Scene92『二つのVR症』
尊が食事にありつけたのは、三人が揉め出してしばらくした後だった。
もっともそれは白衣を着た人物の来訪によってであり、彼女によってまとめて説教を受けていなければ更に伸びていた可能性がなくもないのだが。
名乗るより前にそんな状態になってしまったため、その人が何者なのかよくわからない尊だったが、一緒に戻ってきた少女姿の鳳凰の手によって食事が口元に運ばれ始めたので質問すらできない。
加えてある程度の量を食べると同時に、強烈な眠気に襲われ寝ては直ぐに覚めるを繰り返すことも重なって、機械的に食べること以外ができないでもいた。
(VR体リセットによる強制睡眠かな?)
ほどなくして骨と皮だけのようだった尊の身体は元の姿に戻る。
それに伴って身体も動かせるようになったのだが、食器も箸も持たせてもらえず結局完食するまで鳳凰に任せっぱなしになってしまうのだったが。
(なんか手慣れた感じだな……)
食事を終え、若干の羞恥心を覚えながらそんなことを思っていると、一通り説教を追えたのか若干乱暴に鉄人とその武霊ゴマが部屋から叩き出された。
なおその脇ですすっと尊の隣の位置に戻るカナタがいたりもする。
「うははは! それではな少年!」
「またなの~」
「いいから早く出なさい!」
白衣の女性は、若干乱暴にスライドドアを閉め、わざわざロックの紋章魔法まで使う念の入れよう。
「まったく……」
彼女はため息一つ吐き、尊へと向き直る。
それなりの年齢と苦労を重ねているのを表すように顔の端々にしわがある女性だったが、掛けている眼鏡と合わさって妙齢の美女と思わせる容姿をしている人だった。
「私は盾の乙女団十二副団長が一人・沢村 京子よ」
「あ、はい。黒樹尊です」
「うん。しっかししているわね。見た目はなんら問題ないようだけど……いくつか質問とVR体データを提供してくれないかしら?」
そう言って尊の近くまで近付いてきた自身の顔の隣にVR症専門医であることを示す証明書をVRA展開した。
「お医者さんなんですか?」
「ええ、リアルでVR症専門の病院を経営しているわ」
「……僕はVR症になるんですか?」
「察しがいいわね」
京子は若干の苦笑をしつつ、尊の隣に座っているカナタを見た。
「お願いできるかしら?」
「……」
が、カナタは無視。
苦笑が深まる京子に尊は慌てて自身の武霊を嗜める。
「カナタ。お医者さんだよ?」
「否定します。関係ありません。主張します。マスターの管理は私が行います」
「いや、でもね。カナタだとわからない専門的な知識とかもあるわけだし」
「否定します。情報を収集すれば問題ありません」
「QNと繋がってないのに?」
「否定します。今は武霊ネットがあります」
「それって結局沢村先生の知識を借りてない?」
「……」
無言になってしまうカナタ。表情自体は無表情だが、醸し出されている雰囲気は悔しさを感じさせるものだった。
もっともパートナーである尊だからわかる程度なので、他二人からはあまりにも感情を出さない武霊を不思議そうに見ているのだが。
「カナタ」
「……了解しました。医療関係者特権を確認。マスターのVR体データを提供します」
「はい。受け取ったわ」
カナタからデータを受け取った京子は自身のみが見えるVRA画面を展開したのか、なにもない空中へ目を動かし始める。
それが終わると簡単な質問をいくつか尊に聞く。
内容は主に身体の調子や気分に関することであり、返ってくる答えはどれもなにも問題ないだった。
「うん。今は問題ないわね。でも、なにもないということはないでしょう。あなたが体験したような出来事は本来であれば即強制ログアウトになるようなことですからね」
「はい……」
「データ上はなんともなくても、VR症のほとんどはそこに出てこないことが多いわ」
「多くが精神疾患ですものね。症状が出ていなければ反応もないでしょうし」
「そうね。ちなみに私が考えているあなたに起こるであろうVR症は、二つよ」
「二つですか? てっきり……恐怖症だけかと」
自ら向き合おうとした瞬間に躊躇いが生まれる。その感覚が、自分の中に起きた精神的な変化を自覚させ、それがなにになる可能性があるかをわからせる。が、それ以外となると尊には心当たりがなかった。
「もう一つはこの世界にいる限りは発症しないであろうVR症ね。もう少し正確に言えば、このまま居続ければ発症リスクがその分だけ高まるものよ。特にあなたならね」
「僕ならですか?」
「あなたは止めても止まらないのでしょ? そういう子が、まあ、私が知っている症例の子達とは動機が違い過ぎるけど、なりやすいVR症の発症リスクがあなたにはあるわ。もう少し正確に言えば、この世界にいるプレイヤー全員がそのリスクを持つけど、ほどんどがなったとしても軽度でしょうね」
「もしかして、僕が子供だからってことも関係ありますか?」
「そうよ。だから、本当なら子供のプレイヤーにはこれ以上強くならないで欲しいのだけど……無理よね?」
「はい」
ほぼ即答な尊の頷きに京子だけじゃなく、大人しく聞いていた鳳凰まで苦笑する。
「なら、覚悟しなさい。リアルに戻ったら私の病院に長く通院してもらうことになるから」
「わかりました……ですけど、一体どんなVR症になるんですか?」
「症名はVR身体障害よ」
「現実の身体に影響が出るんですか?」
この世界はあくまで仮想であり、その体も仮想のもの。
だからこそ、体験が起因して起きるのがVR症の基本だ。
死者が出たデスオアアライブ事件での被害者も、ほとんどが身体的にはなんら問題のない健康体だった。
そんな知識があるが故に、身体障害が起きるという言葉に尊は首を傾げたのだ。
「考えてみなさい。VR体の特性を」
「特性ですか……事前登録の遺伝子登録やVRダイブした時のスキャンで現実の身体をそのまま再現している」
「他には?」
「例え傷付いても完全な破損が起きていない限りVR体リセットで元に戻る」
「その元って?」
「それはスキャンした……あ! もしかして、現実の今の身体に常になっちゃうのが?」
「そういうこと。あなたがここで経験し身に付ける体の動きは、そのまま現実でも引き継がれるわ。これは大人であったのならそれほど問題はないでしょう。でも、あなたは成長途中の子供よ。長い時間、全く変わらない身体で覚えた動きが、変化するたびに適さなくなっていくでしょう」
「でも、慣れるんじゃ?」
「VR身体障害はスポーツ選手でも起きるよ。より正確な動きが要求されるスポーツ選手であればあるほど、現実で起きる僅かな身体の変化に敏感なの。成長や負荷、これらと共に現実で行う練習でなら肉体の変化も込みで身体は慣れるわ。一時期VR空間で長期的な練習を行ったスポーツ選手が不調になるという事件が起きるほどにね」
「そうなんですか……それは知らなかったです」
「大事になる前に私達が止めたからね。今ではVR身体障害に対する対策が組まれているから、普通は問題ないのだけれど……現状はそれが効かない状況ですからね。だから、覚悟しなさい。このまま強くなるということは、その分だけ成長に伴って身体の不自由を感じるようになるはずだから。それが嫌なら、後は他の人に任せなさい。少なくとも戦闘面は」
「そうだ」
京子の説得の言葉をまたしても即答で答えようとした尊を遮って、それまで黙っていた鳳凰が口を開く。
「未だに尊の強制転送は停止したままだ。また同じような状況になった時、必ずしも今回のように助けが入ることはないだろう」
「そうかもしれませんけど、だからと言ってなにもしないのは」
「私も京子もなにもするなと言っているんじゃない。後ろに下がれと言っているだけだ。VR恐怖症もVR身体障害も顔を出すのはどれも後々だ。そして、今ならカウンセリングなどで予防治療もでき、軽度で済ませられる可能性がある。だが、そのためにはなにもしてはいけない。大丈夫、戦闘面なら私達がいる。尊は知恵だけを貸してくれればいい」
「でも、その……怒らないでくださいね」
「ああ、言わんとすることはわかる。万が一の場合を懸念しているのだろう? 相手は戦闘のプロだ。いくらこちらが戦いやすい状況になったとはいえ、それだけで大丈夫だとは流石に言い切れない」
「はい。だから、強くなることだけは続けさせてもらえないでしょうか?」
尊のそのお願いに、鳳凰は人形のように整った顔の眉間にしわを寄せる。が、直ぐにため息を吐く。
「話が早くて助かるが、直ぐに妥協点を見出されてしまうとな……」
「元々、戦わなくちゃいけない状況だから戦っていたってのもありますし。戦闘を他の人にお任せすることには異存はありません……これ以上、カナタを危険な目には合わせたくありませんし」
そう言って自分の武霊を見る尊だったが、カナタはずっと主の方を見ていたため目を合わせることになってしまう。
瞬間的に尊の顔は赤くなり、目線が彷徨うことになった尊は思わず聞いてしまう。
「えっと、カナタもそれでいいよね?」
「…………肯定します」
返事に妙な間があったことに一瞬キョトンとする尊だったが、それがなんであるか疑問として形になる前に通信が入った。
「尊。起きて早々悪いが、これから行うギルド長会議に出てくれないか?」
展開されたVRAディスプレイに映るのは小河総一郎だった。
尊完全復活です。ですが……




