Scene36『踊り踊らされ』
強烈な浮遊感と、飛び出した勢いによる風圧が尊を襲う。
八重やギルバートに抱えられていた時は、空を飛ぶ手段があったが、今回はそういうのがない。
(ひっ! こ、怖い)
ので、ビル窓から飛び出した時にかなりの恐怖が生じる。
(っで、でも!)
精霊領域補助によって強化された脚力をもってすれば、隣のビルに届くことも可能。なはずなのだが、半ばでなぜか失速し始める。
(うっ! もしかして躊躇っちゃったかな? って、そんなことより! 精霊領域を変形させて!)
(了解しました)
薄っすらと光り輝く膜が尊の背中に生じ、翼のように展開される。
ビルによって発生する風を捕らえ、始まりかけた降下が緩やかになった。が、それどころか一気に急上昇した上に、右に流れ出す。
「かっ、カナタさん!?」
「謝罪します。申し訳ありません」
「うにゃにゃ!? ぶつかるぅう!」
窓ではなく壁へと進路が変わってしまい空中で慌てるに反応して、精霊領域がパラシュートのように変化し急停止してしまう。
が、
(届かない!?)
結果として僅かに辿り着けず、真下へと急降下し始めてしまう。
(だったら!)
片手で持っていた黒姫黒刀を両手に持ち替え、思考制御でカナタに指示する。
(流れるビルに対して斬撃軌道展開。刀身を突き刺して落下速度を殺しながら、このまま下に降りるよ!)
(了解しました)
尊の無茶な要求に、カナタは即座に応える。
風圧の影響を精霊領域で相殺し、引力属性付与によって壁へと近寄らせ、振りかぶった刀を深々と壁に突き刺させた。
だが、黒姫黒刀改の異常な切れ味のためか、落下速度は全く変わらず、壁を切り裂き落ちる。
「こ、このままってことはないよね?」
「否定します」
カナタの言葉と共に、体感で分かるほど段々と落ちる速さが変わり、両足が地面に着く頃にはなんの衝撃も感じないほどソフトに着地できていた。
「お、思った以上に怖かった……」
若干間を開けて、へなへなと腰を落とし、少しだけ震え出す
だが、怖さに打ち負かされている暇はない。
「報告します。急速接近するプレイヤーを感知」
「え!」
「追加報告します。高速移動魔法の使用を確認」
「高城さんと同じ奴!?」
「肯定します」
「ま、まずいぃ!」
尊の脳裏に浮かぶのは、八重が高速移動魔法を併用して土蜘蛛を一撃で破壊した瞬間。
(あんなものを使われたら、ひとたまりもない!)
強烈な危機感から、飛び降りた恐怖など跡形もなくなり、直ぐに立ち上がった尊は壁に突き刺さっている黒姫黒刀改を切り裂き抜き、ビルの中へ駆ける。
(建物内なら高速移動魔法を攻撃に転じるリスクが増すよね? 例え使えても、ビルが壊れれば瓦礫の下地になるから、下手に使えなくなる。でも、問題は……)
視界の中に展開されているVRA地図にはカナタが描いた地下への最短ルートが赤い線として描かれているのだが、どう見てもビルの中を通るルートにはなっていない。それどころか、凄まじい速度でこっちに迫ってくる黄色い光点が五つ、その方向から現れているのだ。
「このビルには地下に繋がる階段はないの!?」
「否定します。ありません。捕捉します。確認できる範囲内では、一ヵ所以外は途中で通れなくなっているようです」
「そうなんだ……」
とりあえず、ビルの真ん中まで走り、相手の動向を確認する。
現れた五人のプレイヤーは尊が入った地点の前で止まり、ターゲットが止まったことに警戒しているのか直ぐには入ってこない。
その反応に彼らがどんな思惑でここに来たのかなんとなく予測する尊だったが、それが具体的に固まるより前に気になることがあった。
「ん? 思ったより少ない」
てっきり物凄い数のプレイヤーが現れるかと思った尊は、数の暴力で取り囲まれると懸念していただけに少し拍子抜けた。
「カナタ。なんでかわかる?」
「説明します。高速移動魔法を使えるプレイヤーの数は多くないそうです」
「どれぐらい?」
「補足します。RS持ちより少ない五パーセント以下だと言われています」
「ああ、そっか。考えてみれば、動作補正がないから、魔法で高速移動しても結局その動作はプレイヤーさん自身でしなくちゃいけないんだものね。正直、僕じゃできる気がしないよ」
「肯定します」
「…………」
「ですが、否定します。精霊領域を活用すればマスターでも可能です」
「でも、それだと精霊力の消費がとんでもないことになるでしょ?」
「肯定します。高城八重と同じ距離・時間使用した場合、マスターの場合は十分の一まで到達できるかできないかだと推測します」
「じゃあ、使えないね。地下どころかまだ地上にいる以上、可能であるのなら精霊力の消費は最低限、できることならほぼゼロで済ませたいし……となれば、可能な限り早くこの人達をなんとかして、地下に入る必要があるよね。後続はある?」
「確認します。探知領域を感じますので、可能性は高いです」
「となると、突破のために使える時間は少ないね」
小さくため息を吐きながら、尊は抜き身のまま持っていた黒姫黒刀改を白い鞘に納刀し、右腰の隣に浮かせる。
「確認します。何故ですか?」
「妖精広場が限定的に使えるようになっているなら、僕のこれからの行動全ては接触したプレイヤーさん達経由で全体に広がってしまうからね。そんな状況で、攻撃すればますます敵の思う壺だよ」
「強調します。ですが、相手を倒さなければずっと追われてしまうのでは?」
「本気だったらね」
尊は自分を落ち着かせるためか何度か深呼吸し、ゆっくりと歩み出す。
それにVRA地図上の黄色い光点が僅かに揺れる。
「この人達、多分、あの茶番動画を信じてないよ。とりあえず、近くにいたから様子見で来てみたら、見付けちゃったから慌てて追ってみたけど、いざ近くまで来たらどうしたらいいかわからない。って感じじゃないかな? 高速移動魔法の使い手が少ないのなら、周りに焚き付けられてって可能性もあるだろうし、自分の意思じゃないのなら、少しのことで追う意欲が砕けるはず」
「確認します。では、砕けなければ?」
「その時には……刃を抜かなくちゃいけないだろうね。混乱は長引くだろうけど、捕まるか強制転送されるかよりはましなはずだから」
「警告します。プレイヤーの対比戦闘能力が未知数です」
「確かに、僕が今まで戦ってきたのは、魔物か自動兵器だものね。妖精広場である程度は予測できない?」
「確認します……魔物との戦闘動画は無数に存在しますが、PVPに関するものは少ないようです」
「そう簡単に手の内を晒す人はいないってことかな? ううん。そもそも、PVPをするようなゲームじゃなさそうだしね」
「肯定します。一部、それを主眼にしたギルドがあることは確認できましたが、参考にはならないでしょう」
「どうして?」
「回答します。戦の聖人所属のプレイヤー達だからです」
「高城さんの?」
「肯定します。彼らの目的は、主に魔法法則が加わってはいても現実とほぼ同じこの世界で自らの技を高めるためだと公言しています。そのため、ギルド内で順位を付け、日々PVPを行っていたようです」
「戦闘の勝ち負けで順位を決めているってこと?」
「肯定します」
「お、思った以上に物騒なギルドだね……ってことは、高城さんはそういう人達の中で一番強いってことか……とにかく、その人達の動画ならあるんだね?」
「肯定します。強調します。ただし、彼らはRS持ちです」
「プレイヤー全体で十パーセントしかいない人達だものね。確かに参考にならないかな? プレイヤーさん達の主な戦い方が魔法であるのなら。高城さんみたいにRSを基礎に魔法を使うわけじゃないだろうし」
「肯定します」
「だとすれば、ほとんどぶっつけ本番か……いや、でも、事前になにも考えないなんてことはないよね」
「同意します」
「相手は複数。魔法をメインに使う。こっちはできる限り攻撃してはいけない。彼らを抜けても、後に他のプレイヤーさん達が待っているなら、精霊力の消費も少なくしなくちゃいけない。でも、そのためには情報不足。情報収集も同時に? だとすると……この狭い場所、接近戦、精霊領域は武霊が制御している……」
ゆっくり外に黄色い光点に向かいながら、尊はあれこれ思考を巡らすと意識が沈み、自然と歩み止めてしまう。
それに反応したのか、プレイヤー達が一人、一人とビルの中に入ってくる。
一分もしない内に両者が視認できる距離だが、ゾーン癖が発動している尊は気にしない。
ただ、考えるべきことが一つに絞られているため、直ぐに意識は浮上し、言った。
「うん。踊ろうカナタ」
「早くいけよな」
「はい? そんなこと言うなああんたが先に行きなさいよね」
「まあまあ、こんなタイミングで争わないで下さいよ」
「くだらん」
「あんたそれいいたいだけだろ? というか、どうでもいいけど、ちゃんと前向けよな」
などと若干ぎすぎすしながら五人のプレイヤーはビルの中を進んでいた。
通路は大人三人が並べば狭さを感じる幅な上に、ところどころに瓦礫や穴などが開いているので、一列に並んで進まなければ互いが邪魔をしてしまう。
特に彼らは武装化中であるため、武器によってはそんなことをしても狭さを感じていた。
先頭を行くのはショートボウを持った女子高生で、続くのが手斧を持った鼻ピアス男に、鉄扇を持った袴姿男、大型ハンマーを持った迷彩服の男、最後に蛇の意匠が付けられている杖を持ったチャラ男。
この五人が、尊へと向かっていた。
ただ、彼らに連携・協力という意識がないのか、武器の特性を生かした隊列にもなっていない上に、武霊使いの基本である互いの武霊がなにを司っているのかも確認してすらいない。
何故なら、彼らはそれぞれが別々のギルドに所属しており、臨時ギルド長会議に参加した自分達のリーダーに付き添ってきただけなのだ。
武装精霊はまだ始まって間もないVRMMOであり、なおかつ、都市ティターニアだけでも日本の首都東京と同じ面積な上に、更にその下にはそれ以上に広大な空間が広がっているのだ。
例え他の大手VRMMOゲームに比べてプレイ人口が少ないとはいっても、それでは他ギルドまで関係性が築けるはずもない。
奪還作戦失敗後も、その状況は変わらず、むしろVR耐性限界や自動兵器の成長などによる混乱から、より仲間内で固まり、ギルド長などの特定の人物以外の交流は少なくなっていた。
それに加え、唐突に復活した妖精広場やら、連続した爆発の後にシールドで隔離された臨時会議を行っていたビル上階やら、倒せばこの状況を終わらせられる美少女がいるとか、色々なことが一切の理由も根拠もなく立て続けに起きたことにより、指示を受ける立場にいた者達は混乱するしかできなかった。
結果として、意思を失ったプレイヤー達は、流転する状況に踊らされ始め、この五人はここにいる。
「それにしても……なんでみんな高速移動使えないのかしらね?」
などと女子高生がため息交じりに言うと、迷彩男が鼻を鳴らす。
「くだらん」
「それ以外の言葉知らんのかね? こいつ」
チャラ男が呆れたように前を歩く迷彩男を見た。
女子高生もひと睨みぐらいしたかったのか、振り返りそうになってすぐに止める。
互いにゆっくり近付き、壁を挟んでいるから視認もできず、距離もまだある。が、魔法のことを考えればあってないような間合いでもあるのだ。
ただ、
「警戒し過ぎなのでは?」
女子高生の警戒を感じ取ったのか、袴男が鉄扇をばっと広げて口を覆った。
「あの子がフェンリルの工作員なら、魔法を使ってくることはないでしょうし」
「はあ? てめぇは馬鹿か? 紋章魔法があるだろうがよ」
袴男の言葉になぜか鼻ピアスが反応し、そっちはそっちで振り返ってしっかりにらむ。
「く――」
「くだらん! なんていうなよ? 妙なキャラ作ってんなあんた」
先にセリフを言われた迷彩男は悲しそうな顔になったりしているが、チャラ男は無視して、前の連中に言う。
「高速移動魔法は、慣れてないか運動神経が良くないとちょっとのミスで事故るからな。精霊領域でカバーするにも限度があるし、精霊力の消費も半端じゃない。慣れるまで何度とやるには一か月じゃ時間が足りねし、運動神経がいい奴らRS持ちは大体戦の聖人かその下部ギルドに入っているからな、そりゃ徒党を組まなくちゃ自動兵器から身を守れね一般プレイヤーの俺達の中に高速移動魔法を使える奴なんていねさ」
チャラ男の見た目に反してしっかり考えている説明に、残り四人が意外そうな顔になるが、そのことに対してコメントすることはできなかった。
何故なら、
「なるほど、では、ここにいる人達は少なくとも皆さんのギルドの中でトップに位置する実力の持ち主ということですか」
可憐と言ってもいい声が全員の耳に入ったからだ。
姿は見えず、VR地図上でも、百メートルは離れている。
「探知領域の応用か?」
唯一動揺を見せなかったチャラ男が問うと、若干間を置いて返事が返ってくる。
「はい。皆さんの周りの空気に干渉させています」
「面白いことを思い付くな……となると、君が武霊使いであることは間違いないわけか」
今度こそ驚愕して四人の視線がチャラ男に集まるが、その瞬間、舌打ちした。
「隙を見せるな!」
「は?」
叱責された女子高生の顔に疑問符が浮かぶと共に、彼女は自分の隣に風を感じた。
「もちろん、そんなことだけで僕の無実を証明しようとは思っていません」
間近で感じる声と気配に、慌ててショートボウを向けようとするが、その手と腰を掴まる。
「ヒャ!?」
思わず悲鳴を上げると同時に、女子高生の視界が横に流れた。
「こんなところで高速移動魔法だと!?」
鼻ピアスは見ていた。唐突に現れた銀髪黒目な美少女が、女子高生ごと社交ダンスのようにくるっと回ったのだ。
「いや、これは高速移動じゃねえな。なんだ?」
などと冷静に分析しているチャラ男を無視して、鼻ピアスは手斧を振る。
丁度背を向けている美少女の頭上に凶悪な一撃が迫るが、刃が叩き込まれるより早く女子高生から手を離し、逆回転した。
振るわれる腕を軸に腕を畳んで小さく回り、鼻ピアスと背中合わせになって止まる。
「あ、危ないでしょ!?」
結果的に鼻先を手斧がかすめた女子高生が抗議の声を上げるが、鼻ピアスは無視して横に飛びながら後ろへと攻撃した。
しかし、美少女は鼻ピアスにぴったりとくっ付いたまま同じようにジャンプしていたため、手斧は背後にいた袴男へと振るわれることになる。
「なにをするのですか!?」
反射的に鉄扇を広げて防御しようとするが、武器同士が当たる直前で、それが空を切る。
美少女が身体を落とし、すくうように袴男の横にして抱き上げたのだ。
「は?」
自分がいつの間にか天井を見ていた上に、目の前を防ごうとしていた手斧が通り過ぎるのを見た袴男は固まってしまう。
それは僅かなことだったが、その間に美少女は遠心力を付けて袴男を立ち上がらせ、彼のいた元々の位置へと入れ替わる。
「くだらん!」
瞬く間に目の前に現れた美少女に向かって、迷彩男はハンマーを振り上げるが、それが下ろされるより早くくるくると回ってすり抜けられてしまう。
「何故精霊領域が発動しないのですか!?」
ここで正気に戻った袴男がこの場全員の疑問を叫ぶと、チャラ男がため息を吐きながらあっさり横に移動して美少女へと道を譲る。
「そりゃ攻撃じゃないからだろ?」
「って、なにのんきに見送ってんのよ!?」
瞬く間に外に出て行った美少女の背中へ視線を送るチャラ男に女子高生が抗議の声を上げると、再びため息。
「ここでやり合うより外でやり合った方が都合がいいだろうが」
そう言うと共に、チャラ男は足元に水を生じさせて、その姿を掻き消す。
「ま、待ちなさいよ!」
慌てた女子高生が炎を、鼻ピアスが砂を、鉄扇が風を、迷彩が植物をそれぞれ生じさせ、一気にビルの外へと飛び出したのだった。




