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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

尽くし愛

作者: 灰色

かっこいい男装さん大好きです。美しい生き様とはなんだろう、突然思いたって書き上げました。

読んでくださる方がいらっしゃれば幸いです。

よければ楽しんでいってください。



 レリアット国の愛を誓う神聖な儀式の間。

 本来ならば、愛し合う高貴な方々が婚姻を結ぶ大切な場所。

 そして今日は、国の次代を担う最も高い位を持つ若者たちが婚姻を結ぶ重要な日。



 儀式の間に敷かれているのは、深い愛を示す赤い絨毯。

 壁を飾るのは神聖さを示す白いヴェール。

 はめ込まれた精緻な芸術を透かして光が入る窓には、この国で最も貴重なステンドグラスが埋め込まれている。

 そして、儀式の間を無感情に見下ろす神話を彩る登場人物たちの彫像。



 この儀式の間に主役と呼べる夫妻の姿はない。

 しかし無粋な者の手により神聖な広間は殺戮の現場となり果てた。



 儀式の参列者はこの異常事態に我先にと逃げ出し、この場に立っているのはこの惨状を築き上げた一人を除いて生きている者はもう誰もいない。

 ステンドグラスから色とりどりの光が降り注ぎ、殺戮者を美しく彩った光で浮かび上がらせる。神秘的なその様は本来この広間を設計されたときに、儀式を行う新郎新婦を祝福するために準備されたはずのものだった。


 今は、広間の陰惨さをさらに陰鬱に染め上げるだけの演出と成り果ててしまっていた。



 7名の死者が折り重なるように無残に切り裂かれて神聖な儀式の間に倒れ伏し、唯一立っている人間は返り血を浴びて絨毯と同じくらいその身を赤く染め上げていた。


 参列者が逃げ出した際に一旦閉ざされた広間へと大勢の騎士を連れて儀式の間に現れたのは、殺戮者の主とその上司だった。


 扉を開けて鼻腔をつく濃い血臭と臓物の匂いに嘔吐を堪える騎士たち。吹き上げて飛び散った白に散る血と無残な七つの死体。


 中を覗いた全員が青ざめた顔で現場の惨状を眺め、視線が唯一立つ人物に集まる。

 視線を十分に集めたと分かったのか、国教のシンボルを眺めていたらしい殺戮者はこちらに向けていた背をゆっくりと振り返る。その顔は狂気を孕んだ笑顔を浮かべ、返り血を顔半分にべったりと浴びてなお見惚れてしまいそうなほどの美しさを湛えていた。


「...カエリ、どうして。」


カエリ・ナンハ。王都で最も有名な美貌の従者。


 殺戮者の主である青年は、顔を青ざめさせて恐怖を浮かべていた。彼らの上司であるホゼは惨状と不甲斐ない青年の様子を見て、眉間に皺を深く刻み顔をゆがめた。


「オーウェン・レットーの従者カエリ・ナンハ。王太子夫妻暗殺未遂事件当事者として身柄を確保する。捕えろ。」


 カエリ・ナンハはこの惨状を作り上げたにしては抵抗することなく捕縛された。暴れるようであれび主人である青年に手綱を取らせるつもりだったが、肝心の従者は美貌を血に染めつつも切れ上がった大きな目には依然狂気を孕み、視線は歪んだ愛情と忠誠を捧げる主である青年に注がれて続けているだけだった。


「オーウェン様。すべてあなたのためにやりました。少し失敗してしまいましたが、私のあなたに対する忠誠は変わりません。あぁ、どうか、忘れないでくださいませ、オーウェン様ぁ。」


 捕縛され連行されているというのに、カエリ・ナンハは姿が見えなくなるまで主に向かって狂ったように笑い呼びかけ続けていた。


「あぁ、カエリ、なんてことだ・・・。」


 カエリの主オーウェンは頭を抱え、自分の従者からの視線を振り切るように、また起きた現実から目をそらすかのように赤い絨毯の上にうずくまる。

 その様子を鋭い横目で見る青年の上司は、深くため息をつき連行されていく彼の従者を見送る。そして広間へ目をやり、倒れ伏す警備についていたはずの騎士だった者たちの死体の見分と始末を指示を出す。


 犠牲は多く出たがホゼが本当に守護しなくてはならない王太子夫妻には怪我や異常はない。事前に危機を知らされていたからだ。

暗殺を企てた黒幕やほかの協力者のあぶり出しに、忙しくなるこれからの仕事を思うと少しだけ頭が痛くなる思いでホゼだったが、これで王国が大きく変わると彼は信じている。

王位継承を諦めきれない王弟の愚行。それを煽り、国を食いつぶすことしか出来ない旧体制時代の老害をホゼは取り除くつもりでいる。目まぐるしく変化していく状況に、青年にまともに構ってやる暇はない。

そうでなくとも騎士団を纏める彼は非常に忙しいのだ。


 ひとまずは先程連行されていったカエリ・ナンハの尋問が最優先になるだろう。


 彼はうずくまったままの役に立たない副長であるはずの部下を引きずり、本来祝福にわくはずであった儀式の間を後にした。







 カエリ・ナンハの聴取は最初こそ手間取ったものの、主人の名を出せばその後の聴取は非常に捗った。

 そもそもカエリ・ナンハの盲目的な主への忠誠心は王城内では非常に有名であった。尋問にはカエリ・ナンハの主オーウェンの名を出せば、いくらでも情報を聞き出すことが容易だったのだ。しかも主のための所業を語らせ始めると、尋問側が止められなくなるほどカエリ・ナンハは恍惚となって知っている情報をいくらでも語り始めたのだった。



 カエリ・ナンハは伯爵家三男、オーウェン・レットーの従者として古くから仕えてきた美貌の青年だ。主であるオーウェン自身は上昇志向の強い、少し顔立ちの整った程度のよくいる貴族の青年だ。剣の腕は三流、頭の中身は他の貴族の青年とさほど変わらない。平凡な男だと上司はこぼしている。彼の異例の出世は優秀な彼の従者と実家の力が影響しているのは、有名な話だった。

 オーウェンは伯爵家からの圧力で入れた騎士団で、補佐として大人しくコツコツと真面目に働き、主に優秀な従者の助けと伯爵家からの援助により、今では騎士団副長の座についている。功績のほとんどを今回捕縛された従者の手により手に入れたという。貴族の位しか誇れるところのない騎士団副長の頼れる従者。騎士に負けないほどの剣の腕を持ち、実務の処理すらも片手間に済ますことが出来るらしい優秀過ぎる美貌の青年カエリ・ナンハの名は王城内どころか、城下町にまで知れ渡るほどの知名度を持つ。


 事件は王太子の婚姻を邪魔し、さらには暗殺を企てたとされる王弟一派が黒幕だった。黒幕の一味の思惑に乗ったオーウェン・レットーの従者が、主であるオーウェンの出世を信じて実行したことで起こった王太子夫妻暗殺未遂事件、ということになったとされた。


 実行犯となったカエリ・ナンハは警備が最も厳しくなる広間で、王太子夫妻の入場を待ち襲撃を狙っていた。信頼の厚かった知名度のある従者は配備されていた腕の立つ騎士7名を、いよいよ王太子夫妻が登場するというところで襲い掛かり武器を奪った。その時点で気づいた参列者は悲鳴を上げながら部屋から逃げ出し、状況が飲み込み切れない外で待機していた騎士たちが慌てて王太子に付き添っている上司へと報告に走り、数をそろえて突入するまでの間に中に警備をしていたはずの騎士たちが、たった一人の襲撃者に切り伏せられているところは発見した、というのが事件の大まかな流れだった。


いくつかおかしなところのあるその内容の詳細を語らせるため、度重なる尋問の末にカエリ・ナンハは突然体調を崩した。医務官を呼ぶため監視の目が緩んだ隙をついてカエリ・ナンハは一人脱走した。従者の自由を願って主であるオーウェンが逃したと噂されたが、事情を報告するために王太子に謁見していたこと、暗殺事件と関わる物証や証拠が全くみつからなかったということで、オーウェンの助けを借りずに単独で逃走したとされた。


美貌の従者は事件の全ての責任を負ったまま逃走し、レリアット国中から指名手配をかけられた。

結局20年以上たつ現在も、彼の姿は見つかってはいない。

一説にはカエリ・ナンハには秘密の協力者がいて、その者の助けにより国外に逃げ出したのあろう、もしくは目立つ美貌の顔を変え別人として生きている、などと噂されたが、結局真実はわからないままだった。



 カエリ・ナンハが尋問の際に語った暗殺事件の黒幕である王弟派たちの名前から、王国では大規模な粛清が行われたが、実行犯の処罰は犯人の逃亡によりあっけなく永遠に延期されてしまうことになった。


 カエリ・ナンハの主、オーウェンは従者の異変を感じて上司に婚姻の儀式における警備の安全性について提言し、王太子夫妻の命を守ったということで当時としては破格の待遇に従者の責任を問われることなく、また彼自身の功績として認められ、のちに近衛騎士団の団長へと出世した。

 彼の上司であったホゼ・トライドはさらに上の階級である騎士団総長へと出世した。

 

 ただ一人オーウェン・レットーの出世を願った、彼の従者だけが国を追われ、その後のレリアットから完全に姿を消した。








 暗殺未遂事件から20年後、王太子夫妻は無事婚姻をあげ二人の子をもうけ、慎ましくも穏やかに暮らしている。もうすぐ現国王の退位とともに戴冠の儀を執り行われる予定だ。


オーウェン・レットーは出世したことで男爵の位を授爵し、侯爵家の次女に結婚した。今では15になる女児を授かり、今年デビューとなる社交界のシーズンに父親らしくヤキモキしている姿が見かけられる。

ホゼは騎士団総長の位を現国王の退位とともに引退することを考えるようになっていた。王族からの信頼の厚い立場であるため、本来ならこのままでも問題ないが、ホゼは現宰相と折り合いが悪い。元よりこれ以上の出世も望んでいない彼は十分信頼でき、実力ある後任も育て上げているので、退職後のなんの憂いもない悠々自適な生活を夢見て久々に得たゆっくりとした時間を一人で過ごしていた。




 一人で過ごすはずの静かな夜。


 そんな彼の元に招かれざる客が、彼の過ごす書斎に続くバルコニーへと突如として現れた。


 しかしホゼは予期していたのだろうと思えるほど、驚くこともなく落ち着いた様子で侵入者の気配に気づきくやいなや、警戒すべきはずの窓を自ら開けて招き入れてやった。


 するりと入り込んだ客は、洗練された仕草で挨拶する。細く身軽な男のようだった。しかしバランスよくついた筋肉が長く騎士である彼にはすぐに分かった。武を納めた者だということが歩き方から読み取れる。背は高く、目深に洒落た鹿狩り帽ををかぶっている。来ているものは目立たぬよう一見地味だが、実際には上質な生地で作られておりセンスのよいそれらは、引き締まり整った体格に非常に似合っていた。例え城内でも品の良い紳士に見えたことだろう。


「やぁ、久しぶりだね。約20年ぶりだろうか。元団長殿。」


 男性にしては高めの声が、この国の中でも上位に入る権威を持つ男に向かって気安い声を掛ける。


「その呼ばれ方、懐かしいな麗しの元従者。今は騎士団総長だ。君が呼びたい方で別に構わないが、あのころから頼んでいるようにぜひホゼと呼んでくれないか。」


 ホゼも自分が招き入れた相手が誰であるかをはっきりと認識したうえで、気安いまま話を返した。客人は苦笑を浮かべつつも、楽しそうに懐かしいやりとりを繰り返す。


「けっこうだ騎士団総長殿。私とあなたの間には、それほどの隔たりと契約という薄っぺらい関係性があるだけなのだから。」


 既に既知ですら呼ばなくなった敬称で気安く話しかけてくるような知り合いなど、ホゼの周囲にはもうほとんどいない。書斎の灯に照らされて鹿狩り帽の中から現れるのは、当時と変わらない美しい艶やかな黒髪と透き通るほどの白い肌。前は短く刈り込んでいたが、腰まで伸ばされた黒髪は溢れんばかりの量と艶を湛えている。視線を交わすと煌めく湖面を写し取ったかのような碧眼が、楽しげな様子を浮かべた美貌に陰りはなく、また当時よりも年を重ねたせいか以前よりも艶やかさと色気がいや増していた。

 ホゼを見つめる目には当時のような狂気がなりを潜めている。外套とスカーフを緩め、現れた肌にホゼは思わず手を伸ばし、決して細くはない腰を引き寄せる。


 年を重ねても滑らかな白い肌に口づける。止めようと伸ばしてきた手も捕まえて、ついでに愛してやまない硬い剣だこにも唇を落とす。


「あれから20年も経ったというのに、君は変わらず、それどころかさらに美しくなっているな。」

「20年前から何度も言ってるじゃないか、いきなり触らないでくれ。総長殿。」


 本当に嫌そうなその様子に、苦笑を浮かべたホゼは静かに手を離し、視線を外すことなく先ほどまで座っていたソファーへと恭しく客人を促す。

 気分を害した様子もなく、優雅に腰掛ける姿は当時と何も変わらない。

 ホゼはもう一つグラスを用意して、一人で味わっていた高級酒を客人にふるまう。


「ほう、いい酒だ。」


 香りと味を楽しむ姿は当時よりもずっと様になり、初々しさは消え失せたが、磨かれたグラスへ運ぶ唇や白く細い指の仕草は色を増し、さらに美しくなっているとホゼは思う。20年ぶりの邂逅とは思えないほど穏やかに、静かに酒を二人で楽しむ。

一杯目を飲み切るころ、客は口を開いた。


「総長殿。ずいぶんと遅くなってしまったが、感謝を。それから君の息子は元気だよ。君に似て健やかで、そしていい男に育った。」


 あまりの急な報告にホゼは酒を噴き出す。


「そうか、ありがとう。君の口から教えてくれて。カエリ。いや、今はもう違う名があるのだったかな。」


 カエリと呼ばれた客は悩まし気な視線をホゼへ寄こし、少しだけ顔を歪ませるように笑う。


「君にカエリと呼ばれるのも、悪くないさ。」


 カエリ・ナンハはホゼ以外誰にも知られていないが男装の達人だった。当時は性別を偽っていたから、誰も彼女が女性だとも、さらには妊娠していたことなど夢にも思われていない。ましてや、妄信と言えるほど執着しているオーウェンの従者が、彼の上司と寝ていたことなど誰が想像出来たことだろう。


 あの王太子夫妻暗殺未遂事件すら、二人によって仕組まれた騒動だったなど、今も知られていない。




王太子夫妻暗殺を考えた王弟派らは、暗殺の首謀者の黒幕にオーウェン・レットーを据えようとしていた。そして悪意の手を伸ばしてきたことに誰よりも早く気づいたのが、彼を守り慈しむ彼の従者だった。愚かなオーウェンは出世欲のあまり、知らずに陰謀に自ら巻き込まれようしていた。カエリは主人を守るために連絡役として買って出た従者は、一切の情報を主人にこぼすことなくたった一人で暗殺計画を立てた。しかし事件の規模の大きさに一人では手に負えないと判断し、大事な主人を守るために別の協力者を求めた。

それが当時からカエリに人知れずアプローチをかけていた、唯一カエリの正体を知る当時騎士団団長のホゼだった。


 ホゼは当時も今も、カエリに夢中だ。ホゼはカエリが執心しているオーウェンから彼女を引き離すために近づき、カエリは陰謀に巻き込まれる主を救うための唯一の手段として協力者をホゼに選んだ。そしてその代償としてホゼは彼女の肉体を望んだ。主人を思うカエリの心がホゼへと傾くなど考えられないほど、カエリは主オーウェンのことしか頭になかった。そのことが彼女を思うホゼには十二分に分かっていたからだ。

当時は卑怯だなんだとひどく自分を責めたホゼだが、カエリは意外にも乗り気だったことがさらにホゼを後ろめたくさせた。

 カエリはオーウェンのために性別すら捨てる覚悟で従者となり、彼のために彼の上司に体を捧げ、果てには王族暗殺未遂までやってのけた。彼女の騎士道精神には、ホゼも頭が上がらない。彼の知る中でこれほど騎士道に準じた騎士をホゼは彼女しか知らない。


 そうしてカエリ自身は愛してやまぬ主の待望の出世と、彼にとって安全な立場を手に入れた。カエリ自身の人生と命全てを捧げて。カエリの希望の通りにホゼは望みを叶えるべく、大した能力のないオーウェンを上司として支え続け、20年もの間上司として彼を見張り、守り、陰謀や周囲の思惑から遠ざけてきた。よくも悪くも普通のオーウェンは無茶な出世さえ望まなければ、誠実な騎士として十分に評価されていた。


それが処刑される覚悟まで決めた彼女との、唯一の約束だったからだ。






 彼女が投獄され尋問を受けていたあの日、ホゼは本当は彼女を逃がすことなく彼女の望む通りこのまま秘密を守り抜いて処刑されるまで見守るつもりでいた。しかし体調不良を起こした彼女の症状から、妊娠の兆候を悟ってしまった。事実を知っているただ一人の協力者であるホゼが彼女を逃した。

 遠からず迎える処刑を待つだけのはずだった彼女を、それすら受け入れていた彼女を子供の命を巻き込むことを説得してさらには脅しつけ、一方的に生きることを無理やり誓わせた。

彼女が無理やりにでも生きることを誓ったのは、二人の間の唯一つの秘密を彼女の主人に暴露するという脅しが効いたからだった。ホゼは心からの嫉妬と安堵を得て、密かに逃した後国外の友人に彼女の身柄を預けた。王族からの信の厚いホゼに疑いを向ける人間は誰一人現れなかった。

そして20年。


 ホゼは国外へと逃した彼女との接触を一切裁ち、今日まで連絡をとることも、会うことすらなかった。

 肉体関係を結んだあの日彼女が宿した子供の命が、自分のものだとホゼは知っていた。彼女は不本意だったろうが、それでも愛する女の孕んだ命を知り、得ることが出来ないと知りつつも抱えていた激しい独占欲の衝動を、ホゼはずっと誰にも言わずに抱えて生きてきた。


 ホゼは、カエリ・ナンハを今でも変わらず愛していた。それはカエリがオーウェンに対して盲信的に向けていた愛情と同じ、とても似た狂気を孕んだものであった。




「いつか息子に会ってみたい。合わせてくれないか?」


 酒を片手に艶やかにカエリは笑う。


「あいつが会いたいと思ったならそのうち会いに来るさ。大人しく待ってなよ。父親だろう?」


ホゼは静かに笑い、楽しそうに酒を飲むカエリの美しい横顔を見つめ続けていた。

後で接触を絶っていたかつての友人に連絡を取ろうと密かに思う。今は目の前の愛しい人との再会を祝おう。カエリと呼ばれた客人は、かつて自分を抱いた男の視線に気づいて笑っていた。


 酒瓶が空になるまで、静かな再会の宴は続いた。









 アンリは疲れ果てていた。

 何度説明しても理解の出来ない頭に付き合う時間がもったいないと心底思う。


「だから何度も説明していますが、他国の令嬢であるあなたのお心に私は答えられないと言っているのです。」

「そんなことありませんわ。あなたは一目で私の心を攫っていってしまいました。もう離れることなど私に考えられないのです。」


 耳にキンキンと響く甲高い声のせいで頭痛がする。

 養父のために参加したデビュタントの夜会で、まさか隣国からの使者である自分にしつこく食い下がってくる令嬢がいるなどと夢にも思わなかった。


「デビューして初めての夜会であなたのような方に出会えるなんて、私夢みたい。」


 これほどしつこく面倒くさい女に掴まるなんてと、アンリは自分の不運に心の中で嘆く。


「せめてお名前だけでも教えてくださいませ!父に何としてもお許しいただいてあなた様のお国までついていく所存でいますわ!」


 付き合っていられない。一目のないところではまずいと思い、会場の隅に移動したとはいえこれほど長く騒がしくしていれば目立つというものだ。周囲の人は少し遠巻きにしながらも面白そうに見物している。マナーとして令嬢は男性側からの誘いを待つのが基本である。もしくは付き添いの男性からの紹介を受けたり、まずは知り合ってから声を掛けるのものだ。例外的に気になる男性にアタックすることはなくはないが、令嬢の行動としては非常にはしたないとされる。

 デビューしたばかりでマナーに疎いとはいえ、これはひどい。

 本来ならデビューしたばかりの令嬢が評判を落とす前に、付き添ってきた男性か家族が窘めるかいさめなくてはならないのに、どうもこの令嬢に付き添ってきたらしい父親は置いてきたのかはぐれたのかしたらしい。先ほどから結構経つというのに現れる様子が見えない。

 アンリは令嬢と違い、純粋に仕事で来たというのに、この礼儀知らずの令嬢に邪魔をされて怒りが募ってくる。同業者は既に高名な貴族に挨拶に回っているというのに、養父の名代として参加した自分はここでたくさんの知り合いを作らなくてはならない。もちろん女性との出会いもよい繋ぎとなるため、本来なら推奨されるのだが顔繋ぎを作りたいのは権力や経済をまわしている男性の方であり、付き添いを連れてもいないこの令嬢に足止めされるのは正直言って迷惑だった。とは言っても仕事で来ているため、令嬢に対し冷たくあしらってはまだ周囲に挨拶も済ませていない自分では印象が悪くなってしまう。

 そもそもさほど派手でも目立つ顔でもない平凡な顔の自分がどうして彼女の目に留まったというのか、アンリには疑問でしかない。


「レディ、あなたのような初々しい方に令嬢から声をかけられる私のような未熟者は似合いません。せめてご家族からご紹介いただけるような者になってこちらから挨拶させていただきますゆえ、お手を離していただけませんか?」

 

 マナー知らずはせめて家族に紹介されてから声を掛けられるのを待ってろよ、と言外に言ってみるが効果はなさそうだ。初々しいだなんて、といって感激しているようだ。周囲はアンリの言いたいことが分かったようで、失笑を買っている。これ以上はあまり令嬢にとっても、アンリの仕事にもよくない。


「エレアーナ!探したぞ、突然いなくなって。何をしている?彼は、誰だ?」


 やっと令嬢の父親が現れた。どうやらかなり高名な男性らしい。人がきが道を開けて、堂々と歩いてくる。しかし男はアンリを見た途端複雑そうに顔を歪めた。デビューしたばかりの娘が見知らぬ男の袖を掴んでいれば仕方ないだろう。


「君は、いや娘がすまない。私はオーウェン・レットー。娘エレアーナの父親だ。この国の近衛騎士団長をしている。一体君は誰だね。」


 娘の肩を引き寄せるようにしてアンリから令嬢を引き離してくれる。エレアーナと呼ばれた令嬢は口惜しそうに父親に抗議し、こちらに視線をちらちらと寄こしてくる。

 しかし、アンリの方は父親の名前に聞き覚えがあった。ほう、この男が。声に出さず目を細めて観察する。この男の娘だったのならもっと冷たく突き放してもよかったかもしれないと、声を出さずにごちる。


「失礼、名乗るほどの者ではありません。レディはどうやら夜会の熱気に当てられたらしい。少し風に当たるとよろしいでしょう。」


 アンリは令嬢に対応していたとは思えないほど冷たくオーウェンに言い放った。

 招かれた国の近衛団長と言えばかなり上の階級であり、普通の貴族なら少しでもお近づきたいと思うものだ。だが名乗りもせず冷たい視線を向ける紳士に、騎士団長と務めるオーウェンは戸惑う。立場ある貴族でもあるオーウェンに、例え他国であってもこの夜会の警備のトップでもあるオーウェンは丁寧に挨拶することが常識だ。よほど娘が紳士の気分を損ねたのかと、オーウェンは判断した。

逆にエレアーナは父親が彼を不快にさせたと憤っている。

 背を向けるアンリに、娘に訴えかけられたオーウェンは渋々アンリを呼び止めようとする。どこか後ろ姿が誰かに似ている気がしたオーウェンは、呼び止めようとして思わず口から出たのはここ20年近くも呼ばなかった名前だ。


「おい、待て。カエリ!」


 背を向けた男は一瞬振り返り、平凡とは思えないほどの鋭さを宿した顔に冷たい目をオーウェンに向けた。オーウェンは殺意さえ籠ったような目にそれ以上何も言えず、娘の方はどこがいいのか振り返った顔を見てきゃあと喜色ばんだ声を上げる。大勢の貴族の中にさっさと紛れて行ってしまった彼を、追おうとする娘の腕を掴んで止め、オーウェンは古い記憶を呼び起こしていた。


 自分の居なくなってしまった美貌の従者。先ほどの青年は決して似ていなかったし、美貌というような風貌はしていなかった。かつての従者と似ている要素などなにもない。

 立ち去った彼は、しかし従者の目と非常によく似ていた。







「彼はどうだった?」

「最悪です。彼に合わせるために夜会に出させたのですか?」


 ため息をつきながら人の少ないバルコニーで風に当たる。問いかけてきたのは養父から紹介を預かり、この国で世話になっているホゼ・トライドだ。アンリは疲れたように振り返る。


「あれが、あんなのが母の命をかけた男だというのですか?ちょっと信じられません。」

「そう言ってくれるな。私も日々自問自答の日々を送っているんだ。」


 アンリが入国してから世話になっているホゼのことは、この国へアンリを使いに出した養父からは何度も話を聞いていたし、数ヶ月前から直接手紙のやりとりもしていた。アンリは養父とのやりとりから、ホゼが自分の本当の父親であることを薄々は気づいていた。真実を語るつもりのなかっただろうホゼに、夜会の前の晩にアンリは自分から問い正し、事実の確認していた。ホゼは苦笑するようなどこか痛ましそうな顔をしていたが、一晩かけて20年前のことと母親のことを語ってくれた。

 本音を言うならホゼに対する怒りもあった。とても困った産みの母にも。しかし、預けてくれた養父と養母は良い人たちでホゼとは長く古い友人と聞いていた。父親だと打ち明けるも消極的な態度のホゼに、アンリは拍子抜ける。事情を聞いて怒りもどこかへ行ってしまい、最後にはホゼのことを受け入れた。なによりホゼよりも、母が忠誠を尽くすというオーウェンのことが気になって仕方がなかったせいもある。


アンリの人生はオーウェン・レットーにより複雑にされたというのに、彼自身はそのことに一切気づくことなく、アンリの母からの忠誠に胡座をかき、彼の能力では考えられないほどの出世を謳歌しているのだ。


 夜会で会ったオーウェンは体格はしっかりした偉丈夫だが、それだけだ。顔も貴族としては並み、騎士団長というにはやや覇気にかけている。娘の方は全く父親に似ておらず、あの年特有の幼さと健気さはあったがアンリは年下に興味はない。産みの母に対する愛情はさほどないが、母の境遇を思うとレットーの血統には憎悪まではいかずとも嫌悪感は沸くと言うものだ。


「なぜ、母はあの男に。あなたは知っていますか?」

「私も、彼女の過去を直接聞いたわけではない。」


 ホゼはレットー本人から、またはホゼ自身の持つ人脈から得た情報からつなぎ合わせて分かった過去を、ホゼはアンリに母親であるカエリの過去を語った。




 レットーの家はとても古くからある旧家だ。特に目立つような領地にあるわけでも特色があるわけでもない。しかし領主の家は違う。彼らは濃い血の血統を重んじる。そして、彼らは近親婚を近年まで繰り返していたため、レットーの親族には精神疾患を患う者が多いと言われていた。


 特にオーウェン・レットーの母親は重度の精神疾患を抱えていた。

 ホゼがかの領地を離れた当時の家令から聞いた話では、オーウェンの母はひどい妄想を抱えていたとのことだ。

 オーウェンの母親がある日突然屋敷に連れ帰ってきたこと子供ということしかカエリ・ナンハの出世は分かっていない。何か月も渡って屋敷に見知らぬ子供が監禁され続けている様子を、召使いやメイドから聞き取ってようやく分かったとのことだった。

 オーウェンの父親もその状態に気づいたときには既に手を付けられないようになっていた。入り婿である彼は領地を揺るがすスキャンダルから妻を守る義務と、領地を潤すために必要な各地巡回の旅の途中だったのだ。

 そして、オーウェンの父親ができたことと言えば、当時まだ12歳のオーウェンに病的に心酔する出生のよく分からない少年を従者としてつけることだけだったという。


 オーウェンの母親はカエリ・ナンハをどこから連れてきたのか誰にも語ることなくその後病死、したということにされている。オーウェン曰く、自殺だったかもしれないとも。レットー家でまともな最後を迎えた者は少ないからだ。


 オーウェン自身も成長するにつれて、領地からカエリの親族や近い人種の者たちを探しはしたが、結局母親がカエリをどこから連れてきたのかは分からずじまいだったそうだ。

 そしてホゼは驚いたことだが、オーウェンはいまだにカエリの本当の性別を知らないということだった。カエリはあくまで従者の青年。男性だと今でも信じているという。

 ホゼ曰く、レットーの血統か、思い込みか、もしくはオーウェンの母親による洗脳であると考えられている。あれほど美しく凛々しい少女に、ホゼは一目で心を奪われたというのに。性別を偽るよう仕向けたのは美しい娘への母親の嫉妬心だったのか、息子を守るためだったのか。今はもう誰にも分かりはしない。


 ただ、当人であるカエリ自身は自らの境遇をさほど嘆いてはいないということだ。カエリ・ナンハはオーウェンへ全てを捧げて仕えることに、至上の喜びを得ている。それだけは間違いはなく、それゆえにホゼはオーウェンに対して激しい嫉妬を抱えているのだと語る。





 アンリは思う。


 自分の生みの母親への深い愛を語るホゼ自身は、政略結婚で得た妻を若くして亡くしている。そしてその後は後妻を得ていない。子供もなく今はただ一人、カエリのことだけを慕う心を秘めて生きているのだ。


 実はアンリはほとんど産みの母親のことは知らない。カエリ・ナンハは時折アンリの生家を訪ねには来るものの、物心つくまでただの客人としか思っていなかった。思えば、アンリからの愛情が養父母から逸れないよう気づかって、その程度の関係でいることを望んでいたのかもしれない。


 アンリはほとんどカエリとほとんど会うことはないが、ホゼは何度かカエリと会っているらしい。特に母親に会いたいとは思わないアンリだが、少しだけ一途に母を想うホゼをうらやましく思うアンリだった。

 アンリの髪はホゼ譲りの栗色だが、目はこの国には珍しい碧眼だった。隣国ではありふれた色ではあるが、養父母と異なるそれは長くアンリのコンプレックスだった。

 アンリはコンプレックスを思うと、似ることの出来なかった養父母に申し訳なく思うが、二人に預けてくれた母には感謝している。今も追われ続けている罪人の子であるなど知りたくはなかったが、自分は今幸せだ。

 人生を狂わされた母は可哀そうだし、オーウェンのような男にささげた人生を複雑に思いはするが、もしかしたら彼の子供であったかもしれない自分の身の上を思うと、まだホゼの子であれてよかったとアンリは思う。



「困った人をあなたもよくお好きでいられますね。」

「今更だ。君もあのような産みの母で、私のような卑怯者の父親で幻滅しただろう。」


アンリは苦笑する。


「それこそ、今更ですよ。本当に幻滅しているならここにはいません。」


笑った顔が母親によく似ていると思うホゼは、自分でも重症だと改めて自覚した。












「あらあらオーウェン様ったらうちの子に邪見にされてお可哀そうに。慰めて差し上げたいけど、まずは時期王太子候補にエレアーナちゃんとの婚約を推薦するのを邪魔することのほうが先決かしら?全く過ぎた出世は身を滅ぼすといい加減学んでくださればいいのに。オーウェン様はいつになったら身の丈を学ぶんだか。ふふ、そこも可愛らしいけど。」


 カエリに残る最初の記憶はオーウェンの母親アレンシアによる監禁の日々の記憶だ。幼い自分に朝から晩まで洗脳のような教育を施されたカエリは、アレンシアからカエリにとってオーウェンはただ一人の神にも等しい主であるとそれだけを言われ続けて、頭にオーウェン・レットーのことだけを考えるよう植えつけた。

 オーウェンだけを愛し、信じ、守ること。ただし、か弱い女の身では守れないから女を捨てること。それがアレンシアから受けた祝福とも呪いともとれる唯一つの命令だった。

 拒否することなど考えることも出来ない状態で誓わされたカエリに、初めて顔を合わせたオーウェンはとてもまぶしく美しく神々しく見えた。魂を捧げるほどに。仕えられることに喜びを感じるほどに。

 おそらく洗脳だったのだろうとカエリも自覚している。でもそれでももう別によかった。既にカエリの本当の名前や本当の家族のことなどどうでもよかったからだ。オーウェンさえ守ることだ出来るなら、カエリはもうなにもかもがどうでもよかった。

 カエリにとってオーウェンについて情報を集めることは生き甲斐だった。ただのストーカーだが、そうして陰ながら見守り、時に操りつつも脅威となる者から守るのだ。例えオーウェンさえ気づいてもらえずとも。一応公的な立場はホゼに任せているが、オーウェンの全てをホゼとて管理出来るわけではない。

 アレンシアからもらったのは、オーウェンに注ぐ無償の愛だとカエリは思っていた。

 アンリのことは人生において急に降ってわいた突然の事故だと思っている。確かに子供は可愛いし愛着も沸いたが、カエリにとってオーウェンがすべてなのだ。アンリの存在は邪魔でしかなかった。

処刑を覚悟したあの日、子供のことをあげつらって脅してきたホゼに心底憎しみを抱いた。邪魔な子供など道連れに殺してやろうとも。

 だがホゼは共にオーウェンを守るためにようやく得ることのできた唯一の同士だ。まぁホゼがオーウェンよりもカエリの方を思っていることを理解はしているが、その方が効率がいい。

ホゼがカエリの死後も必ずオーウェンを守るためならあのまま死んでもよかったのだ。しかしホゼは結んでいた契約を覆し、生き延びなければオーウェンに秘密をバラすと脅してきた。それが彼からの愛情だとしても、カエリにとっては憎くて仕方なかった。

子供のことさえ、ホゼに対する人質になればいい、くらいにしか思っていなかった。しかし、年月は人を変える。

 カエリは時折、日雇いとしてレットー家に侵入したりメイドとして仕えたり、業者に扮して訪ねたり、それなりに楽しい日々を送っていた。

生きて、こそこそしながらも愛しいオーウェンの様子を見守り、あまり可愛がらなかったが立派になった息子を時たま訪ね、当時は受け取れなかったホゼからの愛情も、約束を守り続けてくれていることも、少しは理解出来るようになってきたから。

生きていてよかった。


 これこそがカエリにとって最高の幸せだと信じていた。

 

 



読んでくださりありがとうございます。気が向いたら連載用に書き直したいと思います。

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