Scene40『重なり連鎖する危機』
でぃーきゅーえぬの包囲網から尊は難なく抜けることができた。
勝手に瓦解しているため一度も接触することなく駆け抜けられたが、だからと言って問題がなにもないかというとそうではない。
(二割減ってところかな?)
視界の中に表示される精霊領域ゲージは、満タンの状態から明らかに減っていた。
使用割合やタイミングなどをコントロールして効率よく節約してはいても、全力で逃げるために常に精霊領域補助を使っている。そんな状態ではどんなに工夫しても、精霊力の減少は抑えられないのだ。
(可能なら武装化解除して回復を図りたいけど)
(拒否します。現在の状況では武装化していなければマスターの安全を確保できません)
(うん。わかってる。だとすると、精霊領域のオフが限度かな?)
既に武装化中でも精霊力を僅かに回復できるのは確認済みなので、選択肢の一つとして考える尊。
だが、それにカナタは難色を示す。
(抵抗します。推奨できかねます)
(まだ逃げ切れたと判断できるほど離れていないってこと?)
(肯定します)
(でも、探知領域の反応がないから、向こうはこっちを補足してないよね?)
(肯定します。強調します。ただし、ある程度の位置は知られている可能性が高いと推測します)
(まあ、高速移動魔法を使えるわけじゃないからね。どうしたって、逃げる範囲は限られちゃう。だからこそ、どうせ捕捉されているなら無駄な消費はできる限り抑えた方がいいと思わない?)
(納得します。なるほど)
(まあ、武装化していない状態より回復量は遥かに落ちるけど、常時マイナスより、多少なりともプラスになるほうが断然いいしね)
(理解しました。それでは精霊補助を止めます)
(うん。お願い)
尊の足に生じていた僅かな輝きが段々と落ち始め、それと共に速度が緩やかに落ち始める。
走る速さが本来の自分のものに近付くと共に、身体の重さをいつも以上に感じ始めた尊は苦笑した。
(領域補助なし直後だと、自分の足の遅さが際立つよ)
(肯定します)
(いや、肯定されても……)
どうにも正直過ぎるカナタにもう一度苦笑しながら、完全に領域補助が切れると同時に歩きに切り替える。
なんの補助なしの全力疾走だと直ぐにわき腹が痛くなることを重々承知しているからだ。
ついでに必要がなくなったので思念会話を止めつつ、VRA地図を確認。
「できれば魔物さんがいるところまで行って、攪乱してもらいたいけど……さっきから反応ないよね?」
地下に再び入ってから、プレイヤーを表す黄色い光点は確認できても、魔物を表す赤い光点は一度も目撃していなかった。
地上に戻る際にそれなりの頻度で魔物を確認できていただけに不自然さを覚えるが、その理由は直ぐに思い付く。
「でぃーきゅーえぬさん達が狩り尽くしたってことかな?」
「賛同します。事後報告します。地図上には反映していませんが、いくつかの場所で守り人などの残骸や戦闘痕を確認できています」
「そっか……地下二階にいる程度の魔物さんじゃ、武霊使いの相手じゃないってことだよね。まあ、魔法を使えない僕達ですら倒せるぐらいだし……となると、逃げる先は守蜘蛛さんがいる先が最適かな?」
などと口にしながら、尊はちょっとだけ背筋を寒くさせた。
うっかりレーザーを当てて追い回された時のことを思い出したのだ。
「疑問提起します。どうやって守蜘蛛を突破するのですか? 現状、どのプレイヤーも突破したことがない魔物相手に」
「それについては……ちょっと考えがあるよ」
なにか妙案でも思い付いたのか、ニヤッとした尊は思考制御でカナタにそのイメージを伝える。
しかし、彼女から疑問はそれだけではなかった。
「追加します。仮にマスターの考えがうまくいったとして、地下四階は未知の領域です。現在入手できる情報は構造までであり、それも過去のです。現在地下四階がどうなっているか不明であり、また、その階層から構造も変わるため、地下三階が無傷であっても、その下が同じであると考えるのは軽率なのではないでしょうか?」
「妖精広場の情報?」
「肯定します」
「そっか……そうだね。情報がない中、突っ込むのはただの無謀だよね。だとしたら、守蜘蛛さんを利用できる位置に移動するのが限度かな?」
「賛同します。地下三階への最短ルートを提示しますか?」
「うん。お願い」
方針が決まった尊がカナタの表示するルートへ足を向けようとした。
その時、尊の耳に爆発音が入る。
耳をつんざくほどではない、遠くから聞こえる場合によっては聞き逃してしまうほどの小さなものだった。が、地下の分厚い天井を吹き飛ばすほどの爆発にさらされたことがある尊としては、どうしても反応してしまい身体が硬直して立ち止まってしまう。
「振動確認。位置を特定」
尊の危機感を感じ取ったカナタによりVRA地図上に爆発が生じた方向が矢印で示させる。
「こっちで爆発?」
逃げてきた方向からのものであったため、尊は小首を傾げる。
「また別のふざけを始めたのかな?」
直前のてぃーきゅーえぬ達の行動を思い出し、そう考えてしまう尊だったが……
「否定します」
カナタの言葉と共に、新たな爆発音が聞こえた。
しかも、立ち止まっていたためか僅かに床を通して感じる振動のおまけ付き。
それが、間隔短く立て続けに起き始めた。
「少し大きくなってる?」
段々と大きくなっていく音と振動に嫌な予感を覚えていると、それを確定するかのようにVRA地図上に黄色い光点が現れる。
「詳細確認。爆発の精霊魔法を使用してショートカットしているようです」
「壁を爆砕しているってこと!?」
「肯定します」
「強引過ぎる! 補助を再開して!」
「了解しました」
尊の足がほんのり輝き出すと共に駆け出すが、追ってくるプレイヤーも探知領域でこちらの動向を把握しているのか、その速度を上げ出す。
連続する爆発が絶え間なくなり、しかも、通路通りに逃げている尊に対して、向こうは壁を壊して真っ直ぐ向かってくるのだ。
尊がいくら速度を上げても、徐々に距離が詰まり始める。
(こっちも壁を壊せなくもないけど……)
再び人体の限界を超えた速度で走り出したために思念会話に切り替え、カナタもその必要はなくても合わせる。
(否定します。マスターでは時間が掛かり過ぎます)
(だよね)
刀で切り裂く以外の壁の抜き方を持っていない上に、それをするにも一回止まる必要がある。
そんなことをすれば瞬く間に追い付かれてしまうほど相手は速い。
真っ直ぐ続く通路を領域補助によって飛ぶように走りながら、尊は目をつぶり逡巡。
直ぐに目を開くが、その視線はどこも見ておらず、思考からは戻っていない。
(カナタ。追ってくる人は一人だけ?)
(肯定します。捕捉します。少なくとも私が探知できる範囲内では)
(可能性を考えれば、このまま逃げ切るのが正解とも言えないね。妖精広場の状況は?)
(確認します。議論は起きていますが、直接的に動こうとしている者達はいません。また、マスターの追い攻撃したプレイヤーに一切直接攻撃せずに逃げ切ったことによって、工作員疑惑がフェンリルの工作ではないかという流れになりつつあります)
(それについてのアンチはいる?)
(肯定します。ですが、ログを確認したところ、その数は仕掛けられた時から比べて激減しています)
(ギルド長さん達は?)
(不明です。一切そのことに関する書き込みはありません)
(とすると、フェンリルの介入があるってことだろうね。でも、ギルド長さん達が脱出すれば、例え妖精広場が使えなくても一気に状況が僕の味方になる)
(提案します)
(うん。なに?)
(自傷により強制転送を起こすべきです)
(確かに今の状況から抜け出すにはその方が確実かもしれないけど……狭間の森にいるプレイヤーが書き込んだと思われる妖精広場の情報ある?)
(否定します。ありません。ですので、考察しました。安全である可能性が高いと思われます)
(ギルド長さん達の情報が封鎖されているから?)
(肯定します)
(うん。そうだね。状況からして、ギルド長さん達自身と助けに動いた人達の書き込みを禁止しているってことだから、フェンリルにとって都合が悪いことをプレイヤーさん達全体に伝えないようにしているのは間違いないよね?)
(肯定します。ですので、同様に情報封鎖がされているであろう狭間の森の状況は、こちらとは逆であると考えらます)
(そうだね。僕も同じ考えだよ)
(再び提案します。でしたら直ぐに強制転送するべきです)
(そう……だね……)
なにかに引っ掛かりを覚えながら、尊は自分の自分に刃を向けるために黒姫黒刀改を抜く。
鋭利な刃にためらいを覚え、ふと思う。
(精霊力の消費だけなら別の方法でもよくない?)
(否定します。最短で削るためには、最も攻撃力が高い刃による自傷が最適です)
(にゃ~)
飛ぶように走っているため激しく揺れる刃に恐怖以外の感情を抱けない尊だったが、
(今の状況から考えると、これ以上ここにいるメリットはなさそうだね。万が一、捕まってしまった場合、僕を巡っての争いが起きるかもしれないし、倒されて強制転送したとしても、誤認によってプレイヤーが倒された事実がプレイヤー間のしこりになってしまう)
そう自分に言い聞かせながら、刃を安定させるために刀身にも左手を伸ばし、両手で最も斬りやすい喉へと近付ける。
(促します。追従しているプレイヤーとの接触まで後僅かです)
(わ、わかってるけど……なかなか勇気が……)
ともすればカナタとの会話すらままならなくなりそうなまでに大きくなった爆発に、二ブロックしか隔てていないVRA地図上の黄色い光点。
(迷っている時間はない。だけど、なんだろう? 妙に引っかかる)
改めてそう思った尊は、どこに対してなのかを考える。
(狭間の森の安全性については、確かめようがない以上、どうしたって不安は残る。でも、明確にその不安をわかっているわけだから、引っかかっているってわけじゃないよね? だとすると、これに関係する……強制転送?)
ふと尊は嫌な予感に襲われる。
(カナタ! 直ぐに強制転送に関するシステムチェック!)
(了解しました)
命令に即座に応じたカナタだったが、いつもと違い直ぐには答えない。
僅かな間だったが、それで尊は確信してしまう。
(警告します。強制転送が停止させられています)
(やっぱり! 転送先を変えられるのなら、それぐらいできて当然だっていうのに、今気付くなんて!)
(慰めます。VR体の安全に関わることですので、転送先を変えることと、停止することではシステム的深度が違いますので、実際に確認しない限り想像することは不可能だと思われます)
(それって慰め? とにかく、まずいよね!?)
(肯定します。精霊力が切れれば、武装化が解除された状態のままになります)
(そんな状態で魔法を受けたら……怪我だけで済まないよね)
(肯定します)
尊は人生で大怪我をしたことがない。勿論、子供の頃に軽い擦り傷や打撲など負ったことはあるが、両親に大事に育てられ、あまり積極的に人とかかわってこなかったが故に、痛みとは無縁な生活を送ってきていた。
だからこそ、想像が付かない。
硬い壁を壊すほどの攻撃を受けた場合、その痛みはどれほどのものか。
ただただ未知の恐怖からぞくっと背筋が寒くなり、思わず両手を強く握り掛け、慌てて左手を離す。
(危ない、無駄に精霊力を消費す――)
まじまじと黒い刀身を見て、尊はふと思った。
(僕が死亡するほどの怪我を負ったら、緊急強制ログアウトシステムが発動する可能性は高いけど、カナタはどうなるの? 武霊というかナビも、この世界だと僕達と変わらないよね? 足も痺れていたし)
つい一週間前にカナタの身に起きた生理現象を嫌な予感と共に思い出す。
そして、返ってきた答えは、それを確定させるものだった。
(肯定します。マスターと同様に精霊力切れを起こしている私は無防備です)
「それって――」
直前の自分が大怪我を追う可能性以上の恐怖を覚えながら、ある可能性を思わず口にしようとした時、ひときわ大きな爆発音と共に、前の通路が吹き飛ぶ。
急停止し、爆発の影響から逃れるために後ろに飛んで着地すると共に、尊の耳に奇妙な笑い声が入る。
「タヒタヒタヒタヒ! ようやく追い付いたタヒ」
煙で満たされた中からゆっくりと姿を現したのは、尊の三倍以上はありそうな肥満巨漢だった。
「覚悟するタヒよぉ~!」
窮屈そうにアメリカンフットボールのプロテクターを身に着けた肥満巨漢は、その両手に赤銅色の刺々しい籠手を身に着けていた。
尊の視界の中に、籠手に対して矢印と武装化武器という表示が出る。
(籠手の武装化。属性は爆発?)
(肯定します。妖精広場にてプレイヤー名確認。タヒ太郎です)
(変な名前……じゃなくって!)
目の前に現れた明確な敵。だが、そんなことは今の尊には些細なことだった。
視線をタヒ太郎から黒姫黒刀改に向け、問う。
「カ、カナタが死んだらどうなるの?」
返ってくる答えを確信に近い予想をしながら、抑えようもなく尊の声が震える。
(聞きたくない。でも、聞かなくちゃ!)
そんな心情を感じているのかいないのか、カナタは即座に答えた。
「回答します。私達武霊はティターニアワールドに直接的に存在しているため、修復不可能なほど破壊されれば私は消滅します」




