが、それ以外は特に大きな問題はありませんでした。そうして半年が経って、そろそろ戦えるのでは、戦わなければならないのではと思って北の神官長様に相談したところ、大神殿から通達があるまで自室で待機するように言われました」


「監禁されていると気づいたのは、その日の夜のことです」


「でも、もうその時には手遅れでした」


「その部屋は神殿の一室で、気づかない内に特殊な封印が施されていたんです。勇者の力と言えど、テル様よりもずっと未熟で、大勢の人たちに張り巡らされた結界を破ることはできませんでした。それに、食事と水をぎりぎり死なない量まで減らされて、どうしても力が出なくなってしまいました」


「気を失っている間に鎖に繋がれました。ベッドだけの白い部屋で、誰も、何も答えてくれませんでした」


「一年以上、何もできない無力な時間を過ごしました」


「誰かが外で何か話しているのを耳にしました。そんなこと、それまで一度もなかったのに」


「本来の、勇者の第一候補者が不治の病に倒れていたと。第二候補者が何者かに殺されたと。第三候補者が行方不明のままであると。そして、残りの聖騎士たちは皆、勇者を継ぐ条件を満たしていなかったと。その声は告げました。そのせいで、あろうことか、次の勇者に最も相応しい人間がたった12歳の子どもになってしまっていた、と。お前以外は怠惰な豚だと。笑って言っていました。遂に女神教も腐ったと、嬉しそうに…」


「それから10日くらい経ってから、ボクは自殺しました」


「やっと自殺できました」


「そして、この神殿で、新しい体で復活しました」


「そうするしかなかったんです」


「もっと早くそうしていれば…」


「あの声の主もきっとそう思っていたんでしょう。閉じ込められた直後に自殺するべきでした。…でも、それまで一度も死んだことがなくて、本当に復活できるか分からなくて、自信がなかったんです。死んで消えてしまうかもしれないと思うと、怖くて…」


「ボクが愚かで臆病だったせいで1年以上も時間を無駄にしてしまいました。その罪は決して許されません。かつて恐れられた、天空を舞う闇の魔王は完全に封印されるまで20年周期で何度も繰り返し復活していました。だから深海の魔王が同じようにたった20年で復活するかもしれません。復活しない、と決めつけられる根拠は何一つありません。なのに…」


「ここで目が覚めてから、テル様に言われていたことを思い出して、必死になって宝箱を探して、遺されていた服とお金を手にしてトマス様に会いに行きました。正直、どうやってあの教会までたどり着けたのか、ほとんど何も覚えていません」


「もしかしたら、テル様は次の勇者がどうなるのかを察していたのかもしれません。多分、三人の候補者が謀殺されることも、あの神殿の内実も…。でも、テル様ももう限界でした。限界まで心がすり減っていて、幼いボクから見てもいつ糸が切れてもおかしくない状態のようでした。自分の限界を悟っていたんだと思います。だからきっと、最後に力を振り絞って…」


「…ボクの話も、もうすぐおしまいです。トマス様からあの宿やリリアさんのお店を紹介してもらって…」


「未熟なまま、無計画で陰魔の群れに戦いを挑んで何度も死にました。そうしてまた、何か月も時間を無駄にしてしまいました」


「テル様が言うには、諦めさえしなければ、勇者は何度でも復活してどこまでも強くなることができるそうです」


「でも世界を救えるくらい強くなるには、ボクは弱すぎました」


「強くなるための一歩目すら進めなくて…。どうしようもなくて…」


「…どうすればいいのか分からず、自暴自棄になっていました。それで、どうせ死ぬのなら、最後に残った闇の魔王を見ておこうと思って、何日も空を飛んで…」


「そして、最果ての神殿でアキラ様とお会いしました」


「あの瞬間だけは、何があろうと決して忘れません。アキラ様が来て下さらなかったら、もう、ダメになっていました。復活できないまま、本当に死んでいたと思います」


「ボクは救われました。本当に…、本当に、ありがとうございます」


「あなたが望むなら、僕の全てを捧げます」


「だから」


「だから…」


「お願いします。どうか、教えてください」


「助けてください」


「ちゃんと、戦いたい…」


「役に立ちたい…」




  ◇◇◇




 役に立ちたいとエディ君は言った。それをとても尊いと僕は思った。最後にそれが吐露されたから。


 だから大丈夫だと思った。自分に備わっている能力を発揮したい、潜在的なエネルギーを表出させたいという願望は健全なものだろう。それが大勢の人達の為になるものなら、なおさら。清らかな道徳心、善良な心の表れだと思う。


 エディ君は愛すべき善人であり、尊敬すべき勇者だ。勇者。言葉通りの、勇気ある人。


 慰めの言葉は出てこない。思い付かない。


 でも、一つだけ、言いたいことはある。ごく自然に、彼の告白の直後にこれしかないと確信した。


 言っても大丈夫かな。拒絶されないだろうか。

 ううん、大丈夫。同じようなことはもう既に提案している。というか、二番煎じだ。


 女神様。


 どうか、僕にも勇気を。



「エディ様」



 あまりに不条理な世界と戦うために。



「今から、僕と二人で戦いに行きましょう。大丈夫です。死ぬ時は一緒です」



 敵が何をするものぞ。

 ちっとも怖くないね。

 寧ろ、早く全力で戦いたくて体が疼いているくらいだ。


 今までエディ君は独りきりだった。でも、これからは僕がいる。二人でどこまで戦えるのか試してみよう。天使の力はきっと役立つはず。


 それが少しでも慰めになればいいな。




  ◇◇◇




「行きます」



 エディ君は、小さく、でもはっきりと頷いてくれた。


 僕は戦いに誘った理由を言わなかった。彼も頷いた理由を言わなかった。


 思っていることを言葉にするのは大事なことだ。

 でも、今回ばかりはそうしなくてもいいかなと思った。それどころか、言葉にしたくないとすら。


 実際のところ、エディ君が何の躊躇もなくOKしてくれたから胸が一杯になって冷静に考える余裕がないくらい舞い上がってしまっただけなんだけど。


 こういうのを以心伝心って言うんだろう。きっとそうだ。



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