76 順調な準備
Sランクネストの日程が近づいてくるごとに、町は不思議な興奮に包まれ始めていた。プレイヤーはお祭り前のようにそわそわし始め、運営のスタッフたちは、妖精たちでさえ緊張感を漂わせ、イベントまでの日数が一週間を切ると、町もプレイヤーも運営スタッフも、メサイヤオンラインのサーバーに所属する全ての者が、期待と危機感のない交ぜになった、「狂気的」というべき盛り上がり方をし始めた。
Sランクネストの攻略が失敗すれば、運営はこの世界を手放さなければならない。サービス終了である。当然そんなことになればプレイヤーは激怒するだろう。脅迫メールの一通や二通は覚悟した方がいい。ゲンマエンタープライズの、ゲーム運営会社としての信用も地に落ちる。
しかし、そのリスクを負ってでも、Sランクネストはやらなければならない。
カナエは、その理由をまだ知らされていなかったが、GMとしてやるべきことをやるだけだと、割り切っていた。
カナエのSランクネストでの役割は、強襲である。
ネストコアをSランクにした直後から2日の間、運営はあらゆる手段を使って、Sランクネストとなったゴブリンネストの情報を集める。そして2日後――日本時間の午前3時から、第一回目のSランクネスト攻略イベントが始まる。これの指揮をとるのは、イベントの為に設置された、運営のSランクネスト特別対策室である。
この攻略の最終局面において、転移ゲートから一気にネストの中心に進み、ネストコアと一体化したボスを倒す、あるいは、ボス討伐の障害を取り除くなど、攻略のための決定的なアシストをする、それが強襲部隊であるカナエの任務である。
イベントの発表から、カナエは当日イベントに参加するメンバーを引き連れて、10回ほどゴブリンネストに挑んでいた。カナエ、エトワ、ロッテ、リアム、ガリバー、アオイ、フツ――ラブネストのメンバー7人である。
もう一人分枠が余っているが、ローズもミレンもシフォンも、当日はそれぞれのクランのPTでイベントには参加するので、カナエは彼女たちを呼ばなかった。7人では全く手も足も出ないなら、なんとかもう一人――と考えていたカナエだったが、最初に一回行ってみて、考えが変わった。
「やれる」という手応えがあった。
10回中、最初の5回は、ネストの最奥にたどり着く前にPTが崩壊した。しかし、それは「慣れ」によって解消できるものが原因だった。
6回目、時間をかけながらAランクエリアに到達。7回目はボスゴブリンまでたどり着いた。8回目から10回目で、時間を短縮させながらボスゴブリンに挑み、10回目では、犠牲者無しでボスゴブリンを討伐できた。
ゴブリンネストは、プレイヤーが最も攻略しているネストだが、7人でのクリアは前代未聞の快挙であると、カナエはケイから知らされた。
ネストクリア後、7人は〈バルディの居酒屋〉で祝杯を挙げた。
石柱広場から知の広場に行く道の途中にある料理屋である。
――乾杯!
日本国籍のアオイとフツ、ドイツ国籍のロッテ、そしてアメリカンのリアムは、酒が出されても酒の味がわからないようになっている。(メサイヤオンラインで酒の味が楽しめるのは、そのプレイヤーがゲームに接続している施設の属する国の、アルコール規制法に反しない年齢になってからである)
しかし4人とも、酒豪のような豪快な呑みっぷりで、まるでそれが酒であるかのように、頬を朱に染めていた。歳の近い4人は、自然と会話も弾んでいる。ロッテの隣にはリアムがいて、その向かいの席にアオイとフツが座っている。リアムは、まだ微妙に不自然な距離感を保って座っているが、それでも、最初に比べれば随分女性に慣れてきていた。
「(というより、ロッテに慣れたのかな……?)」
そんなことを思いながら、リアムの隣の席に座るカナエは、4人の会話を聞くとはなしに聞いていた。ロッテがリアムにセクハラをしだしたら、きっとリアムはこっちに助けを求めてくるだろうということを見越しての席順である。
若手グループの4人の年長は高校三年生のアオイとフツで、それと最も年齢が近いのは、エトワである。にこにこ笑いながら、4人の会話を聞いている。次にカナエ、最年長はそれより二つ年上のガリバーである。
「ほら、もっと飲め飲め、フツ、今回はお前の手柄みたいなもんだ!」
「そんなこと――あ、ありがとうございます」
わざわざ立ち上がって、フツに酒を注ぐガリバーである。
戦いの中で、フツはガリバーの露払いとして大活躍をしていた。「ジャパニーズ・サムライ!」と、ガリバーはフツが薙刀や太刀を使った見事な立ち回りを見せると、それだけで熱狂していた。
アオイの召喚獣も活躍した。
ただし、赤鬼ではない。
赤鬼は、敵を倒せば倒すほど強くなるが、15匹から20匹を倒したあたりから、巨大化する角のせいで動きが鈍くなってゆく。魔物の数が増えてくるB~Aランクエリアになると、その性質のせいで、赤鬼は召喚されても、すぐに角の重さに負けてマナに還っていった。
代わりに活躍したアオイの召喚獣は、一角兎だった。このニューフェイスは、金の毛に真っ黒い角を生やした兎の形をした幻獣で、その可愛らしい外見とは裏腹に、角からの〈フォトンレイ〉に似たレーザーのような攻撃で、貪欲にゴブリンたちを葬っていった。
準備は奇跡的に万全。
しかしカナエは、不安も覚えていた。
得体のしれない漠然とした不安である。もっと苦戦してしかるべきだった。その苦戦の中で、学ばなければならない事があったのではないか。順調すぎる。この祝杯ムードに酔って、忘れていることがあるのではないか。
「どうしたの?」
アオイが、兄の表情を見て、訊ねた。
カナエは酒を飲み、首を振った。
「何でもないよ」
しかしアオイは知っていた。
兄の「何でもないよ」は、「何か」ある時の合図だと言う事を。




