Scene5『神飲み込む狼』
「え?」
男のログアウト不能宣言に慌てた尊は、カナタに目を向けるが、何故か彼女は小さな寝息をたてて寝てしまっていた。
「ナビって寝るんだ……じゃなくって! 公共ナビさん!」
いつもであれば、そう呼び掛ければ直ぐに公共ナビに繋がる。だが、無反応。
「えっと……ナビがいなくてもログアウトはできたはず……VRシステムマニュアルコントロールオン」
ログアウト不能になったと繰り返す狼ぽい男の隣に、別のVRA画面が現れ、「「VRシステムマニュアルコントロールオン」」と文字が出てくる。
それを確認した尊は、寝ているカナタを片腕で支えながら触れる。
するとVRA画面が碁盤状に変化し、キーボードや検索など様々な文字が書かれた区切りが現れた。
その中からログアウトと書かれたパネルを見付けた尊は迷わずタッチする。だが、現れたのはエラーの文字。少し遅れて、その下に原因の説明文が現れる。
「「VR空間内の時間加速を確認。VR体と現実体の意識格差によるVR症の発病を防ぐために、一時的にログアウトをロックしました。ナビもしくは所定の操作により、時間加速を停止させた後に、再びログアウトを試みてください」」
その文字を読んだ尊は、タッチするために突き出した手が震えているのに気付く。
VR空間内の時間加速が可能だという話は初耳であり、それを使うことによってログアウトができなくなることも当然聞いたことがない。
「そ、そうだっ! 外に連絡して……」
通話パネル・メールパネル・SNSパネルなど、様々な情報伝達手段を試すが、どれも
「「時間加速による他QCとの時間速度格差により正しく接続されていません。国際時間速度基準範囲内まで時間加速を操作したのち、再び接続を試してください」」
と出て使うことができない。
そして、その説明文が正しいということは……
「さて、そろそろログアウトが不可能になったことを全員が理解しやしたね?」
ログアウト不能を繰り返していた狼の男が、違う言葉を口にしたことで、自然と彼が映るVRA画面へと視線が移動する。
「あっしの名前は『ギルバート=レギウス』。PMScs『フェンリル』の代表取締役をやっとりやすしがない傭兵でござんす」
赤く染めた前髪の一部を指で弄りながら、自己紹介する狼な男ギルバート。
その顔には常に尊をいたぶっていた時のような残虐な表情を浮かべていた。
楽しくて楽しくてしょうがないというギルバートの様子に、尊は背筋が寒くなる。
あまりにも自分と、自分の周りにいる人達とは違う人間だと改めて思い知らされたからだ。
「あっしはまどろっこしい話は嫌いでしてね。単刀直入に言いやすよ? あっしらフェンリルは、VRMMO武装精霊のゲームシステムを利用して、QCティターニアに対してクラッキングをおこないやした。QCに対してはクラッキングが不可能だ、とか、ありえないだろうとか思ってやがる方々もいらっしゃるかもしれやせんが、現にログアウト不可能になっとるんですから、これ以上の証拠を提示する必要はありやせんよね? まあ、つまり、あっしらは新技術を有しているってことでござんすよ。勿論、種は明かせやせんがね」
にやにやと喋るギルバートは、不意に笑うのを止め、ため息を吐いた。
「まあ、その新技術であっても、やはりというかなんというか、完全にQCを乗っ取るまでにはいきやせんでした。しかも、ちょっとしたトラブルもありやして、仕方なくあっしらは、第二プランである時間加速に移行させたでござんすよ。加速した時間を使って、完全に乗っ取ろうってことでござんすね。ついでに、クラッキングを仕掛けていることが早々にばれるのを防ぐために皆さん方を閉じ込めるって意味もございやす。ちなみに、目一杯加速しやしたから、現実世界で一時間が、こっちでは一年ぐらいになっとりやすかね? まあ、そんなわけで、巻き込まれた皆さん方は運が悪かったと諦め、一年間の異世界ライフを楽しんでくだせぇ」
そう言ってギルバートは通信を切った。かと思ったら、直ぐにVRA画面が直ぐに現れる。
「そうそう、一つ言い忘れやしたが、あっしはどうにも武装精霊の『強制転送』ってシステムが気にいらねえでござんすよ。どうせ異世界にいるんでしたら、それなりにリスクを感じなくてはいけやせん。なので、強制転送システムを弄らせて貰いやす。どう弄るかといいやすと、ゲームの始まりの場所、『武装量子精霊の大樹』から『狭間の森』までを隔離して、そこを転送先に再設定させていただきやした。つまり、一度『精霊力』がゼロになれば、そこから先、一年間はなんもないところで退屈するしかないってことでやんすね。まあ、弄ったとはいっても、完全に乗っ取ってるってわけじゃありやせんから、反映されるまでは一時間ってところでございましょう。それまでに始まりの場所にいる皆さん方は脱出しやせんと、強制転送もしてないのにそのままそこに閉じ込められることになりやすのでご注意くだせぇ」
ギルバートの通信が完全に切られた後、尊は自身が聞いた言葉の意味を飲み込むのに少し時間を要した。
ただ、動機や目的などが一切語られていない結果のみの情報では、混乱することしかできない。
故に、尊はわからないことを一時切り捨て、理解できる問題から解決しようと思考がシフトする。
(ログアウトできないのは、既に確認済み。カナタが語ったことはサプライズイベントじゃなくって、実際に起きていることだった。それってつまりサイバーテロに巻き込まれた? ……あっ! 違う。そうじゃない。ぼ、僕は、唯一救援を呼ぶチャンスを、勘違いで潰してしまったんだ!)
気付いた事実に顔を青ざめさせた尊は、思わず自分の胸の上で眠っているカナタをぎゅっと抱きしめてしまう。
(どうしよう。どうしよう! 僕の責任だ!)
実際の所、尊の責任などという言葉だけで済むほど生易しい状況ではない。むしろ、単純に被害者の一人として考えるべきだろう。
カナタが捕捉されていた時点で、戦争のプロである民間軍事会社(PMScs)の裏をかいて逃げるなど、ただの中学生である尊は勿論、一般人なら誰にだって無理だろう。対応したのが同じ規模の組織であれば可能かもしれないが、早々都合よく国家が使うようなQCを部分的にも乗っ取れるほどの集団がいるはずもない。
そもそも今現在進行形で存在しているこの事態は、誰も経験したことが無い世界初の事件なのだ。
だからこそ、尊には一切の責任はない。勿論、尊も心のどこかでそんな考えるまでもないことはわかっている。わかってはいるが、どうしても自己の責任だと思ってしまう。
理論的ではない。理性的ではない。そんな無意味な責任感に突き動かされてしまうのは、仮に大人だったとしても無理からぬことかもしれない。ここに来る直前に散々いたぶられ、その同じ人物からログアウト不能などという状況に追い込まれて弱った心では、少し前まで小学生だったということも重なって冷静な状況分析などできようはずもないのだ。
だが、それでも、尊は、
(駄目だ! これが僕の責任であるのなら、僕がなんとかしなくちゃ! なにができるかなんてわからないけど……だからと言ってここで立ち止まってたら、取れる責任も取れなくなる!)
自らが生み出してしまった責任に潰れることなく、動き出した。
内から生じる負の感情に押し潰されてしまうのなら、そもそも尊はVR空間に来ることはなかった。
自身の上に乗っかっているカナタを抱え直し、お姫様っこしながら立ち上がる尊。
腕の中の重さにちょっと苦戦しながら、ゆっくりと周りを確認する。
背後には全容が確認できないほど巨大なクリスタルの大樹。
境のない幹だけを見ると、カナタに武霊の大樹だと教えて貰ってなければ、もしかしたら木であるという認識すらしなかったかもしれない。それだけ現実ではありえないほど桁違いの大きさなのだ。
そんな透ける大樹の向こう側と反対側には、隙間なく普通の樹木が生い茂る場所がある。
ギルバートの言葉から鑑みるに、そこが狭間の森だと推測できるが、少なくとも尊が見られる範囲内には侵入できる場所も入口らしき物がない。
横を見ても、延々と同じ光景が続いているだけ。
(もしかして、一時間という言葉は嘘で、もう隔離されている?)
その考えにぞっとした尊だが、首を横に振り、生じた不安を打ち消す。
(確証もないのに、終わってしまったと思い込んで動かなくなるなど愚の骨頂だよ僕!)
折れそうな心を、自分に言い聞かせることでなんとか建て直し、カナタを抱っこしながら木々へと近付く。
ずっしりと感じる武霊少女の重みにフラフラになりながら、触れられる距離まで移動し、注意深く観察する。
背後の桁外れな大樹とは違い、隙間なくぴっちりと生えている異常なほどの密集度合を抜かせば、どこにでもありそうな広葉樹だった。
(別に植物に詳しいというわけじゃないから、専門家から見たらどこかおかしいと感じるかもしれないけど……今はどうでもいいことだよね。近付けば、もしかしたら通れる場所が見付かるかもしれないちょっと期待していたけど……)
ものの見事に思惑が打ち砕かれ、思わず深いため息を吐いてしまう。気持ち的なもの以外にも、ちょっとしんどくなったというのもある。尊の体力では、ずっとカナタを持ったままというのは辛いのだ。
仕方なく振り返って背を木々に預けて休憩する。
視界に入るのは、現実ではありえない金色に輝く果実と、透明な木らしからぬ大樹。
(なんとなく、実っている果実が、武霊の卵? なのかな? その割には中に見える影が変なのが混じっているような……微妙に見覚えがあるのは気のせいかな?)
などと思った時、ふとビービーと警告音が鳴っているのに気付く。
音の発生源を探してキョロキョロしてみるが、見える範囲に音源らしきものはない。となると、後ろしかないので、首だけ振り返ってみると、そこにはなにか文字が映し出されていた。
離れて、今度は身体ごと動かして確認してみると……
「「これより先は武装化状態にならないと進めません」」
と出ていた。
「え? で、でも……」
尊と契約している武霊カナタは、未だに彼の腕の中で眠っている。
この場が隔離されるまで一時間。
どうしようもない窮地に、肝が冷える感覚を覚える尊だった。
「ギル」
通信を終えたギルバートに声を掛けたのは、彼の部下である青髪青目の少女だった。
両耳の上に角のような白い突起を生やした彼女の額には、まるで開頭手術をしたかのような大きな縫合痕がある。
今の時代、痕が残るような手術などまず存在しない。そもそも切って開いて治すという医療すら時代遅れ。
故に、多くの場合は、彼女の手術痕を見ると、変わったファッションだな……と思う。
愛称を呼ばれたギルバートは、そんな彼女の額を見て、眉を顰める。
「なにもVR体になってまでその痕を残すことはございやせんでしょ? 美人が台無しでござんすよ?」
ふざけた言動に、言われた少女は喜ぶどころかジロリとギルバートを睨むが、それ以上怒りはしなかった。
「一昔前と違って、今のVR体は現実と同じ姿に強制的にさせられるのです」
ため息一つ吐いて説明する少女に、肩を竦めるギルバート。
「あっしらは違法アクセスですぜ?」
「全てを裏ワザですればあっさり気付かれるのです」
「上手な嘘は真実を織り交ぜるといいやすものね」
「……それではぐらかせると思っているのです?」
適当な会話し始めるギルバートを少女は再びジロリと睨み付ける。
「何故、プレイヤー達に我々の存在を明かしたのですか? 第二プランにはそんなことをするとは入っていなかったはずなのです」
「それにしても美人は否定しないんでござんすね?」
ニヤニヤと笑うギルバートに、手術痕の少女はため息を吐き、自分の身長の二倍はある彼を見上げながら男の急所に向って前蹴りを放った。
見事なノールックキックがクリーンヒットしたギルバートは、あまりの激痛に悲鳴すら上げられず、前のめりに倒れてうめき声を上げる。
VRMMO武装精霊には、動作補正システムだけでなく、ほとんど保護システムが組み込まれていない。その代りになるのが武霊なのだが、ギルバート達は正式アクセスをしているわけではない。当然、武霊を持っておらず、彼らの庇護を受けていないのだ。
故に、急所攻撃は非常に有効だったりする。勿論、傭兵であるギルバートが自分の半分の大きさしかない少女の不意打ちを喰らうなどというのは、普通はありえないが、直前の会話で保護システムが効いているという勘違いを誘発されていたのだろう。
空気を鼻から吸い、口から吐くを小刻みに繰り返すロシア武術システマの呼吸法バーストブリージングを行い、素早くダメージから回復したギルバートは、ゆっくりと立ち上がる。
「や、やりやがりましたね」
などといいながら、まだ足が震えていたりするが、それを少女は無視して、背後を見る。
二人が今いる場所は、一言でいえば謁見の間だった。
妖精の彫刻が刻まれた白い柱と床。黄金で縁取られた赤い絨毯。現実世界にはいない動植物が描かれた大門。そして、奥には扇状の階段と、その上に置かれた黄金の玉座。
ここは、ティターニアワールドにあるティターニア城と呼ばれる場所の謁見の間。
故に、少女が視線を向けた先・黄金の玉座には、城主が座っていた。
その人物こそがQCティターニアをQCしたらしめている人格ナビ。
ただし、その姿は防壁と書かれた無数の文字によって、文字通り壁のように展開されて、よく見ることができない。
辛うじてその奥に誰かが座っていることがわかる程度の状態は、ギルバート達がクラッキングを始めた直後から始まっている。
これは、つまり、QCティターニアの抵抗そのものなのだ。
その抵抗を表す防壁という文字の一つが、唐突に弾ける。
目撃した現象に、少女は僅かに眉を顰めた。
「防壁を一つ破るのに、時間が掛かり過ぎていますのです。この状況を予測して、こちらの体制が完全に整うまで、プレイヤー達には可能な限りこちらの行動をわからせないようにする。そういう第二プランだったはずでは? なのです」
「お婿に行けなくなったらどうしやす? 責任取ってく――」
こりずにふざけるギルバートに、無感情な視線を向けた少女は、無言で足の素振りを始める。
流石に二撃目は喰らいたくないのか、近くにある柱の陰にささっと隠れるギルバート。
「わかりやせんかね? 鉄は熱い内に打てといいやすでしょ? 混乱も同様なんでござんすよ」
「だからこそ、なんの説明もせずに混乱を誘発させるという話だったはずなのです。このままでは、彼女を救うためにプレイヤー達が一斉にここに襲い掛かってきますのです」
その少女の懸念に、ギルバートはニヤニヤ顔で応える。
「タイミングが良かったでござんすからね。いやいや、ちょっとしたトラブルというのも、起きてみるものでありやすね?」
「なにを言っているのです?」
「現実はつらぁござんすってことでございやすよ」
言葉の意味がわからないのか少女は眉を強く顰めたが、ギルバートは答えを言う気がないのか誰ともなくつぶやく。
「さて、あっしの思惑に気付けるプレイヤーはどれくらいいやすかね?」