Scene42『それは少年を戦士に変える』
「だ、大丈夫タヒか?」
などと声を掛けられ、ようやく尊はハッとして泣き止んだ。
鼻をすすりながら、視線を向けると滑稽なほどおろおろしている肥満巨漢がいた。
「……」
「……」
目線が合い、気まずい沈黙が場を支配する。
実のところをいえば、尊はタヒ太郎のことを完全に無視はしていなかった。
カナタと話しながらいつでも対応できるように視界の隅にちゃんとその肥満巨漢を入れていたのだ。
相手は、どう思っているかは不明だが、自分を敵として襲おうと追ってきた人物である以上、当然の警戒なのだが、一向に襲ってこないは、心配して声を掛けてくるは、意味がわからない。
勿論、それはタヒ太郎も同様なのだろうが……
このまま沈黙したままではらちが明かないと思った尊は、思ったことを口にすることにした。
「……あなたはなぜ僕を追ってきたんですか?」
「タヒ? それは……頼まれたタヒ」
「我流羅にですか?」
「そうタヒ」
首が脂肪でなくなっているためか、上半身を倒すように頷くタヒ太郎。
「君を倒さなくっちゃ、僕ちんが怒られるでタヒタヒ」
「僕はフェンリルの工作員ではありません」
「工作員タヒ? どういうことでタヒ?」
「理由もわからず僕を追ってきたんですか?」
「そうでタヒ」
楽しそうに頷くタヒ太郎の姿に、嫌な予感に襲われる尊。
「現状、わかってます?」
「なにがでタヒか?」
「ゲームじゃなくなっているって」
尊の問いに、タヒ太郎は上半身ごと首を傾げる。
「なにを言っているでタヒか? ゲームはゲームでタヒよ?」
そのなんの疑いもなく放たれる言葉に、尊は戦慄した。
「げ、現状から逃れるために目をそらしているだけじゃなくって、そもそもゲームの一環だと思ってる? 嘘でしょ? VR耐性は……ああ、ここが仮想現実であるって認識していれば問題ないわけだから、その内部での出来事に対する認識に対しては反応しないのか……いや、そんなことより」
あまりのことに若干ずれたことへと意識が向かいかけたため、尊は頭を振って軌道修正する。
「僕達の強制転送は止められています。その意味、わかりますよね?」
「なにを言っているでタヒ? そういうロールタヒか?」
「本気で言ってます?」
「タヒヒ?」
わけがわらかないといった感じに首を傾げるタヒ太郎。
(これはなにを言ってもダメかも)
そう思いながら、尊には直ぐに戦うという選択肢は取れなかった。
強制転送が封じられ、精霊力がゼロになれば尊もカナタも無防備を晒すことになる。
精霊領域の力がなければ、武器も持っていないひ弱な中学生にできることなどなにもない。一方的に蹂躙されるだけ。
(被害が僕だけなら別に……よくはないけど、まだマシ。酷い目に遭っても、VR体を破壊されてしまえば、今の加速化している状態ならここの記憶は現実に受け継がれない。なにかしらのVR症は発病すかもしれないけど、死ぬわけじゃない。でも、カナタは……死んじゃう)
死。その言葉に尊は強烈な寒気を覚え、力が抜けそうになる。
しかし、カナタはもはや失われるなんて考えたくもないほど強く存在しているのだ。
それが強い思いとなって尊を奮い立たせる。
(守らなきゃ! カナタを守らなくっちゃ!)
そして、ただ一点の感情が、不安定化した心を急速に沈め、ゾーン癖へと導き出す。
ただし、完全には入らずに、意識は外へとしっかり向けられて。
「僕はこの世界での、今の出来事をゲームだとは思っていません」
「タ、タヒ?」
睨んでいるわけでもない、ただただ真っ直ぐ見ただけだが、そこに揺るぎない意志が込められていたためか、タヒ太郎は少しだけ後退る。
「だからこそ、宣言します」
ゆっくり黒姫黒刀改を正眼に構え、剣先をタヒ太郎に向ける。
「ここから先、僕を工作員として決め付け攻撃してくるのなら……容赦はしません」
体格差だけでいえば、タヒ太郎にとって尊は遥かに小さく、一捻りで倒せそうに見える。
だが、それでも、タヒ太郎は再び後退ってしまう。
一週間という短い期間であっても濃い試練の連続は、尊の心を鍛え上げ、戦う人という土台を形作っていた。
しかし、土台ができていても、そこには意志が足りなかった。
少し前まで、尊の心の中には、余裕も他力も本人の自覚のないまま存在していたのだ。
最悪、強制転送がある。例えVR体を破壊されても死ぬことはない。
聡いが故にギルバートのデスゲーム化を即時に見抜いてしまったからこそ、嵌められた罠から半ばまで抜けきってしまったからこそ、必死ではあっても、技量が伴っても、力が手に入っても、尊はただの中学生のままだったのだ。
だからこそ、負ければ失ってしまう状況下に陥った瞬間、尊は戦士となった。
その圧力は、傭兵だというギルバートに比べれば軽いものだろう。
それでも、心底が伴って向けられる絶対の思いは、ただただゲームをしているだけの現状逃避者を圧倒するには十分だった。
「タヒタヒ……」
引きつった笑みを浮かべ、盛大に冷や汗を流し始めるタヒ太郎。
「……今引けば、追いません」
尊が正確にタヒ太郎の心情を理解しているわけではないが、それでも逃げ腰になっているのは目に見えてわかるので、戦闘態勢は解かずに提案する。
その言葉にタヒ太郎はあからさまにほっとし、元来た道、爆発によって開けた穴へと身体を向けようとした。
が、
「タヒヒっ!?」
急に驚くと共に、宙に視線を彷徨わせ、顔を恐怖に歪ませる。
「……VRA?」
「推測します。妖精広場を介したプライベート通信だと思われます」
VRAは共有しようと思わなければ、他人が見ることはできない。
なので、見ている人物から内容を予測するしかないが……
「ご、ごめんなさいでタヒ……も、勿論わかっているでタヒよ……りょ、了解でタヒ」
オドオドと対応した後、ビシッとなって敬礼した。
「相手は我流羅で、逃げるな。かな?」
「賛同します」
二人の推測通りに、タヒ太郎は尊に身体を向き直す。
その目は恐怖に染まっており、尊を見ているようで見ていなかった。
(自分の意思が弱い……というより、ないのかな? 明らかにゲームじゃなくなっているのに、ゲームだと思い込んでいる。思い込もうとしている? ううん。どっちであっても、結局、この人達に言葉は通じない)
思い出すのは、他のでぃーきゅーえぬ達の言動。
(だとすれば、扇動している人をなんとかすることができれば?)
今の状況をどうにかする手段を模索しながら、展開しっぱなしのVRA地図で周囲を確認する。
黄色い光点はない。タヒ太郎を表す光点も、いつの間にか明確な敵を表す赤に変化していた。
尊の認識変化にカナタが対応したのだろう。
もっとも、尊の方から攻撃する意思はない。
(精霊力の回復をしている時間がないのなら、できる限り戦いは避けるべき。なら、言葉で? 通信に対する反応からすれば、こっちの言葉が効かなくなっている可能性が高いけど……)
なぜかその場でぶんぶんと両腕を回し始めるタヒ太郎に、尊は駄目と思いつつ声を掛けようとする。
だが、結論を出すのに少しかかり過ぎた。
「タヒタヒタヒタヒィ~」
口を開くより前に、タヒ太郎がぐるぐるパンチをしながら突撃し始めたのだ。
(ぐるぐるパンチって……)
肥満で巨漢な男が肩から腕を回して突撃してくる光景は、半ばゾーン癖が発動している尊をもってしても顔を引きつらせるものだった。
あまりにも間抜けな姿は一瞬どうすればいいか迷いが生じるが、直ぐに気付く。
「斬撃軌道線が出ない? カナタ!」
視界の中にいつもなら言わなくても出てくる青い半透明の線が出てこない。慌てて後ろに飛び、拳の間合いから離れる。
「回答します。隙がありません」
「え? あ、あんな攻撃で?」
ただただ振り回しているだけのシンプル過ぎる攻撃。
だが、
「説明します。武装化武器である籠手に精霊魔法を探知。僅かに触れれば爆発すると推測されます」
「それは……迂闊に近付けないね」
壁を走りながら破壊しているということは、あの巨体が通れるほどの穴を開けられる威力ということになる。
そんな威力、そう何度も受けられるものではない。
(腕の届かない範囲に攻撃すればいいかもしれないけど、そこまで低い位置への攻撃をするにはあの腕を潜り抜けなくてはいけない。沈みながら斬ろうとしている間、向こうが攻撃方法を切り替えないなんて保証はないし……レーザーは壊れているし……どうすれば……)
咄嗟に解決策を思い付けるほど、尊、いや、カナタの中に材料はなかった。
しかし、迷っている時間はない。
何故なら、ここは通路だからだ。
「警告」
タヒ太郎の足がほのかに赤く輝き出す。
「高速移動魔法です」
カナタが言い切ると同時に、小さな爆発が起きた。
尊の全身を包み込む赤い攻撃予測線と共に。




