46 一年ぶりの幼馴染
六時過ぎ、帰宅した奏恵は、玄関に見慣れないパンプスを発見した。
短い廊下を進み、真正面の扉を開け、リビングに入る。
「ただいま」
「おかえりー」
いつものように返事を返す葵。
そして――葵の向かいの席に、もう一人、女の子がいた。
ガラス細工のような、繊細な顔立ちの美人。左の目の下に小さな泣き黒子があり、漆塗りのような真っ黒い髪を、後ろで一つ結いに束ねている。
笑うとその頬にちいさな笑窪ができるのを、奏恵は知っていた。
――奏恵の一つ年下、幼馴染の櫛名翡翠だった。
翡翠は、笑顔で「おかえり」と言うつもりだった。
しかし、出てきた言葉は――。
「ごめん、なさい……」
絞り出した小さい声で、翡翠はそう言った。
翡翠の白い頬に、涙がつうっと流れる。
「え、なんで謝るんだよ……。翡翠、あの……久しぶりだね」
突然泣かれて、奏恵は焦った。
葵が、すぐにフォローを入れた。
「お兄ちゃんが、もう見舞いに来るな、なんて言うからだよ。お兄ちゃんが、悪い!」
「えぇ、俺か!?」
葵に言われて、奏恵は、思い出した。
――事故の後、翡翠が見舞いに来たことがあった。全身包帯、その上からアイシングのための機械で覆われ、身体には幾本もの管が差し込まれていた。俺は翡翠に、そんな自分を見せたくなかったのだ。それで、「もう来るな」なんて言ったのだ。
「あぁ、俺だな、俺がいけないな……。ごめん翡翠、あの時はさ――」
近づいてきた奏恵に、翡翠はその袖をぎゅっと握った。
奏恵は、今まで味わったことのない罪悪感の海に突き落とされた、そんな気分になった。
「退院、おめでとう、カナ君」
ぐすんと鼻をすすりながら、翡翠が言った。
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奏恵と葵、そして翡翠は、三人で食卓を囲んだ。
餃子パーティーならぬ、シュウマイパーティーである。大きな皿に、ひたすらシュウマイが敷き詰められている。
シュウマイを食べながら、三人はそれぞれ、近況などを報告し合った。
小さいころから賢かった翡翠は、首都外語大を出て、今はフリーの翻訳家をやっている。それを聞いて、奏恵も葵も、感心したが、実際はなかなかお金にならず、副業でバイトをしながら暮らしているのだと、翡翠は二人に教えた。
奏恵も、今の仕事のことを翡翠に話した。
ゲーム会社の運営の仕事をしていると聞いて、翡翠は意外に思った。
「カナ君、体育の先生になるのかと思ってた」
一応奏恵は、体育科の教員免許を持っている。が、それは奏恵の意思というよりは、奏恵の入った学部が、教員免許を取ることを前提としたカリキュラムを組んでいたからだった。
「カナ君、プログラミングとか、できるの?」
「プログラミング?」
「ゲームの運営って、必要なんじゃないの?」
「あぁ……俺の場合は、そういうのいらないやつ。メサイヤ・オンラインって変なゲームでさ、プレイヤーとして強いから、採用されたんだよ」
「プレイヤーって、カナ君、ゲームやってたんだ」
「入院中ね。現実逃避して、そっちで遊んでたんだよ。だからなんか、結構強くなっちゃって」
「そうなんだぁ。私もやってみたいな。CMやってるよね」
メサイヤ・オンラインのCMが、今月から流れ始めた。
来月――つまり、4月の1日に、メサイヤ・オンラインの三次リミテッドリリースがある。現アカウント数の上限である30万人が、リミテッドリリースで、60万人まで解放される。
「GMって、どんなことやってるの?」
「それが、まだ新人だから、あんまりGMらしい仕事、回ってこないんだよ。だから大抵は、普通のプレイヤーと同じように、遊んでる」
「お兄ちゃん、遊んでお金貰ってるの!?」
「言い方な!?」
実際、世間にはそういう仕事だって本当にあるだろう、とカナエは反論してやりたかった。
おもちゃ会社の社員がいつも遊んでいるとは思わないが、例えばカードゲームの開発にあたって、そのプロジェクトにかかわった社員は、本気でそのゲームを、遊んでいるはずだ。
「どういうゲームなの?」
「どういう、かぁ……まぁ、魔物と戦ってもいいし、観光してもいいし、最近職業システムが実装されたから、料理人とか、鍛冶屋とかになりきってプレイしてもいいし、結構自由だよ。さすがに、翻訳家とかないけど」
と、その時、ちょうどメサイヤ・オンラインのCMがテレビに流れた。
売り出し中のアイドルグループの数人が、魔法使いっぽいローブを被り、胸の前で手を結び、祈っている映像。魔法陣がその足元に浮かび上がり、セリフになる。
――どうかこの世界を救ってください。
――魔物に覆われつつある世界。貴方は冒険者として、召喚される。世界の運命は、貴方にかかっている。
――この春、新たな冒険が幕を開ける。
――メサイヤ・オンラインリミテッドリリース第三段、アカウント予約受付中。
CMが終わる。
ゴールデンタイムにCMを流すとは、流石ゲンマエンタープライズ、金持ってるな、とカナエは思った。
「すごいねカナ君、このゲームのGMなんだもんねぇ」
「すごいかどうかはわからないけど、とりあえずは、就職できて安心してるよ」
「葵ちゃん、今のお兄ちゃん何点?」
「65点くらいかなー」
「75、いや、78くらいは付けてくれても……」
「だってお兄ちゃん、朝起きないんだもん」
「カナ君、まだ起こしてもらってるの?」
「いつまでもガキですみませんね……」
自棄になってシュウマイを頬張るカナエ。
葵と翡翠は、ケラケラと笑い合った。




