Scene7『狭間の森』
「共に歩む精霊カナタに、主たる僕が願う。我願いに応え武装せよ!」
「承認しました。我が身、主ミコトを守る盾となり、敵を屠る刃とならん」
「「武装化『黒姫黒刀』!」」
武装化のキーワードを口にすると、カナタの身体がふわりと浮き、全身から光と闇が噴き出し、塊になると共に弾け、全てが漆黒な日本刀になった。
鍔に模されたカナタの姿を見ながら、ゴクンと唾を飲む尊。
その瞳には、明確な恐怖の感情が浮かんでいた。
なにもできずにギルバートにいたぶられた時のことを思い出したのだ。
例え仮想であろうと、痛みはなかろうと、現実と同じ感覚であの場にいた以上、斬り付けられたその体験はリアルと変わらない。
湧き出す恐怖に中学生である尊の心が折れても、誰も批難はしないだろう。
しかし。
目を瞑り、ふーっと大きく息を吐き、同じだけ吸う。
同じことを数度繰り返し、ゆっくりと目を開ける。
その瞳には恐怖の感情の代わりに、強い意志の輝きが宿っていた。
「行こう!」
「承知いたしました」
自分を鼓舞する言葉を口にした時、手元から応じるカナタの声が返ってきた。
思わずビクッとなって黒姫黒刀を見る。
どこをどうみても日本刀であるため、どこかに口やらスピーカーがあるようには見えない。
「え~っとカナタ?」
恐る恐る呼んで見ると、
「はい」
刀身の方から声が発せられた気がした。
「その状態でも喋れるんだ」
ギルバートと対峙していた時、一言だけ喋っていたのだが、どうやら極度の緊張からよく覚えてなかったらしい。
「説明します。精霊領域を振動させ、疑似的に声を形成しています」
「精霊領域? って、ギルバートの攻撃を防いだ光の膜? 防御以外にもそんなのこともできるの?」
「肯定します」
「そっか、考えてみたら防御できるってことはVRの物理現象に介入しているわけだから、その対象を変えれば声ぐらいわけないってことか……とすると、大分応用が利くみたいだね。ちなみに、武装化中じゃないと精霊領域って使えないの?」
「否定します。いいえ。非武装化状態である精霊形体でも可能です。ただし、武装化状態で使う領域より劣ります」
「精霊の姿を維持することに演算領域を取られるから?」
「肯定します」
「なるほど……で、武装化は戦闘を前提にしているから、VR体が傷付かないように精霊領域に比重を置いているんだね?」
「肯定します」
「でもさ、そんなシステムを組み込むより、VR体が傷付かない仕様にすればいいんじゃないの?」
「追加説明します。ティターニアワールドは元々、異世界創造シミュレーションの結果生み出された世界です」
「つまり、組み込めてもティターニアワールドの物理法則が優先されてしまうってこと?」
「肯定します」
「じゃあ、武装化していない時に攻撃を受けたら、現実と変わらない痛みを覚え、VR体が壊れる?」
「否定します。精霊力が零でない限り、武霊による精霊領域の展開はされています」
「精霊力が零になると、武霊はさっきのカナタみたいに寝ちゃうんだよね?」
「肯定します」
「じゃあ、その間にVR体が攻撃を受けたら、普通に傷付くってことだよね?」
「肯定します」
「それって……」
尊はある想像が働いて、背筋を寒くした。その恐怖から少しだけ思考が沈みゾーン癖が出る。
「勿論、ここでダメージを受けても、現実の身体には影響はでないだろうけど。痛みは現実同じなのは、さっき武装精霊の大樹に頭と背中をぶつけた際に体験済み。ただぶつけただけでも結構な痛みだったよ。しかも、今はこの世界に閉じ込められている状態だから一度VR体が壊れれば……確か、VR体の修復には、その人のパーソナルデータが必要で、そういうデータって個人情報保護法とかで厳重に管理されてて、しかも、日本人である僕の場合はQCアマテラスに保存されてしまっている。つまり、この世界から出ることができないということは、一度壊れてしまえば、ずっとそのままの状態になってしまう? 勿論、VR体が現実の身体を仮想空間の中に再現したものなら、治癒力なども再現されているだろうから、少しの怪我なら自然に治るだろうけど。それはあくまで軽傷であればの話だろうし、大怪我を負えば、ずっと重症のままってことだよね?」
ずっと死ぬような怪我のまま居続けるという想像は、恐怖以外のなにものでもない。
顔を青ざめさせ、身体が小刻みに震え出す尊に、カナタは答える。
「否定します。VR体の生命活動の維持が困難になれば、幾つかの緊急強制ログアウトシステムが存在します」
「そうなの? それって隔離されている今の状態でも有効なのかな?」
「不明です」
「そっか……それはそれでこわいよね……『デスオアアライブ事件』みないなことだってあったわけだし」
VRゲームが世間一般に広がり始めてから起きた、最大最悪の事件を思い出してしまった尊だったが、直ぐに首を横に振る。
「大分昔の話だし、同じ事件が起きないように法整備も保護システムもちゃんとしているって話だから、大丈夫だよね」
そう自分に言い聞かせるようとするが、不安の顔は消えず、思考もついついマイナス方面へと流れ出す。
「でも、こんな状態じゃあ、VRシステムは勿論、時間加速化の仕組みだってよくわからないし、これが想定外なのか、想定外じゃないのか、正しく保護システムが機能するか、疑念不安は考え出せば尽きないかな?」
「提案します。現状から推測できる有効なVR体システムを羅列いたしましょうか?」
「ううん。時間がないから、今はまだいいよ。要は、精霊力が零にならなきゃいいわけだしね」
「肯定します」
「それでも……」
沈んだ思考が元に戻り、言葉を詰まらせる尊は、湧き上がる未知からくる恐怖によって、瞳の輝きが少し揺らいでしまう。だが、
「怖いからと言って、このままここに居続けるという選択肢は、ないよ!」
自分を鼓舞するように強く言葉を発し、振り返って木々の壁と向き合う。
「今度こそ行こう!」
「承知いたしました」
カナタの返事と共に、目の前にある緑の壁に触れる。
その瞬間、光景が一変した。
周りを見渡すと、背後から武装精霊の大樹が消え、目の前にあった密集した木々も一切なくなっていた。
代わりに存在するのは、枝が一切ない太い幹。それらが無秩序に生えている場所に、尊はいつの間にか移動していた。
「瞬間移動? あの場所に転移ゲートでもあったのかな?」
「肯定します」
「で、ここが狭間の森」
「同意します」
もう一度ゆっくりと周りを見回した尊は、眉を顰めた。
なんとなく、昔見た富士の樹海の写真やら映像やらを思い出したからだ。
直前までいた場所は、密集した木や枝が壁や天井のように生え、空すら見えない状態になっていた。とはいえ、そんな環境でも光り輝く大樹のおかげで、暗さを感じることはなかった。
しかし、今、この場に明確な光源はなく、上を見上げても、空が多少見える程度の隙間しかなく、かなり暗い。
段々と暗がりに目が慣れると、眼前に広がるのは木の根や苔に、固そうな土が僅かに見る。それらが凸凹な地面を形成し、明らかに人が歩くような場所ではない。
ともかく、このままぼけっとしているわけにはいかず、なおかつ時間もないのだ。
ギルバートが指定した狭間の森の隔離時間まで、残り三十分を切っている。加えて、あの男が正直に正確な時間を口にしているとは、どうしても尊には思えなかった。
「カナタ、ナビゲートをお願い」
「了解しました。VRA地図を展開します」
尊の視界に、彼を中心とした真上からの簡易地図が現れる。
本来の光景を邪魔しないようにフレームのみで構成され、木や高い根などの障害物になりえるもののみが描かれた簡易俯瞰図。それを指で操作し、拡大してみると、少し離れた場所に幾つかの光源があることに気付く。
赤が五つ。青が一つ。
「赤が魔物。青が出口。そう考えて間違いない?」
「肯定します」
「……できる限り、魔物に遭わないように移動しよう。今の僕では、カナタを満足に扱えないからね」
「同意します。現状では魔物に勝てる確率は零に近いでしょう」
「だから、そこはもうちょっとオブラートに包んで欲しいかな……」
がっくりと落ち込みながら、尊は黒姫黒刀を肩に乗せて歩き出した。