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短編集

寝込んでマス

作者: 奏多悠香

 げっほ、ごほっ

 朝から咳き込みすぎて、ついに背中が痛くなってきた。

 体を丸めて鼻をすすり、体を包む毛布をしっかりと巻きつけ直しながらテレビのリモコンを手に取る。

 音が無くて寂しいから、と思ったけど、逆効果だとすぐに思い知る。


『クリスマスのイルミネーションとくしゅ――』


 ポチッ


『こちらはクリスマス限定のメニュ――』


 ポチッ


『表参道と中継がつながっ――』


 ポチッ


『サンタのおじさんは――』


 ブチッ


 クリスマスイブ。

 世間は超浮かれる日だ。

 街ではクリスマスソングが流れ、サンタクロースやらトナカイやらの服装をした人が街頭でケーキを売る。道行く人の足取りは軽く、大切な人の下へと急ぐその手には大きな紙袋がぶら下がっている。

 私だって、そんな楽しいクリスマスを過ごす予定だった。大学の友人たちとクリスマスパーティーをやる計画だったのだ。

 パーティーといっても可愛いもので、色々と友人宅に持ち寄ってワイワイするのだ。オードブルにケーキ、1000円以内のプレゼント交換。メンバー全員が成人を迎えた初めてのクリスマスだから、奮発してシャンパンも買ってしまおうかなんて話していたのに。

 昨日から思わしくなかった体調は今朝になって絶望的なまでに悪化していた。咳に鼻水、頭痛。関節がキシキシと痛むせいで、起き上がるのさえ辛かった。眠ってしまいたいのに、頭が痛くて眠れないのもまた辛い。

 風邪薬の力を借りてでも寝ようかと、実家を出るときに母から持たされた救急箱を開けてみたものの、入っていたのは絆創膏と消毒液だけだった。一家全員体が丈夫なせいで、薬を常備する習慣がないのだ。

 さりとて、薬を買いに出歩くほどの元気もない。

 結局、ミノムシみたいに丸まって過ごすしかなかった。


 夜も更けた頃、ピンポーン、とどこか近くの部屋のインターホンの音がした。

 おおかた、浮かれたサンタさんでもやって来たのだろう。

 ピンポーン、もう一度。

 おっと、留守だったのか。気の毒なサンタさん。

 ピンポーン。

 もう一度鳴った音に、かすかな苛立ちとともに玄関の方を向いた。

 ふと違和感を覚え、手前の壁にあるインターホンの受話器を見る。

 赤いランプがついているのはなぜだろう。

 みのむしのままベッドの上を壁まで這いよって受話器を持ち上げると、「あ、有紀ゆうき?」と低い声がした。

 どうやら鳴っていたのはうちの部屋で、熱でぼんやりとした耳のせいで、音が遠く聞こえていたらしかった。


「入れて。薬とか買って来た」

「あ、ちょっと待ってね」

「うん」


 ずるーり、ずるーり。

 毛布を引きずりながら、短い廊下を進む。

 いつもなら五歩くらいで玄関までたどり着くワンルームのマンションなのに、今日はやけに玄関が遠い。

 ようやくたどり着いて、壁にもたれながら鍵を回した。

 すぐにノブが下がり、開いたドアの隙間から冷気がふきこんでくる。


「わぁっ」


 肩を震わせて身を引くと、「あっごめん」と慌てたような声と共に彼が部屋に入って来た。

 後ろ手にドアを閉め、身を引いた勢いで倒れそうになっている私の体を支えてくれる。


「ごめん、寝てたよね? ここの鍵、持って出なかったからさ。一旦取りに帰ろうかと思ったけど、時間もったいなくて」

「平気、起きてた」

「声、ヤバイね」


 彼は腕にぶら下げていたビニール袋をがさがさと玄関口の床に置き、私の体を支えながら部屋の奥へと連れて行ってくれる。

 私が無事にベッドに腰掛けたのを見届けて、また玄関の方へ歩いて行った。

 私はベッドの上に足を引き上げ、毛布の中で体育座りをする。

 戻って来た彼の手には、通学に使っている大きなカバンが一つと、ビニール袋が二つぶら下がっていた。


「たぶんこの部屋、薬ないだろうと思ってさ」

「うん、ない」


 頷くと、頭だけじゃなくて世界が揺れた。

 ぐにゃ、と視界が歪む。

 座ったまま、おきあがりこぼしみたいにぐらりと傾いだ私の体を、彼の手が支えて元の位置に戻してくれる。


「どうせ朝から何も食べてないでしょ?」

「うん」

「何か食べてからじゃないと、薬飲めないから……おかゆでいい? それか、有紀が好きそうなものいくつか買って来たけど」


 ごそごそと、彼がビニール袋を開ける。

 レトルトのおかゆ、バナナ、林檎、ヨーグルト、どらえもんゼリー、ペットボトルの水、ペットボトルのスポーツドリンク、小瓶の栄養ドリンク、風邪薬、頭痛薬……


「これ、どこで?」

「二駅先のスーパー」

「わざわざ?」

「まぁ、うん。いらないのは俺が家に持って帰るから。好きなの選んで」

「重くなかった?」

「軽くはなかったけど、別に」


 カバンには授業のテキストも詰まっているはずなのに。


「土屋、やさしいね」


 彼は答えずに笑った。


「ほら、有紀、選んで」

「林檎がいい、かな」

「すりおろす?」

「なんでわかったの?」

「前に言ってたから。すりりんごが好きだって」

「言ったっけ?」

「中学の時にね」

「覚えてないよ」

「俺は覚えてる」


 土屋は中学の同級生だ。

 高校は別々で、大学でまた一緒になった。

 偶然ではなくて、一緒の大学に進学するために猛勉強したのだ。彼はずっと野球をやっていて、スポーツ推薦で大学を決め、私は一般入試で何とか滑り込んだ。


 林檎を持って台所に向かう彼の背に、声を掛ける。


「あのでも、おろすやつないよ、うち」


 彼が無言で戻ってきて、ビニール袋に手を入れた。


「そういうこともあろうかと」


 その手には、真新しいおろし器が握られている。


「買ってきたの? わざわざ?」

「まぁね」


 台所の方から、彼の声に交じってシャクシャクという音が聞こえてくる。

 みずみずしい音だ。皮を剥いているのだろう。

 そのうち、ショリショリという音に変わった。

 ほどなく、小皿を持った彼が戻ってくる。


「土屋、大きくなったね」

「突然うちのばあちゃんみたいなこと言って、どうした」

「大きくなったなと思って」


 頭がぼんやりしているせいか、いつもと違うことが気になってしまう。

 中学生のときは、わたしより小さかったのに。

 高校生のときに抜かされて、気付いたらぐんぐん差をつけられていた。

 大学に入ると、体を鍛えて筋肉をつけて、大きくなった。

 背が高いだけじゃなくて、大きく。


「はい、有紀、口開けて」


 大きな彼が、小さなスプーンをこちらに差し出してくる。

 スプーンには、すりりんご。

 口を開けると、すりりんごがするりと流れ込んできた。


「おいしい」

「よかった」


 するん、するん。

 口を開けるたび、甘いものが与えられる。


「小鳥に餌やってる気分」


 彼はそう言って笑った。


「土屋、ご飯は?」

「食べてきたよ」

「そっか、よかった。クリパは?」

「有紀が来ないなら行ってもしょうがないし、買い出しの荷物持ちだけ手伝って帰って来た」

「ごめんね」


 私のせいで楽しみを奪ってしまったかとしょんぼりしたけど、彼は全然気にしていないようだった。


「俺、クリスマスオードブルより立ち食いそばの方が好きだからさ」

「そっか」

「はい、これで最後」


 少し名残惜しく思いながら最後のひとさじを呑み込むと、土屋は小皿とスプーンを手に台所へ行ってしまう。

 カシャカシャという音と、水音と。

 バリ、ガサガサ、プチン。

 パタン、カチャ、ザーッ、コポコポ。

 いろんな音がするのを、ただボーっと聞いていた。


「はい、くすり」


 大きな手に、小さな錠剤。


「口開けて」


 錠剤を口にぽいと放り込まれた。


「水。自分で持てる?」


 ふるふると、首を横に振った。

 多分持てるだろうけど、毛布の中にしまいこんだ手を出したくなかった。


「ちょっと待って」


 彼がマグカップを持ったままベッドに乗り上げ、私の後ろに回った。

 そして、後ろから私を支えたまま、私の口の前にマグカップをあててくれる。


「ゆっくり傾けるよ」


 上唇で吸い取るみたいに、水を飲んだ。

 ズズッと音が出る。よろしくない音だけど、体調が悪い時くらいは許してほしい。


「弱ってる有紀、久しぶりに見た」


 背中にくっついている彼の体がかすかに震えているから、笑っているのだとわかった。


「中学以来?」

「そうだね」


 体温が、そっと離れる。

 何となく残念に思っていたら、またすぐに戻ってきた。


「はい、ちょっとごめんよ」


 巻きつけた毛布の首元の隙間から、彼の手が忍び込む。


「土屋の手、冷たくて気持ちいい」

「俺の手が冷たいんじゃなくて、たぶん有紀の体が熱い」


 忍び込んだ手が体温計をセットする。

 力が入らなくてちゃんと体温計を挟んでおけない私の肩を、ぐっと彼の手が押さえてくれる。

 すごく静かな時間だった。


「ごめんね、イブなのに」

「ごめんはさっきも聞いたよ」

「そうだっけ?」

「そう。俺は有紀といられればそれでいいから」

「土屋がなんかロマンチックなこと言ってる気がする」

「気のせいだよ」

「そう?」


 ピピ、と小さな電子音がした。

 再び潜り込んだ手が、体温計を取り出す。


「ああ、八度七分か。これはキツイな」

「体温計も買ってきたの?」

「有紀の家には無さそうだからね」

「スーパーで?」

「これと薬は隣駅のドラッグストア」


 何度も電車を乗り降りしてくれたということだろうか。

 そろそろドラえもんのポケットと化してきたビニール袋から、土屋が熱冷ましのシートを取り出した。ペロペロと裏紙を剥がし、額に貼ってくれる。


「ん、冷たい」

「これで少し、寝るといいよ」

「うん、ありがと」


 弱って涙腺が緩んでいるのか、目が潤む。

 彼は一旦毛布をはがし、私の体を横たえてから、また掛けてくれた。そして、足元でくしゃくしゃに丸まっていた羽根布団を広げ、ふわりと包んでくれる。


「俺、朝までここにいるから」


 枕元にしゃがみ込んで、彼が言う。


「へ?」

「心配だし、幸い明日は部活休みだし」

「授業は?」

「金曜空きにしてる」

「あ、そっか、あした、金曜」

「うん」

「でも、うつっちゃうかも」

「大丈夫だよ、鍛えてるから」


 土屋は笑った。


「それに」


 土屋の顔が近づいてくる。


 ん?


 と思ったら、ぐっと口を塞がれた。

 何でって、土屋の口で。


「もう遅い」


 唇を離した土屋は、そう言って笑った。

 クリスマスソングもケーキもプレゼントもなし。だけど、大好きな人に抱きしめられて眠るのは幸せだった。

 たとえ翌朝、ひどい寝癖を「昨夜俺が来たときからそうなってたよ」と言われて悲鳴を上げることになったとしても。

拙作短編『マクベスとユウキ』の数年後の二人でした。

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