03 カナエ家を買う
朝、6時30分――葵起床。
兄奏恵は、葵の起こしに来る7時までぐっすり眠っている。
「いってきまーす」
7時半頃、葵登校。
奏恵は食器を洗って外出の支度をし、8時に家を出る。
向かう先は、駅前のジムだ。
その名も、〈マッスルライフ〉――いかした名前である。
8時半から9時半まで汗を流し、シャワーを浴びる。
そして10時――奏恵はジムの三階に新しくできたVRルームの扉を開ける。一ヶ月の貸し切り金額が15万。それとは別にメサイヤ・オンライン、月額5000円。
全て、会社の経費で落ちる。
GMとなったカナエは、ちょっとした優越感に浸りつつ、VR用チェアーに座り、ヘルメットのようなゴーグルを被る。
ログイン。
――というよりは、出社である。
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メサイオン、石柱広場。
相変わらず賑わっている。
「さて、どうしようか」
カナエの最初の仕事。
それは――仕事の準備をすることだった。
GM部にはいくつかの課がある。
イベントなどで、プレイヤーを先導したりするのが仕事のPL課。プレイヤーの知らないところで暗躍するSS課。そして、一般プレイヤーに紛れてGM業を遂行するUC課。
カナエは、UC課に配属されることになった。
元プレイヤーで、スカウトによって運営サイドに入ったスタッフは、ほとんどがUC課である。
さて、カナエにまず与えられた仕事。
それは、「一般プレイヤーとして最低限の文化的生活」を営めるようにすること、だった。ケイはざっくりと、次のような条件をカナエに出した。
・クランに入ること。
・プライベートルームを持つこと。
・ある程度以上の知名度を得ること。
・金にゆとりがあること。
その他には、一定以上の戦闘能力を持つこと、というのがあるが、それは、GM部のエージェントなら、すでに持っているものだった。カナエは、期待値を含めた総合的な判断によって、戦闘能力に関しては「合格」の判定を受けたのだった。
「どうしようかな」
何から手を付けようか。
カナエは考えた。
まずクランだが、これはまだ、入っていない。プライベートルーム、持っていない。知名度に関しては、かつて二丁拳銃という稀な戦闘スタイルでワンチャンピオンシップを取ったが、すでにここでは、それももう過去の話として忘れられているだろう。
カナエは、とりあえずプライベートルームを買うことにした。
向かった先は、〈シャルロット・ホームズ〉――この世界唯一の、不動産屋である。ホームズの店は、メサイヤ広場にある。
「いらっしゃいませ」
ダンディな声の猫が、カナエを接客した。
タキシードをビシっと着こなし、片眼鏡をつけている。上着のポケットから、懐中時計の鎖が見えている。ホームズの店内はゆったりと広く、天井にはオレンジの光を落とす立派なシャンデリアが吊るされている。スタッフは皆、猫の紳士だ。
テーブルに案内され、カナエはソファーに腰を下ろした。
高級家具屋に来た気分である。
猫紳士は冷えたグラスと、ワインボトルを持ってきた。赤紫の液体をグラスに注ぎ、一つお辞儀をして、ボトルをテーブルに置くと、カナエの向かいに座った。
「プライベートルームのご購入をお考えですか?」
「は、はい、お考えです」
場の空気に、完全に呑まれるカナエだった。
カナエのいた頃は、この店も、プライベートルームというシステムも無かった。
「ご希望の町は、メサイオンですか?」
「他にあるんですか?」
「はい。王立では他に、アゼリア、グラノーベルがございます」
「へぇ……。あ、メサイオンでお願いします」
「ご予算の方、お伺いして良いでしょうか」
カナエは、オプションタトゥーに触れて、オプションウィンドウを開いた。
所持金――1100万M。
「そのご予算ですと、こちらの第一から第五区画のルームも、ご検討いただけると思いまが、ご希望の場所などございますか」
メサイオンの立体マップが、テーブルの上に広がる。
カナエは思わず、ワイングラスを持ち上げたが――すぐにそれを、マップの端の方に置いた。
第一から第五区画は、メサイヤ広場や石柱広場に近い、いわば、一等地である。その一等地のあるあたりを示して、猫紳士が言った。
「このあたり、いかがでしょうか。メサイヤ広場からも近く、住み心地も良いと思います」
「そうですねぇ」
「特にこちらの物件がおすすめです」
カナエは、猫紳士に進められるままに、3分後には一等地のプライベートルームを買っていた。980万M。莫大な出費であった。
「またの起こしを待ちしております」
猫紳士のお辞儀に見送られ、カナエは店を出た。
残り120万M。
店を出る時、いかにも富裕層的なプレイヤーが店に入ってゆくのを、カナエは何となく目で追ってしまうのであった。