Scene4『仮想の中の現実』
刀の間合いに入る直前、唐突に白人の男は立ち止まった。
(え? なに?)
不思議がる尊に、男は呆れた顔を向ける。
「なんでござんすか? あっしを馬鹿にしてやがるんですか?」
その問いに、尊は戸惑うしかなかった。
「……ああ、そういやぁ、武装精霊には動作補正システムが組み込まれちゃいやせんでしたね」
そう言いながら男は、日本刀を震えながら懸命に持っている尊の片手を見た。
動作補正システムは、元々医療用パワーアシストスーツ用に開発され、軍用パワードスーツによって発展させられた、その名の通り人の動作を補正するシステム。もっとも、VRが一般に普及し始めてからは、VR体用の開発が盛んとなったため、今ではパワードスーツよりVRゲームで流用されていることが多い。
ゲームなのだから、簡単に非日常を味わえなければ客が離れる。そういう考えが当然であり、VRユーザーもそういう認識でいる。
剣を操るなら剣術プログラム。料理をするのなら料理プログラム。舞を踊るならダンスプログラム。多種多様なVR体プログラムが開発され、ありとあらゆる現実の自分ではできないことをスキルやアーツというゲームシステムとして体感する。
それが本来のVRゲームだといえるのだが、何故か武装精霊にはその動作補正システムが一切組み込まれていなかった。
武装精霊の出来た経緯と、舞台となる『ティターニアワールド』がなんであるかを知れば、その意図はわからなくもないのだが……なんであれ、武霊の武装化という特殊な武器を持っていても、自分の力と知識だけでそれを振るわなくてはいけない。
故に、
(物凄く重い。どうして? これじゃあ……)
尊は困惑してしまう。
漫画やアニメなどで見る主人公達は、片手で簡単に刀を持ち、振るっていた。
だからこそ、尊はそれに倣って、片手持ちをしてしまったのだが、それはあくまで二次元での話だ。
日本刀は、馬上で使うように作られた物ならいざ知らず、大型武器である大太刀に部類されるような刀は、そもそも片手では扱い難い。無論、修練次第によってはそれも可能になるだろうし、無茶を可能にする筋力でもあれば、不可能とまでいえる話ではないだろう。しかし、なにも鍛えていない、技術も学んでいない尊が片手で刀を持つのは、無謀以外の何物でもなく、持ててはいても、震える剣先が、それ以上はできないことを誰が見たとしても窺わせる。
「そんな風に持てているだけでも行幸でございやすが……あ~がっかりでさぁ。まったくもってがっかりでいやがりますよ」
そう男が言った瞬間、その肩に乗っている刀を無造作に振るった。
(え? なんで!?)
尊の直前までの記憶では、刀が届く範囲まで接近していなかった。
なのに、その刀身は黒姫黒刀を弾く。
気付かない内に、間合いを詰められていたと理解すると同時に、男の左手によって胸倉を掴まれる。
「まあ、せめて、いたぶって楽しもうとしやしょうかね?」
残虐な笑みを顔に近付けられ、思わず小さな悲鳴を上げてしまう尊。
「くはっ! くはっははは!」
嬉しそうに男は笑いながら、男は腰を落とし、振り返りながらまるで槍投げでもしているかのように尊を投げた。
あまりにあっさり投げられたことにより、尊は無抵抗のまま放物線を描いて噴水へと落ちる。
水によって落下の衝撃は和らいだが、直ぐに水辺から這い出た尊は、咳き込みながら水を吐いてしまった。
保護システム外の現象は、例えどんな危険なことでも起きてしまうのが、現実を仮想の中に忠実に再現した現代VRの欠点だ。
そのため、溺れるということを現在いるVRサイトが想定してなければ、水を飲んでしまうということもあり得てしまう。
(う、嘘だ。なんでこんな……)
あり得てしまうが、それでも尊は衝撃を受けていた。
何故なら、これはVRMMO武装精霊を宣伝するためのサプライズイベントのはず。つまり、訴えられるようなことを体感させるはずがないのだ。普通なら。
「仮想とはいえ、現実はつらぁござんしょ?」
そう言う男の声に顔を上げると、腹部を蹴られた。
再び尊の身体が宙に浮き、薔薇の生垣に背中から突っ込んでしまう。
今度は保護システムが効いたのか、ダメージはない。
だが、それでも尊は混乱していた。
(い、一方的にやられるだなんて、宣伝として成立するわけがない。魅力的に見せなければ、新しいお客さんなんて呼べるはずもないのに……これじゃあ逆効果でしょ!?)
「さあ、現実を知った所で、今度はこいつのレクチャーでもしやしょうかね?」
そう言って、男は鍔のない刀を片手持ちから両手持ちに変え、正眼に構える。
「大太刀ってなぁ普通はこう持つでござんすよ?」
男の行動の真意が読めないまま、尊は彼の真似をして黒姫黒刀を両手持ちで構える。
「そうそう。よくできやしたね」
などと褒めながら、男は刀を振り上げ、尊に斬り掛かる。
その速度は、片手で黒姫黒刀を弾き飛ばした時より遅く、剣の素人であるはずの尊でも、転がって簡単に避けることができた。
だが、尊が立ち上がるのを待って放たれた続く横薙ぎの攻撃は、避ける動作を許さず、それでいてなんとか防ぐことができる早さだった。
黒姫黒刀を縦に構えてなんとか防ぐ尊に、男は残忍な笑みを浮かべる。
「いきやすよ? しっかりふせぎなせえ! そらっ! そらっ! そらあっ!」
掛け声と共に放たれる上段、中段、下段の連続斬り。
「そらっ! そらっ! はっは! うまいでございやすよ」
まるでお手本のようにシンプルな斬撃が次々と放たれ、尊はなんとか防ぐが、その度に徐々に徐々にと動きが加速していく。
ついには防ぎ切れず、頬に、肩に、腹に、腕に、足に刃が叩き込まれた。
刀で斬られるという明らかにこのサイトの保護システム外であろう行為に、殺傷の痛みを覚悟し、目を瞑ってしまう尊。だったが、
(い、痛くない?)
何故かなにも感じない。恐る恐る目を開けてみると、男の斬撃は続いており、刃が触れる瞬間、淡い輝きが皮膚の上、服の上に現れ、防いでいるのを目撃した。
(なに、これ?)
保護システムとは明らかに違うこれがなんであるか、必要最低限のことしか教えられていない尊にはわからなかった。だが、少なくとも、武霊の能力の一つであることは窺い知れる。何故なら――
「はっは! よかったでござんすね。『精霊領域』に守られてなかったら、お前さんはとうの昔にバラバラですぜ? あっはっはっはっ!」
笑い声と共に更に斬撃の速度は上がり、もはや防ぐこともままならない。
男の言う精霊領域に守られているとはいえ、斬撃に掛けられる力の全てを防いでくれているわけではない。その証拠に、尊の身体は攻撃を受ける度に、後ろへ後ろへ押され始めてしまう。
(ど、どうしよう……どうすれば!)
弄ばれるしかない尊は、解決策を見付けるために唯一自由に動かせる目を動かす。
しかし、気付けたのは、視界の中に攻撃を受ける度に一瞬だけ現れる青いゲージのみ。
(これってもしかして、HP? ううん。MPかな?)
現れる度にゲージの長さが減っており、なにかを消費して光の防壁を張っていると尊に理解させた。
が、だからといって、
(それがわかったからって、どうしたらいいんだよ!)
尊はただ男に翻弄され、ゲージを減らし続けるしかない。そして、とうとう道の端、薔薇の生垣に背をぶつけてしまい、思わず後ろを確認してしまった瞬間、男の前蹴りが叩き込まれた。
精霊領域によってダメージはない。だが、強引に押し込まれることによって、薔薇の中に埋もれてしまい、身動きを制限されてしまう。勿論、棘があってもただの植物だ。抜け出せないこともない。
だが、
「あきやした。しまいにしやしょう」
その言葉と共に、上段に構えた男は、尊が反応するより早く、振り下ろした。
今まで見せたどの斬撃よりも力強く、そして、早いその斬撃は、尊の左肩に当たった。
その瞬間、現れた青いゲージが一気に減少し、赤となって消え、同時に刃を防いでいた精霊領域が消失してしまう。
防ぐものが消えたことにより、肩に叩き込まれた刀身は、まるで空を切るかのように一気に肩から右脇へと通り抜ける。
切られたというより、なにかが身体を通っただけ、痛みのない気持ちの悪い感覚に、尊がぞわっとした瞬間、視界が暗転した。
気が付けば尊は森の中にいた。
視界に広がる密集した木々。そこには襲い掛かってきた男の姿はない。
「え? ど、どうなってるの!? ここはど――」
思わず疑問の声を上げ周りを見回そうとするが、それより早くに両手で握りしめていた黒姫黒刀から光と闇が吹き出した。
「えっ! なに、なんなの!?」
動揺している尊の手の中で、刀身から柄までその全てが二色の粒子に変換され、少し離れた空中に集まって球体となる。
呆然と見上げる尊の前でそれは弾け、白と黒が舞い散って雪のように降り注ぐと共に、着物姿のダークエルフ少女が降ってきた。
大慌てで受け止めた尊だったが、勢いを殺し切れず、バランスを崩して仰向けに倒れてしまうと、
「痛っ!」
背中と後頭部を硬いなにかぶつけてしまう。当然受け身も取れていないので、かなりの衝撃に襲われ、反射的に目を瞑ってしまった尊は、カナタを抱き抱えながら暫く悶える羽目になった。
「も、もしかして、毎回こんな感じに武装化が解除されるの?」
痛みを誤魔化すために適当な疑問を投げかける。
「否定します。解除場所は変更できます」
「じゃあ、次は僕の近くでお願い」
「了解しました」
胸の中でカナタが頷くのを感じたことに、思わず微笑んでしまう。
見えなくてもカナタの可愛らしい仕草を連想したのだ。
(無口無感情でも、可愛いものは可愛いからね)
などと思いながら、流石に寝たままというわけにはいかないので立ち上がろうと閉じていた目を開ける尊。
だが、その目に入った光景に、次の動作に入ることができなくなった。
何故なら、視界の中に金色の輝きが入ったからだ。
最初に見た森のイメージから相反する色彩に疑問を通り越して戸惑いを覚えてしまう。
恐る恐るといった感じで、光源へと視線を向けると、そこには透明な枝葉に実る大小様々な黄金の果実があった。
しかも、それら一つ一つをよく見ると、薄っすらとなにかの影が見える。
人と同じぐらいだと思われる果実には人影のようなものが、それ以下の大きさのものにはトンボのような影、それ以上の大きさのものには蜘蛛のような影が浮かんでおり、目撃している尊を唖然とさせた。
「なに……あれ」
同じような光景が延々と上に広がっていることに、思わず言葉が漏れる。
「これ枝……だよね? じゃあ、もしかして……」
つぶやきながら頭上へと視線を向けると、そこには辛うじて洞や木目がわかる透明な樹皮があった。ただし、どんなに視線を動かしても端が見えず、カナタを抱き抱えながら体を動かして全容を見ようと試みても、どこまでも同じ光景が続いているようだった。
「説明します。武装量子精霊の大樹です」
そう口にしたのは、尊の胸にうつぶしているカナタ。
顔を少し上げ、その瞳を尊に向けるが、その目は酷く眠そうだった。
「もしかして、武霊生成システムの?」
尊の問いに頷くカナタ。
「ここが、カナタが生まれた場所……」
そう呟いて尊は気付いた。
(もし、それが本当なら、QCアマテラスの領域から、QCティターニアの領域に移動したってことだよね?)
盛大に嫌な予感がした。
いや、正確には、疑惑と疑念が確信と確証に変わっただけだ。
(普通、QNはそれぞれの国のQCによって創られた領域の繋がりで構築されてる。だから、違う領域に移動するということは、国境を跨ぐのと同じことだから……勿論、現実とは違うから、パスポートの確認などの手続きはほとんどないけど、それでも公共ナビさんから違う領域に移動しますって警告と了承が行われるはずだよね。国が違えばルールが違うし……それなのに、いきなり違う領域に転送されるなどと普通ではありえない。だとすると、さっきのは本当に――)
唐突に尊の前に一人の人物が映った動画が展開される。
その長方形の宙に浮かぶディスプレイは、AR(拡張現実)をVR空間内で再現したVAR(仮想拡張現実)の一種だ。俗にVRA画面などと呼ばれているもので、尊も良く使っているのでそれ自体に驚きはない。
だが、そのVRA画面に映し出された人物が問題だった。
何故なら、直前まで尊を一方的にいたぶっていた白人男性だったからだ。
上半身のみを映したそれで、男は狼のような顔を凶悪に歪めて語る。
「このVRA画面を見ている全ての武装精霊プレイヤーに告げやす。たった今、ティターニアワールドは我々PMScs『フェンリル』により時間加速をおこないやした。これによりVR体と現実体との意識格差が生じ、ログアウト不可能となったことをご理解くだせぇ」