Scene39『でぃーきゅーえぬ』
VRA地図上でカナタの探知領域外から絶えることなく放たれる黄色い波紋。
最初それは尊が逃げる後ろからのみしか生じていなかったが、段々と横にずれだし、囲い込みが始まり出す。
(広がるのが早い? ということは、高速移動魔法を使っているのかな?)
(肯定します。妖精広場の記事を検索した結果、高速移動魔法を利用した集団移動方法が存在するようです)
(ここは直線的な場所も多いしね。ん? でも、高速移動がちゃんと使える人達って少ないって話じゃなかった?)
(推測します。あくまでちゃんと使える者を対象にしているとすれば、強引に使うことは可能だということだと思います)
(精霊領域の絶対性を利用しているわけか……でも、それって精霊力の消費が飛んでもないはずだったよね?)
(肯定します。強調します。ただし、成長した武霊であれば可能であると推測できます)
(増大した精霊力で強引に?)
(追加します。あるいは、高速移動魔法に特化した形で成長したか、です)
(そうすると言われているより多くの高速移動魔法の使い手がいるかもしれないね。効率は物凄く悪そうだけど、集団で利用するのなら役割を分担することもできるだろうし……だとすると、直接的に地下三階へ降りるのは危険かな?)
(同意します)
精霊領域補助による全速力で前へ前へと進みながら、思考制御による思念会話をカナタとする尊。
今いる地下二階は地下一階ほど荒れ果ててはいないが、それでも時折守護の大樹の根や瓦礫などが現れるため、会話していると急動作を要する時に舌を噛みかねないからだ。
領域補助による速力は下手な乗り物より速く、その分だけ急な動きはし辛い。
勿論、カナタによる探知領域を使えば行く先の状況をある程度は知ることはできる。が、カナタと尊はいくら武装化して一体化しているとはいっても、結局は別々の個人であるため、思考制御を用いてもその情報伝達には時間差がどうしても生じ、齟齬も生じてしまう。
一週間ずっと共にしてそれも大分少なくなってきてはいるが、それでも高々七日間であり、基本的に守り人ペケさんと戦うだけを繰り返していただけなので、互いにまだ唐突なことに対する対応に慣れがないのだ。
加えて、状況、環境から考えて、戦闘が避けられない可能性がある以上、出来る限り無駄なことに精霊力を消費するわけにもいかない。
そういう事情がある故に、尊の走りは地上で行った時より慎重さが出ており、高速移動魔法を多用しているであろう追手達を振り切れないどころか、段々と追い詰められ始めている。
もっとも、ただ単に後ろから追ってくるだけなら、まだ逃げ切れる可能性はあった。
しかし、
(報告します。前方からも探知領域反応)
「にゃっ!? まとまって行動してなかった!?」
新たに進行方向上から黄色い波紋が生じ始めたことに、思わず声を出してしまう尊。
てっきりギルド単位で地下ダンジョンを攻略しているものだと思っていたのだ。
(って、そういえば、ギルドって体裁は取っていても、全員が好き勝手に動いているんだったけ……これはちゃんと調べないと逃げるも戦うも危ないかも……カナタ。お願いできる?)
(了解しました)
走りながら、ただし、幾分かスピードを緩めつつ、カナタが展開してくるVRA画面を見て頭の中で纏める。
(ギルド名『でぃーきゅーえぬ』。
元々は第三次世界大戦前まで主流だった電子ネットワークに無数に存在していた電子掲示板『でぃーきゅーえぬ』を現代に引き継ぎ復活させた者達の集まり。
でぃーきゅーえぬは、量子ネットワークに移行した大手の掲示板とは違い、多くが利用せず廃れているからこその利点を最大限悪く利用し、QNであれば取り締まりの対象になるようなことも平然と書き込み、今いるヘビーユーザー達は犯罪者一歩手前か、捕まってないだけで犯罪者とほぼ同じ思考の持ち主になっている。
掲示板でぃーきゅーえぬの利用者全てがVRMMO武装精霊をプレイしているわけではないが、その数は現在最大勢力である盾の乙女団に次ぐほど。
判明しているギルド団員数は、千九百七十六人。
その多くがなにかしらのトラブルをサービスが始まってから一か月という僅かな間に引き起こしており、盾の乙女団から要注意ギルドとしてマークされていた。
そして、そのギルド長である我流羅と名乗っている人物は、自分達にとって更に都合のいい環境を作り出すためにフェンリルの工作員になって僕を利用してプレイヤー達を嵌めようとしている。
QCティターニアの人格ナビを救出する作戦の失敗と、一週間の間続いている成長する自動兵器との終わりなき戦闘。共通する脅威に対して急遽まとめられた臨時ギルド同盟では、これ以上の負荷は……特にプレイヤーがプレイヤーを疑い実際に傷付けることが起きてしまえば、薄氷の信頼は砕け散り瓦解は必至。
プレイヤーがバラバラになれば、フェンリルが望む自動兵器の人による運用ノウハウの構築がしやすくなり、でぃーきゅーえぬも己の悪意をバラまきやすくなる。
互いに利害が一致しているように見えるけど……)
無数に展開されているVRA画面の中から、でぃーきゅーえぬ発行のクエストをもう一度見る。
何度見てもさっぱり意味が分からないが、改めて集めた情報から推測はできた。
(つまり、これは電子ネットワーク時代に使われていたネットスラングなわけだね?)
(確認します。マスターはネットスラングを知らないのですか?)
(ん~……ネットはよく利用するけど、そういうのを使う人達が集まるところは利用したことがないからね。それに、自動翻訳で勝手に修正されてしまうことだってあるし、未成年者保護システムも効いているはずだから、意図して触れようと思わない限り今の時代はネットスラングを知る機会はないかもしれない。実際、ネットスラングって単語は知ってても、今のネットスラングがどんなものか知らないし)
(理解しました)
(ちなみにカナタは翻訳できないの?)
(不可能です。QNから断絶されている状態では、翻訳ソフトを入手できません)
(だよね。まあ、僕をこ……倒すことに同意しているのは追ってくることからわかるから、別にここに書かれていることは知る必要はないか……問題なのは、この同意したギルドメンバーの人達が、どこまで我流羅って人の密約を知っているかだね)
(確認します。何故でしょうか?)
(うん。フェンリルの思惑が成就すれば、現実世界が戦争世界になるわけでしょ?)
(肯定します)
(ネット住人である彼らがそんなこと望むかな? 現実が平和だからこそネットは使えているんだろうし、実刑を受けてないのならあくまで彼らの悪意は仮想上でしかないわけで……それが失われることを望むのか疑問なんだよね)
(推測します。戦争に身を投じてみたいのでは?)
(わざわざここで悪意を実現させようとしていることからすれば、本当に死ぬかもしれないことなんて妄想はしても望まないんじゃない? 犯罪者一歩手前か、捕まってないだけで犯罪者とほぼ同じ思考とまで言われるぐらいまでに至っているのに、そこで踏み止まっているのは、つまりそういうことなんじゃないかな?)
(理解しました。では、追ってくる彼らに真実を話しますか?)
(と思ったんだけど、改めて考えてみると、無駄かもしれないね)
(確認します。何故でしょうか?)
(現実では慎重に生きているだろうけど、ここでは刹那的にプレイしているみたいだからね。先のことを考えれば、そもそもトラブルを起こすなんてしないだろうし。その時楽しいんであれば、なんでもいいと思っているのであれば、地上で手斧持っていた人みたいにはならないと思う。というか、ちゃんと今の状況を認識できているのかな?)
VRA地図上では既にプレイヤーを表す黄色い光点が現れており、その多くが一塊に纏まり、目にも止まらぬ速さで一直線に移動していた。
ただ、どういうわけか通路の行き止まりで固まっていた光点がばらけて止まることが多く、尊の首を傾げさせる。
(……もしかして、上手く止めれない?)
(追加します。あるいは止まる気がないかと)
尊の予測にカナタが添えると共に、VRA地図上で下にある高速移動中の光点の集まりが丸で囲まれ、更に探知領域で拾ったと思われる音声を精霊領域で再生する。
「ヒャッハー! イケイケ!」
「って、止まれやバカが!」
「ギャハハハ! 止まり方なんか知るか!」
「うおおおおお! ぶちゅかるー! ヒャッハハハッ!」
などと聞こえる声と共に光点の集まりが行き止まりにぶつかって飛び散る。
「ヒャッホー超面白れぇー」
「もう一度だもう一度!」
「よっしゃー!」
ばらけた光点が直ぐに集まって、高速移動を始め、なぜか地図上から消えていった。
(……もしかして、クエスト忘れてる? 自分のギルド長からの直々なのに?)
よくよく見れば、地図内の光点はほとんどが同じように動いており、尊に向けて移動していない者達がかなりの数いるようだった。
地図から消えては現れを繰り返している集団もいれば、同じ位置を行ったり来たりしている者達。勿論、中には真面目に尊の下へと向かっている者達もいるが、互いに連絡を取ってないのか、高速移動でニヤミスをしたり、わざとやっているのじゃないかと疑いたくなる頻度で衝突している者達もいる。
(確認します。彼らはなにをしているのでしょう?)
カナタのもっともの疑問に、尊は困ったように眉を顰める。
(多分だけど……僕を追っている内に、集団高速移動は楽しくなっちゃったんじゃないかな?)
(感想をいいます。不可解です)
(それは僕もだよ)
わけのわからない行動をし出したでぃーきゅーえぬ達に困惑しつつ、それによって生じた隙を利用して出来つつあった包囲網を突破する尊だった。
「はっ! 思った以上に使えねぇ連中だなぁ」
地下一階を歩きながら我流羅は唾を地面に吐き捨てた。
妖精広場に投稿されるライブ映像で、次々と自身のギルドメンバー達がふざけだしていることを確認したからだ。
「ちっ。やっぱり扇動はできてもぉ、これ以上は難しいかぁ……根本的に逃げ癖がある連中だしなぁあ」
イライラとつんつんしている自分の頭を掻く我流羅は、灰色の革製鎧も青い短槍も装備していなかった。
ただ、その背後には髪も目も肌も着ている着物も全てが異常なほど白い女性がいる。
まるで雪女のようなその女性は、ただ黙って我流羅に付き従っていた。
「まあぁ、あの二人は念入りにけしかけといたしぃ、時間稼ぎだけなら十分かぁ……問題はその後かぁ? ちっとは組織的に動かせねぇとつまんねぇだろうしなぁ」
などと一人でつぶやき続ける我流羅に、雪女は一切反応しない。そのため、その言葉は別の方向から発せられた。
「既に自分が勝つことを前提にしていますの?」
我流羅の進む前にあった十字路右側から、音もなく白ゴスロリな少女が現れる。
「へってめ――」
地上の会議室から行方をくらましていた本物のフェンリル工作員ににやりと笑おうとして、我流羅の顔が途中で引きつった。
それまで後ろにいた雪女が我流羅を守るように前に出たためだ。
「それがあなたの武霊で――」
白ゴスが問いを発し切る前に、我流羅は動き、その言葉を止める。
我流羅が憤怒の表情になって背後から雪女を張り飛ばしたのだ。
重い打撃音と共に壁に叩き付けられ、床に倒れる。
目を見開いて驚く白ゴスを無視して、我流羅は力なく横たわる雪女の頭を踏み付けた。
それは音がなるほど強烈なものであり、赤い血すら床に染み出す。
「なに勝手に動いてやがるぅ?」
何度も何度も頭を踏み付け始める我流羅に、それをなすがまま悲鳴すら上げずに無抵抗に受け入れる雪女。
「よくそんなことをできますわ」
白ゴスのその言葉は平淡なものだったが、その声を聴いた瞬間、我流羅はその振り上げた足を止めてしまう。
「あん?」
自分の行動に疑問を抱きつつ白ゴスを見ると、彼女は微笑んでいた。
「フェンリルからの最初のプレゼントですわ」
表情を固定したまま用件だけを伝える白ゴスに言い知れぬなにかを感じたのか、黙って足を床に下し聞く。
その内容は我流羅にとって願ってもないものだったが……
「はっそんなことができんならさっさとやりゃよかんじゃねぇのぉ?」
「VR法に深く抵触するシステムに介入するのは大変なのですわ。できる数も限られ、時間も掛かりますの」
「そうかよぉ。いつまで倒れてやがんだぁ! さっさと立てぇ!」
我流羅は白ゴスを鼻で笑い、自陣の武霊の腹に蹴りを入れる。
のろのろと立ち上がり、頭を血で濡らしながら雪女は主の後ろに戻った。
「まあぁ、そんだけやってくれならぁ、こっちも気合入れて殺らねぇとなぁ」
面白そうに高笑いを上げながら、白ゴスの横を抜けて奥へと進む。
その後ろを黙って付いて行く雪女に白ゴスは視線を向けながら、小さくため息を吐いた。
「どこにでもいますわねゴミクズは……」
なにかを思い出したかのように遠い目をした白ゴスは、現れた時と同じように音もなく姿を消すのだった。




