Scene52『最悪の決着』
「あうっ!」
守蜘蛛から放たれた砲撃により、長いような短いような浮遊感を感じ、尊は堅い床に叩き付けられた。
精霊領域が全開であればなにも感じなかっただろうが、VR体が壊れない最低限にまで抑えられているため、強い衝撃が身体を貫き、更に傷付けられた両腕がそれ以上の激痛を呼び起こす。
「う、あぁ……」
吹き飛ばされた勢いが止まるまで何度も横に転がり、ようやく止まった時には、尊は痛みから身動きすらできない状態になっていた。
(痛い痛い痛い痛い痛いよ……うう、助けて。誰か、誰か!)
悶えることすら許されない苦痛に、こうなることをわかって実行してはいても、心が再び折れてしまう。
一度目直後の二度目のそれは、尊を逃避行動へと誘い出す。
肉体は動かせない以上、精神のみが現状から逃れるために沈み出そうとした時、その声が尊の耳に入った。
「っか! かっかっかっかぁあ! いてぇ! いてぇじゃねぇかぁ! ゲームの癖しやがってよぉ!」
反射的に唯一まともに動かせる目で声のした方を見る。
「はっ! これならマジで死ぬんじゃねぇのぉ。デスゲーム化していなかろうがいようがよぉ!」
そこには焦げて短髪になった頭から血を流し、服や鎧に覆われていない場所が赤く焼き爛れた我流羅がいた。
「せ、精霊領域を切ったまま?」
「あぁ? まあぁなぁ。ちっ、魔法を込めた防具じゃなかったら即死だったろうよぉ」
その言葉通り、着ている灰色の革製鎧はほぼ無傷だった。だが、それ以外の部分は酷いありさまであり、激しい火傷の痛みに襲われている。はずなのに、元ツンツン頭は実に楽しそうに笑みを浮かべる。
「し、死ぬのが怖くないんですか……」
思わず口から洩れた答えを期待していない問いに、我流羅は笑みを深めた。
「こえぇさぁ。だが、それ以上に、てめぇを殺せる期待の方がたけぇんだよぉっ!」
「ほ、本当に死ぬ――」
「ぎゃははっはははっ! わかってねぇなぁ。そんなのどっちだっていいんだよぉっ!」
口の中を切っているのか、それとも内蔵にダメージを受けているのか、血泡を口から出しながら哄笑する我流羅は、異空間収納を開き、二丁拳銃を取り出す。
「ここは仮想であっても現実と変わらねぇ。なら、現実と同じように殺せるぅ。本気でデスゲーム化してんなら御の字だがぁ、それを確認出来ねぇんならぁ、だからぁ? って感じかぁ? 他の連中は気にし過ぎなんだよぉ。仮想であろうがぁ、現実であろうがぁ、今ここにぃ、俺らがいてぇ、好き放題できるぅ。バラバラにぃ、ぐちゃぐちゃにぃ、血反吐吐きながら悶えさせる方が重要だろうがよぉ。それなのにぃ、誰もそれをやろうとしやがらねぇ。へっ詰まんね連中だよなぁ。ああぁ、まったくつまんねぇ! だからぁ」
倒れている尊へと銃口を向け、
「せめてぇ、俺のために死ね死ね死ね死ね死ねぇっ!」
一切狙いを定めずに放たれる無数の弾丸。
点から面の攻撃となったそれは、素人の銃撃でも回避不能なものだった。
明確な死。
この世界ではただVR体が壊れるだけ。
ここでの記憶の引継ぎが正確に行われず、なにかしらのVR症を発病する。
プレイヤーの身に起きるのはただそれだけ。
だからこそ、死の瞬間にさらされた時、尊の頭に浮かんだのは、
(カナタ!)
だった。
そして、尊の中で爆発が起きた。
拳銃から放たれる僅かなマズルフラッシュに我流羅が目を細めたため、視界の中から尊が消えた。
そして、穴だらけになった姿を確認するために、目を全開にし、火傷で痛む眉を顰めさせた。
だが、そこに望んだ光景はなかった。
「いなごぉっ!?」
姿が消えたことに驚愕の声を上げようとし、途中で言葉が詰まる。
腹に背中に突き抜けるような強烈な衝撃に受け、肺から強引に空気が吐き出されたのだ。
当然、それだけの威力があれば、踏ん張りも利かなくなり僅かに宙に浮いて後ろに吹き飛ばされるが、倒れるまでには至らない。
「て、てめぇ……」
血混じりの胃液を口から垂らしながら、身体ごと突撃し、腹に頭突きを喰らわしてきた尊を睨む我流羅。
銃撃の瞬間、尊が精霊領域を使って一気に突撃してきたと理解し、同時に嘲りの感情が湧き上がる。
「馬鹿じゃねぇのぉ。てめぇはマゾかぁクソガキぃ」
我流羅の視界に映る尊は、頭部や肩など上半身の至る所を赤く染めていた。
前に一気に進むことにより、銃弾の射撃線上から外れることはできた。だが、至近距離であったために全てをから逃れることはできず、撃ち込まれた弾丸のいくつかが尊の身体をかすめたのだ。
勿論、弾丸を最低限逸らす精霊領域による守護があったからこそ、かすめる程度で済んだのだが……
「う、あぁああああああっ!」
僅かに遅れて襲い掛かる激痛に絶叫しながら、尊は右腰に浮く黒姫黒刀改を抜刀する。
「ぎゃははははっ! だからぁ? 剣が銃に勝てると思ってんのかぁ? それにぃ、てめぇの精霊力も残りわずかなんだろうぉ? 後何回こいつを防げるよぉ」
ゆらゆらと二丁拳銃の銃身を尊に見せ付ける我流羅。
痛みから息が荒い尊は、その嘲りに答えず上段に構える。
「いっひっひぃ。超笑えるぅ。超面白れぇじゃん。いいぜぇ、その一騎打ち乗ってやるよぉ」
などと言いながら、我流羅は状況を分析する。
(距離は大体五歩ぐらいでぇ、弾数は大体半分切ったぐらいかぁ? 例え今更精霊領域を全開にしようがぁ、刀の間合いに入る前に精霊力切れになんだろうなぁ。仮に、傷を受ける覚悟で設定をそのままにしてもぉ、あの感じだと真ん中を狙って打てばぁ、身体にぶち込めそうだしなぁ。こんだけちけぇ上にぃ、向こうから迫ってくるんならぁ、俺でも当てられんだろうよぉ)
勝利を確信した我流羅は、悠然と尊を待ち構える。
僅かな望みに掛けて突撃してきた時に弾丸を撃ち込んで、希望を砕こうという悪趣味な考えに囚われて。
しかし、
「あっ? なんだてめぇ。今更ビビってんのかぁ?」
一切動こうとしない尊に、イラッとする我流羅。
「ほらほら、どうしたぁ。来い来いぃ。ほら、来い来いぃ」
まるで先程の再現かのように拳銃をひらひらと動かし挑発する我流羅。
だが、尊の方は同じ行動を取らず、やはり動かない。
その無反応に、興醒めした我流羅は、
「……ちっ。つまんねぇ」
トリガーを引こうとした。
次の瞬間、尊が刀を振り下ろした。
「……あぁ?」
届かないはずの刃。そう思っていたからこそ、我流羅の反応は遅れた。
自分の右腕が斜めに切り落とされたことに。
「あ……ああああああああああっ!」
血が一気に噴き出す断面を反射的に抑えようと、左腕を動かそうとした時、首になにか鋭いものが当たる。
目の前の尊が身体に血が掛かることに構わずこちらに刀を向けていることで、自分の首筋に刃が突き付けられていることを悟った我流羅は動きを止めざる得ない。
「止血してください」
尊をお願いと共に、我流羅の流血が止まる。
「流石に、主の危機には応えるんだね」
ほっとする尊に、我流羅は誰に対してお願いし、誰が止血しているかを悟った。
その瞬間、我流羅は斬り飛ばされた腕の痛みも、火傷の痛みも、全てが吹き飛んだかのように叫ぶ。
「んだこのやろぉっ! なにかってに動いてやがるんだこのクソナビがぁっ!」
言葉の中に湧き上がる強烈な怒りと不快感を乗せて。
(えっ?)
我流羅から発せられた言葉を、尊は咄嗟に理解で聞かなかった。
だが、連想されたものがある。
「っは、なに人の武霊に声かけてんだてめぇ。キショイんだよぉ」
尊が我流羅の武霊に呼び掛けた時の気味悪そうな顔。
そして、守蜘蛛からの砲撃があったというのに、精霊領域の設定を変更せずに主にダメージを与えていた事実。
そこから導き出されるのは……
「チッ。胸糞わりぃ、つうかぁ、なに人間様の断りなく勝手な行動を取りやがるぅ。あぁあっ!? てめぇは、俺の命令があるまでなにもすんなつっただろうがぁ」
青筋を立てて怒鳴り散らす我流羅に、尊は愕然とする
(いるということは知識として知ってはいたけど……本当にいるだなんて……)
人間至上主義者。あるいはナビ排斥派。そう呼ばれている者達が、時折、今の社会に波風を立ている。
名前の通り、人間こそが至上の存在であり、ともすれば人間以上の能力を発揮するナビの存在を認めず、支配階級であることを望む者達。
ナビに支えられたQNやQCによって現代社会を維持している今の世の中で、最もイリーガルな者達であり、表だって活動すれば逆に排斥されるような彼らは、時にテロを引き起こし、多数の死傷者や多大な被害を出す。
勿論、そんな連中は少数派であり、例えその考えに賛同してはいても、表だってそれを口にし、行動に移すものなど、一般人でしかもナビが当たり前になった世代の中学生である尊の周りにいるはずもなかった。
だからこそ、衝撃を受ける。
目の前で、明確な見下し、差別をする人間にだ。
知識としてでしか存在していなかった確かな悪。
だからこそ、心構えができていなかった尊は、我流羅の次の行動に後手に回り、その先を想像することができなかった。
「精霊領域解除ぉ! 武装化もだぁ!」
「えっ!? だ、駄目たよ!」
尊の制止の言葉を聞かず、我流羅から青白い光が吹き出し、右隣に集まって飛び散る。
まるで昔話に出てくるような雪女のような武霊が登場すると共に、我流羅の切断された腕から血が噴き出す。
「お、おらぁ! どうした? このままじゃ俺は死ぬぞぉ!」
「カナタ! 精霊領域拡大! 止血を――」
意図がわからず、混乱するしかない尊が慌ててカナタに指示しようとした時、我流羅はまさかの行動に出た。
残った左腕を自身の武霊に向けたのだ。
その手には拳銃が握られており、その銃口はピタリと雪女武霊の頭部に付けられていた。
「はっ、後悔しろクソガキぃ」
「えっ?」
そして、一発の弾丸が放たれた。
渇いた銃声音と共に、別のなにかが破裂する音。
尊は一瞬何が起きたのか理解できなかった。
だが、否応なしに目に入ってくる光景が、状況を理解させてしまう。
目の前で雪女武霊の頭部は吹き飛び、その右半分が無くなったのだから。
「えっ……あ……」
言葉が出ない。感情が、思考が、なにもかもが目の前の変化についてこない。
「ぎゃははははっ! こういうログアウトの仕方もあんだよぉ。これなら、本当にデスゲーム化してても、俺らが死ぬことはねぇ。お勧めだぜぇ」
その言葉と共に、ゆっくりと我流羅の身体が光の粒となって崩壊し始める。
「逃げたかったらぁ、こうするんだなぁ。今ならナビ殺しても、情状酌量の余地があるんじゃねぇ?」
ゆっくりと前に倒れる無表情の雪女武霊が、完全に床に落ちるより早く青白い光となって霧散した。
「じゃあなぁ、クソガキィ。てめぇはここでずっと苦しんでろぉ。言っとくがぁ、現実に帰った俺にキレても意味ねぇからなぁ。なんせ記憶がねえしなぁあ! ぎゃはははは――」
我流羅の笑い声が唐突に切れる。
雪女武霊だった青白い光が消えていくのを見ていた尊が、声が消えた場所へと視線を向けるが、そこにはなにもなくなっていた。
「ど、どうして……なんで……」
呆然自失となった尊が、その場にへたり込む。
その場には我流羅の血だまりができていたはずだが、それすらなくなっている。
まるで初めから奴がいなかったかのようになにもない。
残されたのは、尊に身体に刻まれた銃創のみ。
「どうしてぇええええええ!」
怒りか、悲しみか、怖さか、色々な感情が一気に噴き出し、それらが溢れ出すかのように尊は絶叫した。
肺の中の空気が全て出尽くしても音なき叫びを続け、不意に前へと倒れる。
床に無防備な顔面がぶつかる寸前、淡い光の粒子に包まれ僅かに宙に浮いて事なきを得た。
精霊領域によって浮かされた尊は、前のめりに倒れている体勢から仰向けへとゆっくりと変えられ、床に寝かされる。同時にVR体リセットが発動し、尊の体中にある銃創が赤く淡い光に包まれ、それが消えると共に傷は跡形もなく消え去った。
だが、尊は目を覚まさない。
気絶による意識の喪失であれば、原因である要素がVR体リセットによって取り除かれ、直ぐに目覚めることになる。しかし、起きないということになると、今の出来事により尊のVR耐性が一気に減少し、強制的に睡眠状態に移行されてしまったということだろう。
ガーディアン系が跋扈する。しかも、今まで誰も到達したことがないよう域で、そんな事態に陥れば一体どうなるか……
僅かな静寂の後、尊の身体から白と黒の光粒子が吹き出し、いつもより若干早くダークエルフ少女の姿となる。
特に表情は変わっているわけではないが、焦っているかのようにしゃがみ込み、主の肩を揺すった。
「マスター……マスター……」
表情も声も、僅かな感情も込められていないが、揺する大きさは徐々に強くなる。
しかし、それでも強制睡眠させられている尊は起きる気配もなく、無駄だと気付いたのか、カナタは揺するのを止めた。
そして、暫く寝顔を見た後、そっとその両腕を尊の下に差し入れお姫様抱っこしようとする。
が、見た目通りの筋力しかないためか、一切持ち上げることができない。
精霊領域を使えば可能かもしれない。だが、直前の戦闘で精霊力は限界ぎりぎりまでに迫っており、下手に使えばカナタも強制的に寝されてしまう。
だからこそ背負おうとしたり、引っ張ろうとしたり、色々と試すが、成長したとはいえ尊より小さいカナタでは安全な場所どころかこの場から動かすことすら難しかった。
情報体であるナビであれ、この世界では肉体を得てしまっている。それ故に、あれこれ試している内に息が上がるカナタだったが、どれだけ疲弊しても諦めずに尊を運ぼうとし……不意に顔を上げた。
見た先は、階段。上では守蜘蛛がでぃーきゅーえぬ達を追い回しているはずであり、容易に他のなにかが近付けるはずもないのだが、カナタの耳は足音を捉えている。
尊を守るような立ち位置に移動し、警戒の視線を向け続け、そして、現れたのは……




