Scene41『仮想の中に存在する死』
「カ、カナタは情報生命体だよね? バックアップとかないの?」
「否定します。私達ほどの常時高度で密度の高い情報蓄積と変更を続けている情報生命体では、バックアップを取ったとしてもその瞬間から、そのバックアップは別人となります。仮にそのバックアップを使って修復したとしても、それを自己だと認識できず、最悪は自我崩壊を起こし、消滅します」
「どうして、そんな危ない状態になってるのさ!」
「回答します。通常のティターニアワールドであれば、強制転送は正しく機能し、精霊力がゼロになった状態で危害が加えられれば緊急帰還が発動しますので問題はありません」
「緊急帰還? 武霊はQCティターニアの中じゃないの?」
「肯定します。武霊ごとに小型QCが割り当てられ、そこから量子通信を使って接続しています」
「じゃあ、本体はその小型QCにあるってことだよね? だったら、ここで死んでも大丈夫なんじゃ?」
「否定します。小型QCはあくまで基礎であり、人でいえば心臓にあたります。故に、どちらが失われても私という個人は消滅し、小型QCは新たに生まれる次の武霊の心臓となるでしょう」
「……」
淡々と己の消滅を語るカナタに尊は絶句するしかない。
そして、同じように黙ってしまっている人物がもう一人いた。
壁を壊して派手に現れたタヒ太郎だ。
どう考えても即戦闘になるような登場の仕方なのに、少し視線を向けられただけで無視されてしまった彼は、所在なさげに通路の真ん中に立っていた。
「タヒタヒ……」
小さく変な笑い声を上げながら、どうしたらいいのかわからず視線をさまよわせ、両手をわきわきさせながら上げようとしては下げを繰り返す。
そんなタヒ太郎を一瞥すらせずに、尊とカナタの会話は続く。
「緊急帰還はどうして使えないの?」
「回答します。マスターと同様の理由です。QCティターニアとの情報速度の違いから、通信回線が安定して合わせられず、大規模なデータ移動が行えません」
「無理に行えば?」
「予測します。構成データがバラバラになり崩壊するでしょう」
「僕よりカナタの方が危険じゃないか!」
それは尊が初めて見せる激昂だった。
刀の状態のカナタを叱るように、それでいて悲しむように手元を見て怒鳴る。
「どうして教えてくれなかったの! そんな大事なことを!」
その感情にカナタは戸惑ったのか、返答はない。
代わりに無視され続けているタヒ太郎が、ちょっと後退りして余計に所在なさげになっている。
勿論、彼の存在など気にもせずに尊とカナタの会話は続く。
「……回答します。聞かれなかったからです」
「こんなにも大事なことなのに?」
尊には半ば予想していた答えだったが、それでも言わずにはいられない。
「否定します。大事なことではありません」
「そんなことない! 君は大事だよ!」
「半ば同意します。確かに私の中にあるデータは――」
「違う! そんなことじゃない! カナタはカナタだから大事なんだ!」
「理解不能です。私は生まれたばかりの情報生命体であり、私という個体が失われても、代わりとなる個体は直ぐに生み出されます」
「でも、それはカナタじゃない!」
「肯定します」
「カナタの代わりなんて……例え、同じことができる武霊さんだったとしても、できるはずがない! 僕と一緒にフェンリルから逃げて、狭間の森を抜けて、ペケさんと戦って、地下から脱出して、会議に出て、に、逃げて……」
言葉にすれば短いが、それでも濃く強烈な一週間が、そこから続くと、続かせると思っていた未来が、失われる。それをカナタ自身はなんてこともないように伝えず、淡々と語るのだ。
そして、いくら自分が言っても、彼女自身がそれを理解し、納得することは、少なくとも今はない。
尊はそうわかってしまったからこそ、言葉に詰まり、目に涙が出る。
それを見ていた外野が余計におろおろとしているが、どうでもいい。
カナタは尊の言わんとしていることを理解するためか、それともどう反応していいか戸惑っているのか、無言になる。
故に、ただただ尊が泣きじゃくる声だけが地下に響く。
「……この子は武霊を人と同じ、自分と同じ存在だと思っているのだな」
未だに臨時会議室に閉じ込められている鳳凰は、目の前の光の壁を大盾で叩きながらつぶやいた。
その視線は、自分の視界に展開している妖精広場のライブ映像に向けられており、この場にいるギルド長達も全員同じようにしている。
これまで尊の奮闘をはらはらとしながら見ていたギルド長達だったが、タヒ太郎との邂逅から始まった尊の様子になんともいえない表情になっていた。
「うちらの認識とはずいぶんとまあちゃうわね。尊ちゃんは、武霊がゲーム用に仕様変更されとるって知らんのかしら?」
目にも止まらなぬ速さで仕込み杖を抜刀、納刀を繰り返している八重の言葉に、鳳凰は頷く。
「巻き込まれただけなら、プレイヤー間での常識は知らないだろうからな。その可能性はある。そもそも、感情豊かな普通のナビと接していれば、そんな違いがあると普通なら思わない」
彼女達にとって、いや、多くのプレイヤーにとって、武霊はゲーム用に調整されたナビだった。
だからこそ、彼ら彼女らは自分以外のプレイヤーの命令や指示を聞かず、関心を抱かず、ただ寄り従い、自主性がない。
多くの武霊がプレイヤーからなにかあり、もしくはするように言われて初めて行動に移すため、一部の者達からまるで物のように扱われることすらあるほどだ。
「尊の武霊が人型だからなのだろうか?」
「ん? 鳳凰のとこんは人型やないの?」
「ああ、違う」
「今度見せてえな」
「今回の件が無事に終わったらな」
「そやね。ん~今更やけど、他の武霊を見たことってあんまりないんよね」
「主以外と口を利かない武霊を出してもあまり意味はないからな。なにより、VR体保護設定などが存在しないティターニアワールド内では、武装化していない状態というのは危険極まりない。だからこそ、自分達が安心できる場所以外で、本来の姿を現して主の隣にいるなどということをプレイヤーは勿論、武霊自身も望まない」
「やのに、カナタちゃんはあっさり姿を現してたわね」
「致し方ない状況だったのだろう」
そんな会話をしている鳳凰達の後ろでは、髪カチューシャ白衣美人がなにならガチャガチャとルービックキューブのようなものを動かしていた。
一見するとシールド破壊に参加せずに遊んでいるように見えるが、その表情は必至であり、周囲の者達もたまに焦れたような表情をちらちらと彼女に向けている。
もっとも一番近くにいる二人は気にしていないのか、意識しないようにしているのか一切顔を向けていないが。
「しっかし、どんだけシールドを組み込んどるんやろうな? ギルド長全員で攻撃しても、一向になくならんし」
「せめて閉鎖空間でなければな……」
「うっかり精霊魔法つこうて誤爆なんて洒落にならんしな」
ギルド長達を閉じ込めているシールド魔法は、ハチの巣のように六角形に多重展開されている上に、大きさは小指ほどもないほど極小だった。
このため、シールド破りである小さく威力のある攻撃を連続で当てるという方法がうまく取れない。
しかも、シールドの魔力切れを防ぐためか、光の壁の内部でシャッフルが行われているらしく、一定時間たつと新しいシールドに切り替わるというおまけ付きだ。
加えて、精霊魔法は使えば威力は高いが、属性によっては現象が残ったり、反射したりするため、この場では使い辛い。結果として武装化武器を使っての攻撃が一番安定してシールドを壊せるということになっているのだ。
休みなく攻撃を続けているため、着実に外に向かって進めてはいる。が、相手がどれほどシールドを展開しているのか空間断絶の一種であるために探知領域でも調べることができず、不安が募るのを抑えられない。
そんな周りの雰囲気を察してか、八重は微笑んで見せる。
「とりあえず、状況は好転しとるんや。ゆっくりととは言わんでも、焦る必要はあらへんやろ?」
「確かに、今の状況なら強制転送されても向こうで尊が酷い目に遭うことはないだろう」
フェンリルによって尊だけが強制転送を止められているとは知らないギルド長達は、その言葉で少しだけ空気が軽くなった。
「しっかし、大した子やな。うちんギルドに入らんかしら?」
「いや、八重のところにあの子を入れるのは可哀想だと思うのだが?」
「なんや? うちんところはあのアホ共とはちゃうわよ?」
「方向性が違うだけで、危険度はむしろ戦の聖人の方が高いと思うのだがな?」
鳳凰の言葉に同意するかのようにギルド長のほとんどが頷く。
「そうなん?」
「八重とは一度話し合う必要がありそうだな……」
自覚が薄い八重に鳳凰がため息を吐いた時、ライブ映像の状況が変化し、緩やかになっていたギルド長達の空気が凍り付いた。
ライブ映像の中の尊が言ったのだ。
「僕達の強制転送は止められています。その意味、わかりますよね?」
っと。
一瞬の静寂、誰もがシールドを攻撃するのを止めていた。
だが、鳳凰が猛然と振り返ると同時に、それまで以上の速度でシールドを攻撃し始める。
「まだか!」
鳳凰に呼び掛けられた白衣美人は、額に汗を流しながらルービックキューブを懸命に動かす。
「もう……ちょ……っと! 出来た!」
白衣美人が叫ぶと共に、ルービックキューブがバラバラに崩れ、その中から白い小さな球体が現れる。
その現れた紋章魔法には、『穿』と書かれていた。




