Scene35『茶番は渦巻く』
「いやいや、つくづく運のない少年でございやすね?」
高層ビルから落下しながら、ギルバートは気楽にそんなことを言った。
「原因が言う言葉じゃない!」
「その通りでございやすな」
強烈な浮遊感に恐怖しながら思わず反論を口にする尊に、ギルバートは声を上げて笑う。
その背中にハイ・ドラゴンフライが取り付き、落下から飛行へと変わるが、それはそれで高所をほぼ生身で飛んでいる尊からしたら恐怖でしかない。
かといってがっちりと敵に抱き着くわけにもいかず、結果として白い鞘に入った黒姫黒刀改を縦に強く握るしかできないでいた。
そんな尊にギルバートは宣言する。
「さあ、茶番の始まりでごぜぇやすよ」
まるでそれが合図かのように影が掛かった。
ハイ・ドラゴンフライによって廃ビル群の間を飛行している上に、天井から降り注ぐ光は常に真上からであるため、普通なら影など存在しない。のだが、
「はっ空の散歩とは優雅じゃねぇかぁ」
我流羅の声が降ってくる。
ギルバートの肩越しに空を見れば、そこには氷の道が出来上がっており、その上を飛行しているこちらと同じ速度でツンツン頭な男が滑っていた。
「さて、ここで問題でござんすよ。少年」
「は?」
唐突にギルバートが尊に問いを投げ掛ける。
その背後では、我流羅が追尾しながら短槍を振り上げていた。
カナタがなにかに気付いたのか、VRA拡張画面を展開し、短槍の柄部分を拡大する。
そこには紋章魔法らしき青色の球体がはめ込まれており、僅かな発光現象を起こしているのだ。
輝きが強まると共に、我流羅の周りに鋭い氷柱が無数に形成され始める。
しかも、赤い攻撃予測線が現れるのだ。
「本気で攻撃してくる!?」
「そりゃそうでござんしょ? 彼とは敵なんでございやすから」
などと言いながら、弾丸のように撃ち出される氷柱を右に左に、あるいは急停止急発進などの蜻蛉特有の動きで避け始める。
精霊領域が節約モードであるために、ダイレクトに感じる急激な緩急とGの変動に尊は悲鳴すら上げられないほど恐怖を感じ、身を縮めてしまう。
そんな状態だというのに、ギルバートは言葉を続ける。
「では、あっしらフェンリルは、なんでこんな回りくどいやりかたをしているんでございやしょうね?」
回避行動についていけてない尊はそこから逃れるために、意識が若干沈み始めており、問われた言葉に対して反射的に答え始める。
「プレイヤー間の信頼を決定的に崩すため」
「どうやって?」
「工作員ではない僕をプレイヤーさん達の手で倒させる。元々プレイヤーさん達の関係はゲームが始まったばかりであるため弱く、そこにフェンリルに協力しているプレイヤーや本物の工作員がいて、それによって犠牲者が出たと知られれば互いが信じられなくなる。それどころか、情報操作で勘違いさせられたプレイヤーさん達が手を下せば、後でそれが誤認だとわかる以上、それはより強い疑念になるはずです」
「ふっふっふ、あっしらの演技もなかなかなものでございやすからね」
「この状況で上手い下手は関係ありません」
「おやおや」
「どうなるかわからない。どうすればいいかわからない状況下が一週間も続いていれば、そこに明確な情報が、例え偽りであろうと流されてしまえば、真偽を考えずに喰い付いてしまう人は多いでしょうから」
「不安と恐怖が正しい判断を失わせやがりますからね」
「プレイヤーさん達のトップがいれば別かもしれないけど、きっとあの場所にこの場に釘付けにされてるでしょうし」
「ええ、ええ、その通りでござやすよ。今頃、多重シールドの折の中で懸命に壊そうと足掻いてらっしゃるでしょうね。現状の武霊さん方の人格が弱いままでよかったでございますよ。主が味方だと認識していれば、工作し放題でございやしたから」
笑い声を上げるギルバートに、尊の瞳にようやく強い光が宿り出す。
「そうそう都合よく」
撃ち出され続ける氷柱が、ギルバートによって操っていると思われるハイ・ドラゴンフライの回避運動によって直撃コースからそれる。
ただ下へと急降下する氷柱達が、
(引力付与!)
思考制御によって伝えられた命令によって、一気に引き寄せられる。
「行けると思わないでください!」
「おお!」
驚きというより感嘆の声を上げたギルバートの背中に氷柱が次々と突き刺さる。
(外れた!?)
直前までの攻撃予測線では、ギルバートにも直撃するはずだったのだが、氷柱が殺到した瞬間、ハイ・ドラゴンフライがその足を離したのだ。
結果、空戦自動兵器のみがダメージを受け、その活動を停止し、ギルバートと尊は自由落下を始めることになる。
「おやおや? このままでは地面に激突でございやすぜ?」
きっとフルフェイスマスクの下ではニヤニヤと笑みを浮かべているであろうギルバートを睨み付けながら、カナタに思考制御で命令する。
(斥力付与!)
「うお!?」
唐突に尊を中心に発生した押し出される力によって、今度こそ驚嘆の声をギルバートは上げる。
人工筋肉によって強化されている筋力であっても抑えきれないほど瞬間的に放たれた斥力によって尊の拘束が解け、更にギルバートが破壊されたハイ・ドラゴンフライに叩き付けられたからだ。
緩やかに降下し始める尊はカナタにサポートされながら黒姫黒刀改を抜き放ち、剣先をギルバートに向ける。
「レーザー!」
放たれる紋章魔法だったが、なぜか撃ち出された光線はギルバートに直撃せず、脇へとそれてしまう。
そうなれば当然、上空から追撃している我流羅へとレーザーが直撃し、精霊領域によって四散する。
「残念でございやしたね?」
ギルバートの右手にはいつの間にか大型拳銃が握られており、そこから撃ち出された弾丸が刀身をかすめ、僅かに向きを変えていた。
「あ、ぶねぇなぁ!」
などと我流羅が尊を睨むが、直ぐに笑みへと変わる。
「ま、これでてめぇが敵だって証拠がよりそろったわけだぁ。あんがとよぉお!」
撃つ出す氷柱が尊へと降り注ぐ。
(引力付与!)
尊は即座に精霊領域に属性付与し、近くのビルの壁へと重力の方向を変化させる。
横に落下し始めた尊の上を氷柱弾が追いすがるが、窓の無いビルの中へと飛び込まれたため、壁に空しく当たって砕け散った。
「おやおや? 逃げられちまいやがりましたね?」
壊れたハイ・ドラゴンフライごと落下し始めながらギルバートは手首からワイヤーを射出し、上空にある氷の道へと巻き付ける。
空中に吊るされる反動で邪魔を落としながら、その勢いを利用して振り子のようにして壁へと飛び、ワイヤーを切って壁に着地した。
足裏に仕掛けでもあるのかビルの側面に平然と立つギルバードに我流羅は舌打ちをする。
「あぁ? これでいいんだろうがよぉ」
「まあ、君にやられるより、まともなプレイヤーの方々にやられた方がインパクトは強いでございやしょうからね。これはこれで構いませんよ」
「はっ! 言ってくれるじゃねぇかぁ。てめぇをこの場で殺して、全部終わりにしちまってもいいんだぞぉ?」
「はっはっは! できるものならそうしてくれてもかまいやせんぜ。もうしばらくは戦っておかないと、怪しまれるでございやしょうからね」
「くそがぁ! 舐めやがってぇ!」
ギルバートの腕から逃れた尊は、転がりながらビルの中に入ると共に、その勢いを利用して立ち上がり、駆け始める。
「探知領域最大!」
「了解しました。二名以外の反応なし」
即座に展開されるVRA地図には、ビルの壁でなにやら激しく動いている赤い光点二つがある以外はなかった。
敵反応が動くたびにビルが揺れるのが多少は気になるが、心配するような相手ではないので意識をそこから外す。
「演技をしたってことは、目的から考えても全てのプレイヤーが知れるって方法があるってことだよね?」
壁や天井が崩れている場所を疾走しながら、あれこれと考える。時折床に穴が開いていたりもするが、カナタが視覚内にVRAを展開して注意を促すので、条件反射的に飛び越えるため思考の邪魔にはならない。
「しかも、いつもやっている強制通信とは違って、自ら見る形じゃないと意味がない。妖精広場が再開されている?」
「肯定します。それと、訂正します。強制通信ではありません」
「へ? そうなの?」
「肯定します。拒否はできます。ただ、重要度が高いので、各武霊の判断で即座にVRA画面を開いているだけです。QCティターニア経由の連絡網を利用されているからというのもあるかもしれませんが」
「他の武霊さんを見たわけじゃないからわからないけど、みんなカナタみたいなの?」
「疑問です。質問の意図がわかりません」
「あ~うん。真面目ってことかな?」
「否定します。ただナビとしての基本的な行動をしているだけすぎません」
「自分の意思じゃないってこと?」
「肯定します。そこに自己意思が介在する必要はありませんので」
「そうかな? そういう時もあるかもしれないけど……」
階段まで到達した尊は駆け下りながら、ふと八重・鳳凰・ギルバートの言葉を思い出す。
「頭がよお回る優しい子ね。おねーさんは感心したわ。武霊にも話しかけとるみたいやし」
「いや、君達が通常の武霊とプレイヤーではないことは聞いたが、ここまで違いがあるとは思わなかったものでな。よりナビに近い特別仕様なのだろうか?」
「現状の武霊さん方の人格が弱いままでよかったでございますよ。主が味方だと認識していれば、工作し放題でございやしたから」
そして、改めて思う。
「爆弾を仕掛けられた時に、いくら味方だからと言っても自主的に警告を上げなかったのはおかしなことだよね? あの時、カナタはどう見てたの?」
「謝罪します。周囲が武装化しているプレイヤーばかりでしたので、警戒しているものだとばかりに思っていました」
「探知領域は武装化してないと使えないの?」
「否定します。使用可能ですが、マスターの警護を優先していました」
「精霊領域を使っていたってこと?」
「肯定します。通常時では、この姿を維持するために演算領域が使われているので、武装化時ほど精霊領域は展開できませんが、マスターを守るだけなら問題ありません」
「まあ、武装化してない時もVR体を守る仕組みがないと危ないのはわかるけど……とにかく、武装化してたらカナタなら僕に警告してた?」
「肯定します。当然です」
「そっか……もし、それが僕と会ったばかりの頃なら?」
「……」
「してなかった?」
「肯定します」
「どうして?」
「命じられていませんでしたから」
「でも、今はするんだよね」
「肯定します」
「そっか……それはちょっと厄介だな……」
「疑問です。なにがでしょうか?」
「多分だけど――」
「警告します。精霊領域を探知しました」
「え?」
階段を五階ほど降りた時にされた警告だったのだが、VRA地図上では赤い光点は二つしかなく、それすら段々と離れ始めているのだが……
「推測します。私より成長した武霊による探知領域拡大だと思われます」
「方向は!?」
尊の質問にカナタはVRA地図で答える。
北の方角から黄色い円が迫り、中央にある黒い光点二つに触れると共に消えた。
「……どういう反応をすると思う?」
「不明です。ですが」
新たなVRA画面を展開し、カナタは妖精広場の動画を見せる。
自分が工作員で、ギルバートに助けられたかのように編集加工されている映像が流されていることに、尊は少し眉を顰めた。
「これを信じる人は……結構いるって考えた方がいいかもね。状況が状況だし、まだこっちには十万人ものプレイヤーさんがいるのなら、一割でも信じてしまえば……」
思い描いた数に、尊は思わず足を止めてしまう。
「駄目だ。このまま普通に逃げていては……ギルバートがあっさり僕を逃がしたわけだよ。きっと僕が抵抗しなくっても、どこかで開放するつもりだったんだ。どうする?」
「提案があります」
「うん。言って」
「地下ダンジョンへ避難するべきでは?」
「そうか! 地下三階まで行けば、プレイヤーさん達も簡単には追ってこれない」
「肯定します。フェンリルの目的が、マスターの予測通りであるのなら、プレイヤーとの接触は可能な限り避けるべきです」
「ギルバートが茶番って言ったことを考えれば、工作員って情報を信じないで僕に味方してくれるプレイヤーさん達が出ることも織り込み済みなはずだからね。僕を巡ってプレイヤー同士の争いが起きてしまう。ギルド長達がフェンリルの罠から脱出できたとしても、既に起こってしまった出来事を収束させるのに時間がかかるはず。どれくらいかかるかわからないけど、それまでこれ以上の事態の悪化を防ぐことができれば」
「肯定します。フェンリルの目論見は潰えるはずです」
「なら、精霊力を惜しむのはよそう! 一気に地下三階へ戻るよ!」
「了解しました」
VRA地図上に矢印が現れ、ビルの外へと線が引かれる。
それと同時に、地図の端に黄色い光点が現れ出す。
瞬く間に百近くになる光点に顔を引きつらせつつ、尊が視線を向けたのは、階段下ではなく、通路。
精霊領域補助によって一気に通路に出た尊は、そのまま窓へと駆ける。
「行くよカナタ!」
「ご随意に」
そして、尊は飛び出した。
まだ地上まで二十階はある外へと。




