01 復帰
メサイオン、石柱広場。
プレイヤーネーム――〈カナエ〉。
リアルの名前をゲームで使うのは、ネットゲーム界隈ではタブーとされているが、二年前、奏恵はそのタブーを、正面切ってやぶったのだった。
当時の奏恵は、自棄になっていた。
列車に轢かれて手術をした。リアルに戻れば、拷問のような苦痛が待っている。運良く生きられたとしても、もう二度と自分の足で外を歩いたり、箸や茶わんを持ったりすることができない、そういう身体になるだろう。
その頃の奏恵にとって、リアルは悪夢だった。真っ暗な未来と、際限なく続く痛み。奏恵は、メサイヤ・オンラインの世界に逃げ込んだ。
俺はもうこっちで生きていくんだ。
そのためにまず、自分のリアルネームをキャラクターにつけた。
そして、理想の自分にキャラクターを近づけた。
黒いロングコート。ボタンは留めず、ぴったりした黒のインナーが、胸筋に張り付いている。黒いジーンズは、四角い淵だけのシンプルな銀のベルトで留め、脹脛までのロングブーツを履く。
小学生の時に見たSFアクションの主人公、そのままのファッション。
恥ずかしさもある時期を過ぎると、個性と思いきれるようになる。ロールプレイという意味で言えば、カナエのキャラづくりは、まさにロールプレイの手本であった。
「(広くなったな……)」
それが、広場に降り立ったカナエの、最初の感想だった。
プレイヤーも、随分増えている。
『こちらGMオペレーションルーム、応答願いまーす』
カナエの顔の左側に、緑の半透明のインカムが出現した。VCである。
「はい、カナエです」
『どうも、オペレーターのケイです。来てくれると信じてましたよ、カナエさん。おかえりなさい』
少年っぽい、元気な声である。
『えーと、早速なんですけど、オプションタトゥーをGM用の物にバージョンチェンジしたいんで、ギルド会館まで来てもらっていいですか? 受付の13番窓口です』
カナエは、メサイヤ広場にあるギルド会館に移動した。
ギルド会館は、昼間から混雑していた。
当然といえば当然である。
日本は昼間でも、今が夜の一番熱い時間帯――ゴールデンタイムである国もある。ギルド会館には、東洋人よりも、圧倒的に西洋人系のプレイヤーキャラクターが多かった。
人種が変わるほどの変更ができないというのも、メサイヤ・オンラインのキャラクターメイクの特徴である。
――13番窓口。
カナエは、受付の女性の言うとおりに、左腕を机の上に出した。袖をまくると、左腕の手首に、腕輪のようになったタトゥーが露わになる。プレイヤーは、冒険者ギルドに登録するとき、このタトゥーを施される。これが、オプションタトゥーである。
受付の女性は、バーコードリーダーを二回りほど大きくしたようなものを、カナエのオプションタトゥーに翳した。バーコードリーダーっぽい道具――タトゥーマーカーは、赤、青、緑の光でカナエのタトゥーを照らした。
「はい、終わりました」
女性はそう言って、タトゥーマーカーを机の下にしまった。
カナエは窓口を離れつつ、バージョンチェンジしたというオプションタトゥーを見つめた。
『これでカナエさんも、晴れてGMですね。よろしくお願いします』
ケイからのVC。
「どうも」
カナエは、まだ状況が呑み込めないでいた。
『さて、カナエさんにはこれから、ちょっとテストを受けて貰います』
「テスト、ですか?」
『とりあえず、モンスターハウスに行っちゃって下さい』
言われた通り、カナエはモンスターハウスに向かった。
その建物は、テンションの高いお化け屋敷、というような外観をしている。カナエがプレイしていた頃よりもデザインが派手になっていて、建物の規模も、大きくなっている。
中は明るく、右手に受付がある。
『はい、それじゃあ始めていきます』
「部屋はどうしますか?」
『どこでもいいですよ』
カナエは、一番近くの、空いている一部屋を選んだ。
入り口には鏡のような金淵のモニターがあり、そこで、コースや難易度を設定できる。
コースは、一人だからソロ。
「難易度は、どうしますか?」
『ちょっと待って下さい』
カナエは、息を整えた。
・
・
・
・
GM部オペレーションルーム。
6台のモニターに囲まれた席に、オペレーターのケイはいた。
モニターはモンスターハウスの一部屋を、それぞれ別々の角度から映し出していた。
「班長、カナ君のやつ、難易度どうしますか?」
「んなのSに決まってるだろ。クリアできないような奴なら帰ってもらえ」
「はーい。――カナエさん、難易度はSでお願いします」
『わかりました』
ずずずっと、ケイはホットミルクを飲む。
そこへ、GM部に所属する数人が、ケイのデスクに集まってきた。
「ちょっとケイ! やるならやるって声かけてよ!」
「気の利かないオペ男だな、おい」
ダークブロンドの髪のツインテールのソーサラーと、ツンツン頭の長身金髪ベルセルクが、それぞれに言う。
モニターに、カナエの姿が現れた。
「おいおい、こいつがそうなのか?」
金髪ベルセルクは、冗談だろう、という風に肩をすくめた。
ありがちな黒ずくめ、そして、その衣装が様になっていない童顔の男。
「レクスさんねぇ、見かけで判断するの良くないですよ?」
「ソロアリーナの優勝者なんでしょ?」
ツインテールのソーサラーが言った。
金髪ベルセルクは、鼻で笑った。
GM部のエージェントメンバーは、戦闘能力において、基本的に強者ぞろいである。ワンチャンピオンシップ――通称〈ソロアリーナ〉の優勝経験者も数名いて、実は金髪ベルセルクも、ツインテソーサラーも、そのうちの一人だった。
「こいつ、クラスは何だよ?」
「ガンナーです」
「ガンナーだぁ!?」
わいわい騒がしい中、夕焼け空のような美しい金髪の少女だけは、じっとモニターを見つめていた。その隣には、小さなサングラスをかけたチョコレート色の肌の、ムキムキした男がいて、
「始まるぞ」
騒がしいエージェント仲間に声をかけた。