22 バレンタインデーの兄妹
世間はバレンタインデー。
駅前のスーパーやコンビニでは、パテシエのコスプレをした姉ちゃんが、店頭でチョコを売っている。
「(この寒い中、ご苦労様です)」
心の中でそう言いながら、奏恵は店を素通りしてゆく。
手にはビニール袋、その中には、特上寿司が四人前入っている。寿司は寿司でも、チェーン店の回る寿司屋のではない。少し入りずらい老舗寿司屋の特上握りである。
それを持って、奏恵は帰宅した。
18時過ぎ。
バレンタインデーの今日、高校生なら遊んでいても良い時間である。彼氏の一人でも作って、チョコをあげるのを口実にデートなんて、まさに高校生らしいことができる日である。クリスマスほど強力ではないが、バレンタインデーという免罪符も、なかなかの効力を持っているはずである。
ところが葵は、お行儀よく家にいた。
「おかえりー」
兄、奏恵は嬉しい反面、妹には心配もあった。
高二の女子――にしては、素直すぎる。反抗期、あっただろうか?
母は幼い頃に他界し、父は病院。兄と二人暮らし。
この環境で、なぜ葵はグレないのか。
バッドを振り回して、単車で暴走しないのか。
不思議でならない。
「――そういう衝動、ないの?」
「ないよ!」
怒られた兄であった。
「お兄ちゃん、夕ご飯買ってきた?」
「バッチリだ。お茶入れて、お茶」
「紅茶?」
「緑茶」
テーブルに、寿司を置く。
お茶を運んできた葵が、寿司を見て目を真ん丸にする。
「どうしたの、お兄ちゃん、これ!」
しかも四人前。
「買ってきた」
「でも、これ――菊寿司って、駅前の!?」
「うん。さぁ、食べよう」
そんなお金どこにあるの?
お兄ちゃん、貧乏過ぎて馬鹿になっちゃったの?
今日何の日? バレンタインデーだよ!?
――とか、そんなことを考えているに違いないと、兄奏恵は、勝手に葵の思考を想像するのだった。
「い、いただきます」
「最初にバカ貝とは、通ですね、葵さん」
「え、だって……」
完全に、気遅れしている。
呑まれているのだ、寿司に。
おぉ、妹よ、寿司ごときに吞まれるとは情けない。
「妹よ、お前の兄は、もうただの怪我人ではないのだよ」
「わかってるけど……」
「あぁ、あと――葵さ、塾辞めるって言ってたけど、続けたいんだろ?」
「ううん、いいよ」
「なんで、塾、解りやすいって言ってたじゃない。成績もバッチリ上がってるんだろ?」
「うん。でも、さ……」
「葵、葵」
「な、なぁに……?」
「ここだけの話なんだけど」
「うん」
「お兄ちゃんね」
「うん」
「結構、高給取りだぞ?」
ぶふっと、お茶を吹きそうになる葵だった。
何を言い出すかと思えば、そんなことである。
「だから、塾続けな。お金だろ? お金、心配いらなくなったから、大学も行けばよろしい」
「ええぇ!? 大学は、でも……」
「兄ちゃんは、大学生の葵が見たいんだよ」
「何それ。変だよお兄ちゃん」
「兄が変でなかったためしがあったか?」
「ないけど……」
「おい」
「いいよ、お兄ちゃんの稼いだお金は、お兄ちゃんが使ってよ」
「お兄ちゃん趣味ないから、そんなに使えない」
「あるじゃない! な、なんだっけ、あの、バンクーバー? のサークル、とか」
「パルクールね」
「――あと、銃とか!」
奏恵は不敵に笑った。
「今の兄の趣味、それは――仕事だよ」
「お兄ちゃん、本当に大丈夫なの、その会社」
「うん。今のところは何ともないよ。サービス残業を強要されることもないし、パワハラとかないし、上司の飲みの誘いとかもないし」
「ふぅん……」
「オヤジもさ、今あんなだから――あ、そういえば、生きてた?」
「生きてるよ!」
葵は、ちょくちょく父の見舞いに行っていた。
一方奏恵は、父の見舞いには一度も行っていなかった。
「まぁ、あんな状態だから言えないんだろうけど、葵には大学に行ってほしいんだよ」
「なんで?」
「そりゃあ、あれでも父親だからなぁ」
「父親だから、大学に行かせたいの?」
「そうじゃなくて……お前どうしたいんだよ。金を気にして行かないって言うなら、それはやめてくれよ? それから、俺の負担になるとか、そんな風に思ってるなら、それもダメ」
「そりゃ……思うよ……」
「ははは……そうだよね」
奏恵、情けなく笑うのだった。
「でも葵、稼ぐのは大学出てからでもできるんだから、慌ててそうしようと思わなくたっていいよ。俺に負い目みたいな感覚があるんだったら、大学出て、就職して、そのあとで返してくれたらいい」
「……うん」
「ほら、葵、芥川賞取るだろ? その時の懸賞金でいいからさ」
「取らないよ、芥川賞なんて! 応募もしないよ。私、純文学じゃなくて、童話!」
「芥川龍之介って、童話作家じゃなかったっけ!?」
「え!? あ、でも……まぁ、そうかも……」
そんなことを話しながら、バレンタインデーの夜は更けてゆく。
寿司を平らげ、満腹の二人。
ソファーで一息つきながら、葵は「あっ」と声を上げた。
「チョコ!」
「……え?」
「はい、これ、チョコ!」
葵は、台所から綺麗に包装されたチョコレートを持ってきて、奏恵に渡した。毎年恒例、葵の手作りチョコである。
「いやぁ、毎年悪いねぇ。おぢさん嬉しいよ」
「おじさんって……」
「ホワイトデーは何がいい? 車?」
「愛が重いよ、お兄ちゃん」
「葵さ……」
「何?」
「お前、本当にいい子だなぁ……」
思わず妹の頬をぎゅっと両手で挟む奏恵だった。
「な、何すんの、馬鹿! 阿保! お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん悪口かよ!」
口をとんがらかせた葵の顔は、すぐに笑顔に変わるのだった。




