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00 プロローグ

「なんかヤバいのでも見つかったかな?」


「やめてよ、そういうこと言うの!」


 橘家、兄奏恵(かなえ)の軽口に、妹の(あおい)は本気になって怒るのだった。

 二人は今、病院の一室にいた。

 退院後、今日が最後の定期検査である。

 採血にCT、MRI、一通り終わったところである。


「全然違う病気が見つかったとか」


 奏恵はそう言った後、妹がガチで泣きそうになっているのに慌てた。退屈しのぎのつもりだったが、妹の葵には、これっぽっちも笑えない話題であった。


「はーい、どうもどうもー」


 そう言いながら、白衣の背の高い老人が、ぱたぱたと部屋に入ってきた。


「こんにちは!」


 奏恵と葵は、立ち上がって頭を下げた。

 この、どこかとぼけているような、背の高い老人が、何を隠そう、奏恵の命を救った名医なのであった。

 老医者は、「いいからいいから」という風に手を振り回し、二人を椅子に座るよう促すと、自分も、大雑把に椅子に座った。


「さて!」


 老医は、奏恵を一瞬じっと見つめ、それから、持ってきていた書類を丁寧に机の上に置いた。


「実は別の異常が見つかって……――なあぁんて!」


 老医はおどけて見せた。

 奏恵と葵は、心臓が止まりかけた。


「嘘うそ、体は全く健康! 動くなら軽めの運動から始めてください。まだ若いし、動いているうちに体もだんだん良くなってきますよ」


「あ、ありがとうございます!」


 そして、お世話になりました、という気持ちを込めて、奏恵は頭を下げた。


「ありがとうございました」


 葵も頭を下げる。

 神の手を持った老医は、二人に微笑み返した。


 話は、それで終わるはずだった。

 老医は、書類を持って再び立ち上がると、言った。


「君に会いたいという人が来てる。呼んでくるから、ちょっと待っててね」


 そう言って、奏恵を救った神様は部屋を出て行った。

 カンファレンス室に取り残された兄妹は、顔を見合わせた。

 奏恵はベッドに移動して、その縁に座った。

 それだけで、葵は不安そうな顔をする。

 事故直後、集中治療室の管だらけになった兄の姿が、ベッドを見るだけで思い出されるのだった。


 他方、奏恵は暢気なものだった。

 入院していた頃、もろもろの苦痛は過去の物として、今は、それはそれで懐かしい思い出に変わってきている。ベッドの感触に、奏恵は堪らず横になった。


 葵は、反射的に息をのんだ。

 このまま、お兄ちゃんが起きてこなかったらどうしよう。

 兄の顔を、思わずのぞき込む。

 息をしているのを見て、葵はほっと息を漏らした。


「お兄ちゃんに会いたいって、誰だろう?」


 静かな部屋。

 答えが、扉を開けてやってきた。

 黒のサングラス、黒の帽子、黒のトレンチコートを着た人物。映画に出てくるマフィアそのもののような恰好である。ただし唯一、明らかに違う点があった。

 その人物は、女性だった。

 黒い女は、頬だけで笑みを見せると、慌ててベッドから上半身を起こした青年を、サングラス越しに見つめた。


「貴方がカナエ君ね」


 色っぽいハスキーボイス。

 真っ赤なルージュ。


「はじめまして、私はゲンマエンタープライズ、メサイヤ・オンライン事業部運営局局長秘書の、ミラよ」


 メサイヤ・オンライン。

 奏恵のよく知っているゲームだった。

 今、アメリカを中心に大流行している、VRMMOというジャンルのゲームである。仮想空間の中に入り、あたかも現実のように、体を動かすことができる。


「貴方を、スカウトしに来たの」


「スカウト、ですか?」


「そう。貴方のプレイヤーとしての腕を見込んで、GMとして貴方を雇いたい」


 イエスかノーを突き付けられて、奏恵はただ戸惑うばかりだった。

 まさに絶賛就活中の奏恵には、降って湧いたような話であったが、それだけに、怪しい。怪しいと思えるくらいには、奏恵は常識人だった。


「バイト、ですよね?」


 奏恵が訊くと、ミラは微笑した。


「正社員よ。月20万。但し、貴方の能力によっては、30万でも40万でも上乗せできる」


 ブラック企業、という単語が奏恵の頭に浮かんだ。


「お兄ちゃん……」


 葵も同じことを考えていた。

 ミラは、持ってきていた銀のボックスケースから、黒に青いラインの入ったヘルメットのようなものを、奏恵に差し出した。


 葵は、あと三月(みつき)もすれば高三になる。

 俺が入院している間にオヤジはひっそりと倒産により職を失っていた。その後、転々と職を変えていたようだが、ついには体調を崩し、今は糖尿病の治療のため、入院している。

 つまり、我が家には金がない。

 葵は「学校を辞めて働く」と言ったことがあった。俺とオヤジがそれを許さなかったが、もはや葵に、大学進学の考えはないだろう。


 兄というのは家族の細かい事情には無頓着なものだが、奏恵もその例にもれず、良くも悪くも、「我関せず」のマイペースで育ってきた。しかし、その一方で、ざっくりとした妹の「夢」のことは知っていた。


 童話作家になりたい。

 憧れの作家が教鞭を振るう大学に入りたい。

 六仙大学文学部――難関である。


 奏恵は、何とかして妹の夢の手助けをしてやりたいと思っていた。

 俺もここまで相当自由に生きてきたんだから、お前だって自由に生きろよ――。


 そういうつもりで、奏恵はミラからヘルメットを受け取った。


「ちょっと兄ちゃん、行ってくる」


 奏恵は、にやっと妹に笑みを見せ、ヘルメットをかぶった。


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