Scene61『リビングウォーター』
魔物がいることに躊躇を覚えつつも、そこに冷たい水があるというのなら、飲みたくなってしまうのは人として当然なことだろう。
なので、尊は今、巨大なスライドドアの前にいる。
「お湯川の部屋を出た時にも思ったけど、ゾウでも悠遊に通れそうだね」
扉を見上げながらそんな感想を口にする尊に、首を傾げるカナタ。どうやら保有する情報の中に現実世界の動物に関する知識がないようだった。
(生まれて直ぐに他のQCに助けを求めに行かされたんだものね。基本的なことや必要な情報以外は教えられてないのかな?)
「え~っと大きくて鼻が長い四足歩行の草食動物?」
幼い頃に動物園で見た実物をイメージしながら口で説明してみるが、これで伝わるのかと小首を傾げてしまう。しかし、彼をじーっと見ていたカナタはことなげに頷いた。
「理解しました」
「へ? 今ので?」
「説明します。言語だけではなく、イメージも受け取りました」
「ああ、そういえば、そういうこともできるんだよね……ん? それって、もしかして、僕が普段考えていることとかも筒抜けだったりする?」
問いながら、尊は大いに動揺する。
(べ、別に常時変なことを考えているわけじゃないけど……)
見た目女の子な尊でも、健全な中学一年生男子であることには変わらない。むしろ、知識を集める傾向にある彼からしたら、美少女な見た目に反して普通の子より多少なりとも進んでいたりする。故に、そこら辺のことを考えると、どうにも恥ずかしくなり顔を赤くするしかない。
そんな主に、カナタは小首を傾げる。
「回答します。常時思考制御技術を使っているわけではありません」
「あ、そうなんだ」
ほっと胸をなでおろす尊だったが、次にカナタの言葉にドキリとしてしまう。
「質問します。変なこととは?」
表情のない顔で真っ直ぐそんなことを聞かれた日には、経験の浅い尊としては動揺しかできない。
「えっと、その……まあ、うん。わ、わからないのなら、それはそれでいいよ」
更に顔を赤くしながら誤魔化す尊に、カナタは無表情なまま首を傾げるが、特にそれ以上の追及はしなかった。
(極力そういうことは考えないようにしよう)
などと心の中で誓いつつ、尊は閉じているドアに手を触れた。
「キーアンロック」
キーの紋章魔法によってゆっくりと開く巨大なスライドドア。その先に現れたのは――
「へ?」
大量の水だった。
一瞬、開いたスライドドア枠内でタプンと水が揺れ、一気に入り口から噴き出した。
全く予期してなかった尊はものの見事に巻き込まれ、木の葉のように揉みくちゃにされて流される。
あまりにも不意打ちだったがために、口から空気が漏れるのを止められない。
(溺れちゃうっ!)
焦る尊だったが、ふと気付く。
(あれ? 苦しくない)
確実に口から出た空気が気泡を作っていのだが、普通に呼吸ができているのだ。
上下右左と動き回ってはいても、水の中から抜け出していないことぐらい感覚でわかる。
つまり、
(精霊領域で保護されているから?)
ということなのだろうと納得した所で、水が引き、まるで海岸で打ち上げられたかの如くうつ伏せに倒れることになった。
どういう仕組みか、流れる水がまるでスポンジにでも吸い込まれるかのように白い床に消えていくのを見ながら、溜め息一つ。その際に飲んだはずの水すら出てこないことに疑問に思いつつも、先に言わねばならない文句がある。
「……カナタ。確かに水がある場所ってお願いしたけど、部屋いっぱいは流石に多過ぎだよ」
「謝罪します。以後気を付けます」
「いや、まあ、どれくらいとか、どんな感じとか言わず聞かずな僕も悪いんだろうけど」
「同意します」
「…………」
カナタの素直過ぎる返答に言葉を失う尊だったが、直ぐにそれどころではなくなる。
「警告します。魔物の接近を探知しました」
その言葉と共に、尊の耳になにかがバチャバチャとはねながら近付いてくる音が入った。
素早く立ち上がると共に、浮遊している白い鞘を掴み、腰と腕を使って黒い柄を一気に引き抜き正眼に構える。
一週間の間、延々と繰り返していた動作の一つであるためか、もはやその動きに一切の無駄はない。
「ガーディアン系?」
「否定します。リビング系の反応です。検索します。該当魔物は一体。リビングウォーターです」
「ウォーター? そういえば、普通のウォーターもいるって話だったよね」
音がする方向を見てみると、確かに水の塊がこちらに向かって転がってくる。
リビングホットウォーターはその身体を温泉で作っていたのに対して、リビングウォーターはその名の通り常温の水で球体を構築しているようだった。
ホットの方は湯気などが出ていて認識しやすかったが、ただのウォーターはそれがないのでいまいち転がっているのか認識し難いが、水はね音がすると共にその迫る水球が徐々に大きくなるため移動手段は他のリビングと同じであるようだった。
一つ大きな違いがあるとすれば、リビングコアである七色に輝く球体宝石が直接見えていることだろう。
輝くそれを見ながら、尊はふと思う。
「……ねえ、カナタ」
「返事します。はい」
「なんか……大きくない?」
リビングストーンと同様に突撃した所をカウンターのように切り裂こうと話しながら待ち構えている尊だったが、なかなか速度を上げないどころか、その姿が水はね音と共に徐々に大きくなっているのだ。
同じリビング系だからと、リビングストーンの大きさを想像していたというのに、最早その大きさは視認だけでも二倍の大きさになっているように見える。
「肯定します。この個体は、全長は三メートルです」
「さ、三倍じゃん!」
尊のその驚きと共に、リビングウォーターが段々と加速し始める。
自分の身長より二倍も大きい物体が、例え透明だとはいえ迫ってくるのは、恐怖の一言でしかない。
しかも、
「と、届かないよね!?」
「肯定します」
黒姫黒刀改の刀身は約一メートル。リビングウォーターのコアがある場所は、約一メートル五十センチ。単純な計算で届かないことは瞬時にわかってしまう。
「で、でも水だし、カナタ斬撃軌道展開!」
「不可能です」
「なんで!? 水だよ!」
「回答します。固定化された液体だからです」
「えっと、つまり、あれ、高い所からプールに落下すると水はコンクリートみたいに固くなるとかそんな奴!?」
「肯定します。刀身のみなら液体の身体を切り裂くことは可能ですが、コアまで届かせるとなると腕を中に入れる必要があります。水によって受ける反力により、現在のマスターの力と速度では届かせるまでには至らないでしょう」
「領域補助を掛けても?」
「可能です。ですが、増加した速度による衝撃を相殺するために余分に精霊力を消費することを考慮すれば、現在の目的も加味して非効率です」
「じゃ、じゃあ、どうしろっていうのさ!?」
「提案します。逃げましょう」
「賛成!」
ばっと反転し、ダッシュする尊。ただし、その速度は精霊領域補助を使ってないため早いとはいえない。
「確認なんだけど、あのリビングウォーターって、やっぱりさっき開けた水の部屋から出てきたんだよね?」
「肯定します。推測ですが、水が噴き出したのは、あの個体が部屋から出ようとしたためではないかと」
「僕が近付いてきているのがわかっていたってこと? 僕の中の水に反応したってことかな? 確か、人間の身体って六十%は水だって話だし」
「同意します。リビング系の知覚領域範囲であれば、遮蔽物はそれほど関係ないようです」
「五感じゃなくて、魔法で知覚しているから?」
「肯定します」
「あの水も魔法で自分の周りに固定しているのなら、僕が取り込まれたらカラッカラにされちゃうってことかな?」
「否定します。武装化中のマスターであればそのようなことにはなりません」
「でも、武装化が解けたら」
「回答します。水分を奪われ、乾燥状態になるでしょう」
「こわっ!」
自分のミイラ状態の姿を想像し、寒気を覚える尊。だが、同時に、活路をも見出す。
「でも、それって、要するに」
くるっと反転し、逆方向へと走り出す尊。
「あの中は泳げるってことだよね!」
そして、尊は迫りくる巨大な水球に飛び込む。
「うわっ!」
リビングウォーターの表面に触れたその瞬間、尊の身体が吸い込まれるように水の中に入ってしまう。
(魔法で吸い込まれた? 精霊領域で守られていても、影響は受けるってことかな? いや、その影響を消さなかっただけか)
そんなことを思いながら、刀を持つ右手以外の手足で水をかき、七色に輝くコアに迫る。
視界の中では精霊力ゲージが急激に減り始めており、短時間で決着を付けなくてはいけないことを窺わせる。
(水量子分解・空気生成・水分吸収魔法への抵抗とか、並列処理することが多いってことだね)
ほどなくしてコアに剣先が届く位置まで到達する。しかし、ふと思う。
(水の中でまともに斬れるかな?)
抵抗を感じ緩慢な動きでしか動けない手足にちょっと困る尊だったが、少しだけ考えてコアに近付く。
触れようと思えば触れられるほどの距離まで来た所で、刃を自分側に向けてコアを中心に刀と腕で輪を作るように刃先の峰を持つ。
(多分、こうして待っていれば……)
そう尊が思うと共に、急に体に圧が掛かり出した。
コアを中心に周りを流れるように回転していたリビングウォーターの身体が、内から外へ、外から内へと変化したことをVRA画面でカナタは伝えてくる。
(やっぱり、吸収できないと判断して吐き出しにかかってる)
思惑通りになったことに尊がにやりとしていると、外に出そうとする水の力が急激に強くなる。
噴き出されるように一気に水中から出た尊は、飛び出た勢いが強過ぎて錐もみ状態から体勢を立て直せずにベチャリと床に落ちてしまう。勿論、精霊領域に守られているので、痛くはないが、尊は床にうつ伏せになりながらため息を吐いた。
「もうちょっとどんな状況でも対応できるようにしないと……」
「確認します。何故ですか? 目論見は成功しています」
カナタがそう言いながら半透明な身体で見ていた先には、ゆっくりと水の身体を崩し始めているリビングウォーターがいた。
コアである七色の宝石は真っ二つになっており、尊が外に出される勢いを利用して魔物自体に斬らせたのだ。
「今できる手段はこれしかなかったとはいってもさ、精霊力を大分減らしちゃってるでしょ? それじゃあ、長時間探索ができないよ」
崩壊するリビングウォーターの水が尊のいるところまで来たので、余計な精霊力を消費しないために慌てて起きる尊。その視界に映っているゲージは青のままだが、十分に一は減っているように見えた。
「なにより、今の戦い方じゃあ、とてもじゃないけど僕の案を実行できるとは思えないよ」
「理解しました」
「なんにせよ。今はとりあえず、探索が先だね」
「了解しました」
水が完全に引くのを待ちながら、尊はふと思う。
「そういえば、コアの大きさってあんなに大きかったのにストーンと変わらないよね……」
リビングウォーターによって溢れ出た水が消えた後には、二つの半球になったコアが床に落ちており、尊は若干躊躇いながらそれを拾ってみた。
(キラキラと光っているけど、若干水色が強いような? リビングウォーターだから?)
などと感想を抱きながら、半透明なカナタにそれを差し出し、異空間収納にしまって貰う。
「確認しました。コアの成長限界のようです」
「ってことは、あれ以上成長すると分裂するわけか……紋章魔法が全部同じ大きさなのはそういうことなんだね。ちょっと不思議だったんだよ……とりあえず、開けた部屋に戻って見ようか? あそこから今のリビングウォーターが出てきたのなら、今は安全だよね?」
「確認します。はい、確かに魔物の反応はゼロです」
「うん。じゃあ、行こっか。今のでもっと喉が渇いちゃ――」
「警告します。魔物が急接近しています」
カナタの言葉に、直ぐにVRA地図を確認すると、確かに赤い光点が接近している。その移動場所が通路であることを考えれば……
「ガーディアン系!?」
その予想をカナタが肯定するより早く、なにかが高速で回転する音がし始める。
背後から聞こえてきたそれに反応して振り返ると、尊の目に白い巨大な蜘蛛が映った。
「守蜘蛛……じゃない?」
上の階で見た多脚自動戦車土蜘蛛を基にしたと思われるガーディアン系魔物とほぼ同じ姿をしていたが、守蜘蛛とは違い腹部には砲台の代わりに回転ブラシが付いており、それを床に押し付け掃除し始める。
「部屋から溢れた水で通路が汚れたってことかな? どう見ても汚れているようには見えないけど」
「回答します。僅かですが粒子が床に付着しているようです」
「神経質すぎるでしょ……」
呆れるしかないガーディアン系の過剰反応だが、ふと思う。
「守蜘蛛って確か常に集団で行動してて、連携しているんだよね?」
「肯定します」
「ってことは、僕がここで見つかれば……」
回転モップを動かしていた守蜘蛛亜種はゆっくりと前進していたが、不意に歩みを止め、その頭部を尊の方に向ける。
「回答します。ペケさんと同じ反応をすると推測されます」
カナタのその言葉に答えるかのように、守蜘蛛亜種は尊に向けた突撃し始めた。
「うわわっ! に、逃げるよカナタ!」
「了解しました。最適逃走経路を表示します」




