Scene53『不平等な死を経て』
着ている服も顔も髪も白い、まるで昔話に出てくるような雪女のような姿の武霊。
そんな無表情な彼女の頭に突き付けられる銃口。
「やめてっ!」
制止の言葉を叫ぶが、まるで見せ付けるかのようにゆっくりとトリガーが引かれ始める。
思わずその拳銃を取ろうと身体を動かそうとするが、金縛りにあったかのようにまったく動かない。
「駄目だっ! 逃げてっ!」
武霊に訴えかけるが、彼女は反応せず。
そして、銃弾が吐き出される。
「あ……」
吹き飛ぶ雪女武霊の頭部。半分だけ残ったその顔は、そんなことをされたというのになんの感情も浮かんでいない。
「ああっ!」
顔覆いたくても、目をそらしたくても、一切なにもできない。せめて目を瞑りたいとまぶたを閉じようとする。
何故か、その願いだけは叶う。
だが、
「マスター」
聞きなれた声に、思わず目を開けてしまう。
そして、視界に入ったのは、
「え?」
琥珀のような茶褐色の肌に、腰まで届く僅かな風でもサラサラとなびく白髪。少し鋭い目付きの中にあるのは血よりも赤い真紅の瞳。幼さを感じさせるが、それでも顔の輪郭は日本刀のような美しさと鋭さを覚えさせる耳が長く尖ったダークエルフのような女の子。
そんな彼女の顔が――
「カナタぁあああああっ!」
自分の絶叫で黒姫尊は目を覚ました。
その瞬間、バシャと周りが音を発てたことに身体を硬直させる。
(温かい?)
全身を包むその感覚に、直前まで見ていた衝撃的な夢とそこから目覚めたばかりということも重なってぼんやりと戸惑う。
自分の置かれている状況がわからない。いや、わかろうとする気力が湧かない。
なにもかも理解できないまま、言葉が漏れる。
「えっと……僕は……ここは?」
返事を期待してのものではないが、反応する者がいた。
「確認します。起きましたか?」
「カナタ?」
ここ一週間ずっと一緒にいる仮であっても自分の武装量子精霊の声を間違えるはずもない。
しかし、状況を認識できていない尊は思わず目をパチクリさせてしまう。
「えっと……あ……」
僅かな間ぼんやりとしていたが、不意になにかを思い出し顔を両手で覆ってしまう。
「僕はなんて夢を……ううっ……どうして、どうして、あんなことを……」
呻くかのように言葉が口からこぼれる。
直前に見た夢が脳にこびり付き、気を失う前に見た光景を強烈に思い起こさせていたのだ。
故に漏れ出た言葉に意図はない。しかし、なにを思ったのかカナタは口を開く。
「解説します。通常のVR体は、その人物が所属する国のQCによって管理維持されています。ですが、異世界としてQC内にて再現されているティターニアワールド内には、通常のQCとは違う理が生じ、物理法則の再現度も高いため、通常のVR空間以上に存在演算が必要になります。そのため、通常の一機一ナビが同時並列的に管理維持するには負担が大き過ぎるため、その管理維持は部分的に武霊が代行しています」
「……うん」
既に聞いているカナタの説明に、思考できない尊は力なく頷くだけ。
「続けます。そして、武霊はその情報のほとんどをこちらの世界に置き、こちらでの記憶を重ねているため、こちらで記憶領域を破壊されれば、自我崩壊を起こし、リセットされてしまいます」
「カナタ……」
言葉が続かなかった。前に説明を受けた時にはただただ恐怖を感じただけだが、今は実感を伴っているため周りが温かいはずなのに寒気を感じてしまう。
その尊の変化に気付いているのかいないのか、カナタは言葉を続ける。
「リセットされることによって、プレイヤーと武霊との契約も初期化され、また、維持できるほどの演算能力も失われるため、本来であれば管理維持権限が各国のQCに戻り、ティターニアワールドから弾き出されるだけで終わります。ですが、現状では繋がりが断たれている状態であるため、権限移行が不完全にしか行われず、結果としてVR体は崩壊。緊急的にログアウトすることになります。しかし、これは同時にVR体で記憶した情報の喪失も意味しますので、そのプレイヤーは現実世界で目を覚めてもこちらの記憶を失っている状態になっていると、医療関係者をマスターに持つ武霊が推測しています。また、仕組み上、なにかしらの一部を覚えている可能性があるため、覚えがない感情に振り回される・脈絡のない記憶をフラッシュバックする・VRに恐怖を覚えるなどの日常生活に支障をきたす症状も出る可能性があるそうです」
「そう……なんだ……」
正直、カナタの説明はどうでもよかった。なにも考えたくない、なにも知りたくない、なにもしたくない。
逃げたい思いだけが生じていた。だが、尊の思考はそんな心と裏腹に動き出す。
(VR体は現実の身体と同じような感覚を持ち、傷付けば激痛に苛まれてしまう)
撃たれ傷付いた時のことを思い出し、同時に幻想痛かのように銃創ができた場所が痛んだ気がした。
(死ぬようなレベルのダメージを受ければ、強制的にシャットダウンされ自壊するようにできている。それは、カナタが集めた情報とあの時に起きたことから間違いない。勿論、それだけではデスオアアライブ事件のように本当に死ぬ最悪な事態になっている可能性を否定できないけど……でも、少なくとも、そうなってしまえば、VR体を一から新たに造るのに月単位の時間がかかるだろうし、VR体に脳機能の一部を代行させている仕組み上、VR体が失われるという事態になれば、記憶障害やVR恐怖症みたいなVR症を高確率で発病してしまう。そうなってしまえば、VRやARが社会の中に組み込まれている現代社会において、大きなペナルティになってしまう。でも、考えようによってはその程度……なのに……)
今も脳内をフラッシュバックのように駆け巡る名も知らぬ武霊の死。
目の前で見たのに、どうしても信じられない光景。
一週間、片時も離れず共に過ごした武霊を、長いプレイヤーであれば一ヵ月以上触れ合った存在を、殺す。
ありえない。ありえないからこそ、二人の武霊が重なった夢は自らをさいなむ。
カナタは、一緒に寝て、たまに膝枕されたり、共にどういう風に剣を振ればいいか、どういう風に身体を動かせばいいか考え、何度も何度も、失敗しても諦めずにペケさんに挑み、勝利した。それどころか、大勢の大人を圧倒し、強敵さえも退けられた。
尊にとって彼女は、友人・戦友・パートナー色々な言葉に当てはめられ、またどれも相応しくない、もはや適切な名が付けられないほど掛け替えのない、身近にいないなんて考えられないほど絆が深まった存在なのだ。
そして、それは自然と同族にも無意識の内に及んでおり、だからこそ、次の思考は着火剤となった。
(ナビは瞬間瞬間でデータを蓄積して変化している情報生命体で、例えバックアップを取っても、その次の瞬間からそのデータは他のナビのデータになってしまい、それから復元しても同じ個体が蘇るわけじゃない)
カナタの説明を思い出し、奥歯を噛む。
(失われれば、二度とそのナビは還ってこない! それなのに、それなのに! あいつは! 意図的に……)
思い出す言葉は、
「はっ、後悔しろクソガキぃ」
(あんな言葉が出たってことは、知っていたんだ。武霊さんのここで死は、本当の死だって。ううん。知っていようと知っていなくても、あんなことができる人がいるだなんて……あんな人がギルドの長だなんて……もしかして、他のギルドの人達も?)
嫌な予感が半ば確信を持って生じ、怒りなのか怖さなのか、あるいは両方か、身体が震え出す。
(あんな人達ならやりかねない。今起きていることをゲームとして認識し、あるいは逃避してふざけ続けたあの人達なら、いよいよとなればナビであろうと、人であろうと同じことを!)
両手を強く握り、心に生じた言葉が口から吹き出す。
「そんなことさせるものかっ! 絶対に絶対にっ! 絶対にっ!」
この瞬間まで尊の心は折れていた。自分からこれ以上積極的に関わらず、後は他のプレイヤーに任せよう。頭の中で言葉にならなくても、無意識の内にそう選ぼうとしていた。
それほど受けた心身の痛みは強かった。
もう、痛い思いをしたくない、怖い思いをしたくない。
幼い子供らしく、実に普通の人らしい心の動き。
これがカナタだけの話であれば、迷うことなく逃げの選択肢を選んだだろう。
彼女を死なせたくないという思いがでぃーきゅーえぬとの戦いを切り抜けさせた。
故に、優先順位は自分より高い。
だからこそ、夢の中でカナタと名も知らぬ武霊が重なったことが強く尊を穿つ。
目の前で、勝った尊に対する嫌がらせのために、そして、己だけがこの世界から逃げ出すために我流羅によって殺された。
それがどんな思いで生じた妄想なのか、尊は考えたくもない。考えられない。だが、そうであったとしても、後悔の嵐が荒れ狂い、
(もっと考えていれば、もっとみんなのことを思っていれば! 助けられたかもしれないのに……助けてくださいってお願いしたのに……助けなきゃ。今度は僕が助けなきゃ!)
優しさが暴走する。
尊の心根は相手を気遣い過ぎて引っ込み思案になるほど優しい。
そんな子が、自分の動いてくれる存在を見捨てるなどできるはずもなく、むしろ、それが動源力となって折れた心を真っ直ぐと伸ばし、尊を正常へと急速に戻す。
(武霊を殺せるのは、パートナーだけじゃない。精霊力が切れてしまえば、誰にだって、なににだって可能になってしまう)
正しく動き出した思考が、自ら置かれている今の状況を整理する。
(僕を追ってくるリーダー格は……もういないけど、状況はなにも変わってない。依然として強制転送システムは切られているし、多分、僕を排除しようとしているフェンリルの動きも変わってないはず。だとすれば、守蜘蛛さん達が邪魔しているだけで追撃が緩むとは思えないし、提供されるのが銃器だけだとは限らない。フェンリルの思惑を砕きながら、危険なプレイヤーの武霊さん達を助ける……そんなことできる?)
困難を認識し、強く思う。
(できるできないじゃない。やるんだ! 絶対に!)
新たな決意が目覚め、そこでようやく尊の意識が外に向いた。
そして、気付く。
「ふにゃ? ……え? お、温泉?」
自分が今つかっているのがお湯であり、周りが大小様々な岩で囲まれた場所だったことに。




