Scene86『零距離の下で一瞬の攻防を』
互いに攻撃を封じ合う、全く身動きが取れない状況下であっても思考はそれに反比例するかのように回り出す。
(残り紋章魔法は?)
(解答します。籠手シールド五、柄ボルト二のみです)
(精霊力は?)
(三割を切りました)
(武装化継続時間は?)
(三十分です。注意します。ただし、現在の状態を続けられればです)
(全力では?)
(約三分です)
尊とカナタは思念通信で現状の把握に行い、現状を突破できる方法を見付け出そうとする。
(くっ煩い! ああっ! 手の感覚がっ! 息が、突き刺すような触感をおおおおお! だ、駄目よ翼! 飲まれては駄目! 必要な情報だけを、だけをおおおおおお!)
対する翼は、AGモードと称したそれに意識の何割かを奪われ始めていた。
(前に使った時はこんなことは……やっぱりもう、もう駄目なの? でも、でも、ここでなら、まだ! まだあああっ!)
今の翼は皮膚から受ける情報を全て五感のように感じ取っていた。
目で見るように、口で味わうように、耳で聞くように、鼻で嗅ぐように、感触に他の器官で感じられる以上の情報が付属し、元々鋭かった空間認識を過剰に知覚させる。
その膨大な情報は自らの身体のみから得ているわけではない。
守り人及びそれのモデルとなったノーフェイスは、人の活動環境を前提に作られている。
そのため、限りなく人間に近い感覚を持たせるように五感も再現されていた。
故に手足をねじり切った後でも詳細に操れるのだが、当然のことながらそれはそれらを自らの手足として使う場合には非常に強い負荷になる。
AGスーツによって繋がっている守り人達の腕。
足も操れたが、直ぐに放棄したのは使い辛いから以外にも、余計な負荷を減らすためだった。
それは翼の無意識下の行動だったが、尊に対しては悪手に繋がる。
(さっきの攻撃に足が含まれていなかった)
(肯定します。こちらの守り人を無力化した以降はその場に放置されています)
(糸は?)
(繋がっていません)
(足であっても邪魔ぐらいには使える。なのに使わなかった。僕達が守り人さん達を操るのに必要なことって?)
(回答します。武霊ネットに繋がる紋章通信。武霊による仲介。プレイヤーによる操作の三つです)
(武霊のみで操作できないのは?)
(自身の身体ではない五体を操るには、それ専用の動作プログラムが必要になります。パターン化されたプログラムで動かすことも可能ですが、それでは動作が読まれるリスクがあります。そのため、武霊が操るシステムを請け負い、プレイヤーが自由に動かす負荷を分散させる仕様にしました)
(彼女はどういう風に腕を操っていると思う?)
(少なくともエインヘリャルを操っていたシステムとは別の物でしょう)
(どうして?)
(銃を支え、持ち、狙いを付け、撃つ。これらの動作を別々の腕達が行い、それぞれがマスターに当たるようにしていました。それはまるで改造守り人を直接プレイヤーが操っていたように。なにより、この場に在った守り人には身体を操る機構は残されていません。全て素材もしくは武霊が操ることを前提にした改造を施してあります)
(つまり、全て自分で操らなくてはいけない)
(肯定します。そして、補足します。そのための情報もまた自らに習得する必要があります)
(それって、人間ができること?)
(なんらかのシステム的補助があると推測されます)
(でも、足は捨てた。負荷が本人にある程度掛かっている? 体表面を調べて)
(報告します。体温の急上昇並びに発汗を確認)
(だとすれば、このまま待ち続ければ動かざる得なくなる)
(肯定します)
二人がAGモードの欠点に気付いた。
それを翼は正確に感じ取る。
(情報を与えたつもりはないというのに、どうしてですの!?)
ゾーン癖の発動している尊は目的に関わること以外の言動は極端に少なくなる。が、だからといって生体反応まで抑えられるわけではない。
視線、脈拍、体温、抑えようと思っても抑えようがない情報源はいくらでもある。
なんの訓練も受けていない上にそのことを意識してない少年であれば、感じ取ることに特化している翼はその心の変化を手に取るようにわかるのだ。
まして、今はほんのわずかに動けば口付けしてしまうほど近い距離。
(ああ、本当にキスをしてしまいましょうか?)
意識を奪わんとする膨大な情報に逃避のためか妙な考えが生じ始める翼。
(こんな綺麗な子とならファーストキスをあげても……って、なにを考えてますのわたくし! そんなことで普段のこの子ならいざ知らず、今のこの子が動揺するはずがありませんわ! 駄目、このままだと阿修羅が維持できなくなる。早く! 早く準備を終えなくては!)
三人が思考の中に沈んでいる間、身体の方でも静かな攻防が行われていた。
ゆっくりと互いの身体を動かし、翼は周囲にある腕達の銃火器を使える位置に、尊はそうはさせじと阿修羅の腕が周囲の銃口と重なるように。
それは傍から見れば歪なマントとドレスを纏った少年少女がぎこちないダンスを踊っているかのよう。
腕達は例え一撃目が外れ回避されてもいいように多重の円を描くように己が位置を変えつつ、二人の動きに合わせて動き続けた。
そしてほどなくしてロマンスも欠片もないボールルームとオーディエンスによる舞踏は終わりを迎える。
それが意味するのは、一瞬の攻防。
互いの意識が敵の情報へと集中する。
尊はカナタからもたらされる思念通信。
翼は自らの感覚。
二人と一人。
それが一瞬の差を生んだ。
(パージ!)
それまで拮抗を保っていた四つの腕が翼の命令と共にはじけ飛ぶ。
AGスーツとの癒着を解除だけではない、腕達同士の人工筋肉を振るった勢いは至近距離で喰らえば打撲だけでは済まない威力を持っていた。
だが、それらは展開中の精霊魔法による反発力によって壁に叩き付けられるだけに終わる。
一見すると無意味な行動だが、それが意味するのは尊を守っていた阿修羅の腕の消失。
そのままの位置に居続ければ銃弾の雨にさらされる。
急いで回避しようにも尊は精霊魔法・蔓によって翼とくっ付いている状態であり、彼女の元々の腕は残されたままだ。
引斥力を解除したとしても、その瞬間に拘束される。
だからこそ、
(カナタ! 脚力増加!)
(了解しました)
前へ。
撃ち込まれる銃弾は精霊領域で変化させたシールド魔法が防ぎ、一歩、一歩と零距離という不自然な状態のまま前進する。
(それしかありませんわよね!)
翼はパージした腕鎧を呼び戻し、足を増やすように使い止めようとする。
だが、
(止まらない!?)
下が雪であるため踏ん張りが利き難い翼に対して、周囲の状況・環境すら一時的に支配下に置ける精霊領域を全力で行使している尊達に勝てるはずがないのだ。
(だからなんだというのですの!)
多少動いたところで直接コントロールしている腕達の銃撃が外れるはずもなく、そもそもそれが決め手になると思っていない。
雪の上に放置されていたヴァルキューレ用の大型機関銃。それらの周りに腕達が這い出し、瞬時に構え尊の背中に狙いを付ける。
更に周りの腕達も持っている重火器を落として集まり、二人の完全な固定を試み始めた。
全ての腕を防ぐには精霊力が足りないのか、再び翼が阿修羅の姿となり無数の腕で尊を抱き締める始めるのを止める様子がない。
ただ足の動きだけは近付く腕を弾き飛ばされ前進だけは続ける。
しかしそれすらも翼の背が部屋の壁に到着したことで止まってしまう。
もはや尊にEPM弾から逃れる術はない。
だからこそ、翼は思わず笑みを浮かべてしまう。
「これでようやく終わりですの」
AGシステムの負荷が本心を抑えるということをできなくさせていたが故の笑顔。
それがどんなものだったのか本人自体もわからないが、間近で見ていた尊は素直に思い、ゾーン癖を発動していたが故にそれが口に出る。
「綺麗な笑顔ですね」
「は?」
ある意味、それは虚を突いた。
尊からしたら素直な感想であり、翼の最後の一手に僅かな間を作るだけで次の行動に変わりが起きるわけではない。
赤面すらせずに次の瞬間にはトリガーは引かれる。
その前に尊と翼の胸の間に白と黒の粒子が舞い集まった。
そして、
「居合十二支技・亥」
それは放たれた。




